第五十八話
『灰の街エスベルグ』
三万と少しの数の人々が暮らす、バレンディア王国の元属州である。
百年以上前、魔族とバレンディア王国に挟まれる形となっていたエスベルグ州は、バレンディア王国側の旗下に入ることで対魔族の防衛における手段を獲得した。
失ったものはあれど、元々魔族領にかなり近い飛び地ということもあってか、王国という大きな後ろ楯の存在により人の流れは活性化し、優れたガラスの加工技術による工芸品を求め訪れる人は多く、喚石の供給も相まって人々の暮らしぶりは随分と豊かになっていた。
ただの文化都市というわけではなく、その地理的な側面から対魔族の要衝として扱われる節もある。
街には常にバレンディア王国軍の精鋭らが駐留し、また、有事であればすぐさま王都グリアノスより援軍が寄越される手筈になっている。
魔法的な防衛術も幾重にも仕込まれており、街そのものが巨大な要塞と化しているのが実情だった。
そんなエスベルグは、今魔族の手に落ちていた。
それも恐ろしい程に呆気なく。
不定期に訪れるバレンディア王国軍の派遣兵の入れ替えのタイミングが、なぜか魔族側には筒抜けであり、その隙を狙われた。という随分と間の抜けた間隙に基因していた。
突如として街の上空に現れたドラゴンを駆る魔族の兵士。
防空結界はなぜか作動せず、少ないバレンディア王国軍の兵士達は果敢に戦うも、程なくして散った。
外部への連絡は不思議とつかず、幾度と無く行われた訓練の成果は欠片も出ること無く占領は完了した。
すわ皆殺しかと思われたが、侵攻軍である北南同盟と名乗る魔族らはこの街を補給地点にするとし、過度な街の機能破壊を嫌った。
結局人々は半ば軟禁状態のまま労働を強いられ、同胞を殺す手助けをさせられている。
「手を止めるな」
「で、ですが……、息子が……!」
エスベルグ星道公園。
中央に植えられた巨大な樹、そこから放射状に伸びた園道と、その脇に植えられた花々。
街一番の名所であり、普段ならば観光客で賑わうその場所は、今や武器防具があちらこちらに転がる半ば戦場のような物々しさを放っていた。
星樹には魔族の手で奇妙な魔法がかけられ、昼間ですら目に痛い程の光を不思議なことに放ち続けている。
そして、その樹に絶えず魔力を供給するのはエスベルグの人々である。
それが何の意味を持つのかもわからずに。
「倒れたから何だと言う。
母親ならば肩代わりするくらいしてみせろ」
「息子は元々、体が強くないんです……!
少しの時間でいいから休憩を──」
硬い足甲で蹴り上げる。
やつれた人間の女は成す術もなく石畳を転がり、身体を丸めむせる。
横たわっていた少年が苦しげに目を開き、辺りの人もまた唇を強く噛み、やがて目を逸らす。
魔族の支配下にあるエスベルグにて、こんな光景はもはや日常であった。
「丁度良い。動きの鈍る貴様らの尻を叩くには良い機会だ」
その場を取りまとめる魔族の兵士がその手甲に紫の光を蓄える。
揺らめく炎。その獰猛さ。
その矛先は倒れ込む少年とその母親に向けられていた。
「家畜に劣る身で家族の真似事などするからこうなる。
よく見ておけ。道を外れた獣たち」
そっと放たれた青紫の炎はやがてその親子を焼くのだろう。
骨身すら残さず、残酷に無慈悲に。耳に響く悲鳴だけを残して。
そう考えれば、人々は皆目を瞑る。
耳はふさげなかったが、それでもいくらかいいだろう。
だから彼らは見逃した。
片や魔族の兵士達はその光景をにやにやと眺めていた。
だから見逃さなかった。
瞬きすら許さぬ間にこの星道公園に降り立った金の光を。
「魔族は人と獣の区別がつくんですね」
私にはよくわかりませんけど。
そうつまらなさげに言って、それは一歩踏み出した。
魔族の兵士らは武器を取るのも忘れ棒立ちしていた。
燐光を帯びる金の髪。
静かに灯る赤い瞳。
そして、黒いドレスから露出する手足に刻まれた荊のような淡い紋様。
神を嘲笑う者達でも目を奪われる、威光にて。
その瞬間、エスベルグの街から全ての魔力反応が消失した。




