第八話
巨大な蛙の形をとるドラゴン、ムーンバールは、自分が何に惹かれてこの様な辺境までやって来たのか、理解するには至らずともただ待っていた。
「なんだか黄昏てますね。私達など眼中に無いようです」
「うーん、こいつが最初のページかあ?
いや、どうなんだ実際」
「先ほど居た方々はムーンバールと呼んでいましたから、きっとよく知られた存在なんでしょう。
レンガさんは自分の図鑑にあの子を載せたいと思ったんですか?」
そう言われてしまえば悩みも氷解する。
載せたくはない、というのがレンガの本音だった。
確かに気になる存在だが、誰かに見せたくなる様なものではなかった。
「やっぱいいや、魔法を使うドラゴンってのは興味あるが、それが珍しいって訳でもないらしいし。
人もはけたし深部とやらを見に行こうぜ」
「はい」
ムーンバールの横をあえて横切る二人だったが、依然として反応は無い。
ここまで無視されるとかえって気が楽だった。
同じような景色に囲まれた森の中で、深部への正道を見つけるのはそう難しくない、暗がりへ進むだけである。
木々同士の間隔は拡がっているが、高く濃く茂る青葉によって、日の光はどんどんとその光量を減らしていた。
脛に当たるほどの高さだった地面の雑草も段々と消え、気付けば辺りは少しの緑と土景色。
空から見れば樹海そのものの、薄氷の森の深部、入ることが禁止されているその場所へと、二人は何の躊躇いもなく足を踏み入れた。
「おいおい、こいつぁまた随分とやったな」
「見境無し、ですね」
足を止めた二人の視線の先は、一見すれば同じ様な太く長い木が間隔を置いて生えているだけの様に感じられる。
だが、二人は"それ"が何かよく知っていた。
幾度となく仕掛け、仕掛けられたものだからこそ、慣れ親しんでしまった。
「足の高さに引かれた鋼線の方は囮か。
本命は頭上の待機状態の魔方陣」
「原始的な罠から魔法を幾重にも張り巡らせた戦術的な仕掛けまで……。
これで自然保護区などよく言えたものですね」
憎々しげな言葉とは裏腹に、レンガもリーシャも笑顔である。
至るところに仕掛けられた罠の数々を見破ってなお、悪意に怯むことはない。
「壊すか、騙すか、作り直すか」
「私には選択肢がありませんので、レンガさんにお任せしますよ」
一応リーシャに問うてから、レンガは握っていた漆黒の杖に魔素ではない何かを込める。
これが魔力となっていたならば、木々はざわめき森は震えただろう。
「消えてもらおう」
見えない銃を、その手に握る。
引き金は瞳で、銃身は両腕。
放つは魔穿つ神の杭。
「『現・出石桙』」
不可視の何かが射出され、深き森の奥へと消える。
音も無しに少しの衝撃波が駆け抜け、再び静寂が訪れた。
「魔法使いも、賢者も、魔王も。
全くもって、なっちゃいねえ」
「…………」
「行くぞ」
リーシャは彼のその力を初めて見たわけではない。
それでも、この世界と理を異にする能力を目にして驚きが無いという訳ではなかった。
150年間の殺し合い。
二人は死力で、手を抜かず、極限まで奪い合った。
腕を飛ばし、足をもぎ、心臓を穿った。
殺すには至らずとも、臓腑の一つや二つ見せびらかし、名も無き平原を赤く染め上げた。
だが、それでも手の内を全て見せたわけではない。
切り札というものは最後の直前まで懐に隠し持つものである。
底の見えない力量を相手に、二人はそれぞれ最善の一歩手前で窺っていた。
押し退け、詰め切り、最大の隙を見せた時に撃ち込む為の最大最強の一手。
それは、未だに互いに見せてはいない。
(この世界で、見ることは出来るのでしょうか)
リーシャは腰に差した剣に一瞬だけ目を向け、歩きだしたレンガの背をすぐさま追う。