中年ベイビー
閑静な住宅街に、聞くに堪えない叫び声がこだまする。住民のひとりが、周囲に大声で注意を促す。
「中年ベイビーがくるぞ!」
外にいた人たちは血相を変え、一斉に屋内へ退避する。我先にと逃げかえり、慌てて戸締りにかかる。
まもなく空から、何かの大群が住宅街に向かってくる。白い鳥のようだ。
いや、鳥ではない。飛んでいるのは、真っ白なおくるみをまとった赤ちゃんだ。全身が白いおくるみに包まれている。背中には衣装と同じタオル地の羽がある。この翼を懸命に動かし、サツマイモ畑から遠路はるばるやってきたのだ。ほのかな甘い香りが、周囲にもただよっている。
しかし、住宅街に飛来したのは断じて天使などではなかった。赤ん坊はどいつもこいつも、中年のオッサン顔。全員がまったく同じ顔で、口まわりは口髭が円を描くように生えていた。両目は大きく見開かれ、まなじりはつりあがっている。
これが中年ベイビーと呼ばれる、巷を騒がす害獣の正体だった。皆アゴもはずれんばかりに口を開け、奇声を発している。
「ヴォーッ!」
「ギャアアアアーッ!」
醜い怒号を伴って、50頭ほどの芋くさい中年ベイビーが住宅街に殺到した。家や木に勢いよくぶつかりながらも、皆力強く飛び回っている。住民たちは自宅の窓越しに怯えきった目で、招かれざる客どもをそっと見守っている。
中年ベイビーは目が悪いうえ、どれも飛ぶのが下手ときている。そのせいで飛ぶたび何かにぶつかる有様だ。空飛ぶ壊し屋は車のボンネットをへこませ、家にも大きな傷を残していく。目を覆いたくなるような被害があちこちで発生しては、住民たちがますます不安になるのも無理なからぬことであった。
ところで、害獣の厄介な性質にはちゃんと理由がある。進化の過程で獲得された能力と言いかえてもいい。では、彼らはなぜこの能力を手に入れたのか?そのワケを、これから見てみよう。
ある中年ベイビーが、街路樹と正面衝突する。衝撃で後ろにはじかれるものの、空中で体勢を立て直す。害獣は下半身を木になすりつけ、大きく開いた口から絹のような白糸を吐き出す。街路樹を支柱にして、全身ぐるぐる巻きにされていく。
10分もすると、全てが白いまゆの中にすっかり隠される。羽化する止まり木を見つけやすくするために、彼らはあえて下手に飛ぶ道を選んだのだ。
その5分後には、まゆ全体が大きく揺れ動く。糸の壁を突き破り、中から雄たけびを合図に成獣が飛び出してくる。
「ヴァァァァーッ!」
成獣は一般的な成人男性とほぼ同じ背格好だ。文字通り、一糸まとわぬ生まれたままの姿をしている。ただし下腹部には性器ではなく、幼獣とまったく同じ顔が生えていた。上下のオッサン顔は、いずれも全体が白いおくるみで覆われている。
肩甲骨のあたりには、お飾りのタオル羽がある。成獣の両顔から、幼獣と変わらない激流さながらの濁声がほとばしる。
「グァォォォーッ!」
悪夢の第二章が始まった。羽化して成獣となった全裸の中年ベイビーたちが、無人の市街地を縦横無尽に駆けまわる。すべての音が獣の声で塗りつぶされている。全力疾走する成獣同士が正面衝突し、吹き飛ばされ倒れふす光景も散見される。
だが彼らは激突しても喧嘩はしない。立ち上がると、めいめい別の方向に走り回っていく。いったい何をしたいのだろうか。彼らなりにではあるが、現代人の苦悩を全身で代弁してくれているのかもしれない。
しかし住民たちには、そう暢気なことを言っている余裕などない。見るもおぞましい害獣の横暴に、ただひたすら歯を食いしばり耐えるばかりだった。素人がつかまえようとしても、ケガをするのは目に見えている。まかり間違って成獣に出くわそうものなら、それこそ大変な目に遭う。皆一心に、救世主の到来を待ち望んでいた。
窓越しに見守っていた女性が、希望に満ちた声を上げる。
「やった! ついに来てくれたわ!」
彼女が目にしたのは、作業服に身を包んだ自治体の職員たちだった。10人ほどの職員たちは軍手をはめ、片手に金属製の頑丈な虫取り網を携えている。もう一方の手には、透明な液体で満たされた霧吹きが見える。責任者と思しき50代くらいの男性が、仲間たちに呼びかける。
「まずは幼獣からだ! つかまえたら各自で檻に入れるぞ!」
「はい!」
ふたりがかりで運ばれた、2メートルほどの金属製の檻が地面に置かれる。彼らは散り散りとなり、手にした網を振り回す。中に中年ベイビーの幼獣が入ると、そのまま網を地面に伏せる。網越しに害獣を片手でつかみあげ、とどめは幼獣の顔に持参した霧吹きをお見舞いする。
すると騒々しい中年ベイビーから、たちまち声が立ち消える。口こそ大きくあけているが、あの迷惑きわまる声が出てこない。ほんの一瞬で、借りてきた猫に様変わりしてしまった。背中の羽も猫にはいらぬと言わんばかりに、一気に縮んでしまう。
彼らが噴射したのは芋焼酎だった。中年ベイビーの主食はサツマイモで、自力飛行できるまで成長したら畑から大移動する。
しかし、イモの味は好みでもアルコールへの耐性はない。特徴的な甘い匂いで好物と思いこんだが最後、声に威勢、そして羽までもが一気に失われてしまう。最近の研究によれば、芋焼酎を浴びた中年ベイビーは24時間近く仮死状態に陥ると判明している。つまり手っとり早く、害獣に麻酔をかけられるわけだ。
職員たちは檻に駆け寄り、慣れた手つきで正面の扉を開ける。すぐさま幼獣を檻の中に放りこみ、扉を閉め外から施錠。こうして幼獣たちをひっとらえていくのだ。
彼らの頑張りで20頭以上の中年ベイビーがご用となった。サツマイモ香る銀シャリたちが、檻の中ですし詰めにされている。
しかし、まだ半分以上も残っている。いずれも成獣で、彼らの手に余る相手だ。職員のひとりが仲間に尋ねる。
「駆除車はまだか?」
「もうすぐ来るはずだ」
彼らの後ろでクラクションが聞こえる。振り返った先にあったのは、黒塗りのバンだった。
この車こそが「駆除車」だった。車体を構成する合金は強度に優れた特注品で、黒塗りの塗装も衝撃にすこぶる強い。中年ベイビーの成獣を安全に駆除する目的で、国が開発した新兵器だ。
運転席の窓ガラスが下がり、運転している職員が明るく呼びかける。
「待たせたな! みんな、最後までよろしくな!」
「こちらこそだよ。頼んだぜ」
職員のひとりが答えると、運転手もうなずく。窓を閉めて発車する。捕獲時に殺さぬよう、駆除車には30キロの速度制限が課されている。所定の速度を遵守し、手当たり次第に凶悪な成獣をはねとばす。
先ほどまで人間たちが味わった恐怖を、今度は成獣たちが思い知ることになった。丈夫さに定評のある駆除車は、一つも傷つくことなく害獣どもに追突する。まるで牧羊犬が羊の群れを、猛烈に追いたてるように。
轢かれた中年ベイビーたちは、道端に力なくうずくまっている。職員たちは上の顔にサッと芋焼酎の霧吹きをかける。途端に上下の顔から声が途絶えた。かわりに大きく開いたふたつの口から、カニのような泡があふれだす。白い泡のベールが、たちまち成獣の全身にまとわりついていく。
ベールはすぐにはぎとられ、白いおくるみに包まれた羽のない幼獣が現れる。成獣の場合、退化したうえで仮死状態となるのだ。
彼らは檻の中へ、手当たり次第に幼獣を詰めこんでいく。最後はもちろん、閉めた扉の外側から施錠する。たとえ仮死状態の相手でも容赦はしない。念には念を入れ、市民に仇なす危険の芽を摘んでいく。
あとは轢かれた成獣を退化させ、檻に押しこむ作業が続いた。中年ベイビーの飛来から数時間で、完全に捕獲作業は終了した。
夕暮れ時の住宅街は、あかね色に染まっている。サツマイモの残り香に心地よさを覚えつつ、職員たちもほっとため息をつく。ひと仕事終えた彼らを、市民たちが温かく歓迎している。割れんばかりの拍手とともに、勇敢な職員たちへ感謝の想いを口々に伝える。
「皆さん、本当にありがとう!」
「みんな頑張ってくれたおかげで、誰もケガしなかったよ!」
「皆様のおかげで平和が戻りました! 本当に、何とお礼を申していいのか……」
責任者が仲間を代表し、笑顔で答える。
「いえいえ。市民の皆様の安全をお守りするのが、私たちの仕事ですから。では、私たちもこれで失礼します」
日はとうに暮れ、先の住宅街からやや離れたビルの大型ビジョンのまぶしさが際立っている。画面に映るアナウンサーが、新しいニュースを読みあげる。
「では次のニュースです。今日の11時ごろ〇×県□△市で中年ベイビーが大量発生しましたが、市の職員たちにより数時間ほどで駆除されたということです。現在中年ベイビーの大量発生が相次いでおりますが、ご存じの通り中年ベイビーはたいへん危険です。もしお見かけしたら、ただちに屋内へと避難してください」




