疑惑の視線
魔力測定試験の結果が掲示された朝、アルケミエ学園の掲示板の前は静かな殺気に満ちていた。
数百人の学園生が結果を確認する中、リーナは自分の欄を見つめた。
容量値:14。精度値:87。
前回から改善している。わずかだが、確実に。だが、その数値の脇に書かれた教官の評釈が、彼女の息を止めさせた。
『容量値の改善は見られるが、その過程における魔力の流通パターンに異常性が認められる。古典的な帝式魔導では説明できない挙動。今後、特別指導の対象として監視を継続する』
(終わった)
リーナの全身の力が抜けた。異常性。それは、古代魔法の痕跡を指していることは明らかだ。隠してきた秘密が、わずかに表面に浮き出た。
周囲の生徒たちは、その掲示板から視線を移すたび、そこかしこでざわめきが起きていた。
「メディアスの容量値、さらに上がってるんだ」
「でも、相変わらず平均以下だな」
「精度は高いけど...何か変な感じ」
噂が広がるスピードは、学園では信じられないほど速い。昼休みには、リーナの名前は食堂の至るところで交わされていた。
実習室での実技試験。その午後、その異常性は、さらに明確な形で表面化した。
リーナが指定された技能を実演する番だった。基本的な火属性魔法。指を立てて、詠唱を始める。
「フレアボール」
いつもなら、指先からきちんと火の玉が生まれるはずだ。だが、この日は違った。
魔力が不安定に揺らぐ。火の玉が成形される途中で、その周囲にかすかな光の渦が見える。通常の帝式魔導には存在しない、その光の流転。
教官たちが、一瞬、硬直した。
「メディアス。もう一度」
年配の教官が、冷徹な声で指示した。その眼差しが、彼女を観察する色に変わっている。
リーナは、もう一度試みた。今度は意識的に、光の渦を抑える。魔力の流通を意識的に制御して、帝式魔導のみの様相を保つ。
火の玉が、ようやく通常の形で生まれた。
だが、その瞬間、視線を感じた。複数の視線。教官たちだけではなく、試験を見学していた上級生たちからも。
そのうちの一つは、白金色の髪を持つ者からだった。
カイ・ヴァイスハルト。彼の瞳は、リーナを観察している。その目には、疑問と、何か別の感情が混ざっていた。確認。それとも、警告か。
試験が終わった後、リーナは深い息を吐いた。
秘密が露見する。その恐怖が、ずっと心の奥底で燻っている。
放課後。訓練場への道を歩んでいると、カイが現れた。
「ちょっと付き合え」
それは命令に近い。リーナは、拒否する選択肢が無いことを理解していた。二人は、訓練場の奥、誰も来ない場所へ向かった。
夕焼けが、地面に長い影を作っている。
「あの光」
カイが、いきなり言った。
「実技試験の時の。君の魔力の周囲に見えた光。あれは何だ」
リーナの心臓が、激しく脈打ち始めた。
「……」
言葉が出ない。否定すれば嘘になる。肯定すれば、自分の秘密が露見する。
「答えろ。君は何かを隠している。俺は、それが何なのか知りたい」
カイの声は冷たく、だが何かの真摯さが混ざっていた。相手を脅迫しているのではなく、答えを求めている。
「私は...」
リーナの声が、詰まった。
「別に、何も...」
「嘘をつくな」
カイが一歩近づいた。その瞳が、彼女を見つめている。
「君の魔力制御パターンは、通常の帝式魔導ではあり得ない。俺たちが訓練してきたことで、君の力を最大限に引き出そうとしていたのに、試験ではそれを隠している。なぜだ」
(彼は知っているのか...)
リーナは思考が揺らいだ。カイが、古代魔法について気づいているのか、それとも単に魔力制御の技術的な異常を指摘しているだけなのか。
「私は...ただ...」
「本当のことを言え」
カイが、さらに一歩近づく。もう逃げられない距離だ。
リーナの全身が、緊張で硬くなった。右手首に浮かぶ紋様が、熱くなり始める。感情が高ぶると、その紋様は明らかになってくるのだ。
「メディアス...」
カイが名前を呼んだ。その声には、何か別の響きが混ざっていた。脅迫ではなく、説得。
「秘密があるなら、俺に言え。俺は...」
その時だった。
「おい、カイ」
エルヴィンの声が、訓練場に響き渡った。
栗色の髪を揺らしながら、彼は二人に近づいてきた。その瞳は、二人の距離の近さに、わずかに色が変わる。
「リーナに何か用か」
エルヴィンが、カイとリーナの間に割って入った。その体が、自然にリーナを守るような位置に。
「別に。試験の結果について、話していただけだ」
カイが答えた。その声は、相変わらず淡々としていたが、その奥底に何かの感情が潜んでいるのは、確かだった。
「そっか。じゃあ、ちょっとリーナと話したいことがあってさ。いいかな」
エルヴィンが、優しく言った。その声は、親切そのもの。だが、その背後には、明らかに何かの意図が感じられた。
カイは、一瞬、沈黙した。その瞳がエルヴィンを見つめている。
「分かった。では、後で」
カイが、その場を去った。その背中には、複雑な感情が漂っていた。
エルヴィンがリーナに向き直った。
「大丈夫か」
「…はい」
リーナが答えた。だが、心は落ち着いていない。カイが何かを知っているのか。エルヴィンが何を求めているのか。その両方が、彼女の心を揺らしていた。
「試験、見たよ。あの光...何か特別なことが起きてるんじゃないか」
エルヴィンが、静かに言った。その青い瞳が、何かを探るように彼女を見つめている。
「特別な...」
「別に、追及するつもりはない。ただ...君のこと、心配なんだ」
エルヴィンの言葉は、本当に見えた。その表情に、何の計算も見えない。ただ、純粋な懸念だけが。
だが、リーナは分かっていた。エルヴィンも、何かを知っている。古代魔法についての知識。師匠を失った悲しみ。その全てが、彼を動かしているのだ。
「ありがとうございます」
リーナが、小さく答えた。
「でも...今は、何も話せません」
エルヴィンは頷いた。無理には追及しない。だが、その瞳には、確実に何かの覚悟が見えていた。
やがて、太陽は地平線に沈み始めた。訓練場の光は、次第に弱くなっていく。
リーナは、その薄暗さの中で、自分の心がどこに向いているのか、分からなくなっていた。
カイの冷徹な視線。エルヴィンの温かな優しさ。その両方の中で、自分は何をすればいいのか。
(誰を信じればいいんだろう)
そう思った時、リーナは気づいた。自分は、既に二人の誰かに心を寄せかけているのだ。だが、それが誰なのか、その気持ちがどのような形なのか、彼女にはまだ理解できていなかった。
学園へ帰る足取りは、重かった。
宿舎の窓から見える夜空は、星が次々と浮かび上がり始めていた。その星々の中で、リーナは自分の秘密がいつまで保つのか、その期限を数えていた。
いつかは露見するだろう。その時が来るまで、彼女は何とか耐えるしかない。
だが同時に、彼女は知っていた。この恐怖と不安の中に、別の感情も確実に芽生えていることを。
翌朝、学園の掲示板に新しい通知が貼られていた。
『追加実技試験──古代魔法の痕跡に関する調査。該当生徒は教官室まで』
リーナの血が、一瞬凍った




