タイムマシンで転がって
少年と少女は幼馴染だった。
少年と少女は一軒の家を挟んで住んでいた。
少年の家と少女の家、その二つに挟まれている真っ黒な立方体には。
立別研究所
そう真っ白なゴシック体で書かれていた。
少年は今朝方家のポストに投函されていた真っ黒な封筒を持って少女の席に向かう。
少女も机に座ったまま頬杖をついて同じ封筒を眺めていた。
少年が机の前に立ち、ようやくその存在に気付いたようだ。
少女は緩慢に面を上げた。
「…これ、どう思う?」
少女の指先は封筒に向いている。
少年はいつものように肩をすくめ、いつものように答えた。
「どうせまた、博士の招待状だろ」
少女も同感とばかりに小さく頷く。
「行く?」
「そりゃ行くさ。お前は見たくねえの?博士の珍発明」
少女は少しの間顔を伏せ、そしてもう一度小さく頷いて…小さく笑った。
「あなたが行くところならどこへでも」
ついて行くよ。
少女は少年を見つめてはにかんだように笑った。
博士は少年と少女の帰りを待ちきれないようで、二人が下校すると黒い立方体のまえでまっていた。
少年と少女の姿を認めると、その真っ白な髭に覆われた相好をくちゃくちゃに崩す。
「おお、君達。待ちくたびれたぞ。」
少年と少女は顔を見合わせ、苦笑する。
なんだかんだ言いながらも、二人はこの白髭の博士が大好きだった。
博士は懇ろに寄り添う二人を見て、ますます目尻を垂らす。
「まったく君達はいつ見てもらぶらぶじゃの。
わしもあのとき小春ちゃんを振っていなけれのぉ…」
「そんなことより博士。
早く博士の珍発明、見せてくれよ。」
年寄りの昔話を強引に打ち切って少年はせがんだ。
博士は気にした風もなく、小春ちゃんとやらとの日々を語っていたが、少女の
「……博士…?」
地の底から響くような低い声に渋々口をつぐむ。
しかし不機嫌になったりせず、むしろ上機嫌で、二人を中に招き入れた。
「君達はいつもわしの発明を珍発明だと馬鹿にしておるが今回のはすごいんじゃぞ」
毎回聞いている台詞を少年はへーへーと聞き流して、本題を尋ねる。
「で、今度は何作ったの?博士」
博士は真っ白な白衣に包まれた胸を張り、自信満々に言い放った。
「タイムマシンじゃ!」
「へぇー、タイムマシン作ったのか…、ってタイムマシンっ?」
今にもエッヘンと言わんばかりに博士は踏ん反り返っている。
「エッヘン!その通りじゃ!」
本当に言った。
まだ未来への一方通行じゃがの、と続けた。
一方少年と少女は何も言葉が出ない様子で口を開閉する。
一足先に冷静になった少女は、気遣うように博士を見やる。
「…博士、大丈夫?」
「?なにがじゃ?」
「………頭」
少女の失礼な指摘に少年も便乗する。
「ウソだろ!博士がそんなまともなもん作れるわけねえ!」
愕然とした少年の表情を見てさすがに傷ついたのか、博士はぐす、と鼻を鳴らした。
しかし消沈していたのもつかの間、数拍後に威勢よく語りだす。
「わしがウソをつくわけなかろう!
そんなにわしを信用できんのか?」
「「うん。ちっとも」」
「……………」
ふわふわした髭の間から泣きそうに潤んだ瞳が覗いている。
少年と少女は再び顔を見合わせ、そろって頭を下げた。
「「ごめん」」
でも。
「前回〝エコ洗濯機〟とかいう水いらずだけど水素と酸素が大量に必要でしかもスイッチを押すと生成さ
れた余剰電気が暴走して外殻が大破する発明品を見せられて危うく怪我しかけた俺には疑う権利があると
思う。」
「一か月前博士がくれた〝立別式宇宙食〟。
あれはたしかに画期的だった。
一錠飲むだけで一回分の食事に相当するなんて。
でも不思議。あれ飲むと私、涙か止まらなくなるの。」
「そ、それはその、副作用というかのぅ…」
「それだけじゃないぜ!
小学生の時勝手に俺らのランドセル改造して〝風船型ランドセル〟、作ってくれたよなあ。
どんなに荷物を入れても重くならなくて超登校が楽になったけど、ちょっと目を離したすきに空の彼方へ
飛んでっちまったぜ…。
俺の宝物だったカードゲームのデッキを乗せたまま……」
「勝手に改造といえばあれ、私の大切なテディベア、二足歩行機能と人工頭脳を組み込んでくれた。
おかげで自由と解放を求めたあの子は家を脱走して行方をくらませた…」
「…………うっ、うっ」
本格的に泣き出しそうな博士を見て、少年と少女は口をつぐむ。
話題を変えようと少年が口を開く。
「あー、博士?
その、は、早くタイムマシンを見てーなー?なんちゃって」
「本当かのっ?
やっぱりわしの発明をみたいんじゃな!」
少年の呟きに反応した博士はがばっと身を起こしてこっちじゃ、と先導しだす。
相変わらず立ち直りが早い。
少年と少女はいま一度顔を見合わせてからそのあとに続く。
真っ黒であり、しかし真っ暗ではない廊下を進み、やがて博士は一つの扉を開けた。
その部屋もまた真っ黒であり、途方もなく広かった。
その黒い広場の真ん中に、見慣れないものが鎮座していた。
少女がぼそりと呟く。
「………パチンコ玉?」
そう。そこには巨大なパチンコ玉としか思えない銀色の球体が存在していた。
完全な銀色の球は、黒の空間では異端で、浮いた存在だった。
想像していたものと違ったのか少年と少女は口が半開きになっている。
博士は二人の呆然とした表情を確認し、したり顔で前に立って説明する。
「ぅおっほん!
聞いて驚くのじゃ!
これこそがわしの史上最高傑作、名付けて〝タイムストレンジャーZォォォ〟!」
少年と少女はテンションが高すぎる博士に反応できない。
異様な静けさの中、博士は気にせず話を続ける。
「君たちが疑問に思ったであろうこの形にはきちんと訳がある。
長年の研究でわしは時間の流れとは何か、それを理解することに成功したのじゃ。
そう、時間の流れとは坂のようなものなのじゃ。
未来へは下り坂、過去へは上り坂、といった具合にな。」
少年と少女の視線がパチンコ玉と博士を交互に行き来する。
博士はやはり気にせず話を続けている。
「じゃからさっき言ったようにこの〝タイムストレンジャーZ〟は一方通行なのじゃよ。
球体では坂を下ることはできても上ることはできんからの。」
そこで一応説明が一段落したのか我に返りつつある少年と少女を見やる。
さて、本題じゃが、という言葉で少年と少女は注意して耳を澄ます。
「君達にいつものように被験者を頼みたいのじゃが。」
その言葉を待っていた!と言わんばかりに勢い込んだ少年が声を張り上げ即答する。
「もちろんだぜ!」
少女も快く首を縦に振った。
二人の快諾に博士は深いしわの刻まれた顔をくしゃくしゃにして微笑む。
「うむ。礼を言うぞ。
じゃ、ちょっと乗って待っておってくれ。
わしはコンピュータルームで微調整を行ってくるからの。」
くれぐれも変なところを触るでないぞー、間違えて千年後とかに行ったら洒落にならんからのー、と言い
残し、黒の広場を颯爽と出て行った。
また、少年と少女は顔を見合わせて笑った。
パチンコ玉――――いや、〝タイムストレンジャーZ〟は中まで銀色だった。
鏡のように虚像を反射し、少年と少女はミラーハウスに迷い込んだような気分になっていた。
しかし躊躇していたのも束の間、少年は興味津々に内部をいじり始める。
少女が一応尋ねる。
「…博士、駄目って言ってたよ?」
少年は悪戯っぽく黒目がちな目を細める。
「だーいじょうぶだって。
お前は俺を信じられねーのか?」
屈託のない少年の笑顔に少女は俯いて顔を赤らめた。
「んーん、信じてる。」
ぼそぼそと聞き取れないほど小さな声で少女は囁き、少年はさらに笑みを深めた。
と、そこで少年が首を傾げる。
「んー?なんだこれ」
少年の指差した先には小さな黒い、上矢印の形をしたボタンだった。
少年がそれを押すと、そのたびにダークブラックの液晶パネルに表示された数字が一ずつ増えていく。
どれどれ、と少女が手元を覗き込み、気付く。
少年の指先付近を指さして言う。
「ここに小さくyearsってかいてある。」
つまりこれは何年後に行くか、決めるボタンなんじゃない?
少女の推測に少年は大きく頷く。
そしてどうせなら、と、その黒いボタンを長押しする。
ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。
ピピピピピピピピピピピピピ。
ピ――――――――――――――――――――――――――。
数分押し続け、ようやく少年は指を離した。
〝1000years〟
少年と少女は顔を見合わせくすくす笑う。
「もー。博士が駄目って言うとすぐにやるんだから。」
あはは、と少年は笑ってごまかす。
と、少女は黒いボタンの横にあるスイッチを興味深そうに見つめた。
「…ねえ、これは何のスイッチだと思う?」
少年はしばらく考え込む。
……しかし何も思い浮かばなかったようで決まり悪そうにそっぽを向いた。
少女はわざと少年にちょっかいをかけてみる。
「…へえ?わかんないんだぁ……」
沸点の低い少年はそれだけでキレる。
やけくそ気味に指を突き出して、
「うるせー!
わかんねーなら押してみりゃいいだろ!」
カチッ。
―――――パチンコ玉の内部に一つしかない、白く大きく丸いスイッチを押した。
ヴィィィィィィン。
何かの起動音が機内に響く。
「わ!」
「きゃ……」
シートベルトもしていなかった少年と少女は、突然激しく揺れ始めた機体の中で、ただなすがままに転が
りまわる。
「おっ、お前っ。こっち来いっ……!」
少年はせめてクッションになろうと少女の華奢な肢体を抱き寄せる。
転がって。
転がって転がって転がって転がって転がって転がって転がって転がって―――――――。
そして。
少女が目を開けると、青く透き通った空が視界いっぱいに広がっていた。
「痛ッ……」
全身が痛い。
ぐるりと頭を巡らせ、
「あ」
少年が自分の下敷きになって気を失っているのに気付いた。
少女は慌てて退いて、少年を抱き起す。
「ねえ、ね。だ、大丈夫……?」
そのまましばらく揺すりながら呼びかけていると、不意に少年の瞼が開いた。
「………あ。」
「!」
「…お前、大丈夫だったか…?」
「――――――ッ」
少女の眦から一筋の涙が滑り落ち、少年の額に滴った。
少年は少女が無事なのを認め、張りつめていた息を吐き出した。
安心させるように笑いかける。
少女は一瞬だけ微笑み、一転して叫ぶ。
「私なんかよりもっ、もっと自分を大事にしてっ…!」
少年は困ったような表情を浮かべ、右手で少女の後頭部をつかんで自分のほうへ抱き寄せた。
少年と少女の顔がこれまでないほど近づき、
「――――ん。」
少年と少女の唇が重なった。
青く透き通る空の下、少年と少女は長い時間そうしていた。
絡み合った舌を解き、少年と少女は顔を赤らめつつ見合わせる。
最後にもう一度だけ軽いキスを交わして、少年はどこまでも続くような青い空を仰いだ。
「………千年後の世界、綺麗だな。」
少女も周囲に咲き誇る色とりどりの花畑を見回して静かに頷いた。
「それにしてもパチンコの壁、マジックミラーだったんだな」
だから外に出なくても景色が見えるんだろうな。
二人は博士の配慮に微笑みあい、どちらともなく切り出す。
外に出てみようか。
少年はレディーファースト、と、ドアを開ける役目を少女に譲った。
少女もその好意に甘えてハンドルを回し、ドアを開ける。
風が吹き抜ける。
そして少年と少女の目の前が真っ赤になった。
少年と少女が千年後へと旅立った後、博士は一人静かに顔を覆っていた。
「うっ、ううっ……」
指の間から漏れ聞こえるのは博士の嗚咽。
ひとしきり涙を流し終え、博士は何もなくなった黒い空間に向かって黙祷を捧げる。
誰もいない広間にはただ博士の声が響く。
「千年も時間が経ったら環境が変化していて、外で生きていられる訳がなかろうに」
二作目です。
ちょっとSFっぽいですが科学的な根拠はまったくなく、あくまで創作であることをお忘れなく。
これ書いてる途中にまた余震がありました。
早く治まってくれることを心から祈っています。