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第五十七話

天の光を落とし込んだ長い金の髪。

血よりも赤い両瞳。

黒いバトルドレスに身を包んだ、少女と女性の中間にあるその美しき容貌。


リーシャ・マナガレウスは空を駆けていた。

魔法のかかりが極端に悪い身体に八重に翼の魔法をかける無理矢理ぶりである。

どこへと言えば、それは程なくして誰かの悪意により滅ぶこととなる街、『エスベルグ』にであり。

何のためと言えば、街に仕掛けられた魔法を破壊するためだ。


リーシャはまだ見ぬエスベルグの人々に対して思い入れなど無い。

もっと言えば、一ヶ月一年住み込み、それが滅ぼされたからと言っても仄かな哀愁以上の感情は覚えないだろう。


人の死に鈍感であれ。

人の痛みに無関心であれ。

そう願われ造られたのだから、こればかりはどうしようもない。


だから今彼女の脚を動かすのは、これから消し飛ぶことになるエスベルグの人々のためでも、それを占領している魔族のためでもない。



「…………」



ミハエラ・ハーミットの、あるいは彼を中心として接続された王都グリアノスの人々の夢を二人で覗き見ていた時。


リーシャは特に何を思うでもなかった。

人の悲鳴。竜の咆哮。飛び交う血に、産まれる命。


そんなものは日常でしかない。

その口でドラゴンを、魔族を殺せと言う者が、いざ殺されてしまえば恨み言すら言わず朽ちる。

当然そうではない者もいる。

幼子も、その母親も。研究者も農夫も。

戦争などしたい筈が無い。

それでも殺されてしまう。

だからこそ愚かであり、無慈悲で、当然の帰結であり、歴史の中のありふれた一幕なのだろう。


それを見て泣いて叫べと言われても、リーシャには難しい話だ。


だが、隣にいた彼は違った。


誰かの夢の中で少女が、老人が、それらを守ろうとした兵士が倒れる度に目を細めていた。

悪意に憤る。希望を損なわず、人を信じている底無しの愚かさ。


レンガ・ヴェスペリアは狂っていない。

幾万の命の上に立ち、際限の無い憎悪と穢傷に晒され、裏切られ棄てられてなお、人を見限らない。

リーシャからすれば馬鹿らしい話だった。

そんな物者もののために命を睹して、感情をすり減らして何になる。

守るべきものに背中を汚され、それでも笑う意味がわからなかった。


隣人を愛する彼は狂っていない。

だが、それだけの経験を経てなお狂っていないことが、狂っていることの証左ですらある。


きっとあれは治らない。

病気ではなく、生まれ持った彼だけのものだから。


そんな様子を隣で見て、リーシャは仄かにざわつく心と、呆れを覚えた。


普段あれだけ格好つけているくせに。

上位者気取りで振る舞うくせに。

あなたは誰よりも人間で、人間らしく、人間が好きなのだから。



「不敬が過ぎるな、人間風情が」



いつの間にやらリーシャの目の前には黒い壁が立ちはだかっている。

従えられたドラゴンに跨がる軽鎧を着る魔族の兵士。

雲のように立ち上ぼり、山の如く塞ぐ彼らに、リーシャは宙で足を止める。

一際大きな黒いドラゴンを従えた指揮官らしき魔族の男が、不愉快そうに言葉を続ける。



「よもや観光と言うわけでもあるまい。

色欠けの赤目女よ」



『色欠け』

古くより、魔族が人間を侮り、嘲る際に用いた表現。

魔素によく馴染む褐色の肌を持たない人間を哀れむ魔族の常套句だった。


禍々しい大剣を背から抜き、刃を日の下に晒す男。

それに呼応するように、無数の兵士達もまた己が魔法や武器を携え、臨戦態勢に入っている。


彼らを斬り刻むのはきっと楽しいだろう。

リーシャは湧き上がる感情を自覚していた。

まだ見ぬ魔族の魔法。秘術、奇蹟。

そしてそれらを打ち砕き蹂躙すること。

天に我が物顔で立つ彼ら、その手も脚も斬り落とし、地を這う様を眺めるのも悪くはない。


だが、




「『神穿レナート』」




抜剣と同時にリーシャは剣先を前に向けたまま肩を引き絞り、溜めきった力を解放する。

その鋭さは攻城兵器の如く。天を突き破る神の刺突。

黒い壁に大穴を空け、悲鳴と怒号が入り交じる空間をリーシャは真正面から突っ切って行った。


斬り刻む愉悦に髪を引かれるが、振り返ることはない。

無数の魔法が背を追ってくる。

加速しすぎたためか、重ねがけされた翼の魔法が何枚か引きちぎれてしまったが、まあ当分は持つのだろう。


争いたい。

殺したい。


はらの中で渦巻くその感情は今もまだ疼いている。

だが、ここで彼らと刃を交えれば、きっとエスベルグの街は手遅れになるだろう。

幾万の人が死に、またその死を新たな死に再利用されるのだ。


間に合わなかったと、彼にそう伝えても怒られることはない。

仕方無さげに、どこ吹く風といった体で軽く流し、

そして悲しむのだろう。


そんなものまで背負わなくていい。

そう言ったところで聞く耳など持たないし。


だから、リーシャ・マナガレウスは走っていた。

国を背負い立つ剣神としてではなく。

人々を救済する女神としてでもなく。


ただ、ずっと隣にいた少年が悲しまないように。

そんな淡いちっぽけな感情で、少女のように奔走する。



「世話が焼けますね」



友人で、怨敵で、共謀者で、比翼連理の彼のために。

それだけが、リーシャ・マナガレウスが足を進める理由だった。


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