表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

氷の騎士との遭遇

アルケミエ学園の廊下を歩くたびに、リーナの耳に届く言葉が変わった。


「あ、あの子が...」

「容量12だって」

「落ちこぼれだ」


魔力測定の結果は瞬く間に学園中に知れ渡った。掲示板に張り出された数値は、嘘をつかない。同年代平均の十分の一。それは、ほぼ魔導士失格の烙印だった。


リーナは目を伏せ、廊下の片隅に身を寄せた。朝食を摂らず、授業も後ろの席に移った。誰かの視線を感じるたびに、胸が締め付けられる。この孤立は想定していた。むしろ、古代魔法の痕跡が露見しないだけ、マシな方だった。


(もっと慎重に。もっと目立たないように)


そう誓ったのに、体が勝手に存在してしまう。呼吸をしてしまう。まるで重い鎖を引きずりながら、学園の中を歩く日々。


午後の実技訓練は、火属性魔法の練習だった。


訓練場は、高い天井と広大なスペースを備えた練習用の建物だ。石造りの壁には、魔法による被害を軽減する術式が無数に刻まれている。そこでは、何度失敗しても壊れない。ただし、失敗は全員の前で晒される。


リーナは訓練場の隅に立った。担当の魔導士が次々と生徒たちに指示を出す。


「火属性の基本。フレアボール。魔力の流れを指先に集中させろ」


リーナは深呼吸した。両手を前に出し、指を立てる。帝式魔導の基本形だ。詠唱は心の中だけで。外に漏らしてはいけない。


「フレアボール」


その一言で、指先から炎が発生した。だが、直後に消える。魔核容量が不足し、術式が維持できなかったのだ。


再度。同じ魔法。同じ失敗。


何度も。何度も。


十回目の失敗のとき、クラスメイトの一人がそっと呟いた。その言葉は誰に向けられたわけでもない、ただの呟きだったが、訓練場全体に聞こえた。


「また失敗した」


その瞬間、訓練場の空気が変わった。全員がリーナを見た。同情、嘲笑、差別的な眼差し。様々な感情が混ざった視線が、彼女の背中に突き刺さる。


リーナは何も言わなかった。何も言えなかった。ただ、また指を立てた。


フレアボール。失敗。

フレアボール。失敗。

フレアボール。失敗。


訓練は続いた。一時間目の終盤、担当の魔導士が別の指示を出した。


「次は水属性に変更。対象魔法の相性を理解しろ」


リーナは新しい術式に切り替えた。水の魔法は、火よりも微調整が難しい。細かい魔力制御が求められる。


そのとき、訓練場の入り口から、新しい人物が入ってきた。


それは一人の上級生だった。


白金の髪が陽光に輝き、その色合いは学園内でも目立つ。歳は十七か十八。背は高く、細身でありながら確かな緊張感を纏っている。瞳は冷たい青色。その色合いは、氷そのもの。まるで、人間離れした美しさを持つその瞳は、訓練場全体を冷たく見つめていた。


訓練場に張り詰めた空気が、さらに引き締まった。


「ああ...あれは...」


クラスメイトの一人が小声で呟く。


「カイ・ヴァイスハルト」


その名前だけで、訓練場の雰囲気が変わる。帝国六大貴族ヴァイスハルト家の嫡子。騎導師志望の上級生。学園内でも最高峰の才能を持つとされ、「氷の完璧主義者」と呼ばれている。


リーナの体が、反射的に緊張した。


ヴァイスハルト家。古代魔法への最も厳しい家系。三百年前の灰の戦役で、先陣を切った武門。その当主は今も、ルーヴェノール系住民の排除を家訓とする。


リーナは自分の瞳偽りの環に力を込めた。魔導具の効果が揺らがないよう。


カイは訓練場の中央に立った。彼の視線は冷たく、参加している生徒たちを一人一人観察していく。


「騎導師志望の上級生として、訓練状況を視察させていただく」


その声は、感情を排除した完全に機械的なものだった。


訓練が再開された。だが、全員がカイの視線を感じながら練習する。プレッシャーは何倍にも膨れ上がり、いくつかのミスが増える。


リーナも例外ではなかった。カイが訓練場に入ってきたその瞬間から、水の魔法すら満足に発動できなくなった。


フレアボール。失敗。

ウォーターシャード。失敗。

フレアボール。失敗。


ミスが重なる。その度に、自分の魔核の不完全さが、より一層明白になっていく。


やがて、訓練は終了した。


カイは観察を終え、担当の魔導士に何か指示を与えている。おそらく、視察の報告だろう。リーナはその間に、訓練場から離れようと歩き始めた。


だが、そのとき。


「君」


その一言で、リーナの足が止まった。


振り返ると、カイがリーナに近づいてくる。訓練場の全員の視線が、二人に集中した。


「君の魔力消費パターンが...通常と違う」


カイの声は、冷たく、鋭い。その氷色の瞳が、リーナを貫く。


リーナの心臓が激しく脈打った。呼吸が浅くなる。この質問は、最も恐れていたものだ。


「な...なぜですか?」


リーナの声は、かすかに震えていた。感情が高ぶると言葉が詰まる癖が、最悪なタイミングで出てしまう。


カイは数秒の間、何も言わなかった。ただ、その氷色の瞳でリーナを見つめ続ける。


リーナの脳裏は、混乱に満ちていた。どう答えるべきか。嘘をつくか。逃げるか。それとも?


「生まれつきの...体質です」


その言葉は、咄嗟に紡ぎ出したものだ。即興の言い訳。稚拙で、不完全で、しかし最善の言葉。


「魔核の形状が少し変わっているだけで、障害はありません」


リーナは必死に、平静を装った。だが、その声の震えは、どう隠しようもなかった。


カイはリーナの顔を見つめ続けた。彼の瞳に、疑念の色が浮かぶ。その疑念は、明らかだ。


数秒の沈黙。


「...そうか」


カイはそれだけ言うと、リーナから目を逸らした。


「では、今後は効率的な魔力管理を心がけるといい」


その言葉は、指導というより、訂正に近かった。それ以上、追及することはないという、冷たい決定。


カイはリーナから去った。訓練場を後にする。その後ろ姿は、何かを考えているかのように、かたく見えた。


リーナは、その場に立ち続けた。吸収できていない呼吸を、ようやく整える。


(危ない...本当に危なかった)


カイの視察は、訓練を通して何かを察知していたのだろう。帝式魔導の魔力消費パターンは、体質で大きく変わることはない。その常識を、カイは知っていた。


古代魔法を使用する者の魔力消費は、帝式魔導とは全く異なる。大地や生命の力を直接引き出すため、魔核を経由しない。その痕跡は、必ずどこかに残る。


カイはそれを察知していたのだ。


(ヴァイスハルト家...)


リーナの脳裏に、歴史の授業で習った言葉が蘇った。灰の戦役。古き血の排除。その家訓。


カイの父親は、鉄冠院の幹部だという話も、廊下で聞いた。帝国皇帝直属の秘密機関。古代魔法の研究と、その使用者の根絶を目的とした組織。


(あの人は...最も警戒すべき相手だ)


リーナはそう確信した。カイの鋭さ、その冷徹さ。彼は、単なる上級生ではない。何らかの使命を帯びた存在。古代魔法の痕跡を嗅ぎ分ける、狩人なのかもしれない。


訓練が終わり、リーナは学園の片隅で、その日の出来事を反芻していた。


カイの視察、その質問、その疑念。全てが、自分の秘密に一歩近づいたことを意味していた。


(もっと注意深く。もっと完璧に帝式魔導を模倣しなければ)


リーナは決意した。


その夜、カイは自室で一通の手紙を開いていた。


夜中に届く手紙は珍しくない。帝国の貴族家では、親から子へ、あるいは上司から部下へ、密かに指示が送られることは日常茶飯事だ。


その手紙は、カイの父からのものだった。


『カイへ。


我が家の調査報告により、アルケミエ学園内に古代魔法使用の痕跡があるとの報告があった。鉄冠院も動きを見せている。学園での調査を進め、詳細を報告せよ。


ただし、慎重に。むやみに露見させるな。家名の名誉を損なわぬよう。』


手紙は、そこで終わっていた。


カイは手紙を握りしめた。その指の先端が、わずかに震えている。冷たい空気が、彼の指先から放たれ始めた。氷が、床の一部を覆い始める。


(古代魔法...)


カイの心中には、複雑な感情が渦巻いていた。家訓。古き血の排除。その使命。そして、今日の訓練場での違和感。


あの少女は、誰だったか。名前も知らない。だが、確かに何かを隠していた。その魔力消費パターンは、帝式魔導の常識では説明できない。


(調査が必要だ)


カイはそう判断した。だが、同時に、別の感情も浮かび上がってくる。古代魔法の使用者の排除。それは、家族の使命であり、帝国の命令だ。


だが、まだ子どもである少女の命を、奪うべきか?


カイはその問いに答えることができなかった。氷は、床の上でより一層厚くなっていく。


一方、リーナは寮の部屋で、カイの言葉を何度も反芻していた。


「君の魔力消費パターンが通常と違う」


その指摘は正確だった。帝式魔導に最適化した体ではなく、古代魔法を秘めた体。その差は、訓練の場で明確に出てしまったのだ。


(もっと上手く隠さなければ)


リーナは自分の右手首を見た。薄く浮かぶ古代魔法の紋様。母から受け継いだ痕跡。それは、絶対に露見してはいけない。


紋様を隠す袖をより長くしようか。あるいは、帝式魔導の練習をさらに増やすべきか。


あるいは——


もう一度、図書館の古い文献を読むべきか。根源律の使い手として、真の力を理解する必要があるのではないか。


だが、それは危険だ。もう一度、古代魔法の力が露見する可能性が高まる。


リーナは、その葛藤の中で、窓から夜空を見つめた。月が、静かに輝いている。


どこかで、歯車が音を立て始めていた。古代魔法の痕跡を追う者と、その力を秘める者。二つの運命が、学園という舞台で交差しようとしていた。


その夜、リーナは眠ることができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ