第28話 幕間『2人の貴族』
クロトーワ競竜場貴賓室。
王族や他国の要人など、クロトーワ公爵家に直接招待された者しか立ち入ることのできない特別な場所。
艶めく真紅の絨毯が敷かれた先。磨き抜かれた最高級木材ブラックパールウッド製の扉を前に、シフレシカ・デイル・アオノは立っていた。
白銀の髪を一つに結えて肩に流し、涼やかな横顔は彫刻の如く整って見るものの目を奪う。
一見平時と変わらず落ち着いて見える、その姿。
だがよくよく観察すれば、顔色は普段より血の気がなく、表情も固い。
原因は公爵家令嬢パンサール・デイラール・クロトーワからの突然の招聘。
形式こそ丁寧なものの、ほとんど強制的な呼び出しであることをシフレシカは感じていた。
ハーレーが中皇競竜で活躍するにつれて、クロトーワの名を意識することは多くなっていたが、こうも早く関わることになるとは。
心構えができきっていなかった自身の未熟さに、苦い思いと不安が過ぎる。
どんな話しを持ち出されるのか。
考えうる候補は幾つかある。そしてその対策も用意できたつもりだ。
しかし一介の伯爵にすぎないシフレシカと、皇族に連なる公爵家の跡取り娘では同じ貴族でも身分に差がありすぎる。
不興を買えば文字通り全てが『終わる』可能性。その重圧こそが、固く握り込んだシフレシカの手のひらをじっとりと湿らせた。
内心の緊張を押し隠すシフレシカへ、扉脇に控えた警備の騎士が、恭しい態度で武器等の危険物を預けるよう願いでる。
鷹揚に頷いて、シフレシカは自身の持つ護身用の短剣と、随伴する騎士ララディアの大剣を預ける。
すると固く閉ざされていた黒い鏡の様な扉が、中へと招き入れるかのごとくひとりでに内側へ開く。
意を決して踏み込んだ広い部屋は貴族のシフレシカでさえ、思わず息を呑む荘厳な空間だった。
精緻な彫り物が施された天井や柱。壁に飾られたいかにも価値のありそうな、飛竜をテーマにした絵画や美術品。
設えられたソファーやテーブル、果ては暗幕に至るまで、室内の調度品はどれも触れることが恐ろしくなるほど高価なものばかり。
我にも無く足を止め魅入ってしまったシフレシカとララディアへ、薄いガラス細工を弾くような凛とした声がかかる。
「ようこそ我が庭へ。来訪を心より歓迎しますわ、シフレシカ・デイル・アオノ伯爵」
豪奢な室内の中央。ガラス張りの展望席を背にドレスに身を包んだ貴人、竜姫パンサールが金糸の髪を払って優雅に笑う。
傍らには主人の邪魔にならぬよう、気配を薄めた老執事が影のごとく付き従っている。
「クロトーワに咲く大輪の花、パンサール・デイラール・クロトーワ様。本日はお招きに預かり光栄です」
恭しくこうべを垂れたシフレシカを値踏みするように、広げた扇子の向こうからパンサールの瞳が、晒された旋毛から爪先へと滑る。
「お忙しいのにお呼び立てしてごめんなさいね……宜しければ、この後開催される午後のレースを観戦しながらお話しに付き合っていただけるかしら」
「もちろん喜んで」
お伺いを立ててはいるがその実、否と言う事は認められていない。
引き攣りそうになる口角を意地で吊り上げ、シフレシカは余裕を演じてみせる。
ハーレーがレースで戦うなら、貴族であるシフレシカの戦いは今この時なのだから。
競竜場を一望できるソファー席に並んで腰掛けたシフレシカとパンサールの前を、ガラス越しに競飛竜達が駆け抜けていく。
「———そういえば。伯爵の飛竜、アオノハーレーと言ったかしら?随分と良い飛竜を見つけていらしたのね」
ハーレーとは違う青い鱗の飛竜が貴賓室前を通過したのを見送って、パンサールが切り出した。
「ありがとうございます。偶然初空を迎えたあの子を見かけて一目惚れで購入いたしました」
「噂によれば自然初空だったとか。自然初空なんて竜牧場ではまず見られない現象ですけれど———本当ですの?」
「はい、通常の初空より一月も早かったと聞き及んでおります」
「……なにそれ、わたくしですら自然初空は一度も見れていないのに……羨ましい」
パンサールがぼそぼそと呟いた言葉は、口元を覆い隠す扇子に阻まれシフレシカに届かない。
「失礼、何かおっしゃいましたか?」
「いいえ!お気になさらず。それより!あの競飛竜のおかげで、近ごろ貴族のお友達が増えたご様子ね?」
「青二才には勿体無いくらい、親切にして頂いております」
なぜかじとりと睨むような目を向けられ、シフレシカは内心冷や汗をかきながら表情だけはなんとか取り繕う。
「記者にあんな記事を書かせて、いったい何を企んでいらっしゃるの?」
「……企んでいるわけではないですよ。記事の内容は私の指示ではありませんし。ただ記事の影響で、あの子の魔導石を欲しがる方々が増えたことは事実ですが」
シフレシカが取材に許可を出したのは所有する飛竜が少しでも話題になれば、アオノ家の利益に繋がると考えたからだ。
予想外だったのは例の記事が話題になったことでアルアージェの貴族の間で、アオノハーレーが浄化した魔導石を持つことが密かな流行りになったこと。
預けた魔石が最上品の魔導石になって返ってきたことを喜び、魔導石の大口買取先である魔法研究室や神殿に卸していたシフレシカも、これには驚かされた。
元々優秀な成績を上げた競飛竜の浄化した魔導石は、魔法道具の動力源として以外に、観賞用やコレクションとしての価値も持つ。
貴族同士の交流で贈り合うことも珍しくない。
しかしG3、G2を勝ち進んでいるとはいえ、まだG1を制覇していない飛竜の魔導石を貴族たちがこぞって欲しがったのにはわけがある。
アオノハーレーにまつわるエピソードを読んだ貴族、特にその奥方が安産祈願や子供の健康祈願のアミュレットとして魔導石を欲しがったのだ。
貴族にとって血の繋がった我が子は何よりも大切に扱われ、細心の注意を払って育てられる。
言い方は悪いが、その代で血が途切れてもさほど問題のない市民と違い、貴族は家の存続のために血を絶やすわけにはいかないからだ。
俗に言うお世継ぎ問題で頭を悩ませるのは、いついかなる時代の貴族も同じ。そしてすがる思いで、神秘的なものに頼るのもまた世の常。
シフレシカは予想外のところから『ハーレーが浄化した魔導石』という強力な手札をひとつ、手に入れてしまったのだ。
ここしばらく忙しくしていた真相はこれが全てなのだが、パンサールからはまだシフレシカの思惑を探ろうという気配がした。
2人の間に重苦しい沈黙が横たわる。
どう出るべきか。
相手が自分を呼び出した真意がわからない以上、迂闊なことも口にできないシフレシカの横で、沈黙を破るように大きく息を吐いてパンサールが席を立った。
「えーい!まどろっこしいことはやめ!性に合わないわ」
パチリと音を立てて閉じた扇子を剣先のようにシフレシカに突き付ける。
「伯爵、この部屋はただの貴賓室ではないの。一種の治外法権。この部屋の中に限り身分立場関係なく、命に関わること以外なら対等に振る舞う事が許されますのよ」
「対等に、ですか?」
「ええ、競竜観戦中に隣にいる人物を気にして自分の飛竜を全力で応援できないなんて。こんなにつまらないことないでしょう」
飛竜を愛し競竜に情熱を注ぐパンサールらしい言葉に、頷いて先を促す。
「数年前お父様と伯父様がレース観戦中、白熱した煽り合いからの殴り合い大喧嘩を繰り広げたこともありましてよ」
当時を思い出したのか、ころころと無邪気に笑うパンサールの伯父にあたる人物は1人しかいない。
皇族の姫君を娶ったクロトーワ公爵の義兄。すなわち現皇王———。
「今の話は聞かなかったことにします」
思い当たったシフレシカは即座に言い切った。
情報の多さは貴族の武器だが、同時に知ってはいけない情報というのも世の中にはある。
皇国を治める偉大な指導者が賭博場で暴力沙汰を起こしたなど、知っていて良いはずがない。
サッと青褪めたシフレシカにパンサールは 「あらそう?大の大人が絨毯を転がり回ってとても面白かったのに」とさして気にした風もなく言ってのけた。
「まあ、お父様達のやんちゃエピソードは本題ではないし……ねえ伯爵、わたくしあなたとゲームをしたいの」
「ゲーム、ですか。一体どのようなものかお伺いしても?」
「ここは競竜場、賭け事の場でしてよ。今から始まる3つのレースで、シンプルに一着の飛竜を当てるゲームをしましょう」
パンサールの言葉を受けて、控えていた老執事がシフレシカの前に一冊の小冊子を差し出す。
「こちら、レースに参加予定の競飛竜一覧が記載されております。どうぞご参考にされてください」
「ゲームなら賭けの対象がなくては面白くないわ。そうね、あなたが勝ったらわたくしの権力の及ぶ範囲でどんな願いも叶えてさしあげましょう」
アルアージェ皇国において頂点に君臨する大竜主が提示した破格の条件。
思わず息を呑んだシフレシカをあざ笑うようにパンサールの青く吊り上がった瞳が撓む。
「ただし。わたくしが勝ったら———あなたの飛竜アオノハーレーに関する裁量を全て、いただきます」
「それは———」
アオノハーレーを寄越せという単純なものであったなら、即座に断っただろう。
しかしパンサールが求めたのは竜主としての裁量を委ねろという条件。
その不可解さが気に掛かって、口を噤む。
「飛竜の命に関わる無茶なことは言わないと白の盟主に誓いましょう。どうかしら?」
シフレシカが言い淀んだのを逡巡と受け取ったパンサールがさらに条件を追加する。
「……いいえ、私があの子を選んで競竜に連れてきたのです。その責任を誰かに渡すような不誠実な真似はできかねます」
毅然とした態度で断ったシフレシカにパンサールは一瞬、虚をつかれたように目を丸くする。
けれどすぐにその表情は掻き消え、代わりに獰猛な肉食の魔物を思わせる笑みが浮かぶ。
それはこの賭けから降りるなという圧。
目の前の年端も行かない少女はまごう事なく貴族社会の頂に立つ支配者なのだと理解させられて、シフレシカの背筋がゾッと冷える。
「———わかりました。若輩者ですが御相手させて、いただきます……」
背後に立つララディアから心配げな空気を感じながら、絞り出すような声で了承したシフレシカに、パンサールが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「うふふ。初心者とは言え、わたくし容赦しなくてよ」
*****
「ッッッアァァーーーーー!!!おっっかしいですわ!!どうして!わたくしの!賭けた競飛竜が悉く外れていますのぉぉぉぉぉッ!!!一体全体どういうこと!!!」
怒りに任せたパンサールが乱暴に小冊子を床に叩き付ける。
毛足の長い絨毯が衝撃を吸収したせいで、小冊子はぽふりと間抜けな音を立てて床に広がった。
「当たった……」
3本勝負。シフレシカは1つ目のレースこそ外したものの、2つ目と3つ目のレースで見事一着の競飛竜を当てた。
対してパンサールの予想した競飛竜はどれも勝負に掠りもしない、大外れ。
竜主になったばかりの競竜初心者シフレシカと、幼い頃から竜主として競竜への造詣も深いパンサール。
勝敗が明らかに見えたゲームだったが、結果はまさかまさかのシフレシカの勝利だった。
呆然としたままシフレシカは手元の小冊子を見つめる。
レースに参加する飛竜一覧。その名前の横に個々の飛竜に関する走り書きと、幾つかの記号が手書きで記されていた。
ご丁寧にページ下の余白に記号の意味まで解説されており、シフレシカはこの記号を信じて賭けたのだ。
床に転がったパンサールの小冊子には飛竜一覧が載っているのは同じだが、何も書き込まれていない。
誰かが助け舟を出してくれたのか。
それにしてもいったいなぜ?
冊子を見つめたまま動かないシフレシカの様子を不審がったパンサールが、悔しがるのをやめて手元を覗き込む。
「これは!」
シフレシカの小冊子に書き込まれた内容を目の当たりにしたパンサールの、花にも例えられる美しい顔立ちがみるみる内に怒りの形相に変わる。
思わず後退りしたシフレシカに構う事なく、パンサールは自身の背後に佇む老執事を睨みつけた。
「じ、じいや!お前、わたくしに仕える身でありながら裏切ったわね?!」
怒りで震えるパンサールの糾弾。
扇子の先を向けられた老執事は取り乱すこともなく、奥ゆかしい所作でシルバーグレイの頭を下げる。
「……恐れながらお嬢様。相手が競竜に詳しくないと知りながら不利な賭け事に誘うなどといった賤しい行い、貴族の模範たるべきクロトーワ公爵家にお仕えする者として断じて見過ごすわけにはいきませぬ」
言葉を区切り背筋を正すと、口元の微笑みは変えないままに、小さな主人を刃の如く厳しい目で見据え。
「初心者狩りなど恥を知りなさい恥を」
振り上げた戦斧の如く、重い一撃で切り捨てた。
反面、叱責を受けたパンサールは怒りと羞恥に顔を歪めて子どもの様に地団駄を踏む。
「クロトーワ家令嬢に対して何ですかその態度はッ、この無礼者!」
主人の癇癪に、好々爺然とした笑みを貼り付けたまま老執事は首を振る。
「おや、それこそおかしな話ですな。この場では身分立場関係なく対等に振る舞えると仰ったのはお嬢様です。私も該当するはずですよ」
自身の言葉を引き合いにされ、言葉に窮したパンサールになおも老人は追撃の手を緩めない。
「そもそも。アオノ伯爵様の予想が当たったのは私の入れ知恵が関係したとしても、お嬢様の予想が外れたのは単純にお嬢様がギャンブルの才能がないド下手クソだからでございます。それを物に当たってみっともない……大穴浪漫主義は結構ですがそんなもの外れて当たり前と自覚なさいませ」
「うぐぐぐぐ……」
「当たることはもちろん、当たらぬことも楽しんでこそギャンブルでございますよ、お嬢様。敗北の味とご自身の浅慮、しっかり噛み締めて下さいませ」
アルアージェ皇国に並ぶ者なしとまで言われた公爵令嬢が。
社交界の頂点に君臨する少女の姿をした傑物が。
従者に完全にやり込められ、貴賓室の絨毯の上に両手と膝をついて崩れ落ちる。
「正論で人って瀕死になるのね」
「やめろララ」
今まで黙って事の成り行きを見守っていた護衛のララディアがシフレシカにだけ聞こえる声量で呟くのを、同じく声を顰めて咎める。
乳母姉妹が再び沈黙を取り戻したのを確認したシフレシカは、もう一組の主従へと近付き、従者の方に声をかける。
「貴方も人が悪いですね」
「おや、なんのことでしょう?」
心当たりがなければ何のことかと戸惑いそうな指摘。けれど老執事は穏やかな態度を崩さず微笑むばかり。
その様子に、シフレシカはやはりそうかと確信する。
彼は自分に助け舟を出してくれたが、公爵家の矜持がどうこうといったことだけが本心ではない。
本当の狙いはシフレシカに有無を言わさず手を貸すことで借りを作ること。
彼らの短いやり取りからパンサールは賭け事に向いていないことは理解した。
彼も主人のパンサールが負ける可能性は高いと判断していたのだろう。
パンサールが負ければ彼女は力の及ぶ限り、どんな無理難題でも応えなければいけない。
そこで、あえて相手側に与することで借りを作り、主人が無理難題をふっかけられないよう予防線を張って不利益を被らないよう守った。
例えシフレシカが彼のアドバイスを参考にしていないと主張しても、手元の冊子には老執事によるアドバイスがしっかり書き残されている。
証拠が残っているのだ。
してやられたという苦い思いもあるにはあるが、老獪な遣り口に感心する気持ちの方が強い。
やり込められて清々しくさえ思える、そういう意味でも彼は素晴らしいやり手だと認めざるを得ない。
ここで無理にでも過剰な要求を通して事を荒立てることはしたくない。
公爵家との間に要らぬ火種を抱え込む真似をシフレシカは望んでいないのだ。
だからこそ、打ちひしがれ萎んだ花を思わせる風体のパンサールの横に膝をついて手を差し出す。
「パンサール様。賭け事の対価ですが、公爵領は魔石の流通が盛んと聞き及んでおりますので取引をお願いしたいのです。1等級の魔石を集めるのはツテの少ない私には些か難儀でして」
シフレシカの手を借りて立ち上がったパンサールが訝しげに黄金の髪を揺らし、首を傾ける。
「……取引で良いのですか?そちらが望まれるなら希望の量を譲ってもよろしくてよ」
「魅力的なご提案ですが、私は一度きりの大金よりも公爵家と末永くお付き合いがしたいのです」
「……そういうことなら。わたくしからお父様に口添えしておきましょう」
自信満々に胸に手を当てたパンサールに、笑みを深めたシフレシカは眼帯に覆われた左眼を後ろに付き従うララディアへ向けて合図を出す。
「ありがとうございます。———よろしければお近づきのしるしにこちらをお納めください」
シフレシカに促され、ララディアが所持していた魔法収納袋から宝石箱を取り出した。
差し出された箱を受け取ったシフレシカは、パンサールに見えるようにそっと箱を開く。
中には透明な石がひとつ収められている。
氷のように澄んだ石の内側で秘めた魔力が華やかに煌めく。
「こ、これってもしかして!」
飛び付かんばかりの勢いで宝石箱の中身に反応したパンサールに、シフレシカは頷く。
「アオノハーレーが浄化した魔導石、一等級。未加工のものです。パンサール様は競飛竜の浄化した魔導石を収集されているとか……これをお探しだとお聞きしてご用意させて頂きました」
「そう、そうなの!神殿や皇立魔法研究室が自然初空の飛竜研究だのなんだのと買い漁って手に入らない上に、貴族の方々は譲って欲しいとお願いしても誰も頷いてくださらなくて……っ、あ!」
頬を紅潮させ、興奮したように一息で語ったパンサールが慌てて口を抑える。
はしゃぐと年相応で可愛らしいなと、少女を微笑ましく思いながら箱を閉じて老執事に託したシフレシカに対し、決まり悪げに視線を彷徨わせたパンサールが独り言のように呟く。
「———あなた、わたくしが想像していたのと違ったわ」
「新参者が調子付いて悪目立ちをしていましたね」
社交界から遠ざかっていた家が突然精力的に外交を始めれば、頂点に立つものとして人となりを見極めたくもなったのだろう。
パンサールのこれまでの態度から推測したシフレシカの言葉に、言われた少女は複雑な表情で首を振る。
「そうじゃなくて。『あの』アオノ家の人間が競飛竜を、それも才覚のある飛竜を買ったと聞いていたから心配していたんですの」
「……それは先代バンデオールが競竜を遠ざけていたからですか?」
問いかけにパンサールは答えず、代わりに今まで含ませていた敵意や疑惑を排除した透明な視線を向ける。
飛竜の才覚を見抜く瞳で、シフレシカという人間を見極めようとするかのように。
「アオノ伯爵、あなたダリウス・ロン・ナハディをご存知?」
パンサールが脈絡なく上げた名前に、面くらいつつもシフレシカはダリウス・ロン・ナハディに関する記憶を辿る。学校に通っていれば子どもでも知っている名前だ。
「勿論です。逆鱗を持たぬ身で対飛竜魔法『安息』を習得し、月白教において唯一存命のまま聖人となった方、鋼の意志を体現する者……でしたか」
「……それだけ?」
「一般的な知識程度しか持ち合わせておらず、申し訳ありません」
「いいえ。ならば一つ忠告をして差し上げます。あなたがアオノの名を背負って競竜の世界に関わるならば彼の聖人について調べなさい」
競竜場ではいつの間にか予定されていた最後のレースが終わったらしい。
人々の熱狂の中を駆け抜けた飛竜達の姿を追想するように、閑散とした場内を静かに見下ろすパンサールを、夕陽が赤く照らし出す。
「彼はきっとわたくしと同じように———いえ、わたくし以上にあなたの飛竜を気にかけているはずよ」
競竜場へと顔を向けたまま、扇子を広げて視線を遮るパンサールの態度から、これ以上は聞き出せないと悟ったシフレシカはお辞儀をする。
どのような意図があったのか教えてはくれなかったが、彼女は彼女なりにハーレーを気にかけ、シフレシカを試したかったことはわかった。
「……ご助言感謝します」
深く下がったシフレシカの頭に、威厳に満ちた王者を思わせる高い声音が落ちてくる。
「ケラスース、わたくしのカイセイルメイが勝ちますわ」
それは自身の飛竜への絶対の信頼を滲ませた勝利宣言。
どう答えるべきか。
当たり障りない無難な返答を選びかけ、止める。
自身の飛竜に対して信頼を寄せているのはシフレシカも同じこと。ならば竜主として、こう答える以外にない。
「恐れながら、勝つのはハーレーです」
パンサールはこの世でなによりも飛竜が好きな女の子です。
ただし諸々の理由から飛竜の素質を見抜く相竜眼はギャンブルでは発揮されません。
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