12.紅炎と白銀のエチュード
やあ。精霊の流れ星、ジョスです。
また会えて、うれしいです。
このお話も佳境にはいり、なんだかジュリアンが大ピンチに!
ああ! ここの人たちはほんとうに身勝手だよ!
ぼくたちは、はやく家に帰りたいだけなのに!
この山場を乗り切ったら、う~んと甘い物を食べてやるぞ!
そのためにも応援よろしく!
それでは今回も、行ってみよっ!
かかとの高いハイヒールは、ジュリアンの爆走に耐えられなかった。
折れた拍子につんのめり、転びそうになって、ようやく立ち止まる。
そこは緑の濃い庭に面した、回廊のような場所だった。
着替えた部屋に戻るつもりが、いつのまにか通り過ぎてしまったようである。
このまま帰ってしまいたかったが、さすがにドレス姿で外に出る勇気はない。
しかたなく戻ろうとしたときだった。
壁となっていた植木の影から、一人の女性が姿を現す。
炎のような緋色のドレス──。
つややかな黒髪は豊かに流れ、存在感のある胸元の健康的なつや肌に映えている。
長身で堂々とした体格の良い圧巻の美女が、悠然と立っている。
その黒々とした瞳が、やがて驚いたように見開かれる。
ジュリアンを見つめる黒眼は、その胸元の一点、ターコイズに吸い込まれていた。
「おまえ、それは……」
うめくような声が唇からこぼれたかと思うと、美女は全身を怒りで染め上げた。
眉間に深い皺を寄せて、まなじりをつり上げる。
食いしばった口元からは歯ぎしりの音すら聞こえそうである。
いきなり激怒の様相をみせて、美女はつかつかと歩み寄ってくる。
驚いたのはジュリアンのほうである。
美女のあまりの豹変ぶりに、とっさに悪霊の憑依を疑ったほどである。
反射的に腰に手をやり、しかしドレス姿の今、愛用する短剣がないことに気づく。
数歩、後じさるが、ヒールが折れた足元のバランスが悪い。
いっそ脱いでしまいたいが、足首にリボンで固定されていて簡単には脱げない。
「……それは私のものよ。よこしなさいッ!」
「えっ?」
胸元に伸びる手を払い落とすと、一瞬、信じられないといった顔になり動きが止まる。
だが、次の瞬間には、まさに悪鬼のごとき形相で、ジュリアンにつかみかかってくる。
「おまえは、何なの! どこから出てきた、この雌ギツネ!」
「いえ、あの……。ちょっと、落ちついて。何を言ってるんですか」
「うるさい! おだまりっ! それをよこしなさい!」
なりふりかまわない突撃は、令嬢とは思えないご乱心ぶりである。
かわして振り払うが、体格も良く勢いがあるせいかものすごいバカ力である。
ケガをさせる訳にもいかず防戦に徹するが、裾の膨らんだドレスは動きづらい。
そして足元がおぼつかない。
「このドロボウ猫! このブサイク女! このウジ虫めが!」
「あぶないですよ! いきなり何ですか。少し落ちついて下さい!」
「それをこっちによこせッ!」
「よこしません! これはあなたの物じゃないでしょう?」
女の狙いが『天空の女神』らしいことは、さすがに理解できた。
しかしこの狂乱ぶりは理解できない。
落ちつかせるために、いったん渡した方がよいのだろうか。そんな考えがよぎる。
だが『天空の女神』様は悲鳴を上げて、絶対にイヤだとおっしゃっている。
その気持ちは、ジュリアンにも理解できた。
この狂気の美女こそが、ノディの恋人ラシャーナ・ローリー、その人なのだろう。
別に悪霊に取り憑かれているわけではない。
信じられないが、これは彼女自身の執着心がなせる行動らしい。
聞くに堪えない罵詈雑言を吐きながら、掴みかかってくる女。
己の欲望を、力ずくでかなえようというのか。
そのあまりの稚拙さに、ジュリアンは眉根を寄せる。
暴力には暴力でもって制していいのでは?
多少腕に覚えのあるジュリアンは少し考えるが、いや、やはりダメだと、結論づける。
相手は貴族の女だ。後々がめんどうくさい。
せめて目撃者が現れてからでないと──。
ラシャーナの叫びを聞きつけ、血相を変えて最初に現れたのはノディだった。
だが呆然として、ジュリアンに掴みかかろうと狂態をさらす恋人を見つめている。
相手がころばないようあしらいながら、その手を払っていたジュリアンは目を細める。
この女を取り抑えてほしいのだが……。
完全に頭に血が上っている女は、周囲の状況が全く見えていない。
いまいましい目の前の女から、むりやり『天空の女神』をうばうことしか考えていない。
つかめそうでつかめないターコイズを追いかけ、がむしゃらに手を伸ばす。
いらだちに気も狂いそうになったとき、フッと目の前に青い輝きが現れる。
残された片方のヒールが折れ、ジュリアンの体勢がカクンとくずれたのだ。
胸元で弾んで飛び上がった宝石に、赤い爪の光る指先が伸びる。
そのてのひらが冷たい石をつかみ取った瞬間、容赦なく力任せに引っぱる。
ジュリアンが傷つくことなど、一切おかまいなしだ。
ピンッと張ったくさりは、首筋が傷つく前に小さな白光球が触れ、するりとほどける。
その感触にいぶかしむ間もなく、目的の石を手に入れた女は、文字通り狂喜乱舞した。
その場でクルクル回って、両手を胸に当て、続けてこれ見よがしに天に差し出す。
「あははははははっ! ついに手に入れたわ! これは私のものよ! 誰にも渡さないわ! あははははっ!」
なんとか体勢を立て直したジュリアンは、その異様な光景に目を見張った。
騒ぎを聞きつけ、メイドや下働きのものをはじめ、キャロル夫人までが顔を出している。
なのにまだ、手にした宝石に有頂天になってはしゃいでいる。
声を上げて、ひとり笑い、踊り狂う。
周囲からの驚き呆れた、冷たい視線を集めている状況には、まったく気づいていない。
ジュリアンも驚き、そして感心した。
あらためて父の言葉を思い出したのだ。
女は石に魅入られ、取り憑かれ、魂を奪われる
だから流星の魔道士にはなれない
だけど最高の声の聞き手となれる
囚われないよう、手元に置ける流れ星は、一つだけ
その他は荒野に返すか、世に放つか、石の声に従うか
彼女は石に魅入られたのだ。
『天空の女神』にその意志はなくとも、石に魅入られ、魂を奪われたのだ。
でなければ破滅をもたらすような、こんな狂乱に身をまかせられるはずもない。
うわぁ! なんだか大変なことになってきたよ!
なんでこんなことになったんだ?
『天空の女神』じゃなくて、ほんとうは『災厄の疫病神』じゃないの?
やっぱりタイトルは「流星の魔道士と『精霊の流れ星│(ジョス)』」
に、すれば良かったんじゃない?
次回第13話『女神の懲罰』
いやいや、疫病神だって……。