ラストフラッグ・ギルド
——ギルド都市アカディア。夜更けの石畳を、月の光が青白く照らしていた。
真夜中の学生寮の一室。コヨミ・エヴァンズは、古びたベッドの上に膝を抱えて座っている。窓の外には、煌々とした街の明かり。その一方で、古い学園棟や使われなくなった部室棟が、まるでこの都市の“傷跡”のように、闇に沈んでいた。
ふと、コヨミは自分の手のひらをじっと見つめる。そこに現れるのは、今はもうない“前世”の名残。
「本気で生きてみたいなぁ……」
つぶやいた瞬間——コツン、コツン、と床を叩く小さな音。
振り返ると、魔法の光をまとった小さな郵便フクロウが、枕元のランプにとまり、首をかしげている。くちばしでくわえているのは、重厚なロウ印が押された一通の手紙。
「国際ギルド協会より新規ギルド登録招待状——だって!?」
コヨミの指が手紙を開くたび、金色の粉がふわりと舞い、部屋の中はかすかにシトラスの香りが広がる。招待状には、厳粛な筆致でこう記されていた。
『貴方には、新時代を担う資質あり。
アカディア学園都市・旧第七部室にて、明日朝よりギルド活動を開始されたし。
ギルド名、自由。メンバー、各自勧誘可。』
「旧第七部室……?」
コヨミの頭に、不安とわくわくが入り混じる。転生してきてから何も本気になれなかった自分。けれど、これは“運命のリスタート”なのかもしれない。
翌朝、コヨミは早足で学園都市の路地を歩く。朝露で冷たい石畳。遠くからパン屋の焼きたての香り。ギルド学園の校舎から聞こえてくる、若者たちの賑やかな笑い声。彼女の心臓も、緊張と期待でやけに速く鼓動している。
指定された「旧第七部室」—— そこは、かつての栄光の跡も、今は廃墟寸前。
軋む扉を開くと、埃まみれの机、割れた窓、剥がれたペンキ、そして部屋の奥に置き去りにされたギルドの古い旗。その空気はどこか冷たく、カビ臭さと微かに昔のチョコレートの甘い香りが交じり合っていた。
「まさかここから始めるなんて……」
コヨミが部屋を見渡していると、次々と新たな足音が。
「よう、あんたが新入りか?」
最初に現れたのは、黒髪で長身の青年——リチャード・ロートン。冷めた目つきだが、手には分厚い規則書。
「うわー!部室って本当に廃墟だったんだ!」
明るい声とともに現れたのは、小柄な少女マデリン・カーター。きょろきょろと部屋を見回し、埃でくしゃみ。
「誰だよ、こんなとこに呼び出すなんて」
皮肉屋なレオナード・ブラックウェル。けれど彼の眼差しには、なぜか諦めきれない何かが宿っている。
「お、やっと女子が増えたね! これでこのギルドも未来が明るくなるって!」
ムードメーカーのタイラー・ウェストウッドが、両手にお菓子を抱えて登場。皆が集まり始めた空気の中、最奥から、ひときわ存在感のある青年が現れる。
「君たち。ここが“新生ギルド”の始まりだ。」
それがサミュエル・スターリング——全員をまとめるために生まれてきたような冷静沈着なリーダー。
入団式——
窓から差し込む朝の光、埃の舞う部屋、5人のメンバー。サミュエルが問いかける。
「夢はあるか? 何を叶えたい?」
皆が言葉を詰まらせる中、コヨミもまた「まだわからない」と小さな声で答える。
けれど、その瞬間だけ部屋の空気が少し柔らかくなった。その直後、ギィ、とドアが激しく開く。赤毛の少年レックス・ランカスター率いる「ランカスター」ギルドが突然乱入してきた。
「へぇ、こんなボロ部室で何するつもり?すぐに解散だろ?」
挑発、嫌味、空気が一瞬でピリつく。
「でも……絶対、負けないから」
コヨミの小さな“本気”が、知らぬ間にギルド全体に静かに広がり始めていた。
放課後、町のカフェでコヨミはふと「ラストフラッグ」という謎の旗について耳にする。
「それを掲げたギルドは、世界を変えるって噂だよ」
何気ない言葉が、コヨミの胸にじんわりと火を灯す。
——コヨミの青春ギルド活動は、ここから始まる。
――春の朝。まだ眠気の残るギルド都市アカディアの校舎群。
旧第七部室の前、コヨミは両手にバケツと雑巾、肩には少しだけ勇気をのせて立っていた。扉の取っ手は錆びついて、少し力を入れないと回らない。ギギ……という軋み音とともに扉が開くと、冷たい空気と古い木の匂いが一気に鼻腔を刺す。
「……うわあ、思ってたよりひどい」
コヨミは思わず本音をこぼす。床には薄い埃が絨毯のように積もり、長机の表面はもはやチョークで名前を書けるレベル。窓ガラスは曇っていて、外の朝日が柔らかく部屋に溶け込んでいる。どこか静かな神聖さがあった。
コヨミはおそるおそる机を拭く。雑巾に埃がまとわりつき、指の間にざらっとした感触が残る。
だがその作業が、なぜか心地よい。
(転生してから、こんなふうに自分の手で“場所”を作ることなんてなかったな……)
そこへドタバタと足音。
「おはよー! やっぱ朝一で来てたか、コヨミ!」
タイラーがドアを勢いよく開けて登場。太陽みたいな笑顔に、コヨミもつられて少しだけ頬がゆるむ。
「空気が死んでるなー、これじゃギルドより幽霊部活!」
タイラーは冗談を言いながら、勢いよく窓を開ける。ぶわっと冷たい風が流れ込み、部屋の埃が一気に舞い上がった。
「……ハ、ハックショーン!」
部屋の隅でマデリンが盛大なくしゃみ。小柄な体をすぼめながら、涙目でティッシュを探している。
「だ、だいじょうぶ……私、お手伝いしたいの!」
マデリンは両手をぎゅっと握り、コヨミの横にしゃがみ込む。その頑張る姿に、コヨミも「ありがとう」と小さく微笑んだ。
リチャードは既に部屋の片隅で何やら本を読みながら「埃の成分分析とか、暇があったらしてみたいな」とつぶやいている。レオナードは椅子の上で膝を抱え、みんなの様子をぼんやりと見ている。「なんで俺、こんなとこに来ちゃったんだろ……」と顔に書いてあるが、どこか居心地が悪くなさそうだ。
「よーし、やるぞ! 新ギルド始動ってやつだな!」
タイラーが率先して、窓ふきを始める。その拭き方がなぜかダンスのようで、コヨミとマデリンは思わずくすっと笑ってしまう。雑巾が水を吸い、バケツの水がどんどん黒く濁る。
「ほら、コヨミ、ここも拭いて! うわっ、カビ……」
「これ、絶対前世からの呪いだよね……」
タイラーの悪ノリに、マデリンが「しーっ、あんまり言わないで……!」と小声でつっこむ。掃除の合間、窓の外からはパン屋の焼きたてパンの匂いがふんわり流れてきた。
コヨミは思わずお腹を鳴らし、「お昼はみんなで一緒に食べたいな」とぽつり。その言葉にマデリンもタイラーも「いいね!」と笑顔を見せる。
やがて、冷たい空気と温かな日差し、埃っぽさとパンの香り、仲間たちの笑い声が、廃墟の部室に新しい命を吹き込んでいく。
(本気で“ここ”を居場所にできたら——)
コヨミは心の中でそっと願った。
掃除がひと段落した昼前、部室には新しい空気が流れていた。
埃はまだそこかしこに残っているけれど、開け放した窓から春の光と、パン屋の焼きたてクロワッサンの匂いが絶え間なく入り込んでくる。
コヨミは、丸くなったバケツを片づけながら、ふと黒板の前に目をやる。そこにはサミュエル・スターリングが、きれいな字で大きく「ギルド名候補」をいくつも書き連ねていた。
「“アカディア・リバイバル”……ダサいな」
レオナードがふてくされた顔でつぶやく。
「じゃあ“ホコリ団”とか?」
タイラーがニヤリと笑うと、すかさずマデリンが「それだけは絶対やめて!」と小声でツッコむ。リチャードは腕を組み、候補リストをじっと見つめている。
「“ラストフラッグ”って響きは、ちょっと気になるな。物語がありそうだ」
そのひと言に、コヨミの心が不思議とざわついた。
「ねえ、みんな……自分の“夢”って、ある?」
コヨミが思い切って切り出すと、一瞬、部室に沈黙が流れる。タイラーが最初に声を上げた。
「俺は有名になりたい! ギルドで世界中に名前を轟かせて、将来はテレビに出る!」
「私は……えっと……みんなで楽しく過ごせたら、それだけで十分……」
マデリンははにかみながら机に指で丸を描く。
「僕はギルドの歴史を変えてみたい。理論的に新しいギルド活動のモデルをつくりたいんだ」
リチャードの真剣な目に、みんながちょっとだけ感心する。
レオナードはそっぽを向きながらも、ぽつりと「まあ、居場所があれば……それでいい」とつぶやく。
サミュエルは黒板の前でずっと静かに立ったまま。やがて、真っ直ぐコヨミを見る。
「コヨミ、君は?本気で叶えたい夢、あるか?」
全員の視線が集まる。コヨミは胸の奥が熱くなった。前世のこと、転生の記憶、失敗、後悔、色んな想いが胸をよぎる。
「まだ……わからない。でも、ここでみんなと何か始めたい。それだけは、本気で思う」
その瞬間だけ、部室の空気がふわりと和らいだ。
リチャードが「それで十分だ」と小さく呟き、サミュエルも少しだけ微笑む。
「よーし、じゃあ俺たち、“ホコリ団”はやめて、“ラストフラッグ”にしようぜ!」
タイラーの提案にみんながわっと笑い、「いいじゃん、それ!」と拍手が起きる。部室の片隅、日だまりの中で、ひとつの新しい「夢」と「ギルド名」が静かに生まれた瞬間だった。
昼食は、各自が持ち寄ったパンやサンドイッチを机の上に並べる。おしゃべりの合間、マデリンが焼きたてクロワッサンをコヨミにそっと差し出す。
「……新しいスタート、応援してるね」
コヨミはちょっと泣きそうになりながら、にっこり微笑み返した。
昼下がり。部室の窓から射し込む光も少しずつ傾きはじめ、掃除と自己紹介を終えたギルドの面々は、それぞれ気持ちに余裕ができたのか、
タイラーは椅子の上であぐらをかいてギターをかき鳴らし、マデリンは自作の「ギルドノート」にみんなの似顔絵を描いている。リチャードは新しい規則書をパラパラめくり、サミュエルは窓の外でなにやら思案顔だ。
コヨミが水筒を片手に廊下へ出ると、ざわざわとした人だかりが見える。廊下の掲示板には、「国際ギルド協会・新ルール施行」の貼り紙が大きく掲げられていた。
『本年度より、学園都市内すべてのギルドは、
年末に行われる対抗戦にて成績下位となった場合、即時解散となる。
ギルド存続には“本気度・協調性・独創性・実績”の評価が重視される。』
(……存続条件、厳しすぎる)
噂はあっという間にギルド都市を駆け巡る。
「また大量のギルドが消えるらしいぞ」
「弱小ギルドには希望なしってことか」
他のギルドのメンバーが憂鬱そうに廊下を歩いていく。その中で、コヨミはふと孤独感を覚える。部室へ戻ると、重い雰囲気が広がっていた。
「うち、去年は活動ゼロだったからな……」
「点数ってどうやって稼げばいいんだ?」
レオナードが眉をひそめ、リチャードも険しい顔で手帳を閉じる。
「大丈夫だよ、やることやればきっと何とかなるって!」
タイラーが無理やり明るくふるまうが、声が少し震えている。
「“夢”とか言ってる場合じゃなかったな……」
マデリンが小さな声でつぶやいたその瞬間、コヨミは全員の顔をじっと見渡した。
「でも……せっかく始まったばかりなんだし、せめて一度はみんなで本気を出してみようよ」
コヨミの言葉に、しばらく沈黙が流れる。その時、部室の外で突然大きな笑い声。覗くと、レックス・ランカスターとその仲間たちが廊下で肩を組んで歩いていた。
「お前ら、せいぜい解散前に青春ごっこ楽しんどけよ?」
レックスが皮肉たっぷりに言い残し、フィオナが冷たい視線でコヨミたちを見下ろす。重苦しい空気。でも、コヨミの胸の奥で、ふと意地のような小さな炎が灯る。
(まだ終わってない。これからが、本当の始まり)
放課後、学園都市の夕焼けは淡いピンク色に染まる。窓の外には、ギルドの旗がはためき、遠くの路地では子どもたちの笑い声。部室の中では、夕食のパンとスープの香りがほんのりと漂う。コヨミは使い古された黒板の前で、一人、今日一日を思い返していた。
「“本気”って、どんな感じだったかな……」
ふと小さくつぶやくと、後ろからマデリンがそっと声をかけてくる。
「コヨミ、今日……楽しかったよ」
マデリンはふわっと笑って、「ギルドノート」に描いたみんなの似顔絵をコヨミに見せる。
「見て、これ。みんな、本当はすごく優しい顔してるの」
その隣でタイラーは空になったサンドイッチの袋を丸めながら、
「なんかさ、青春ってこんなもんだよなー。ドタバタして、腹減って、いつの間にか仲良くなってる」と冗談めかして言う。
レオナードは椅子に座って、窓の外をじっと見ている。
「……前のギルドでも、最初は楽しかったんだよ。でも結局、みんなバラバラになってさ。……今回はどうかな」
その声は小さく、でもどこか諦めきれない光があった。リチャードは規則書を膝にのせたまま、
「ギルドって、ただのチームじゃなくて、“居場所”なんだろうな。だったら、理屈抜きで守りたいよね」と、珍しく素直な言葉をもらす。
その輪の中心でサミュエルは静かにみんなを見渡し、
「夢の内容よりも、“本気”のほうが大事なんじゃないか」とだけ言い、そっと立ち上がる。
部室の灯りが消える頃、コヨミは一人窓辺に座り、夜空を見上げる。街の遠くで小さな旗がゆれている。その旗に向かって、心の中で誓う。
(明日こそ、私の“本気”を見つけてみせる)
外の冷たい空気と、心のどこかに残る温もり。コヨミは、その夜そっと微笑んで眠りについた。
朝のギルド都市アカディア。
校舎群の間を春風が駆け抜ける。パン屋の甘い香り、草花の露の匂い。どこか街全体がざわついている。コヨミは朝の部室を訪れると、すでにリチャードが黒板の前で何やら細かい字を書き込んでいた。
「おはよう……リチャード、何してるの?」
「掲示板の新ルール、まとめておいたんだ」
黒板には、昨夜廊下に貼られていた『国際ギルド協会 新ルール施行』の内容が箇条書きで並んでいた。
「ギルド対抗戦は年末。敗退ギルドは即時解散。本気度・協調性・独創性・実績で評価……だとさ」
その瞬間、タイラーがドアを勢いよく開ける。
「おい、これマジ!? 昨日うちの母ちゃんが“今年は弱小ギルド大量消滅だって”って言ってたぞ!」
「ちょっと待って、消滅って……」
マデリンの表情が一気に曇る。レオナードは「またかよ……」とつぶやき、机に肘をついた。サミュエルは窓際で静かに腕を組み、
「新時代が来た、ってことだ。今までのやり方じゃ通用しない」
部室の空気は一気に重くなった。タイラーの冗談も今日は誰にも響かない。
「マジで“夢”どころじゃないな……」と苦笑いを浮かべるタイラーに、
「でも、ここでやめたら本当に終わりだよ」とコヨミがぽつりと呟いた。
そのとき、廊下からけたたましい靴音。カラカラと響く笑い声。レックス・ランカスターが仲間たちを引き連れて現れる。
「よう、お前ら。統廃合ルール、どう思う?すぐに消えるギルドには同情しとくよ」
フィオナ・ホーソーンが冷たい視線で一瞥し、カルロス・ヴィンターは薄笑いで拍手をしてみせる。
「……負けるつもりはない」
サミュエルが短く答えると、レックスはニヤリと笑い、
「その意気だよ。じゃあ、俺らが勝ったらお前らの部室、ウチがもらうぜ?」
言い捨てて去っていく一同。
「最低……」と小さく呟いたマデリンに、コヨミはそっと肩を寄せた。
「……絶対、解散なんてしない」
その小さな決意が、部室の空気をほんの少しだけ、温かくした。
午後の陽射しが、部室の埃っぽい床に柔らかな模様をつくっていた。
リチャードはホワイトボードの前で、早口にまくしたてている。
「新ルールの点数配分を考えると、まずは“協調性”の項目を重視すべきだ。チームワークの練習を計画的にやるべきだよ」
手には新しい作戦表。彼の頭脳はすでにギルドの勝利へフル回転していた。
「でもな、それだと個人の強みが消えるだろ?」
サミュエルがゆっくりと言葉を挟む。彼は窓際で腕組みをして、外の空を見上げていた。
「みんなで平均点を狙うより、それぞれの“得意”を伸ばした方が、ギルドらしいはずだ」
「理論上はリスクが高い。弱い部分を突かれるぞ」
「勝つためだけにやるなら、ここにいる意味がないだろ」
サミュエルとリチャードの声が重なるたび、部室の空気がぴんと張り詰める。タイラーは手持ち無沙汰にドーナツをかじりながら、「まあまあ二人とも、パンでも食べて落ち着けよ〜」とふざけてみせるが、緊張は和らがない。
マデリンは自分のノートに“協調性”と“個性”の文字を交互に書きながら、小さな声で「どっちも、大事だよね……」とつぶやいた。
レオナードは窓の外に目をやったまま、
「勝てなきゃ解散。だけど、本気になれなきゃ何も始まらない」と低くつぶやいた。
コヨミは、両者の間に漂うピリピリした空気を吸い込みながら、自分の胸の内に静かな火が灯るのを感じた。
(本気でやるって、簡単じゃない。でも、ここでみんなが離れたら、私はまた何もできないままだ)
その瞬間、机の上のサンドイッチを見つめていたタイラーが、「オレはどっちも好きだな」とへらりと笑った。コヨミも少しだけ笑い返し、
「私……両方があるギルドがいい。強くなりたいし、みんなとも本気で一緒にいたい」
ぽつりと言った。静かな拍手がマデリンから起きて、やがて少しずつ、部室の空気がほどけていった。
「まあ、方針はおいおい決めていこう」
サミュエルが締めくくり、リチャードも小さくうなずいた。そのやりとりは、まだ“ギルド”が本当の意味で始まる前の、最初の小さなぶつかり合いだった。
夕方の部室、柔らかな夕陽が古い机を赤く染めていた。
コヨミはノートを整理しながら、マデリンの様子がどこかおかしいことに気づいた。さっきから、彼女はみんなの輪に入ろうとするものの、手が止まったままノートに「まる」を描き続けている。
「マデリン、大丈夫?」
そっと声をかけると、彼女はびくっと肩を震わせて、顔を上げた。
「ごめんね……」
マデリンの瞳がうるんでいる。
「みんなで本気になろうって決めたばかりなのに、私……やっぱり自信がないの」
手帳のページをめくると、そこには過去のギルド名と“活動失敗”の赤字がいくつも残っていた。
「前のギルドで、私、足を引っ張っちゃって……最後はみんなの前で泣いちゃった。それ以来、“頑張る”って言うのが怖くて……」
マデリンは小さな声で告白する。
タイラーが「泣くのはいいことだろ」と明るく言い、レオナードは「過去は過去だ」とぼそっとつぶやく。
リチャードはマデリンのノートをちらりと見て、
「でも、今は違う。“ラストフラッグ”でみんな一緒だよ」と穏やかに言葉を重ねる。
コヨミはマデリンの手をそっと握る。
「私も、今まで本気になれなかった。みんなとなら……たぶん、変われる気がする」
マデリンは涙をぬぐいながら、ようやく小さくうなずいた。その瞬間、部室の空気が少しだけ、温かく優しく包み込む。
サミュエルは窓の外に目をやりながら、
「弱さを見せられる仲間がいる。それが、ギルドってやつなんじゃないか」と静かに言い残す。
コヨミは、その夜、部室で初めて「自分の居場所ができた」ような感覚を覚えた。
タイラーはギターの弦をぽろんとつま弾きながら、
「やっぱ、ギルドって“どんな自分でも笑い合える場所”だよな」と呟く。
リチャードは「合理性も大事だけど、人間は非合理的だから面白い」とポツリ。
レオナードは相変わらず無愛想だが、目だけはどこか穏やかだった。
そのとき、コヨミが立ち上がる。
「ねえ、みんな。私、転生してきてからずっと“本気”になれなかった。どうせまた失敗する、どうせまたバラバラになる、ってずっと思ってた。でも今、この部室でみんなといると……ちょっとだけ、勇気が出てきたんだ」
コヨミは窓の外を見上げ、胸に手を当てる。
「私は本気でやりたい。みんなの夢も守りたい。たとえ失敗しても、誰かに笑われても、ここだけは……自分の居場所にしたい」
サミュエルが最初に小さく頷き、
「その気持ちがあれば、あとは行動だけだ」と、リーダーらしく静かに応じる。
マデリンがそっとコヨミの手を握り、
「私も、頑張る……。みんなと一緒に、もう一度だけ夢を見たい」
タイラーが拳を天井に突き上げ、
「よっしゃー! これで“ラストフラッグ”ギルド、正式始動だな!」と場を盛り上げる。
リチャードはメガネを押し上げながら、
「“本気度”なら、他のギルドに負ける気がしないな」と微笑んだ。
その輪の中で、レオナードはポケットに手を突っ込みつつ、
「ま、俺ももうちょい付き合ってやるよ」と、口元だけわずかに笑った。
空気が柔らかく、温かくなったその瞬間——“本気”という見えない炎が、ギルドの仲間一人ひとりに、確かに灯りはじめていた。そして、部室の奥に掲げられた古い「旗」が、ほんの一瞬だけ、微かに揺れたように見えた。
夜の帳が降りると、学園都市は昼間とは違う顔を見せる。
ガス灯の光が石畳を照らし、寮の窓からはささやかな笑い声。けれど部室だけは、まだその夜、静かな戦いの気配を残していた。コヨミは皆と片付けをしながら、ひときわ静かな黒板に向き合う。
「“ラストフラッグ”ギルド、存続条件……」
リチャードが新しいノートを開き、
「得点競技の一覧、書き出してみた」と早口に説明し始める。
「アクション、救助、知力、創造力……あと“最終フラッグレース”。勝ち抜くには、どの種目も本気じゃなきゃ絶対に通用しない。だってさ」
サミュエルはじっと全員を見つめる。
「誰か一人でも“本気”じゃなかったら、負ける。覚悟はあるか?」
その問いかけに、一瞬、全員が静まり返る。マデリンはノートを握りしめ、
「……わたし、もう逃げない。負けても、またやり直したい」と小さく呟く。
タイラーは拳を机に叩きつけて、
「負けたってまた旗を立てればいい。俺たちは解散しない!」
と満面の笑み。
レオナードは椅子を揺らしながら、
「本気の仲間がいれば、どう転んでも後悔はしねぇよ」と不敵に笑う。
リチャードもペンを走らせながら、
「理屈じゃなくて、今は全員が本気だってことだけ記録しておこう」と静かに言った。
コヨミは一人ひとりの顔を見渡し、深く息を吸い込む。
「私も、みんなも、絶対に本気でやりきる。負けてもまた立ち上がる。……“ラストフラッグ”は絶対、ここに残す」
その言葉に、みんなが強くうなずく。
そして夜—— 部室の窓辺に集まった五人は、それぞれの“夢”と“本気”をそっと胸に抱き、静かな決意の夜を過ごした。
古い旗がまたわずかに揺れ、物語はゆっくりと前に進み始めた。
朝の学園都市は、昨夜の雨の名残で石畳がしっとり濡れている。
部室に入ったコヨミは、窓辺でひとり俯くレオナードの姿に気づいた。
「おはよう、レオナード……今日は早いんだね」
「……目が覚めちまっただけ」
どこかよそよそしい声。レオナードの指先は、何度も携帯型魔導端末の画面をいじっている。コヨミがちらりと覗くと、そこには“ライバルギルド・ランカスター”からのメッセージが表示されていた。
『うちのギルドに来ないか?君の力を正当に評価する』
コヨミは胸がざわついた。レオナードは何も言わず、ただ画面を閉じて席を立つ。そこへ、マデリンとタイラーが明るい声で部室に飛び込んできた。
「おっはよー! 今日も頑張ろうね!」
「……うん」
しかしレオナードの表情はどこか曇ったまま。サミュエルもリチャードも気づかぬふりで、それぞれの作業に没頭している。
(レオナードは本当に、ここにいてくれるのかな……)
コヨミは、ふいに不安を覚えた。
その後も、授業中も昼食中も、レオナードはどこか落ち着きなく窓の外ばかり眺めている。タイラーの冗談にも「ふっ」としか笑わず、マデリンが心配そうに見つめる。
放課後、廊下ですれ違ったレックス・ランカスターが、不敵な笑みを浮かべてレオナードにだけ小さくウィンクする。その瞬間、コヨミの心にひやりとした冷たいものが走った。
(仲間がバラバラになるかもしれない——)
そんな不安が、これからのギルドの試練のはじまりだった。
午後の部室。
「今日の練習は救助ミッションのシミュレーションだ!」
タイラーが張り切って号令をかける。サミュエルが課題カードを配り、リチャードが全員の役割を細かく割り振る。マデリンはノートを両手でぎゅっと握りしめていた。
「私……大丈夫かな……」
練習が始まると、コヨミはマデリンの顔色が明らかに青ざめているのに気づく。
「マデリン、無理しなくていいよ」
そっと声をかけると、マデリンはかすかに首を振った。
「頑張らなきゃ、みんなに迷惑かけちゃうから……」
救助シミュレーションは想像以上にハードだ。リチャードはタイムを測り、タイラーはギャグを飛ばしながらも汗びっしょり。レオナードは無口なまま真剣に動き、サミュエルは全員のフォローに回る。やがて、マデリンの手元がふるえ、
「ごめん、ちょっと、休むね……」
言い終わる前に、彼女は机にもたれて、意識を失いかける。
「マデリン!?」
コヨミが駆け寄り、タイラーが急いで水を持ってくる。リチャードが脈を測り、サミュエルが「無理は禁物だ」と声をかける。
マデリンは薄く目を開けて、
「ごめんね……私、みんなの足を引っ張ってばっかり……」と泣きそうな声で呟いた。
コヨミはマデリンの手を握りしめ、
「そんなことないよ。私だって怖いし、失敗だっていっぱいしてる。でも、みんなでやり直せばいいから」と、やさしく微笑む。
しばらくして、マデリンはベッドで静かに眠る。部室の空気も一緒に静まり返る。タイラーが小さな声で「……マデリン、絶対に大丈夫だよな」と呟く。
(本気で向き合うって、こんなに痛いんだ——)
コヨミの胸に、また新しい決意が生まれはじめていた。
その日の夕暮れ、部室の空気は重かった。
マデリンは静かにベッドで眠っている。ほかのメンバーもみな、どこか気持ちが沈み込んでいた。そんなとき、部室のドアが控えめにノックされた。入ってきたのは、上等なスーツに身を包んだ男——カルロス・ヴィンター。
「失礼、ちょっとしたビジネスのご提案をと思いまして」
ニヤリと笑いながら、テーブルの上に箱を置く。
「なんだよ、こんなときに」
タイラーが渋い顔をする。カルロスは落ち着き払った態度で、
「“弱小ギルド救済プログラム”ってやつだ。私からの寄付を受ければ、特別ポイントが加算されるかも?」
と甘い囁き。
リチャードが警戒の眼差しで睨む。
「条件は?」
カルロスは箱の中から金色のコインをひとつ取り出し、
「次の練習試合で“ランカスター”ギルドに花を持たせてほしい。それだけだよ」
部室の空気がピリッと凍りつく。レオナードが低い声で、
「つまり負けろってことか……」
サミュエルも冷たい目で「冗談じゃない。うちはどんな状況でも真剣勝負しかしない」と即答した。
カルロスは肩をすくめて微笑み、
「まあまあ、考えておいてよ。負け犬のギルドにとっては悪い話じゃないはずだ」と捨て台詞を残し、去っていった。
その直後、廊下の向こうからレックス・ランカスターとフィオナ・ホーソーンが現れる。レックスは部室の扉を軽くノックし、
「よぉ、調子どう? こっちはいつでも相手になるぜ」と、わざとらしい笑顔。
フィオナは冷たくコヨミを見つめ、
「弱さを受け入れるのも、ギルドの大事な仕事よ」と意味深に言い残して去っていった。
部室には、カルロスの残した箱と、重苦しい沈黙だけが残された。
「……絶対、負けたくない」
コヨミの声が、誰よりも力強く響いていた。
夜になっても、部室の灯りは消えなかった。
窓の外はすっかり闇に包まれ、静かな寮の裏庭からは、夜風に揺れる木の葉の音だけが聞こえてくる。コヨミは、机に頬杖をついてうつむいていた。
「……みんな、ごめん。私、もっとみんなのこと守れると思ってた」
その声は、かすかに震えていた。タイラーはソファに寝転がり、天井を見つめたまま、
「みんな弱いよ。オレも、ビビってる。負けたくない。でも、逃げたくもないんだ」と静かに言った。
リチャードは本を閉じて、
「理屈じゃないな。カルロスの箱も、ランカスターの挑発も、全部、悔しい」と、低い声で呟く。
レオナードは黙ったまま、窓の外に背を向けている。しばらくして、ポケットからランカスターからのスカウトメッセージを取り出し、机の上に無造作に置いた。
「俺、他のギルドに誘われてた。でも、やっぱりここがいい……かもしれない。うまく言えねぇけど、コヨミの“本気”が、ちょっとずつ伝染してる気がしてさ」
マデリンは布団の中から小さな声で、
「私、もう一度頑張りたい。みんなと、一緒に……」と涙声で言った。
サミュエルは目を閉じて、
「今夜だけは、みんな本音でいい。強がらなくていいから」と、やさしい声で語りかける。
コヨミの目に、涙があふれる。
「失敗しても、バカにされても、私はみんなと一緒に“本気”になりたい!——ラストフラッグを、みんなで絶対に立てる!」
その叫びに、タイラーが「おう、任せろ!」と拳を突き上げ、リチャードが「このギルド、理屈抜きで最高だな」と微笑み、レオナードが「バカだな、お前」と笑いながらもうなずく。マデリンも目をこすりながら、「うん、もう逃げない」と決意を新たにする。
その夜の部室は、涙と笑いと本気が交じり合った、不思議な温もりに包まれていた。
夜も更けて、部室はしんと静まり返っていた。外では雨がポツポツと降り始め、屋根に細かくリズムを刻む。みんなの心に、昼間とは違う温かな明かりが灯っている。ふと、窓の外を見ていたレオナードがぽつりと言った。
「……なあ、コヨミ。お前、なんでそこまで“本気”になれるんだ?」
コヨミは少し驚いてレオナードを見た。
「前の世界じゃ、途中であきらめてばっかりだった。でも、ここに来て、みんなと出会えて……初めて“最後までやり切りたい”って思えたの」
レオナードはうつむき、何かを振り切るように両手で顔を覆う。
「本気になるのって、めちゃくちゃ怖いな。でも、ちょっとワクワクもする。……この場所、気に入ってきたかも」
小さく笑って、今までの皮肉な表情がふっとゆるむ。
タイラーが「だろ? だから俺も、芸人やりつつギルドやる!」といつもの調子で冗談を言い、リチャードが「そのギルド、もうコメディ枠だな」とすかさずツッコむ。
マデリンはベッドから身を起こし、「みんなとだから……がんばれるんだよ」と微笑んだ。サミュエルは全員を見渡し、「俺たちは弱い。でも、その弱さを認め合えたら、どこまででも強くなれる」と静かに言った。
その瞬間、窓の外で雷が鳴り、雨が本格的に降り出す。けれど部室の中は、不思議なくらい穏やかで、温かい空気に包まれていた。
コヨミは部室の古い旗をそっと撫でて、「“ラストフラッグ”は、ここに立てよう。絶対に」と優しく宣言した。
仲間たちは、改めてお互いの顔を見て、強くうなずいた。今夜、彼らの間には、新しい絆と“本気”の炎が、確かに生まれていた。
朝。霧雨に煙るアカディア学園都市の大広場。
そこには、色とりどりのギルドの旗が林立し、各地から集まった若き挑戦者たちのざわめきが満ちていた。
「いよいよ合同訓練か……」
サミュエルが静かに前を見据える。コヨミは少し緊張しながらも、その横に立つ。タイラーは「みんなで朝ごはん食べてくれば良かったなー」とお腹を鳴らしている。
リチャードが地図を広げ、訓練場のルートをみんなに説明している最中、ライバルギルドのレックス・ランカスターが仲間たちを従えて近づいてくる。
「お前ら、遅刻すんなよ?訓練じゃ、情けはかけないからな」
レックスが笑いかけると、隣のフィオナは冷ややかな視線でコヨミを見下ろす。
「“本気”のギルドはどっちか、今日はっきりさせましょう」
開始の合図と同時に、十数のギルドが次々と訓練場に突入。巨大な石造りの迷路、魔法トラップが待ち受ける広場、障害物だらけのコースがギルドたちを待ち受ける。
コヨミたちは息を合わせてコースに飛び込み、タイラーはおどけながらも機敏に魔法トラップをくぐり抜け、リチャードが地図を頼りに最短ルートを探す。
レオナードは危険な仕掛けを次々と見抜き、マデリンは勇気を振り絞って仲間の後を追う。途中、レックスのギルドと鉢合わせ、競い合いながらも協力し合う場面も。
サミュエルが「相手を敵だと決めつけるな。まずは自分たちのベストを尽くそう」と声をかける。
最後の関門。広場の真ん中で、コヨミがつまづきそうになった瞬間、マデリンが手を差し伸べる。
「大丈夫、みんなで行こう!」
訓練が終わると、汗と泥にまみれた仲間たちが笑顔で集まり、コヨミは胸の中に温かな手応えを感じる。
「——これが、ギルドなんだ」
仲間たちは、また少しだけ本気で繋がった。
訓練の第2ステージ、ギルド同士の模擬バトルが始まった。
アカディアの中央演習場。観客席には他のギルドや指導教官、協会の審査員たちが集まり、旗や応援の声が空高く響いている。
「次の対戦は、ラストフラッグ対ランカスター。5対5、制限時間30分」
審判役の教師が高らかに宣言する。
コヨミたちは円陣を組み、
「絶対に諦めないでいこう」と気合いを入れるが、緊張は隠しきれない。
開始の合図とともに、両ギルドがフィールドに散らばる。レックスが最初に動き、リチャードとタイラーのコンビに巧妙なフェイントを仕掛けてくる。フィオナは素早くマデリンに詰め寄り、冷たい声でささやく。
「覚悟はある? 本気で戦うなら、容赦しないわよ」
マデリンは一瞬怯むが、コヨミが間に入り、「絶対に守る」と睨み返す。フィオナの魔法攻撃が飛び交い、地面がえぐれる音、風を切る衝撃、観客席からはどよめきが起こる。
サミュエルは落ち着いて全体の指揮をとるが、ランカスターの連携は見事だ。レオナードが一瞬レックスの攻撃に押され、タイラーが転倒。リチャードが作戦を叫ぶが、状況は次第に劣勢へと傾いていく。コヨミは歯を食いしばり、必死で仲間のフォローに回る。
「負けたくない……みんなで、ここで絶対に!」
しかし、敵の追撃は止まらない。フィオナの冷徹な動きに、コヨミたちは防戦一方。マデリンも膝をつき、「ごめん、わたし……」と涙ぐみそうになる。
観客席からも「もう終わりか?」という声が上がる。だけど、コヨミの目はまだ諦めていなかった。
「絶対に諦めない!」
その小さな声が、仲間たちの心に少しだけ火をともす。
合同訓練が終わった夜、学園都市の寮の一室。
みんな泥だらけで、全身疲れ果てていた。部屋には静かな空気。マデリンは膝を抱えて隅で小さく丸くなり、レオナードは頭を壁に預けて無言のまま天井を見つめている。
タイラーはギターの弦を一本一本、静かに拭いている。コヨミは窓辺に立ち、外の星空を見上げていた。訓練場の土と汗のにおいが、まだ指先に残っている。
「悔しい……」
マデリンが、小さく震える声で呟いた。
「私、またみんなの足を引っ張った。コヨミ、ごめんね……ずっと守ってもらってばかりで、何もできなかった」
涙がぽろぽろとこぼれる。コヨミはゆっくりと隣に座り、そっと肩を抱いた。
「そんなことないよ。マデリンがいてくれたから、私も最後まで立っていられた」
リチャードは椅子に腰掛けて、静かにノートを閉じる。
「僕も、もっと作戦を練るべきだった。でも――みんなの本気がなかったら、とっくに負けてたと思う」
タイラーもギターを抱えたまま、
「俺、格好つけたくて空回りしちゃったな。でも、今日一番大事なものに気づいた気がする」と笑いながら涙ぐむ。
レオナードが、ぽつりと呟く。
「俺もさ、逃げたい気持ちがずっとあった。でも、ここで逃げたらもう一生、本気にはなれない気がする」
サミュエルはみんなをじっと見渡し、
「今日は負けた。でも、俺たちはもう一度立ち上がる。それが“本気”の証だ」と、真っ直ぐな声で言った。
沈黙と、涙。でもその奥に、確かな強さが芽生えていた。コヨミは、
「明日もみんなと進みたい。たとえ転んでも、もう一度立ち上がりたい」と静かに微笑んだ。
その夜の星空は、不思議なくらい澄んで、部屋の中に“本気”のあたたかさを残していた。
翌朝、窓から差し込む光がみんなの顔を優しく照らす。部室には前日の重たい空気はもうなかった。タイラーがカップに注いだ温かいミルクを差し出し、
「ほら、今日は甘いもん飲んで元気だせよ!」と冗談めかして言う。
マデリンは手帳を開き、そこに書かれた「失敗」と「涙」の跡を見つめていた。少し迷ったあと、ゆっくりとそのページを破り、新しいページに大きく「スタート!」と書き込む。
リチャードはみんなを見渡し、
「昨日は負けた。でも、負けたことが“終わり”じゃないと気づけた。ここからが始まりなんだな」と静かに語る。
レオナードは、「俺、昔の仲間に“諦めたら楽になる”って言われた。でも今は違う。諦めずにしがみつく方が楽しい」と、不器用に笑う。
サミュエルが立ち上がり、「みんな……今日ここで、もう一度“ギルド”として始めよう」と力強く宣言する。
その時、コヨミは深呼吸して前に出る。
「私も、みんなともう一度だけ夢を見たい。失敗も涙も、今日ここで全部置いていこう」
マデリンが手を伸ばし、コヨミの手をぎゅっと握る。タイラーも、リチャードも、レオナードも、みんながそれに続く。
「“ラストフラッグ”を、私たちの手で――」
古い部室に、明るい朝日とみんなの笑い声があふれた。その瞬間、ギルドの中に確かな団結の炎が生まれた。
放課後の部室。窓から差し込む夕陽が机や椅子をオレンジ色に染め、ギルドの旗がほんのりと輝いていた。
コヨミが黒板の前に立ち、深呼吸を一つ。
「みんな、明日からはいよいよ決勝大会。ここまで来られたのは、みんなの“本気”があったからだと思う」
タイラーが「いやー、俺は半分ギャグだけどな!」とおどけて見せると、マデリンもつられて小さく笑う。
「でも、みんなで一緒に泣いて、笑って、悔しがって……それがすごくうれしかった。この“ラストフラッグ”が私の居場所になったよ」
リチャードがメモを取りながら「戦術的にも、成長は著しい」とぼそり。レオナードは机に肘をつき、「ここで終わりたくねぇな」と小さく呟く。
サミュエルは、みんなの顔をしっかり見渡してから言った。
「俺たちのギルドは、弱い。でも、どんなギルドより“本気”だ。ここで“本気”になった仲間がいる。それが誇りだ」
コヨミは旗を手に取り、ゆっくりと部室の真ん中に掲げた。
「明日、どんな結果になっても、私は後悔しない。みんなとここまで来たことが、もう奇跡だと思うから」
マデリンも力強くうなずき、「わたし、明日も絶対に逃げない。みんなと一緒に戦いたい」
タイラーが拳を掲げ、「やろうぜ、ラストフラッグの本気、見せてやろう!」
みんながその旗に手を重ねる。部室には言葉では言い尽くせない静かな熱気が残っていた。
夜明け前のアカディア学園都市。
空は群青から淡い黄金に変わりつつあり、広場の石畳には薄い霧が立ち込めていた。遠くから聞こえてくるファンファーレの音が、静かな朝の空気をかき混ぜる。コヨミは寮の窓を開けると、冷たい空気が頬を刺した。小さく深呼吸。心臓がいつもより早く鼓動を打つ。
今日は決勝の日。失敗も涙も悔しさも、すべてを力に変えると決めた日。制服のボタンを一つ一つ留めながら、コヨミは指先の震えを隠せなかった。
(負けたくない——いや、何よりも“終わらせたくない”。)
外に出ると、パン屋の朝焼け色の煙が風に流れ、焼きたてパンの甘い匂いが鼻腔をくすぐる。街中のカフェも、今日は大勢の来客で大忙しだ。決勝を見に来た市民や遠征ギルドの旗、応援団が大通りを埋め尽くしている。
会場へ向かう途中、すれ違うギルドの仲間たちが「おめでとう」「頑張れ」と声をかけてくる。タイラーは両手でハイタッチしながら、「今日こそ俺たちの旗、見せてやろうぜ!」といつもの調子。
マデリンは緊張からか、ずっと手帳をぎゅっと握りしめていた。リチャードは「データは全部頭に入れた」と自信を見せつつ、メモ帳のページを何度もめくっている。レオナードは黙って歩いているが、時折、コヨミの方をちらりと見る。
控えテントの中は薄暗く、外のざわめきと対照的にひっそりとしている。そこでサミュエルがギルドの旗を手に、全員を呼び寄せる。
「みんな、手を重ねよう。ここまで来たのは偶然じゃない——俺たちの“本気”でここまで来た。今日も最後まで、それを見せつけてやろう」
コヨミが深呼吸しながら手を伸ばし、みんなが次々と手を重ねていく。手のひらの温もり、鼓動の早さ、緊張と期待と、少しの恐怖。小さな声で「絶対にやろう」とコヨミが呟くと、全員の手にぎゅっと力がこもった。
遠くから再びファンファーレが鳴り響く。舞台裏で待つ間、足元の石畳からも熱気が伝わってきた。
タイラーが小声で、
「まさか俺がこんな日を迎えるとはな。芸人魂、今日だけは本気だぜ」
と冗談を飛ばし、マデリンが「うん……!負けない!」と、これまでで一番強い声で返す。
サミュエルが旗を高く掲げ、
「ラストフラッグ、行くぞ!」
その一言で、全員の背筋がぴんと伸びた。
観客席から「がんばれ!」の大きな声が聞こえる。鼓動、冷たい朝の空気、仲間たちの手のひらの温もり——すべてが“始まり”を告げていた。
たくさんの観客や審査員たちが集まり、緊張感と期待が入り混じる空気が漂う。コヨミたち“ラストフラッグ”ギルドは舞台袖で待機。
リチャードが最後のチェックをしているメモを手に、
「これが僕たちの誇りだ。失敗を恐れず、全力で伝えよう」と小声で励ます。
ステージに上がると、コヨミは胸の中で深呼吸を繰り返した。静かなざわめきが観客席から広がる。目の前には、煌びやかなスライドや映像装置。手元には手作りの模型とスケッチボード。マデリンが緊張しつつも優しい笑顔で支える。リチャードの声が会場に響く。
「僕たちラストフラッグは、“失敗から学び、本気で挑む”ことを信条としています。ここで培った試行錯誤の精神こそが、新しい未来を切り拓く力になると確信しています」
模型を指差し、チームの連携や独自のアイデアを説明する。観客席の子どもたちが目を輝かせ、大人たちもうなずきながら聞き入っている。
次の瞬間、対するランカスターギルドのレックスとフィオナが登壇。彼らのプレゼンは洗練され、技術的な完成度も高く、圧倒的な自信と力強さを放つ。
「我々は勝つことこそが唯一の目標。完璧な戦略と徹底した実行で、勝利以外は認めない」
フィオナの鋭い視線が観客を射抜く。拍手喝采が巻き起こる。コヨミは一瞬目を伏せるが、リチャードが隣で強く握った手に気づく。
“本気”は完成度や洗練だけじゃない——それは挑戦し続ける魂だと、胸に刻み込んだ。
観客の拍手が鳴りやまず、審査員が得点を書き込み始める。点数は僅差。だが、会場に温かい風が吹くように、ラストフラッグの“本気”は確かに伝わった。
コヨミは心の中で誓う。
「まだ、始まったばかり。これからが勝負だ」
地面に敷かれた大きな魔法陣が、光を帯びて淡く輝く。観客席の熱気が遠くから響き、広場全体が一瞬、しんと静まり返った。
「開始!」
審判の声が会場に響き渡ると同時に、目の前の風景がぐにゃりと歪み、コヨミたちは“模擬災害空間”へと転送された。
——倒れた石造りの家、燃えかけの木、立ち込める霧、瓦礫の山。音も温度も、まるで現実そのものだ。空気は焦げた木の匂いが漂い、遠くで誰かが助けを呼ぶ声がこだまする。
「リチャード、全体のマップ把握お願い! タイラーとレオナード、右側の建物を確認して!」
コヨミの声が鋭く空気を裂き、みんなが瞬時に動く。リチャードは魔導地図を展開し、瞳を細めながら複雑な地形を読み解く。
「正面の瓦礫の先、地下への空間がある。たぶんそこにダミーがいる!」
マデリンが一歩前に出る。
「わ、私、行ってみる!」
狭い瓦礫の隙間をくぐるその身体は震えていたが、その目は決して逸らさなかった。土と埃で服を汚しながら、必死で中に進む。中は真っ暗で、湿った空気が肺に張り付く。心臓の鼓動が耳に響き、汗が額を伝う。
——暗闇の先、小さな人形(要救助者)が崩れた壁の下に倒れている。マデリンは震える手で人形を抱きかかえ、
「こ、コヨミ! いたよ……!」と叫んだ。
「よくやった! マデリン、今行くから!」
コヨミはその声を聞いてすぐさま駆けつけ、瓦礫の隙間から手を伸ばす。マデリンの手が震えながらも、そのぬくもりをしっかりと掴んだ瞬間、何かが二人の間で弾けた。
「ありがとう……!」
マデリンの目に涙が浮かんでいた。それは恐怖ではなく、乗り越えたことへの感動だった。外ではレオナードが火の回った木材を魔法で冷却し、タイラーが笑いながら瓦礫を担ぎ上げる。
「筋肉だけは裏切らない! よいしょっと!」
リチャードは「こっちの壁の後ろにもう一人いる」と冷静に指示を飛ばす。そして最後、チーム全員が集合し、ダミーを無事に全て救出。時間ギリギリでゴールラインにたどり着いた。
観客席から拍手と歓声が湧き起こる。
「これがギルドだ……!」と誰かが叫んでいた。
サミュエルは静かに呟いた。
「“本気”の連携……悪くないな」
泥にまみれたマデリンの手を、コヨミがそっと握る。
「ありがとう。あなたがいたから、私も頑張れた」
その手の温もりが、チームの絆を何よりも確かなものに変えていた。
午後の陽光が傾き、広場の中央に巨大な塔がそびえ立つ。
その頂には、どのギルドのものでもない白い旗が、無風の中静かに垂れ下がっていた。周囲を囲むのは、魔法で自在に変化する立体迷宮と、視界を遮る濃い霧、滑りやすい地面、解読不能の暗号盤——あらゆる種目の集大成。これが最終競技「フラッグレース」だ。
審判の説明が会場に響く。
「各ギルドはチームでコースを突破し、最速でゴール地点の塔に自分たちの旗を掲げよ。ただし、道は一つではない。知恵と絆と“本気”を試す、最終試練となる!」
観客の歓声が一気に高まり、風が強く吹いた。コヨミは、ギルドの旗を胸にしっかりと抱きしめる。その布の感触が、これまでの日々と仲間の顔を思い出させる。
「絶対、最後まで走り抜ける……!」
スタートラインに並ぶと、ランカスターギルドが斜め前方に構える。レックスがこちらを一瞥し、不敵に口角を上げる。
「やれるもんなら、やってみな」
コヨミは真正面からその視線を受け止めた。
「こっちのセリフだよ」
サミュエルが全員を見渡して、静かに一言。
「楽しめ。全力で」
「位置について!」
審判の声で空気が一変する。
「よーい……!」
一瞬、時間が止まったかのような静寂が流れる。
——「スタート!!」
号砲が鳴り響いた瞬間、各ギルドが一斉に走り出した。タイラーが先頭に立ち、滑りやすい地面を駆け抜ける。
「足元注意! 右だ右、穴あいてるぞ!」
リチャードが即座に魔法盤の暗号を分析。
「これは……“風の逆流”を読めば、次の扉が開くはず!」
マデリンは迷路のルートを読み、レオナードが魔法で瓦礫を跳ね飛ばす。コヨミはみんなの後ろで全体を見渡しながら、時に支え、時に背中を押す。霧の中、声を掛け合う。
「コヨミ、こっちに抜け道!」
「ありがとう、リチャード! レオナード、次お願い!」
その間にもランカスターギルドは、冷静に、完璧な連携で障害を突破していく。フィオナが手早くルートを指示し、レックスが迷いなくそれを実行。
「やっぱり強い……でも、負けたくない!」
コヨミは全力で走った。
中盤戦、立体迷宮の中で分かれた仲間たちが、道に迷い始める。地図は揺れ、魔法の干渉で通路が次々と変化していく。焦りがメンバーに伝染し、息遣いが荒くなる。コヨミは立ち止まり、深呼吸した。
——“ここで崩れたら終わる。でも、私たちには、あの夜の涙がある”
「みんな! 息を整えて、思い出して! 私たちがここまで来た意味を!」
その声に応えるように、仲間たちの目に光が戻る。迷宮の壁の隙間から、光が差し込んだ。その先に、塔の影が見える——。
「あと少し!」
みんなが一斉に走り出した。観客席からは、名前を叫ぶ声援が重なり合い、まるで嵐のように会場を揺らした。
ゴール目前。塔の影が霧の中からうっすらと見え始める。それでも、道はまだ険しく、仕掛けも最後の牙を剥いていた。
迷宮の最終関門には、巨大な水晶のゲートがそびえ立ち、その前には刻まれた複雑な魔法陣が光っている。
「これ……突破しないと先に進めないんだ」
リチャードが苦悶の声を漏らす。
「解読に数分かかる。時間がない……!」
コヨミの頭に、今までの訓練や演習の記憶がよみがえる。
「落ち着いて。今まで何度もやったじゃない、あの時だって……!」
だが、次の瞬間、ミスが起きた。マデリンが足元のトリガーを誤って踏んでしまい、突如として罠が起動する。赤い稲妻が走り、地面がひび割れ、チームが大きく後退する羽目に。
「ご、ごめんなさい……! わたし……!」
マデリンが青ざめて膝をついた。タイラーが駆け寄り、肩を支える。
「マデリン、泣くな! 大丈夫だ、立て!」
コヨミは咄嗟に叫んだ。
「ここで止まったら終わる! 今は、みんなで前に行くんだ!」
だが焦りと混乱は、次第に全員の判断を鈍らせていく。リチャードの計算が狂い、レオナードの足が滑る。タイラーも表情から笑顔が消え、サミュエルは腕を組んだまま口を開かなかった。
(どうして……あんなに一つだったのに……)
観客の声援が、急に遠く感じられる。鼓動の音が、耳の奥で反響する。視界の隅がぼやけ、旗の重みがズシリと肩にのしかかる。——その時、コヨミが静かに言った。
「……わたし、ずっと“怖かった”」
その声に全員が目を向ける。
「みんなの足を引っ張ったらどうしようって、ずっと思ってた。でも、そんな私を支えてくれたのは、ここにいる“あなたたち”だった。だから、今度は私が——みんなを信じたい!」
コヨミの目に、涙が浮かんでいた。でも、その声は震えていなかった。マデリンが顔を上げた。
「わたしも、あなたに……助けられたから……次は、わたしの番……!」
リチャードは眼鏡を押し上げ、
「計算し直す。今度こそ間違えない」
タイラーは笑ってガッツポーズを作り、
「おっしゃあ! 胸張って負ける準備すっか!」
レオナードは黙ってうなずき、サミュエルは短く一言、
「もう一回、いこう」と言った。
失敗、恐怖、諦めかけた心——すべてが、“本気”の声に溶かされた瞬間だった。
魔法陣が再び光り出す。
リチャードが正確に呪文を唱え、マデリンがトリガーの位置を回避。タイラーとレオナードが力を合わせて重い扉を押し開ける。——そして、塔の足元が開けた。
「行こう、コヨミ!」
「みんなで、旗を立てに!」
再び一つになった“ラストフラッグ”が、塔へと駆け出す。
塔の足元、最後の階段は、苛烈な戦いの名残で一部が崩れ、斜めに傾いていた。それでも、そこが“終点”だと全員が確信していた。頂には、自分たちの旗を立てるための支柱が光を受けて、神々しく輝いている。
「あと少し……!」
コヨミの声に、皆が無言でうなずいた。しかし、先行するランカスターギルドの姿が、すでに階段の中腹に見えていた。フィオナが振り返り、コヨミに冷ややかな笑みを投げる。
「甘さは、敗北の種よ」
その言葉に、マデリンが拳を握りしめた。
「違う……私たちは、甘いんじゃない。信じてるだけ」
全員が走り出す。塔の内部は、狭く曲がりくねった螺旋階段。各段には重力トラップや、心理を試す幻影魔法、炎の噴出孔など、最後の罠が配置されていた。リチャードが真剣な顔で呟く。
「これ、全て突破するには……各自の特性を最大限に生かさなきゃ無理だ」
「じゃあ、俺が先行する!」
タイラーが身を低くし、迷わず炎の区画に飛び込んだ。魔法の防御を全開にして、全身を焼きながらも一直線に進む。
「次、僕が分岐を誘導する! 幻影魔法、解除してみせる!」
リチャードが仕掛けを一つずつ解読し、迷路のような通路を正確に読み取る。マデリンは魔法の風圧で吹き飛ばされそうになる仲間に風防障壁を張り、レオナードは重力の歪みを力業で打ち破って階段の崩落を防ぐ。
——その姿は、まさに“今までの積み重ね”の結晶だった。
コヨミは最後尾から、全員の背中を見ていた。息が苦しくて、足が重くて、泣きそうなほど眩しくて、でもそれが嬉しくて。
「……私、こんなに幸せなんだ」
彼女はそう呟いて、目の奥にたまった涙を手で払うと、旗を片手に高く掲げ、最後の一段に向けて駆け出した。塔のてっぺん、ランカスターのレックスが旗を掲げる瞬間、コヨミが全身を使って飛び込む。風が、二人の間をすり抜けた。
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
旗を掲げたコヨミの全身は汗と埃にまみれ、肩で息をしていた。レックスが息を呑み、横目で彼女を見る。その目に浮かぶのは驚きと、わずかな……賞賛。審判がゆっくりと、判定の布を掲げた。
「勝者——ランカスターギルド!」
会場が一瞬静まり、そのあとで大きなどよめきと、拍手が広がった。コヨミはその場に膝をつく。それでも、旗は落とさなかった。彼女の背中には、全員の“本気”が乗っていた。
コヨミは、立ち上がろうとしたが足元が崩れそうになり、思わずマデリンの手を握る。
「……ごめん。あと一歩、間に合わなかった」
震える声に、マデリンは首を振る。
「違うよ……私たち、やり切った。誰よりも、“本気”だった」
その言葉に、他の仲間たちもゆっくりとうなずく。
タイラーが肩で息をしながら苦笑いし、
「ちぇっ……くっそー、勝ちたかったー。でも、死ぬほど楽しかったな!」
リチャードは眼鏡をくいっと上げて、
「最適解ではなかった。でも、最善だった。僕はそう思う」
レオナードは無言のまま拳を握り、サミュエルは、静かに旗を見上げた。
「——勝敗だけが、すべてじゃない。俺は、お前らを誇りに思う」
塔の下では、観客たちが次々にスタンディングオベーションを始めていた。
「すごかったぞ、ラストフラッグ!」
「最後まで諦めなかったな!」
声援は惜しみなく降り注ぎ、まるで勝者を祝福するようだった。レックスが歩み寄ってきた。その鋭い目も、今は少し柔らかい。
「お前たち、悪くなかった。……いや、正直、ギリギリで焦った」
フィオナも後ろから静かに微笑み、
「“甘さ”じゃなかったわ。強さだったのね」
コヨミは顔を上げ、みんなの方を振り返った。傷だらけで、泥だらけで、息も絶え絶えなのに、誰一人うつむいていない。誇らしさと悔しさと、何より、確かな“絆”がそこにあった。
——私たちは、負けてなんかいない。
塔の風が、静かに吹いた。コヨミが握りしめたギルドの旗が、ゆっくりと、空へと揺れた。
決勝戦から一夜が明けたアカディアの空は、驚くほど青かった。
昨日の喧騒が嘘のように街は静かで、カフェの看板がギイ、と小さな音を立てて風に揺れていた。コヨミはギルド寮の屋上に立ち、遠くに見える決勝会場の塔をぼんやりと眺めていた。
「あの塔のてっぺん……、もう誰かが次の挑戦に向かってるのかもね」
昨日の悔しさは、まだ胸の奥に残っている。でも、その上に積み重なるようにして、確かな誇りがあった。階段を登ってきた足音がして、マデリンがそっと隣に並ぶ。
「おはよう、コヨミ。……ちゃんと眠れた?」
「ううん、全然。でも、不思議と体は軽いよ」
マデリンは笑って、ポケットから折りたたまれた布を取り出す。それは、昨日の決勝戦で掲げたラストフラッグの旗だった。
「少し、ほつれちゃってる。でも……これ、私たちの証だよね」
コヨミは小さくうなずき、その布にそっと触れた。指先に伝わる、繊維のざらつきと、あの日の熱。
「うん。私たちは、これを胸に走ったんだもんね」
遠くから聞こえる鐘の音が、朝の空気に溶けていく。ふと、タイラーの大声が下から響いてきた。
「おーい! 朝飯が冷めるぞー! パン屋の新作、俺が全部食うぞー!」
リチャードの冷静な声も続く。
「馬鹿、食べる前に記録しろ。今日の補給リストは——」
レオナードは短く「うるさい」と一言だけ言ってから、階段を一歩ずつ上がってくる音がした。そして、サミュエルが最後に静かに言った。
「次の挑戦に備えるぞ。俺たちは終わっちゃいない」
——そうだ。これが終わりじゃない。これは、始まりだったんだ。
コヨミは最後にもう一度、空に掲げた旗を見つめた。そして、こう呟いた。
「また走ろう。もっともっと、遠くまで——」
風が吹いて、旗がたなびく。“ラストフラッグ”の物語は、まだ続いていく。
■作者コメント
誰かのために本気になる——それだけで、人はこんなにも強くなれるんだ。
読んでくれるあなたの心にも、きっと一本の旗が立つ。
そして願わくば、その旗が風を受けて、大きくたなびく未来が訪れますように。
“ラストフラッグ”、あなたの心に届け。