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第45話 幕間『カイセイルメイという飛竜』

長らくおやすみをいただきましたが私生活が落ち着いたので更新再開です。宜しくお願いします。

「残念だがエウデュリークはもう……」


 竜房にうつ伏せて横たわる飛竜。その傍らに立つ竜医は、やるせない顔で首を振った。

 竜舎内を煌々と照らす魔導石ランプの灯り。オレンジがかった光を反射する鱗は、深い滝壺の色を映した群青色。

 こうべは寝わらに沈んでいるが、淡金色の瞳はまだ潤んだまま、竜房の一点を凝視していた。

 身体はぴくりとも動かない。呼吸に伴う胸郭の上下も、瞬きの一つさえ。

 つい先程まで確かに『命』があったと物語る肉体は生命の名残を残したまま、ただ置物のように横たわるのみ。

 エウデュリークと呼ばれた牝竜の身体は触れれば温もりすら感じさせるというのに、命だけがごっそり喪われていた。


「心臓付近の魔力停滞の具合からして、死因は心凍症と見て間違いないだろう。周産期ということもあって胎内の卵が大きな血管を圧迫し———」

「……なあ、教えてくれアーソン。エウデュリークの異変にもっと早く気付けていたら助けられたのか?」


 とつとつと診断結果を述べていた竜医は話を遮られたことに腹を立てることもなく、むしろ痛ましげに口をつぐんだ。

 問いかけはエウデュリークの頭もとに膝をつき、肩を落とした男から放たれた。

 この竜牧場の長オルフス。

 髪に白いものが混じり始めた初老のヒュマール族の男からは普段の快活さが消え、頼りなく背中を丸めた姿勢もあって一気に老け込んだように見える。

 アーソンと呼ばれたドワーフ族の竜医は、普段なら届かないその肩を支えるように手を添えた。


「慰めで言うわけじゃないが……難しかっただろう。知っての通り、心凍症は心臓内部で魔力を作る竜石が前触れもなく突然凍り付くように止まる病だ。こうなった飛竜は魔力を生み出すことも巡らせることもできず、魔力不足からまるで溺れるみたいになる。発作を起こしてすぐ竜医が竜石に魔力を叩き込んで再活発化を引き出せればあるいは……。だがそれは迅速に対応できる幸運があってこそだ。今回は運が悪かった、それが全てだよ」

「そう、か」


 オルフスはエウデュリークの頭に手を翳すと見開いたままの両目を閉じさせる。そうして数回労わるように悼むように、手の甲で頬を撫でた。


「エウデュリーク、夕方まではいつも通り過ごしてたのにどうして」

「かわいそうに。あとひと月で出産だったってのによう」

「白の盟主よ御身の元に今、息吹の一つが還ります……」


 竜房内に立ち入ったオルフスとアーソンの背後。竜房の外では中の様子を固唾を飲んで見守っていた竜務員達が、鎮痛な面持ちで声をひそめながら言葉を交わし合っていた。

 その中の1人に向かってオルフスは声を掛ける。


「……ライアちょっと来てくれ」

「は、はい! どうしました、お義父さん」


 呼ばれて、体格の良い30代ほどの青年が、竜房の入り口に立てかけられた竜栓棒を潜って駆け寄ってくる。

 オルフスはエウデュリークの遺骸から目を離す事なく首から下げていた鍵をむんずと掴み取り、隣に屈み込んだ義理の息子へ押し付けた。


「保管庫からアダマンティンナイフを取ってこい」

「アダマンティンを? ……どういう事ですか?」

「オルフス、お前さん何を———」


 ライアが訝しむように眉間に皺を寄せる。2人のやりとりを見守っていたアーソンや他の竜務員も、ぎょっとしてオルフスを見た。

 アダマンティンは希少金属だが最も有名な付加価値として『飛竜に傷を付けられる』。

 何故そんなものを今。戸惑う周囲の反応を突っぱねるように、オルフスはエウデュリークの亡骸を指差した。


「エウデュリークの腹を割く。母竜は無理でも子どもは救えるかもしれん」


 大事に世話してきた飛竜の遺骸を眼光鋭く見据える場長の決断に、場が凍りついた。

 その中で一番最初に我に返ったライアは、理解できないとばかりに顔を歪めて首を横に振る。

 現役時代は中皇競竜でG1を勝ってくれた。引退したのちも、繁殖として優秀な仔竜を何頭も世に送り出してきたエウデュリークは、この竜牧場の誇りだった。皆が彼女を愛していたのだ。


「無茶だ! も、もし仮に仔竜が生きていたとしても誕生前に母竜を喪った状況からの人工保育の成功例はごく僅かしかない。無事に育ったとして未熟児の仔竜じゃ競飛竜になれるかもわからないのに! なによりこれまで頑張ってくれたエウデュリークの体を死んでいるとはいえ切り裂くなんて———」

「うるせえ! エウデュリークの爪を見ろ!!」


 言い募るライアを遮って、歯を噛み砕きそうなほど食いしばったオルフスが吼えた。


 地に臥したエウデュリークの四肢、その先端。手入れされた爪は死してなお弛緩することなく、握り込まれ丸まっていた。

 乱れて飛び散った寝わらの下、固い地べたには真っ直ぐ伸びる幾筋もの傷が走っている。


 爪痕だった。

 悪戯に付けるような軽いものではない。固い土台を抉る痕跡は黒々として太く、深く。込められた力の強さが窺える。

 エウデュリークの爪の内側には土塊が挟まり、力み過ぎたのか何本かは爪の根本から割れて血が滲んでいた。

 石のように固く(なら)された地面を、在らん限りの力で握り締めた痕跡。

 エウデュリークが死の際まで凄絶な痛みと闘った証だった。


「心臓から襲う激しい痛みの中で、それでもエウデュリークは耐えたんだ! 痛みに我を忘れ身悶えしたら腹の子に害が及ぶと、そう理解して! 痛かっただったろうに、訳も分からず恐ろしかったろうに……死の間際で……死ぬその時までまだ見ぬ我が子のために耐え切った!」


 血を吐くようなオルフスの言葉に、生前のエウデュリークを知る誰もがありし日を思い出した。

 毎年我が子に愛情深く寄り添う青い飛竜の姿を。今年も見られるはずだった、もう二度と見ることの叶わない母と子の姿を。

 そして気付く。

 地面に残された凄絶な爪痕に反して、エウデュリークの身体には爪以外の外傷は見当たらない。通常痛みに襲われた飛竜は、激痛から暴れて鱗が剥がれたり、怪我を負うことも多い。だというのにエウデュリークの寝所は、僅かに寝わらが飛び散っているだけだ。

 襲いくる激痛と呼吸を奪われた苦しみの中で、最後まで守ろうとしたものがあるかのように。


「エウデュリークが母として最期まで守り抜いた命をオレ達が救ってやらずにどうする!」


 義父の鬼気迫る様子に押されたライアがナイフを取って帰るまで。居合わせたもの達は一様にその場から動けずにいた。

 無言で差し出されたナイフをオルフスが受け取り、エウデュリークの遺体に向き直った時。

 オルフスの隣からぬっ、と太い指先が魔法の光をまとって伸ばされた。


「汝、霞の如き軽さを纏うべし。【霞衣(かすみごろも)】」


 人の手では動かすのも難しい飛竜の体が、軽く浮き上がると向きを変え、うつ伏せから腹がオルフスに見えるような体勢に変化した。


「こっからここらへんにかけて切れ。あまり深く切り込むなよ、内臓を傷つけないよう少しずつ慎重に切開するんだ」

「……アーソン、どうして?」


 魔法を行使しながら切り込む場所を指し示す竜医の顔を、オルフスはまじまじと見る。

 アーソンとは長い付き合いだが、神官でもある彼が信仰の対象から与えられた飛竜を、亡骸とはいえ傷つける事に賛同するとは思わなかったのだ。

 目を瞬かせるオルフスに、二股に分けて首後ろで編んだ長く独特な髭を揺らしアーソンが頷く。


「ワシもこの母竜の矜持に応えてやりたいのよ」


 周囲を見回しても不安気ではあるものの、誰も声に出して止めるものはいない。

 それを確認したオルフスは、決意を固めてアダマンティンナイフを握り直した。

 黒い刀身には無数の小さな光が散りばめられ、刀身が動くごとにちらちらと輝く。夜空の星々を思わせる刃は宝石のような美しさだった。

 その美しい刃先を翻すと、冷たく光を反射するナイフの側面に、瞳を閉じたエウデュリークの顔が写る。

 静かな寝顔を見つめたオルフスは深く息を吸って、吐く。


「許せ、エウデュリーク」


 ずぶり。

 腹板と呼ばれる腹側の大きな鱗が並ぶ皮膚に、アダマンティンの刃が沈む。暗褐色の血がどぷんと噴き出した。

 硬い表皮を突き破り、柔らかな肉が刃を押し返す弾力に抗って引き裂く。大事な飛竜の肉を裂く感触に怯みそうになるのを堪えて注意深く、しかし迅速に。


「魔導石! それから水をありったけ持ってきてくれ!」

「は、はい!」

「私はあんかを用意しますね!」

「おれ清潔な布をかき集めてきますっ」


 背後ではアーソンが指示を飛ばし、竜務員達が慌ただしく動き回っている。

 意識の端にそれらを捉えながら、ナイフを動かし続け———そして。


 しばらくの格闘の末、エウデュリークの腹に縦に大きな切れ込みができた。


「……上出来だオルフス。さあ卵を引っ張り出せ」

「あ、ああ」


 緊張で強張った声のアーソンが横から手を伸ばす。節の太い指が切開部分を上下に押し広げた。

 ぽっかり口を開けた生々しい肉の色と、むわりと広がる濃い血の臭い。

 喉奥から迫り上がる酸っぱいものを堪えながら、オルフスは胎内へと腕を突き込み、探った。

 母の後を追って黄泉路を降ろうとする小さな命を連れ戻すため、暗い冥府の底へ手を伸ばす。


 目的のものはすぐに見つかった。濡れた指先が臓器の柔らかさとは異なる感触に触れたのだ。

 急いで包み込む臓器ごと掴む。

 血に塗れて幾度も滑りそうになる指先。のしかかり行手を塞ぐ臓物。掴んだ臓器の重さ。

 額に汗をびっしょりかきながら、ようやく引き摺り出したのは、成人男性でも一抱えはある大きな楕円形の卵を内包した臓器だった。


 飛竜は胎内で卵を孵し、子供を産み落とす。

 本来であれば母竜の胎内で孵るはずの卵は、外の世界に産み落とされる生物の卵と違い、殻が薄く柔らかい。

 ぬめる臓器ごと殻の表面を押せば、やわく凹む殻の向こうに小さいながらも飛竜のかたちがわかった。

 それでも中の仔竜がまだ生きているのか、判別はつかない。


「臓器と殻を慎重に切開しろ! 時間との勝負だ!」


 掻き集めた魔導石の中で一番上等な大粒石を握ったアーソンが、オルフスの手元を覗き込む。

 飛竜は産まれた瞬間に母竜の生み出す魔力を浴びる。母竜を死産で失った仔竜に、魔導石を砕いて大量の魔力を浴びせるつもりなのだ。


「頼む、頼む、生きていてくれ……死なないでくれ! お前の母さんはお前を命懸けで守ったんだ……だからっ!」


 涙声で祈りを繰り返しながらオルフスは、臓器の端を摘んでナイフを当てた。

 その向こうの仔竜を傷つけないよう細心の注意を払って裂き、破る。

 卵の裂け目から僅かに覗いた鼻先が、初めて触れた外気に反応してぴくりと震えた。


「おお……神よ、白の盟主よ」


 それは誰の唇から漏れたのか。


『キュ、キュウ、キュッ……』


 目も開かぬ仔竜が小刻みに震えながら、空気を求めて弱々しく息を吸う。

頭上から砕け散った魔導石のかけらがきらきらと空に溶けて、祝福の魔力を降らせる。


 魔力を吸い込むため天を向いたその鼻先。

 魔導石ランプが照らす中、生まれた仔竜の鱗は卵液に濡れて白く輝いた。







*****







 カイセイルメイという飛竜の竜生は、常に『奇跡』と共にあった。


 一つ目の奇跡は生まれ落ちる前のこと。

 アルアージェ皇国における飛竜の一大産地クロトーワ領。中でも中皇競竜で多数活躍飛竜を輩出してきた名門竜牧場。

 そこで繋養されていた牝竜エウデュリークが宿した最後の子こそ、カイセイルメイだった。

 両親は共にG1制覇の実績を持ち、どちらの血統を遡っても有名な飛竜の名が連なる。血を分けた兄弟もまた素晴らしい活躍を積み重ねる良血中の良血。

 お腹の子もまた、競竜史に残る飛竜となるに違いない。

 生まれる前から人々の期待を背負っていたカイセイルメイは、しかし本来であれば死産になる筈の飛竜だった。


 出産予定日を一月後に控えていた母竜の心臓が突如止まり、手を尽くした甲斐もなく命を落としてしまったのだ。

 人々が懸命に伸ばした手の間から零れ落ちたのは母と子2つの命。

 ———そうなる運命(はず)だった。

 1人の男が母と共に死にゆく、名もない仔竜に手を伸ばさなければ。


 男が仔竜を救おうとしたのは、損益だけが理由ではなかった。

 母竜もまた男にとって我が子のように可愛がり、大事に慈しんだ飛竜。そんな母竜が遺した最後の子どもをなんとしても救ってやりたい。

 男が非情な決断を下し、決死の思いで小さな命を繋ぐ細い糸を手繰り、引き寄せた末に。

 人々は二つ目の奇跡を目の当たりにする。


 飛竜の鱗の色は基本的に赤・青・緑・黒・紫・金の6色からなる。そして多くの場合、生まれる仔竜は両親どちらかの鱗の色を引き継ぐ。まれに祖先からの隔世遺伝で両親とは異なる鱗を持つこともある。

 しかし白い鱗だけは違う。

 滅多に生まれない1代限りの突然変異。六罪竜に立ち向かい人類を護った白の盟主の威光を強く受け継ぐ瑞兆の証。尊い色、白鱗(はくりん)

 この世界において最も珍しく、重宝される鱗を持って生まれた飛竜がカイセイルメイだった。


 生まれる前に母竜を喪い命の危機に瀕しながらも、何とか無事に生まれ落ちたカイセイルメイだったが、その後も順風満帆とは言い難かった。

 予定よりひと月早く産まれ、誕生前に母竜を亡くしたカイセイルメイは、人の手助けがなければ生きていけない。

 竜牧場で産まれる飛竜の中には、出産後の母竜が様々な理由から子育てをできず、人工保育となるケースがある。

 だが母胎から生まれる前の状態で取り上げられて、飼育されたケースは国内でも片手で数えるほどしかなかった。


 少ない成功例を元に最初、仔竜は乳母になれる飛竜と引き合わされた。

 だが乳母は白竜の稀有な鱗を嫌ってか、なかなか仔竜を受け入れず。仔竜もまた冷たく厳しい乳母を恐れて竜房の隅から近付こうとしない。

 頼りの代理保育が立ち行かず困った牧場長は、母竜の代わりに仔竜の面倒を見るため、後継の娘婿と毎日交代で竜舎に泊まり込んだ。時には竜房の中で一緒に眠って仔竜を見守ることもあった。

 母の翼も知らぬ哀れな仔竜。

 同年齢の仔竜に比べても小さく頼りない体格。

 無事に育って欲しい。

 競飛竜になれなくてもいい。繁殖牝竜になれなくてもいい。貴重な白竜なのだから生きてさえいれば道は、きっとあるのだから。

 

 祈るような想いと共に、母親代わりの人間達から惜しみない愛情を注がれて、身体は小さいながらも仔竜は健やかにすくすくと育った。


 ———そして。奇跡を体現して生まれた飛竜は、1人の人間と出会う。








*****







 飛竜の鱗に似た薄平べったい秋の雲が姿を消し、分厚い冬の凍雲が空に鎮座するようになったころ。

 山の木々には紅葉を終えて葉を散らすものもあるなか、放牧地に植えられた低木は常緑を保っていた。


 そんな空っ風が吹き抜ける放牧地の、木立の間に20頭ほどからなる飛竜の群れがあった。

 夏の終わりから秋にかけて親離れを迎えた当歳飛竜と、彼等に群れでの暮らしや放牧地での過ごし方を教育する大人の引率飛竜(リードドラゴン)からなる新しい群れだ。

 仔竜たちはこの広い放牧地で引率飛竜(リードドラゴン)に見守られながら、食事をしたり仲間と戯れたり、地に伏して微睡んだりと思い思いに過ごしていた。


 年若い飛竜達が過ごすこの放牧地に、人間達が白い息を吐きながら近付いてくる。


「いたいた、おーいエウチビやーい!」


 集団を率いるように先頭を歩いていた初老の男が、笑顔で柵の向こうへ手を振る。

 なんだなんだと群れの飛竜達が首をもたげて反応する中。

 群れから一頭離れ、木立の端でもそもそと葉を啄んでいた白い飛竜が、ひときわ敏感に反応した。

 顔を上げ声の方角を確認するや、四肢をバネのように動かして走り出す。

 広げた翼が数度翻ると、魔法のように小柄な身体が宙に浮く。そして見た目に反して力強い羽ばたきで地表を滑るように、柵の方へとあっという間に飛んできた。


「えらいぞーよく来たなエウチビ」


 放牧地をぐるりと囲う高い柵の前に着地した白竜が、キュンキュンと甘えた声で鳴きながら柵の間から顔を突き出す。そして言葉の代わりにぐりぐりと男の胸元に鼻先を擦り付けた。


「よーしよしよし。チビは本当にかわいいなあ! ちっとは大きくなったかー?」


 愛嬌たっぷりな仕草にでれでれと鼻の下を伸ばして白い額を撫でるのは牧場長のオルフス。

 後からやや遅れてたどり着いた青年が肩をすくめた。


「お義父さん、それこの前も言ってましたよ」

「いいんだよこれは願掛けみてえなもんなんだから。こうしてコツコツ言って聞かせてりゃ少しは大きくなるかもだろ」

「ええ……どんな願掛けですかそれ」


 白竜の頭を撫でくり回す手を止めない義父から、娘婿のライアは視線を外す。

 木立の間をゆったり飛ぶ飛竜たちを眺めていると、好奇心旺盛な一頭がぱたぱたと羽ばたきながら近付いてくるのが見えた。

 白竜と同じ当歳飛竜だ。

 飛び方は白竜の方が上手いが、当歳にしては体格がよく見栄えもする。何より骨格や筋肉のバランスが良い。

 大きな翼の使い方に慣れれば、中皇競竜でも活躍できるだろうと関係者が口を揃える、将来有望な飛竜の一頭だ。

 柵の手前まで来た飛竜は「なにをしているのか」と問うように白竜の横に並んで、柵に額を押し付けている。

 並ぶ二頭の差は大きい。一つ二つ歳が違うのかと思う程に。

 同年齢の飛竜の中でも特に体格の良い飛竜が隣に来たことで、白竜の貧相さがいっそう際立つ。2頭を見比べたライアは渋い顔で足元に視線を落とすと、言葉を探るように靴の爪先で地面を擦った。


「———でも実際、今の時期にこの身体の大きさじゃ競飛竜(レースドラゴン)はもとい繁殖だって難しいですよ……どうするんですか」


 問いかける声は一段トーンが落ちて暗い。

 竜牧場を経営する彼等は飛竜を売って生計を立てているのだ。

 飛竜を育てるのは競飛竜として高く買い取ってもらうためで、慈善事業でもなければ保護活動でもない。いわば飯の種だ。

 その飯の種にならない飛竜がいたとしたらどうするのか。どうなるのか。

 大事に育ててきたからこそ、いつまでも小さく頼りない風体をした白竜の未来を思えば暗くもなる。

 そんなライアの懸念を受けて、オルフスは不機嫌を露わに下唇を突き出した。


「……わーってる。エウチビは貴重な白竜だから、競飛竜や繁殖が無理だった時は神殿の管理飛竜にしないかって話を貰ってんだよ」

「本当ですか? 初耳ですよそれ」

「んー……まあ、まだ返事はしてないんだけどな」


 目を丸くするライアの視線から逃れるように、オルフスは歯切れ悪く返事をする。

 打診してきたのは、竜医であり月白教の神官でもあるアーソンだ。

 あの日、エウデュリークの腹から仔竜を取り上げるのに協力してくれたアーソンは、その後も遺児である白竜と世話をするオルフス達を気遣ってくれていた。白竜を神殿管理飛竜にしないかと持ちかけてくれたのもそうだ。

 神殿管理飛竜は生涯に渡って養って貰えるが、生涯面倒を見るがゆえに間口が小さい。いくら神殿と言えども管理飼育できる飛竜の数には限りがあるためだ。それでもアーソンはなんとか少ない内の一枠を確保してくれた。珍しい白竜というのもあるだろうが、何より白竜が同年齢の飛竜に比べて発育が悪いことを、誕生に立ち会った竜医として案じているのだろう。

 そんな気遣いをありがたく思いつつ、オルフスはいまだアーソンへの返事を保留している。理由はもちろんある。


 一つは神殿に譲渡した際の金だ。

 神殿へ飛竜を預ける際に謝儀の名目で神殿から支払われる金銭は、競飛竜として売るのとは比較にならない微々たる金額だ。生涯に渡って面倒を見て貰えることを思えば、謝儀まで貰えるのは有難い話なのかもしれないが、しかし。

 エウデュリークは牧場の稼ぎ頭だった。

 彼女には血統や配合を吟味して実績豊富な一流の種牡竜を当てがった。

 白竜を神殿へ譲ればほとんど元は取れないどころか大赤字だ。珍しい白竜だから謝儀にイロをつけてもらうことは可能だろうが、それを踏まえてもとても賄えない金額である。

 ———だがそれよりも、問題なのは。


「神殿の飛竜と言えば催事や式典に出るんでしょう。あれって隊列を組んで飛んだり並んで待機したり……つまり団体行動が必須じゃないですか。他の飛竜と一緒に行動なんて、飛竜を怖がるチビすけができるかどうか……。今だって友達の一頭もいないし群れにも馴染めてないのに」


 白竜への心配と疑念で渋い顔になったライアが首を横に振る。その指摘こそ、オルフスが返事を保留している最大の理由だった。

 幼くして母を亡くし人の手で育てられた弊害か、白竜は人には懐こいが、反面同族とは打ち解けられないでいる。本来母親から学ぶ飛竜同士の些細なコミュニケーションを学べていないせいだ。

 同じ悩みに行き着き黙りこくった2人の前で、心配を煽るように大柄な当歳飛竜が尾を大きく横に振りながら白竜を威嚇した。怯えて後退りする白竜を見たオルフスがとっさに声を上げる。


「こら、喧嘩はやめねえか! 離れろ、離れろ! ったく……今年のちびどもは気ィ強いのばっかだからエウチビが気遅れすんのも仕方ねぇよ。環境が変わればいつかエウチビも心許して遊べるような飛竜の一頭や二頭出会えるはずなんだ」


 それは希望的観測だった。飛竜同士の初歩的な交流すらまともにできない飛竜では、落ちてくる流れ星を掴むような話だ。口にしたオルフスでさえ、そうなればいいと願っての発言だった。

 垂れ込めた重い空気で会話の途絶えた2人に、付き従っていた竜務員の1人が「そろそろお時間が……」と恐る恐る声を掛けた。

 ここを訪れたのは白竜の顔を見るためではない。他に理由があるのだ。


「ああ、お義父さんパンサール様に紹介する当歳飛竜を連れて行かないと」

「おっと。もうそんな時間か」


 急かされたオルフスは白竜を構うのをやめて胸元に仕舞っていた時を刻む魔法道具(マジックアイテム)を確認した。


「そうさな、ちょうど良い。まずはこいつとパーラネーロの子、あとはスパイニィフィンの……顔の柄が派手な赤竜な、あれを連れて行こう。他も順番に見て頂く予定だがまずはこの辺りからだな」


 連れて来た竜務員達に指示を出すオルフスの肩を、まだ構ってもらい足りないのか白竜がつつく。

 人のやわい肌を傷つけぬよう服を破かぬよう、器用に口先で布地を噛む様子に、まなじりを下げたオルフスが思いついたとばかりに手を打った。


「そうだ! エウチビ、お前パンサール様に会ってみるのはどうだ?」


 軽い調子で「公爵令嬢に謁見できるなんて名誉なことだぞ」と白竜の頭絡に手を伸ばそうとするオルフスに、ライアが即座に横槍を入れる。


「ちょ、ちょっとまってください! いくらエウデュリークの子だからってチビすけをお嬢様に売り込む気ですか?!」


 非難を瞳にありありと浮かべる青年にオルフスは慌ててその邪推を遮った。


「馬鹿タレ! ンな畏れ多いことするわけあるかッ。パンサール様は飛竜がお好きでいらっしゃるから珍しい白竜の子を見て喜んでほしいだけだっ」

「……本当に? 飛竜好きのお嬢様であれば物珍しさに白竜を買ってくださるかも、とは思っていないんですか?」


 否定されてもなお疑惑の目を向ける娘婿に、竜牧場を背負って立つ男は馬鹿にするなと鼻を鳴らす。

 

「期待するわけねぇだろ。あの御方は無類の飛竜好きだが、ご自分が所有する競飛竜を選ぶとなると途端に雰囲気が変わる……お前も飛竜を選ぶ時のあの方の目を注意深く見てみろ。ンな心配できなくなるからよ」


 直前までどの飛竜も可愛いくて選べないと無邪気にはしゃいでいた娘が、いざ選定を。と言う場面になった途端、がらりと雰囲気が変わるのだ。

 数多くの貴族や豪商を相手にしてきたオルフスでさえ、あんな瞳で飛竜を見定める人間は見たことが無い。

 なぜなら飛竜を選ぶパンサールの瞳には欲望がないのだから。


 勝てる飛竜が欲しいと思わない竜主はいない。ましてや飛竜を買うとなると大金が動く。そんな飛竜を見定めるとなれば誰しも注ぐ視線には力が入り、熱もこもるというもの。

 それだというのにパンサールは熱意も執念も排除した、ぞっとする底の見えない瞳で冷徹に値踏みを始めるのだ。

 そうしてまるで精密なふるいのように、目の前の飛竜を買うに値するかどうか仕分けてしまう。

 手塩にかけて育て、これはと思って薦めても全く見向きもされない時もある。かと思えば地味で目立たない印象の飛竜をいたく気に入って即決で購入したこともあった。

 一度だけなら偶然だろう。けれど彼女との付き合いもかれこれ10年。その中で選ばれた飛竜と選ばれなかった飛竜の差は歴然としている。

 彼女が選んだ飛竜のほとんどは勝ち上がり、中にはG1すら勝ち取った飛竜もいた。

 飛竜の素質を見抜く稀代の相竜眼。

 競竜の関係者の中にはパンサールには飛竜の未来が視えていると讃える者もいる。それだけパンサールの『飛ぶ』飛竜を見抜く才能はずば抜けていた。

 オルフスもあれは一流の戦士が持つ超直感、あるいは託宣を受ける巫女姫のような一種の異能に近いのかもしれないと考えている。

 だからこそ、そんな彼女にいかに珍しい白竜とはいえ貧相な飛竜を売り込む蛮勇は持ち合わせていない。

 

そんなことをすればパンサールはたちまち見破って侮られたと判断し、この竜牧場を二度と顧みることはないだろう。


「凡俗の俺にはパンサール様が何を見て飛竜を選ばれているのか、悔しいが理解できない……ただ彼の方の相竜眼は本物だ。そうじゃなきゃあのお歳で、竜主を始めて10年かそこらでG1を4つ、それもそれぞれ別の飛竜で取れるもんか。お嬢様が良いと判じた飛竜は怪我やトラブルでもない限り飛ぶんだ。そんなお人を前に……下手な飛竜をお出しできるかよ」


 白竜の命を救ったことに後悔はない。けれどこの小さな矮躯に競飛竜として価値があるとは、オルフスでさえ思えないのだ。


「エウデュリークの遺した命には……俺達が繋いだ命には、意味があったと思いてえ。エウデュリークの最後の子なんだ、できることなら活躍してほしい———でもよ、それは俺の身勝手な願いだって分かってるんだ」


 放牧地からは当歳飛竜達が、引き綱を引かれて続々と連れ出されて行く。

 一番最後に出入り口の扉を潜った一際小柄な飛竜を見たオルフスが、目を細めて長く息を吐いた。


「あいつを見たパンサール様は喜んでくださるだろう……そして。それでも買うには値しないと冷然と判じるだろう。あの恐ろしい瞳で俺の未練を切り捨てて頂いて……そうしたら俺はエウチビを神殿に送り出せる気がするんだよ」









*****







 護衛の騎士とお付きの老執事を引き連れてパンサールが竜牧場を訪れたのは、それからきっかり2時間後のことだった。


 公爵家の家紋が刻まれた最新の 飛竜艇(ドラゴンキャリッジ)が列を成し、続々と牧場に降り立つ。

 その中で一際大きく豪華なつくりの 飛竜艇(ドラゴンキャリッジ)から降り立ったパンサールは、貴族の娘らしいドレス姿ではなく動きやすいパンツスタイルの軽装に身を包んでいた。

 ドレスでは大好きな飛竜を見学できる牧場内で動き辛く、何かと不便が多い。何よりドレスを着た人間なぞ見たこともないだろう飛竜達が、見慣れない異物に怯えない様にとの配慮だ。

 とはいえ服装を簡素にしたと言ってもそれは貴族基準での話。

 シンプルなリボンで高く結えた豪奢な金髪。襟にフリルがあしらわれた白いブラウス。ウェストを細く引き締める、金糸と宝石で刺繍されたカマーバンド。トレードマークの扇子に、ディープグリーンのズボン、白いレースアップブーツの爪先に至るまで。平民からすれば目に痛いほど高貴なオーラを放っている。

 絵画の世界から現れたような貴人の登場に、迎え入れた牧場の人間達の垂れた頭が、さらに一段地面に近づいた。


 ピンと張り詰めた空気の中、許しをもらって頭を上げたオルフスが牧場を代表して来訪への感謝と挨拶を丁寧に述べる。

 そして「もしお時間があるようなら……」と緊張しながら切り出した。


「お嬢様、今年の当歳をご紹介させて頂く前に珍しい白竜の子が産まれたのでよければご覧になりませんか? もちろん不要であればすぐに当歳飛竜の紹介に移らせていただき———」

「あなたのところで白竜が産まれたって噂は本当だったのね! わたくし白竜を見るのは初めてなの! もちろん見たいわ、早く連れてきて!」


 オルフスの控えめな申し出に被せる様に、パンサールが瞳を輝かせて身を乗り出す。

 貴人ににじり寄られてたじろいだオルフスが頷きかけた時、パンサールの後ろに控えた執事がわざとらしく咳払いをした。

 やましい心算はないがそれでもオルフスの肩はびくりと震えてしまう。対してパンサールは背後を振り返ることなく、面倒くさそうに広げた扇子をシッシと払った。


「……わかっています。今日は競飛竜を買いに来たことは忘れていません。見るだけです」


 水をさされ不機嫌を露わにする主人に怯む事なく、老執事は右目にはめた片眼鏡(モノクル)の位置を正す。


「恐れながら……お嬢様が白竜を目にされるのは初めてのこと。感動のあまり我を忘れたりなさらぬようにと、僭越ながらご忠告申し上げます」


 暗に「お前は飛竜のこととなると我を忘れるだろう」と釘を刺され、パンサールのただでさえ鋭く見える青い瞳が吊り上がる。


「くどい。クロトーワ家次期当主たるこのわたくしがそのような軽率な事するはずないでしょう」

「おや? じいめの記憶違いでないなら昨年通りすがりの仔竜に愛嬌を振り撒かれて、『軽率に』公爵様の御名義で購入されようとしておりませんでしたかな」


 余裕の態度を崩さない老執事とは反対に、痛いところを突かれたのかパンサールの美しい顔が引き攣った。


 クロトーワ家と言えば今でこそパンサール個人の所有飛竜が冠するカイセイ冠が有名だが、その影に隠れてパンサールの父親の現当主もまた飛竜を多数所有している。

 パンサールは自らの選んだ飛竜で公爵家のネームバリューを超えてみせるとの思いを『カイセイ』の冠名に込め、それに相応しい飛竜を自ら選び抜いている。選別に妥協はなく、厳選基準は高い。

 対して現当主は娘とは違い、同じ三大貴族のツェツェール公爵を見習って、中小規模の竜牧場を支援する目的で飛竜を買っている。

 そんな父親の名義でこっそり気に入った飛竜を掌中に収めようとしていたことをバラされた竜姫は、羞恥に顔を染め、乱雑に扇子を閉じた。


「あああああもう喧しいッ、わかりましたーわーかーりーまーしーたー! クロトーワ家を継ぐ者として誓って軽率な真似は致しません! ……ほらこれで満足かしら?! さぁさぁオルフス、じいのお小言がこれ以上並べられる前に早く白竜を連れてきてちょうだい」

「は、はい! 只今!」


 気圧されたオルフスが慌てて控えていた竜務員に白竜を連れて来るよう指示を出す。

 一番のお得意様といっても過言ではない人物の機嫌が、地を這うくらいに下がってしまったことに、オルフスをはじめ竜牧場の人間は、みな生きた心地のしない時間が流れた。


 しかしパンサールの不機嫌は白竜が近付いてくるのが目に入るや、一瞬で霧散した。

 膨れていた頬には朱が差し、大きく見開いた瞳を星のように輝かせて白竜を指差す。

 

「見て見てじいや! あの鱗ほんとうに雪みたいに白くてよ! でもよく見ると雪とは違う暖かみというか柔らかい色合いがあるのね、白さの中に内包された虹の光沢はマデリーで採れる海の宝石が近いかしら。それとも神秘的な輝きだから月長石? どちらにせよなんて綺麗なのかしら……あ、もちろん飛竜の鱗はどの色もそれぞれ異なる美しさがありますけれどね。わたくし宝石は飽きがくるほど見慣れてますけど飛竜の鱗の美しさはどれだけ眺めても飽きないもの。ええ、みんな違ってみんな魅力的よね、だけど白竜は初めて見たから新鮮な驚きと感動が……———」


 興奮した様子で早口で滔々と語り続けていたパンサールが、到着した白竜を前にして急に押し黙った。


「お、お嬢様いかがされましたか?」


 怪訝に思ったオルフスが問いかけてもパンサールは白竜を凝視したまま動かない。

 固まった令嬢を前にオルフスはどうしたものかと少しばかり逡巡し、しかしすぐに紹介を続けることにした。

 こう言っては不敬かも知れないが、飛竜を前にしたパンサールの奇行には慣れている。珍しい白竜を目の前で見れて感無量なのかも知れない。そう判断してオルフスは、頭を下げた。


「えぇと……。お褒めいただきありがとうございます。こちらがあのエウデュリークが残した最後の子です。未熟児で生まれたせいか、ご覧の通り小さくて……競飛竜はさすがに無理かと思っているのですが、人懐こくて可愛いんですよ」

「……競飛竜としては売らないつもり?」


 白竜を手招きするオルフスに、扇子で口元を隠したパンサールが、呆然と呟くように尋ねた。


「はい、この体格では中皇はおろか地方でも難しいかと……。ただ神殿から声をかけて頂いているので、そちらに預けようかと思っているのです」


 顔を擦り寄せて懐く白竜のおとがいを撫でながら、オルフスは自分自身に言い聞かせるように言葉を選ぶ。口にすればそれこそが正しい選択なのだという気がしてきた。

 対してオルフスの言葉を聞いたパンサールの声が問い詰めるように鋭くなる。


「この子を神殿にくれてやると言うの?」

「え? は、はい、そのつもりで……」


 パンサールの変化に戸惑いつつも肯定しようとしてオルフスは口籠る。

 パンサールの瞳が、いつの間にかあの冷徹な選別者の瞳に変わっていることに気付いたのだ。


「断りなさい。この子はわたくしが貰い受けます———構わないわね、じいや」


 厳かで、しかし有無を言わせぬ声だった。

 先程パンサールを諫めていた老執事は、驚いたように目を見開いたものの毅然とした態度を崩さないパンサールを見て、胸元に手を当てると恭しく頭を垂れた。


「お嬢様がそう望まれたのであれば、そのように取り計らいましょう」

「……というわけだから概算を出してちょうだいな。この子の父親はどの飛竜になるのかしら? 母親がエウデュリークなら良い種牡竜を当てがったのでしょう?」

「パ、パンサール様お待ち下さい! 気にかけていただけるのはありがたいことですが、この子は珍しい白竜というだけです。それだけでパンサール様の冠名『カイセイ』を戴くのは畏れ多いことかと存じます!」


 怒涛の展開に目を白黒させていたオルフスが慌てふためく。

 竜牧場の経営者としては願ってもない話だった。これが他の当歳であれば大喜びで頷いただろう。あるいは他の貴族の申し出ならば、本当に良いのか再三確認してからだが頷いただろう。


 だが相手がパンサールでは、おいそれと頷くことはできない。

 それほどに『カイセイ』の冠名は重い。

 その重さはパンサールに見出され、冠名を戴き、戦った飛竜たちの積み上げてきた勝利の重さだ。いまや『カイセイ』の冠名がつく飛竜はそれだけで、勝って当然の資質があると思われるほどなのだから。

 そんな重圧に耐えられるほどの強さを、オルフスはおろか従業員の誰1人白竜に見出せていない。

 白竜は大切なエウデュリークの最後の仔だが———それだけだ。

 活躍できなかった際に囁かれるだろう噂だって容易に想像できる。パンサールが飛竜好きなのをいいことに、珍しいだけの貧相な白竜を売り付けたのだろうと悪様に言われることは想像に難くない。白竜が物珍しさから悪目立ちして、悪意に晒される可能性を考えるとオルフスの喉はカラカラに干上がって言葉を紡げない。

 エウデュリークの遺した仔が物珍しさに買われただけの駄竜、ドラゴンステーキなどと揶揄される未来を見たくなかった。


 葛藤するオルフスを、冷静に見つめていたパンサールがおもむろに口を開く。


「オルフス。あなた、わたくしがこの子を物珍しさやコレクションとして欲していると思っているの?」

「そ、そういうわけでは……ただ私は心配なのです。魔力を送り出す翼の小ささは競竜においてハンデでしかない。見ての通り牝竜の中でも更に体が小さいこの飛竜がお嬢様の冠名を背負って中皇で勝てる光景が、私には想像できんのです」

「そう……ねぇオルフス、この子の他にもたくさん飛竜を用意してくれたのでしょう?」

「もちろんです……そうだ! 白竜をご購買いただくかどうかは他の飛竜を見てからでも遅くありません、今年の当歳も良い飛竜が揃っていますから先にそちらを紹介させて———」

「ありがとう。だけどわたくしね、この白竜を見て思ったのよ。この子が手に入らないなら今年は他にどんな飛竜も欲しくないって」


 熱烈な告白だった。

 目を見開いたまま固まってしまったオルフスが撫でてくれないことが不満なのか、ふぅんと鼻を鳴らした白竜の目が、近くに立つもう1人の人間、パンサールに向く。

 初めて見る人間に臆すことなく興味深そうに匂いを嗅いで顔を寄せた白竜の鼻先を、パンサールは優しく撫でた。


「だってきっとこの子以上の飛竜なんて、そう出会えるものではないもの……運命だわ」


 今にも歌い出しそうな口ぶりで宣言した竜姫は、空に向かって大仰に片手を高く掲げた。

 傷やシミの一つない、彫刻のように滑らかな人差し指が一本、長閑な牧場の空を指す。


「見ていなさいオルフス。今にアルアージェ中の者達が目撃し、音に聞くことになるわ。快晴の大空にこの白竜の名が高らかに流れ、謳われるさまを」


 竜狂い、竜愛づる姫、竜姫。様々な二つ名を持つ稀代の竜主は不敵な笑みを浮かべ、そう宣言した。


 ———この時。呆気に取られて固まるばかりのオルフスをはじめ、牧場関係者達は知る由もなかった。

 竜姫パンサール・デイラール・クロトーワの予言めいたこの言葉が真実になることを。


 奇跡を体現して産まれてきたカイセイルメイ。彼女は名門セイゲツ竜舎に預けられると、瞬く間に才能を開花させ新竜戦、その後の重賞において同年代の他竜を圧倒する。さらには竜主の期待通り2歳の暮れにG1を圧勝。

 牝竜三冠を約束された傑物だと誰もが口を揃えた。同年代の牡竜すら寄せ付けない強さだと。

 この年代最強の賞賛と女王の称号は、全て彼女の為にあると誰しもが思った。


 ただ一つ、竜姫の眼をもってしても見抜けなかった伏兵が現れるまでは。


 ———伏兵は隣領ヤジール伯爵領の、誰も見向きもしない小さな竜牧場から、落ちぶれた伯爵家の若き当主によって見出される。

 カイセイルメイと同じ歳、同じ性別の飛竜の中で一頭だけ異彩を放つ飛行を編み出した飛竜。

 奇跡を体現した飛竜から牝竜三冠のうち一冠を奪ったのは、奇跡を起こした飛竜だった。









*****









 アルアージェ記念祭が終わってしばらくたったある日のこと。

 身体の疲労も抜けて、翼にも異常なしということで久々にトゥリームオ上空のコースを飛んだ。

 とはいえ調教というには軽い、飛行に変化や違和感がないかの確認を兼ねた運動だ。


 そうやって飛んだ空は珍しく無風で凪いでいた。朝の日差しを遮る雲もなく、地表に戻った頃には軽い運動と合わさって体がほかほかと温かい。

 今日は冬の最中にあって気温も珍しく上がって小春日和になりそうだ。

 この後は竜舎に戻って汚れを洗い流してもらえば、ごはんにありつける。やったねごはん! ごはん! 

 うきうきと弾む足取りで竜舎への帰路に着こうというとしていたら、ばったり。

 よく見知った顔に出会した。


「……おはようございます。お久しぶり、ですね」

『クルルルルッ!!』


 柔らかく巻いた黒髪から突き出た尖った耳、褐色の肌。優しげなブルーグレーの瞳がどこか困ったように撓む。

 傍の小柄な白い飛竜が尻尾の先をぴるぴると振って威勢よく鳴いた。

 カイセイルメイとその騎手くんだ。なんだ君たちも朝イチで運動かね。


 とりあえずカイセイルメイの喜色に溢れたでっかい友鳴きには『クルル』と短く返す。そんなでかい声で言わなくても聞こえてるよ。


「はわ、どどどぉーも……ゴブサタシテマス」


 アルルアちゃんがらしくもなく、ぎこちない動きで会釈する。

 向こうの騎手くんもどこか戸惑っているような。

 人間たちはなぜギクシャクしているんだろうと思ったけど、一つ思い当たった。

 世間的にはジブンとカイセイルメイはライバルらしい。後から知った事だけどアルアージェ記念祭の時も、他のメンツほぼそっちのけでかなり注目を集めていたんだとか。

 そんな二頭が勝った側と負けた側で、しかもレースはついこの間の事だから———気まずいのかも?


 まあ、他称ジブンの宿敵らしいカイセイルメイは、人間達の間に流れる微妙な空気なんてものともせず、いつぞやと同じように鼻息荒く「あいさつ、します!」と意気込んで顔を近づけてきてるんだけど。

 うおっと危ない、ぶつかるとこだった。まったく圧が強いって。

 また鼻面アタックを決められたくはないので、こちらから顔を寄せてカイセイルメイの頬を優しく撫でる。

 カイセイルメイは一瞬驚いたように固まった後、すぐにこちらを真似てそうっと真白い鼻先を擦り寄せてきた。

 ものを知らないだけで頭は悪くないらしい。

 互いの近況を探るようにしばらく鼻を擦り合わせる。一通り交流を終えて満足したところを見計らった人間達が手綱を引いた。


 所属する竜舎の距離は離れているが、帰る方向は一緒なので、二頭の飛竜と2人の人間が自然と並んで歩く。

 人間達は最初こそ気まずそうにしていたが、立場は違えど、どちらも競竜に携わる者同士。

 話題には事欠かないようで、ぽつぽつと当たり障りない世間話をしていた。

 そんな会話の途中でふとダークエルフくんが立ち止まる。やや遅れて立ち止まったアルルアちゃんが「うげぇ」と可愛い顔を顰めた。


 目の前には道幅いっぱいに広がる大きな水溜まり。

 昨日の昼過ぎから夜にかけてまとめて降った雨でできたのだろう。

 雨自体は今はもう止んでいるけれど、水捌けの悪いこういった場所には幾つかまだ昨夜の雨の名残が見られた。

 ちょうど道の脇に生えた大きな木と建物の影になっているせいか、ここは特に大きいな。


「ここって雨上がりはいつもこうですよね。しかもちょっと深いんだよなあ」


 ぼやいたダークエルフくんがアルルアちゃんの足元をさり気なく確認した。

膝下丈のブーツを履く彼とは違い、アルルアちゃんの靴はくるぶしまでの高さしかない。まっすぐ突っ切ったら濡れるだろう。


「天下のG1競飛竜サマだって通るんだから皇城前とおんなじくらいキレーに整地しろってハナシですよ、ねっ!」

「はは、確かに」


 水溜まりを睨み付けるアルルアちゃんは、気遣うダークエルフくんの視線に気付いていなさそうだ。

 さてどうしたもんかね。ちらと、カイセイルメイを見れば彼女はいつの間にかダークエルフくんの後ろに隠れて、おっかなびっくり朝日を反射する泥水を覗き込んでいる。

 気付いたダークエルフくんが苦笑して、宥める様に白い顎下を撫でた。


「よけていきましょうか。あの端の辺りなら狭いけど飛竜たちも濡れずに通れそうですよ」


 ダークエルフくんが指差す先には、確かに飛竜でもギリギリ通れるくらいの道がある。ある、が。だ。


 はーっと頭の中でおもいっきりデカいため息を吐く。

 アルルアちゃんの足元が濡れないようにって配慮ならわかるけど、飛竜は避ける必要なくない?

 水溜まりを怖がってるから避けるとか過保護すぎませんこと? 牧場で親から水溜まりを見かけた時の『御作法』を教わらんかったクチか?

 うーん、カイセイルメイの様子を見るにありえないこともない。なんてったって飛竜同士の挨拶もぎこちないくらいだ。ジブンが育ったとこよりよっぽど飛竜が少ないちっちゃい牧場から来たのかも知れないしな。

 ——————カイセイルメイも調教は終わってるよな。ならこの後は帰ってシャワーか……ウン! 丁度いいネ。


 いっちょ『御作法』ってやつを見せちゃいますか。

 くるるっ、と軽く喉を鳴らしてカイセイルメイを呼ぶ。

 友鳴きに反応したカイセイルメイが、きょとんとした顔で見てくる。

 いいかよく見とけー。水溜まりを前にしたらすることはーつ。狙って、定めて……こうだ!!


「ほぎゃあっ?!」


 引き綱を持っていたアルルアちゃんから悲鳴が上がる。ついでに水飛沫も上がる。

 うーん我ながら見事なスライディング。これは芸術点高いぞ。

 飛竜はな、こうやってぬかるんだ泥や、ざらつく砂地に身体を擦り付けて、古い鱗をこそぎ落とすんだ。それゴリゴリっと。


 ……実のところジブン達みたいな管理された飛竜はこまめにシャワーして、鱗も磨いてもらってるからしなくても全然問題ないんだけど。

 本能なんだろうなー。したくなっちゃうんだよなー。ごろんごろん……かーらーのーぶるるるるっ!!


「ぎゃーッ!! 無差別土属性攻撃! 誰も望まない大盤振る舞い! やめてーぶるぶるしないで、イヤーッ!」


 おっと、やりすぎたか。でも残念ながら止まれない。なぜなら本能だからネ!

 必死で顔を背けるアルルアちゃんの悲鳴を聞きながら、水溜まりにまた転がる。転がって見上げる。

 わかるか? という気持ちを込めて白い飛竜を見やれば、金色の大きな目がはっと見開かれた。


「……あっ! ま、待てルーやめっ」


 カイセイルメイの変化に目敏く気付いたダークエルフくんが咄嗟に制止をかけたが、時すでに遅し。

 意を決した白い身体が斜めに捻りを加えつつ、どぅるんと水溜まりの中にダイブする。

 上がる水飛沫。

 上がる情けない悲鳴、かける2。


 泥に塗れた白い顔がすぐ横に転がっていた。ぱちぱち瞬きをする瞳に、にんまり笑う。


 な、楽しいだろ?


 大きく揺れた白い尻尾が茶色い飛沫を噴き上げる。泥を被りながらも、その下の瞳はきらきら輝いていた。


 泥まみれの飛竜が2頭。途方に暮れる人間も2人。

 あーあといわんばかりの視線が通りがかりの人達から向けられるけど構わない。

 どうせこの後綺麗になるんだからいいじゃないか。

 楽しげなカイセイルメイが水溜まりに鼻先を突っ込んでから勢いよく振り上げる。

 びちゃっと泥が頭に降り掛かったけど、それより鼻から先を茶色に染めたカイセイルメイの間抜けな顔が面白くてジブンも真似をする。

 G1を勝った飛竜が揃いも揃って泥まみれの間抜け面ってのもいいじゃないか。

 ジブンとカイセイルメイが互いに泥をかけあったり、擦り付けている傍ら。

 全てを諦めましたみたいな遠い目をして黄昏ているアルルアちゃんの横で、片手で顔を覆ったダークエルフくんが「悪い遊びを教えられてる……」と呻いていた。失敬な。

今回の番外編はカイセイルメイのエピソードでした。

ところで皆様はロイヤルファミリー観てますか…?毎回泣かされているのですが泣きながら、オルフスは牧場主のおじさんと同じようになるんだろうなあと思いました。「逃げろルメイ!アオノハーレーが上がってくる!」

番外編はあと二つ、それぞれシークエスとある人のエピソードを予定しています。その後本編です。


※更新停止中にレビューを頂いておりました!レビューは返信ができないためこちらで御礼申し上げます。王虎様、物語を読み解く繊細なレビューありがとうございました!


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更新ずっと待ち続けます 競竜達の活躍をまだ見ていたい
一応ですけど、カクヨムの方の「仕事が多忙につき10月までの間更新停止します。」の文を消し忘れてますよ。
いい友達できたねぇ…!!めちゃくちゃないちゃった!
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