第六十一話
「なんだ、やっぱりいるもんだな」
レンガ・ヴェスペリアが見下ろす下界では継ぎ接ぎの竜に相対する勇猛なる戦士達。
「そりゃそうか。もしかしたら俺も要らなかったかもなあ」
先ほど見た夢はあくまで夢である。
極限まで未来に肉薄した内容であれど、結局些細なことの弾みで変わる世界もあるだろう。
「そんで、なんで俺は拘束されてんだ?」
レンガは宙に揺蕩っていた。
見えないソファに腰掛けるように、揺りかごに寝かされている。
その腹を貫くは巨大な四本の透明な直剣。
頭上と足元には蓋をされ、光網の鳥籠が形成されている。
同じく宙に立ち囲う術師は八人、誰もが脂汗を流しながら封印の維持に命を燃やしていた。
「……驚きました。まさか口を動かせるとは」
「あん? そりゃあ、俺のダチが考えた術だからな」
鈴の付いた杖剣をレンガに差し向けて鳴らす男。
恭しい語り口とは対照的に警戒心を隠そうともせずレンガの一挙手一投足に全神経を注いでいる。
儀礼用の軍服を纏うその肉体は四十を過ぎてなお全盛を忘れず、この場にいるどの名奪兵よりも洗練されていた。
「…………大捕物、などと安っぽい言葉で表すのはいささか不敬ですねえ。
このような形でお会いするとは」
「なんだ、有名人か。俺は」
「ええ」
杖剣の柄に込められた魔力が会話の中で放たれ、レンガの拘束を一層強める。
無理矢理動かそうとした右手の小指が弾け、宙に赤い飛沫を残す。
古い呪いの魔法。大戦争時代の遺物だ。
「『愚神たるヴェスペリア』
古くよりバレンディアに根差す者達ならば皆がそう呼びますよ」
「…………」
「かの『星傷の大戦』を引き起こした張本人。
歴史の大罪者があなたです」
身に覚えが無くはない。
が、どうやら全てが自分のせいになっているような気がする。
自分達が別次元に幽閉された後、何が起こったのかはわからない。
わからないが、随分と色々"やってくれた"ものだとレンガは素直に感嘆し、呆れていた。
「そんで? 教科書に載ってる偉人を閉じ込めて遊んでんのか?」
「国家の存続に関わる最重要機密ですから。
妄りに好き勝手彷徨かれては困るのですよ」
残念ながら歴史の教科書には載っていないらしい。
ケチな編纂者も居たものだ。自分はこうはなりたくない。
そんなことを考えていれば、今度は左手の甲から血が吹き上がっている。
激痛が走り、ついつい渋面を作ってしまう。
「もはや大賢者はおらず、再封印は見込めません」
「で?」
「『鍵の魔法』を使います」
そんな魔法は知らない。おそらく自分が居なくなってから作られたのだろう。
興味半分にレンガが見ていれば、一人身綺麗な軍服を着る男は手に持っていた杖剣を逆の手に握っていた脈打つ物体に突き立てる。
「獣……いや。竜の心臓か」
「触媒無しに使える術ではありませんから」
男の後ろに控えていた名奪兵が四人、その身には呪具、神具といった物々しい類いの装飾品がいくつも散見される。
彼らは皆一様に両手を伸ばしありったけの魔力を脈打つ物体に込める。
封禁十六法の内の一つ、『鍵の魔法』。
ありふれた名前のその魔法は、古くより誰もが夢見た禁術のある種の到達点である。
「閉じますよ」
男の厳かな声に呼応し、幾百の魔方陣が宙にばら蒔かれレンガの周りを囲う。
レンガの眼にはその魔方陣を読み取ることは出来ない。
記述されている文字があまりにも少ないそれは、やがてその効力を身を以て知ることになる。
「永遠の証明か」
「ご明察。と言いたいところですが、僅かに違います。
これは魔方陣の不壊術式。魔素の劣化も移動も行われない、恒久的な固定化です」
それは壊すこと能わず。
滅びを知らない無限の魔法。
鍵を閉めて、時を止める神代の奇蹟。
「あなたは滅びない。あの時代の頭のネジが外れた人間兵器達でさえ滅することが出来なかったもの。
ならば留まって頂くしかない。鍵の魔法はそのために作られたのです」
口から血を流す男、中央懲罰隊『容赦室』室長キリアス・レイジュは身体を巡る不快感に耐えつつ目の前の金眼の男を睨む。
禁忌の魔法の行使、それは生まれついての才能を持つ者が複数人の優れた補助役の力を借り我が身を省みないことでやっと可能になるものだ。
それは重々承知していたが、やはり負担は大きく。
口惜しいことに、最終の封印の中に閉じ込められた筈の歴史の遺物の方が余裕そうに宙にもたれ掛かっている。
だがこれでやっと肩の荷が降りた。
旧帝国の残した負の遺産。
いつか再び蘇るであろう、無限の魔法を解き放つ愚神ヴェスペリアの滅封。
生きている内に来るかもわからない役回りは、来るべき日に来た。
老書院でただ死を待つ古い年寄り達に良い報告が出来そうだ。
「…………まもなくこの空域は封鎖されます。
四番から九番までは引き続き監視を。
それ以外の者は付いてきなさい」
今すぐにでも倒れ込みたい欲求を押さえ付け、レイジュは任務の遂行を継続する。
レンガは閉じ込められた世界で魔法を感じていた。
消耗とは分離である。
時に流れて欠け落ちれば機能を失い、魔法もそうでないものもやがて意味を失う。
今回の場合、縛る縄が緩んだり千切れたりすることを防ぐために、縄を構成する全ての分子、あるいは素粒子自体をその空間に固定する荒業、それが鍵の魔法だった。
それは時を止める方法に迫るものであり、未だ叶わない神秘の一つ。
自分を囲う魔方陣一つ一つをつぶさに観察したかったが、目の前にいたお喋りの相手は何やら撤収気味だ。
一時の感情と快楽に身を任せれば過ぎ去る時間の重みというものは、よく身に染みていた。
確かにこの封印はよくできたものであった。
ただ一つ、至らなかったのは、理を知らなかったこと。
「魔法なんて数ある奇蹟の内の一つだ、ってな」
振り向いたレイジュが見たのは既存の魔方陣とは体系を異にする奇妙な文字の羅列だった。
どこからか溢れだした人形の白い紙。
それらが集まり剣を成し、封印の上からレンガを突き貫いた。
「……ッ! 総員、封禁魔法の用意!」
貫かれたレンガの腹には大穴が空き、檻の中で血飛沫が破裂する。
やはり鍵の魔法はそのままであり、依然として封印は完成している。
だが、レイジュの脳裏にはあらぬ考えばかりが漂っていた。
そもそも無数の封禁魔法の併用とそれを鍵の魔法で固定している現状、内からの事象の改変は元より、外側からの改変も不可能な筈だ。
それがどういうわけか、今しがた生まれた紙の刃は檻の中の愚神を貫き殺傷している。
やがて生まれたのは知った系統の魔方陣。
だがそれは、知ってはいても自分が使うことも、そして他者が使っているのを目にすることもない、特異な魔法の筈だ。
「に、『贄の魔法』…………?」
名奪兵の一人が魔法を構えたままにそう呟けば、全員の疑惑が確信に繋がる。
絶大な改変力の増幅を可能にする、誰もが使える簡単な魔法。
それが贄の魔法だった。
だが、誰も使わない。
当然だろう。腕を、足を、両目に心臓を。
己の一部位を触媒とするそれは、どれだけの狂戦士であっても好んで使いはしない。
「愚かな神のヴェスペリア、か。
まあ否定は出来ねえな」
死体から声がする。
否、それは既に死体ではない。
狭い檻の中で揺蕩う肉体に傷など無い。
自分の命を捧げた贄の魔法。
そしてその増幅力だけを取りだし、またその肉体を傷付ける。
迸る痛みが、欠けていく肉体が、全てが檻の中で転化され、膨れ上がっていく。
「全部失くしたしな。馬鹿の見本市だ」
笑いかけ、そしてその愚神は両腕に握った長く先の尖った杖をそれぞれ交差させるように自分の胸へと突き立てた。
その口からは白い血が漏れ、貫通した背からは汚れた杖の穂先が飛び出している。
理解に及ばず。ただ困惑し、後ずさる者もいる。
レイジュですら固まらざるを得ないほど。
「まあ、昔のことはいいだろ」
突き抜けた杖はやがて神樹となり、枝葉に実り、花を成す。
それはまさしく翼であり、それ以外の何物でもない。
絶大な力場の発生により空間が歪む。
時さえ滲むほどの破壊圧。
鍵の魔法による封禁魔法の固定化は解除されていない。
だが、檻は確かにひしゃげ、その意味を成していなかった。
発生した歪な空間から、それは気だるげに現れた。
「仲良くしようぜ。同じ人間だろ」
レイジュと名奪兵らは、人を名乗るその歪に恐怖と、そしてとある感情を抱く。
それは畏敬。
女神を信じ、人も魔も竜をも恐れぬ彼らにとって、それは夢のような邂逅であり、悪夢の始まりであった。




