【0】始まりは騒然(?)と/Side スレイヴ(作者:匿名希望α)
場所:ソフィニア魔術学院・講堂のある議会場の回廊
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発生時から数時間が経過している。
事態を抑えに入った衛兵や魔道士たちは粗方片付けられてしまったらしく、その場は静まり返ってきた。
女悪魔……名前はまだ調査がついていないようだ。
追手がこない間に場所を移動したらしく、その回廊は静まり返っていた。彼女が履いているハイヒールのような靴の音だけが響いている。
その時……”ソレ”はやってきた。
「おや、また貴女でしたか」
「っ!?その声はスレイヴ・レズィンス!?」
声を聞いただけで即反応した女悪魔の表情は明らかな脅えが見て取れた。
スレイヴはつまらなさそうにため息をつき、やれやれ、と首を振りながら女悪魔へと近づく。
後ずさりたいのか、対峙したいのか本人すらわからないまま無理やり声をあげる。
「キ、キサマを殺せば私は……」
何か、意を決する女悪魔。
体の震えが止まり、表情が引き締まる。
そして、咆哮。
瘴気と破壊衝動の混じった波動は大理石の床を壊しながら、放射状に放たれた。
スレイヴはそれを鼻で笑い歩みを止める。同時に眼を細めイメージを描く。
刹那、彼を中心とする輝く円陣が地面に浮かび、迫り来る波動をあっさりと弾くとさらに歩みを進める。円陣と共に。
「前に言ったと思いましたが……まさか忘れたとは言いませんよね?それとも私の言葉など取るに足らないということでしょうか」
冷笑。
衛兵や魔道士を蹴散らした波動も効かず、唖然としていたが彼の表情を見て女悪魔が再び震え出す。
そして口から叫ばれた言葉はこんなことだった。
「ち、ちがう!私が望んだのではない!私は呼び出されただけだ!キサマと関わろうなどと愚かなこ……」
狼狽。
数時間前まで、人間を見下しながら暴れまわる女悪魔の姿はそこにはなかった。
あるのは取り立てに脅える借金に負われる父親そのもの……
更にもう一つの陣が発生し、女悪魔はビクリと体を振るわせた。
「愚かなこと……そう、愚かなことですね。解っていながら何故貴女は私に刃を向けたのですか?」
終始笑顔。しかしその笑いには嘲の文字がつく。
スレイヴは彼女の表情など気にせずに言葉を続ける。
「私からすれば、貴女が何者かを何人殺そうと構いません。ですが……これは契約でしたね。悪魔にとって契約は大事なものなのでしょう?」
そう言われている。スレイヴも軽く書物でかじった程度にしか知らない。
彼は悪魔のことより、召還する陣そのものだけに興味があるのだ。
そして、彼らの用いる特殊な空間法……瞬間移動・空間湾曲等にも興味を示し始めている。
だから、”ただそれだけ”なのだ。悪魔との契約に興味はない。利用できるものを利用しているだけ。
「契約。私が死ねばそれは破棄され、貴女が殺したとすれば貴女は様々な物を得ることができるでしょう。しかし貴女にその実力はない。人間であるこの私に、魔力でも勝っている貴女が」
裁判官から免状を上げられ判決を待つ囚人のように、硬くなる女悪魔。
反撃の気力すら奪われたようだ。元々白い肌がさらに青くなっている。
「他人から召還されたとしても、私との契約は残ったまま。まぁ、これは私が持ちかけた契約ですので、貴女が多重に契約しようと問題ないですが。私との契約を違反したことには変わりない。そうですよね?」
「ま、待ってくれ!」
スレイヴは再びため息をついて首を振る。
「待つも何も、貴女が契約を違反した事実は変わりはありませんよ。それにこの契約は罰則を行ったところで終了するのですよ?貴女もラクになれるではありませんか。」
あぁ、なんて私は慈悲深いなどと冗談しめやかに呟いてみるスレイヴ。
だが女悪魔にとってそれどころではない。
「そんなことをされたら私は、私は!!」
焦り。
その表情はスレイヴの感情と頭脳の回転を高めるものでしかない。だがスレイヴの声は至って冷静に響く。
「貴女に何かする訳ではないはずですよ?貴女の肌には指一本触れません。他人が貴女に何かをするということではないと前にも説明したはずですが?」
「私の醜聞を言いふらすなんて!しかも映像つきなんて!権威は失墜、他の悪魔からは見下され、人間ドモにすら哀れまれるようになるなど、私は死んだほうがマシだ!」
いったいどのような内容なのだろう、と誰もが思うような台詞。
だが、確実にスレイヴは握っているのだ。
「大丈夫ですよ。人間、成せば成ります」
「私は悪魔だ!」
「それは兎も角、受け入れたら恍惚かと思いますよ?そういう方々も少なからず居るようですから。無論、私は遠慮しますが」
「私も断る!」
先ほどの青が嘘のように今度は赤みが入っている。単に怒っているのだ。
すでにスレイヴのペースに巻き込まれている。
「我侭な方ですねぇ。悪魔なら仕方ないかもしれまんせんが……悪魔とは貴女のような方ばかりなのですか?」
「私は我侭でもないし、我々も多種多様だ!我侭なヤツばかりではない!」
「しかし貴女はもう少し理性を……っと失礼。感情を抑える術を持ったほうがいいと思います。またあの様になりたくないのならば……。あ、なりたいのなら止めはしませんが」
「キ、キサマ……」
女悪魔の体が震えているのがわかる。これは先ほどの脅えでないことは明らかだ。
爆発寸前だったが、直前に言われたこともあり感情を抑える。
逆に低音を響かせるように怒りの言葉をぶつける。
「私を愚弄するのもいいかげんにしろ」
それもあまり意味を成さなかったようだ。彼は平然と回答する。
「これは失礼、しかし愚弄はしていません。私はからかっているだけですよ」
「こ、このっ!」
「さぁ、貴女には選択肢が三つあります。一つは私を殺して契約を無効にすること。一つはこのまま泣き寝入りして貴女の赤裸々な真実が三界に広まること」
女悪魔の逆上など構わずにスレイヴは選択肢を列挙する。と、二つ目を言ったところで間を空けていた。
音が聞こえそうなくらい強く唇を噛んでいる女悪魔。選択肢はすでに残り一つしか選べないことを示唆している。
スレイヴは真面目な顔をしているが内心何を考えているのやら……
「一つ……」
内容を言う前に女悪魔の側へと寄る。この距離でなら……とは思ったが今までが今までだ。
何が起きるかわからない。というより、何をされるかわからない。
スレイヴは彼女の葛藤を他所に耳元で何事かを囁く。
それを聞いた途端、かっと眼を見開いてスレイヴを突き飛ばした。
「そんなことできるかぁ!!」
「っとと……何をするんですか。私はそれだけでこの場を鎮めようと言っているのですよ?それに今回は私の記憶だけに留めておきます。契約履行から考えると寛大な処置だと思いませんか?」
軽い攻撃を受けたが、防具に編みこまれてる陣などにより軽減されている。それでも人の背くらいは間が空いた。
だがそのことも諸共せずスレイヴはくっくっく、と人の悪い……悪すぎる笑みを浮かべている。
突き飛ばした本人は顔を真っ赤にして怒っている。
その赤さには別の意味も含まれているようだが……。
「さぁ、どうするんです?選択肢は三つですよ?」
実質一つしかない。
女悪魔は苦悶の表情で下を向いているようだ。力をこめられた拳がかすかに震えている。
……別に気にしなくていいのだ、これくらいのこと。ただ言葉を並べるだけだ。意味のない言葉を。
大きめの息をつき集中する。その顔に表情はない。
「私はマゾです。この状況を悦んでいます」
…………
「い、言ったぞ!私は還る!」
一時の沈黙の間、彼女は身を翻し早々に立ち去ろうとする。
内心は忘れろという呪念を呟きつづけている。のだが。
「そうですか!!貴女はマゾですか!!悪魔の中でも強行的な位置にいる貴女がっ!ふはははははっ!そうですか!そうですかっ!!」
忘却しようとしているところで大声を立てて笑い出すスレイヴ。
殺意で人が殺せたら。どこかで効いた台詞だが悪魔である彼女はその能力があるはず、なのだが。
スレイヴは何かの施術で回避しているらしい。調べている暇はないが。
わなわなと振るえている彼女を他所に、急激に冷静な口調に戻る。
「っと失礼。マゾというのは元々でしたね。ようやく貴女も自覚を……」
「っ!」
甲高い音を立てて陣が出現し一瞬で彼女を飲み込む。つまりは還ったのだ。
ふむ、と何でもなかったかのように呟き彼女の消えた周辺を見る。
陣を用いた召還と帰還。一種の瞬間移動なのか、具現化なのか。興味が尽きないが……
「人間があの陣を用いることは出来ないようですね」
陣に連なっている紋様の配列を再確認していたのだ。
見る限りは人間という素体を移転させるという機能がないということはわかった。
───ラボに戻って再現……解析をしますか
先ほどの戦い?が嘘のように静まった回廊は、スレイヴの足音だけが響いていた。