第五十九話
魔力とは人の意思に従う奴隷である。
人間も魔族も問わず、その深層意識により命じられた機を遂行する力。
魔力が身体に馴染めば手足を動かすにも補助が得られ、身体を覆うそれはやがて鎧となり、振るう武器には力が宿る。
当然魔族はその比重が大きく、ゆえに突然魔力が奪われることなどあれば、その身体への負担は人間のそれよりも随分と大きなものになる。
エスベルグ全域に突如として発生した魔素異常。
力場の障害たるそれは相手を選ばず掻き乱し、今この場所で魔法を使える者は誰一人としていなかった。
「やはり喚石はそのままなんですね。
地に還俗する以上私と根源を同じにするのでしょうか」
その金髪の女は誰に話しかけているのか。
独り言には思えないが、今彼女の周りにいるのは膝をつく魔族の兵士と恐怖に支配された人間の奴隷だけである。
ここではない誰かへの問いかけに返ってくる答えなど無く。
「なに、を……、貴様……!」
「え? ああ、"返してもらった"だけですよ。
"元々あなたのものじゃないでしょう?"」
地を舐める魔族の兵士には頭上からかかる言葉の意味がまるでわからない。
突如全身から失われた自分の魔力。
それをまるで借り物のように言われる筋合いなど到底無く。膝をつかされる屈辱と腹の裡に溢れる殺意から魔族の士官は冷静に結論を急ぎ、バレンディア王国の送り込んだ尖兵と決め付け対策を練る。
だが、魔力が無いためか頭が上手く回らない。
手に力は入らず、腰は重い。
そしてそれは程度の違いはあれど、辺りの人間も同じようだった。
(広域魔法か……!
いや、そもそもこの異常地帯で魔法は作用するのか……?
何が起きている……!?ジルヴラド様に通達せねば!)
そんな思考も横を通りすぎた足音に踏み潰される。
命が掌握されている。
じわじわと這い上がる恐怖に歯が噛み合わなくなる。
「殺しますか」
軽い提案に異を唱える声は無い。
鞘から剣を抜く音が聴こえる。
これは多分、人ではない。兵器だ。
慈悲も遊びも容赦も無い。
殺されたくない。
その場にいた魔族も人も、皆一様にそう考えた時、
ドラゴンの咆哮が星道公園に響いた。
「……ああ、あなた達は平気でしたね」
魔族の秘法により従えたドラゴン。
倒れ伏す兵士達は皆その声に勝機を見出だした。
どういうわけかこの術は空を飛ぶものには効かないらしい。
そしてこの絶大な力を行使する術者は満足に動けない筈だ。
ならばこそ、このままドラゴンに噛み殺されるか、あるいは術を解き自分達に殺されるか。
好機であった。
翼のはためく音が一つ、また一つと増える。
かの術者がどのような顔をしているのか、そしてそれを踏みにじればどれだけ気分が良いか。
魔族の兵士らは魔力の枯渇に苦しむ中でそれだけを考えていた。
戦いの音が聴こえる。
地を這い、魔族の兵士らが無理矢理身体を上げた時、
そこには死体が転がっていた。
ただ、人のものではない。
薬と魔法で縛り上げ、飼い慣らしてなお手に余る強大なドラゴン。
彼らの骸だった。
「……い、いや…………。来ないで……!」
それは魔族ではなく人間の女から発せられた。
剣についたドラゴンの血を払い、赤い海を渡るその女の姿は人でも獣でも、ましてや魔族にも見えない。
美しくも無慈悲なその鉄の表情は、確かに神のものだった。
公園の外から声が押し寄せる。
それは足音であり、戦士の雄叫びでもあった。
「みんな!今の内だ!」
「平気ですか、皆さん!
……こ、この屍は……!?」
あまり手入れのされていない武器を持った男らが十人余り。
広い公園のこの中央へと押し寄せてきた。
普段着と思われる服には返り血がべっとりと付き、戦いのあとを思わせる。
「じ、自警団の方々!?」
「おう!どういうわけか魔族どもが苦しんでやがったから一泡食わせてやろうかってな!
それが今じゃどこも奪還出来ちまってる。
全く、神様ってのは見てるもんだな!」
口ひげを蓄えた男の声に、星道公園にいた人々は僅かに苦い顔をする。
今しがた目にした神の奇蹟なるものは、とてもではないが温かく迎え入れられるものではなかった。
だが、救われたのは事実だ。
「とりあえず縛り上げるぞ!」
「おう!」
魔に依存する者は魔を奪われれば何をすることも出来ない。
個で劣る人間相手に要素を一つ失っただけで手も足も出なくなる。
それを象徴する事態を棒立ちでリーシャは眺めていた。
「……なあ、アンタこの街の人じゃないだろう?」
大斧を持った男が恐る恐る尋ねる。
血の海に立つその姿相手では仕方の無いことだった。
「はい。私は王都からの援軍です。
先程の別動隊の魔法により魔族だけを無力化し、私はこのドラゴンの始末をしました」
口からでまかせを述べるリーシャ。
考え無しについた嘘ばかり吐けばいつかレンガに叱られそうだ。
そう思い、そして思い返せばあの男も息をするように嘘をついていたのを思い出し、脳裏に浮かんだ赤黒髪の金眼を斬り伏せる。
仕方の無い相方を目蓋の裏で賽の目にし終わる頃、星道公園の星樹の周りには捕らえられた魔族が並べられていた。
後ろに回された両腕は荒縄できつく縛られ、足首も同様に動かすことは出来ない。
そうでなくとも魔力不足により彼らは満足に動くことは叶わなかったが。
「いやあ、助かったぜグリアノスの精鋭さんよ。
閉じ込められてた街長さんも解放されたらしい。あんた恩人だよ」
リーシャの前にはいつの間にか人だかりが出来ている。
赤目は隠した方がいいかもしれないと考えた彼女は伏し目がちに称賛の声に応対し、エスベルグの人々はこれからのことを考える時間となっていた。
虐げられていた人々はもはや自由だ。
中継点とされている以上魔族領からの敵の援軍の出現も予測されるが、彼らは不思議な全能感に背を押されていた。
『神は見ている』
『自分達はその庇護下にある』
絶体絶命のさ中救われれば誰もがそう唱えるのも無理はなかった。
そしてそんな中、それは唐突に始まった。
星道公園から子供がいなくなった後、
響いたのは魔族の変わった悲鳴だった。
熱した金属の串を舌に突き刺す。
一人、また一人と声にならない声を上げ、男女を問わず痛みに悶える。
「あの、これは何を?」
不思議に思ったリーシャが近くにいた自警団の男にそう尋ねる。
恩人の質問とあり、彼は嬉々として答えた。
「魔封じですよ!
彼ら魔族はその魔法を使う時、多くが詠唱を必要とします。
だからああして舌を伸ばした状態で鉄串をつっかえにすることで詠唱を封じるんです」
なるほど、聞いてみれば中々合理的ではあった。
魔族を殺さずに無力化するには悪くない手だ。
リーシャはそう素直に感じた。
悲鳴が響く星道公園。
良い頃合いと思い、リーシャは王都へと帰ることに決めた。
今頃は彼が楽しくやっているのだろう。
その隣に居たかったが仕方が無い。
祭りはまだ終わっていないのだ、土産話を手元に、たまには"あの力"でも頼ってみよう。
そう腹積もりを決め、リーシャは最後にとある質問をしてみた。
「これからどうするんですか?」
その問いは、物騒なものではなかった。
街の機能は維持されたまま占領されたと言えど失われた物は多い。
復興が必要な景観も多く、亡くなった人もいるのだろう。
これからの身の振り方も彼らは考えるべきだった。
王都グリアノスからの兵士頼りではなくある程度の自衛手段は持たなくてはならないだろう。
そんな、軽い世間話のつもりだった。
「そりゃあもちろん皆殺しですよ!
一人ずつ仲間の前でいたぶるんです。
切り落とした腕なんかは燃やさずに纏めて魔族領に投げ落とすんですよ。
指輪とかアンクレットはそのままにね!」
息を巻いて、嬉しげに。
よくある顔の、一般市民の彼はそう答えた。
・・・
「ねえ、レンガさん。
これでよかったんですよね」
エスベルグの街を囲う門壁を出て、王都側に伸びる整備された街道にリーシャは立つ。
今頃あの街では拷問の真似事が行われているのだろう。
一度地に還された魔力は簡単に戻ることはない。
捕らわれた魔族の反撃など見込めはしないだろう。
当初の目的であった魔方陣の破壊もとうに完了している。
人はもう苦しむことも、死ぬこともない。
あくまで、人は。
「神様なんて、馬鹿みたいですよね」
その身体に浮き上がった紋様が強く光る。
リーシャ・マナガレウスはその身に魔力を宿していない。
これは是である。
彼女は誰しもが持ち得る当然のそれを一切保有していない。
リーシャ・マナガレウスは魔法を行使出来ない。
これも是である。
魔力を持たない以上それを変質させることで可能となる事象の改変は起こり得ない。
ならばリーシャ・マナガレウスは奇蹟に依る世界への干渉は不可能なのか。
これは否である。
150年前。
彼女は魔力を捨て生まれたと誰もが思っていた。それは当のリーシャ本人であっても。
ただ一人、レンガ・ヴェスペリアを除いて。
愛の魔法によって生まれた人間紛いの神擬きは、必ず魔法に似た何かを持って生を受ける。
山火事による大量死からは神炎使いが。
大嵐からは神風使いが。
ならば星降りの夜に生まれた彼女が持つ力とは。
「『星渡り』」
リーシャ・マナガレウスは魔法を使えない。
なぜならば、その力は魔法などとうに超えているから。
誰よりも硬く、何よりも速く、いずれよりも強く。
それは星の化身たる神の本性。
大地そのものから力を供給され、ただの移動のために星のエネルギーは消費された。




