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あなたの書くお話が好きだから

作者: いまっく

夫は中規模な出版社に勤めるサラリーマン。

毎日妻に見送られて出勤していた。

趣味らしい趣味は特にないのだが、忙しい仕事の合間をぬって愚にもつかない小説を書いている。

楽しみなのは、出来上がった小説を妻に読んでもらうことだ。

感想を聞き、妻の意見を参考にして加筆修正する。

完成したらその都度適当な懸賞に投稿するのだが、一次審査は通るものの未だにこれといった賞はもらったことがない。

三人の子供をもうけて、慎ましいながらも小さな幸せに包まれた生活を送ろうと思っていたさなか、妻が病気になった。

医者の見立ては無情なもので、予期せぬ余命宣告を受けた。


余儀なく入院となった妻のもとへ、毎日見舞いに行くのが夫の日課となった。

妻の容体は別段変わった様子もない。退屈そうな入院生活を送っている。

病室に設置されたテレビはつけっぱなしだが、特に見ている番組もなさそうだ。

新聞や週刊誌などへは目を通さない。

夫は、妻が入院する以前同様、短編小説を書いては妻の病室に持っていった。

そんなときにはいつも、妻は夫の書く小説を興味深そうに読んでくれた。

そのうち、夫の書く小説の新作を待ち切れず、夫が過去に書いたものを何度も読み直すようになった。

作品のなかには、子供達が小さかったころに書いた童話もある。

夫は尋ねる。


「そんな古い作品読んでるんだ。むかし書いたのってストーリーはめちゃくちゃだし、文章も下手でつまんないでしょ?」


妻はいつもこう応える。


「ううん。とっても面白いわよ。わたし、あなたの書くお話が好きだから」


長いこと入院生活を送っていた妻の容体が(かんば)しくない。

時々遠くを眺めるようになった。自分の死期をうっすらと悟った様子だ。

気弱になった妻が(ささや)くよう夫へ伝える。


「あなた。私が死んだら、お手紙を書いて棺桶に入れてね。あなたは、お手紙を書くのとても上手だから楽しみよ。冥途のお土産にお願いね」


夫は目頭が熱くなり、唇をかみしめる。


「分かったよ。それだったら今日書いて明日見せてあげるよ。冥途の土産でもいいけど、生きているうちに読むのもいいでしょ。何度だって読むといい。今までだって僕の書いた小説を何度も読み直していたじゃないか」


夫は自宅へ帰ると最後の手紙をしたためた。

翌日、書きあがった手紙を持って妻の待つ病室へとやってきた。

妻の寝るベッドのそばに座る夫。

妻は薄く目を開けた。


「大丈夫かい。手紙を書いたよ。僕が読んであげる」


妻は小さくコクリとうなずく。

夫は自分の書いた手紙を取り出すと、静かに読みだした。


「今を生きているキミと、冥途へと旅立つキミへのお手紙。キミに初めて出会った時のことを昨日のことのように覚えています。あなたはとても大人しくて、お人形さんみたいに可愛かった。若いキミは僕の話すつまらない話でも一生懸命聞きいってたね。あるお祭りに行ったとき、縁日の屋台で買った指輪をキミの左の薬指にはめてあげました。とても喜んでいたね。結婚式は霞が関ビルの式場で上げました。新婚旅行はカナダに行きましたね。エメラルド湖のほとりで出逢ったリスのウィッキーは子孫をいっぱい増やしていることでしょう」


夫は一呼吸入れる。

妻は目を閉じ聞き入っている。


「結婚してすぐに子供ができました。とてもかわいい男の子です。今は俳優として頑張っているみたいですね。二人目は可愛い女の子。ぷくっと膨れたほっぺが愛くるしい。とても有名な大学へと進学し、今はいっぱしのシステムエンジニアです。三人目は才能あふれる男の子。全国でも有名な芸術家になるとは思ってもいませんでした。思い起こせば三人の子供たちはみんな気持ちが優しくて才能にあふれていましたね。小学校・中学校で行われた作品展ではとても楽しませてもらいました。家事に育児に忙しい日々を続けていたキミだけど、子どもたちも大きくなって一段落したら、頑張り屋さんのキミは仕事に精を出し始めましたね。資格を取るための勉強を毎日一生懸命やっていた姿は、今もはっきりと思い起こされます」


妻の目尻から一筋の涙がうっすらとこぼれる。

夫は続ける。


「多分僕は長生きだから、あと20年は生きると思う。そうすると、今度キミと会えるのは20年後だね。次に生まれ変わるとすると、僕はキミの赤ちゃんとして出会うことになると思う。そうしたら、お願いなんだけど、僕が大きくなってイタズラしたり失敗したときはあんまり強く怒らないでね。あと、冷蔵庫に入っている食品の賞味期限に気を付けて。あと、開けたビンのフタをしっかり閉めて。それから、サランラップはしっかりと密閉するように(おお)ってね。それから……、それから……」


妻は小さな寝息をたてている。微笑みながら静かに眠りについた。

気持ちよさそうに眠っている妻を見つめながら、夫はそのまま席を立つ。

帰りぎわ、病室のドアを閉めるとき、夫の目から自然と涙があふれ出た。


次の日の早朝、病院から緊急の電話があった。

今朝がた、妻の心拍が急に弱まり、そのまま息を引き取ったそうだ。

病院に駆けつけると、夫が書いた手紙を手にして、妻は安らかに眠っていた。

顔にかぶせられた布をめくると、妻の安らかな寝顔に出会えた。


夫は「お疲れさま」と言いながら、妻の唇に自分の唇をそっと合わせた。

夫の目から(こぼ)れ落ちた涙が妻の手元にある手紙に落ち、にじんで消えた。

妻のわずかに開いた口元から、かすかな声が聞こえたような気がした。


「あなたの書くお話が好きだから」


            終わり


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