第六話
『薄氷の森の深部手前にて、レッサーバジリスクの異常繁殖が確認されました。
林道の治安維持の為にも、早急な討伐が望まれます。
討伐数に応じて狩竜協会から追加の報酬金が支払われます。
また、この依頼は四等星以上のドラゴンハンターのみ、報酬金の受け取りが可能とされています』
朝の八時ちょうど、賑わう市を押し退けるように役場の職員と思われる格好の男が紙を配って歩いている。
内容は多くの人には関係の無い、些事だった。
「あいつら、大分狩った気がするんだが」
「広い森でした。あれしきで全部だとは思えません」
身支度を終え、宿の前で受け取ったその紙を読み上げた後、レンガは興味無さげにそれを丸めて握り、消し去る。
開かれた掌には紙片一つ残されていない。
「さて、では予定通り強そうなドラゴンの聞き込みと参りましょう」
「"面白そうな"ドラゴンな」
レンガ達が泊まった宿が並ぶこの繁華街は、この時間でも随分と賑わっている。
得体の知れない肉を売る者、酒瓶を抱いて案内板の横で寝ている者、観光客に、地元の客引き。
二頭立ての馬車がすれ違えるほどの幅がある道は、幸いにも人通りの多さも苦にさせないくらいには、並んで歩く二人に寛容だった。
向かうは昨日と同じ中央の役場である。
「三十分も寝たのなんて、いつぶりでしょうか」
「人の腹を枕にするのはやめてくれよ」
「……レンガさん寝ぼけて私の髪食べてたの知ってます?」
冗談であって欲しい言葉を聞き流し、レンガは空を見上げる。
雲一つ無い快晴。
絶好の魔神日和だ。
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「おはようございます!」
狩竜協会オーラン支部に着くなり二人を出迎えた元気な声は、当然玄関口に立つ彼女のものだった。
朝だからと言ってトーンが落ちるわけでもなく、むしろ真っ昼間よりも響いている様な気さえする。
「本日はどのようなご用件でいらっしゃったんですか?」
「そろそろこの街を発とうと思いまして……」
「えっ!そうなんですか……。残念ですけど、仕方ないですよね」
ころころと変化する感情を見ながら、レンガは適当に受け答えする。
「それにあたって王都までの道のりを考えてはいるんですが……、いかんせん、この辺りの地理に疎くて……。
"危険な場所"、"何らかの理由により近寄ってはいけない場所"などあったら教えていただけないかと」
「……一応王都までなら複数の街を街道から経由すればそう危険は無いと思いますけど……。わかりました!
ちょっと地図を用意しますね」
特に怪しまれることなく、"危険"と"禁忌"の情報は公開されそうだ。
カウンターの後ろに行ったかと思うと、すぐにぱたぱたと走って二人の元へ来る女性職員。
その手には角に一つ画鋲が刺さったままの大きな地図。
壁に貼っていたものを取ってきたのか……、とレンガは微妙な気持ちになるが、口にも顔にも出すことはなかった。
「えーと、とりあえずこの辺りで危険な場所は…………無いですね」
「えっ」
「いやーほんとに安全なんですよ!
街の南側に行くと薄氷の森っていう唯一この辺りでドラゴンが出る場所があるんですけど、そこでも四等星級のレッサーバジリスクくらいしかいないので……。
もちろん森の中に入れば危ないでしょうけど、今時無手で護衛も無しに林道を通る人はいませんし。
あっ、でも森の深部に……、樹高が五十メートルもある木の群生地があるんですけど、そこは自然保護区だそうで立ち入りは禁止されてますね。
まあ街から北東の王都を目指すなら万が一にも迷い込む事はないと思います!」
なんと長閑な地方なのだろうか。
街周辺や街道近くに危険な場所は無いため商人や観光客の足取りは軽く、近場にドラゴンが出る森がありドラゴンハンターの往来によって街は賑わい活気付く。
レンガやリーシャ、ひいてはこの街の殆どの人々は、それが意図して作られたものだと知ることはない。
「なるほど、ありがとうございました」
「いえいえ、お兄さん達もお気をつけて!
大賢者様のご加護を!」
「ええ、…………大賢者?」
耳慣れない言葉をつい聞き返してしまうレンガ。
今まで彼女の前で無知を晒し続けてきた甲斐あってか、快活な女性職員はまたも優しく答えてくれた。
「大賢者様は約五十年ほど前にここを訪れられた旅のお方です。
私の祖母が言うにはとても優しく聡明な方で、この街をこよなく愛してくださったそうなんです」
「へえ、大賢者か」
知恵あるところに魔法あり。
その者がどれ程の力を持つのか、"魔法は"道半ばであるレンガは少し興味が湧いた。
しかしもう五十年も前の話では、当人が生きているのかも不明である。
あまり期待はしないでおこうと自戒し、レンガは去ろうとしたが、ふと女性職員が考え事をする素振りを見せている。
「どうかされましたか?」
「……ふぇ?
あっすみません!私ったら!
ただ、大賢者様の事で祖母が語っていた話を思い返していて……」
聞けるものは聞いておこう。
レンガもリーシャも別に急いでいる訳ではないのだ。
足を止めた二人を見て、話の続きを促されているのだと悟った女性職員は、少しだけ落ち着いた声で話し始める。
「訪れた大賢者様は林道の開拓にも尽力してくださったそうなんです。
『この森はとても危険だ』と街の人達に伝えて回って、それから深部にいるとても恐ろしいドラゴンを追い払って森に平和を取り戻した、というのが伝わっているお話です。
その際に深部に生えているとても大きな木が貴重だという事が判明して、それ以来保護区とされたんです
ただ……」
「ただ?」
「私……少し前までは王都の地学専門校に通っていたんですけど……、深部に生えているっていう木……。
ホシドリの木って言うんですけど……、あれって珍しいことには珍しいんですが……保護する様な物ではないはずなんです」
話の風向きが変わってきている。
レンガは鋭敏なその嗅覚で嗅ぎとっていた。
"何かある"、と。
真摯に耳を傾ける姿勢に、女性職員も腹の裡を少しだけ晒すことにしたようだ。
「青々と高く繁るので見映えは良いかもしれないんですけど、春には広域に花粉を散らすんです」
「……」
「その花粉が実はとても厄介でして……。一部の翼持つドラゴンが好む香りなんです」
今度は少し気落ちした風に話す彼女に視線だけ向けつつ、レンガは笑みを我慢することに気を遣る。
「それで私……その、自分でもだいそれた真似だとは思うんですが、以前、上司に進言したんです。
あの木は切るべきではないのかって」
「……それで?」
「……うぅ、その…………」
ここまで語っておいて、彼女は何かを渋っている。
旅の者に語ることの出来る内容ではないのだろうか。
レンガは懐に忍ばせている白い紙、それも十字架の様に切り取られたそれに、そっと力を込める。
「『大丈夫ですよ、私達は決して秘密を口外しません』」
「…………」
レンガの金色の瞳がどろりと濁り、目を合わせた女性職員の意識が一瞬吸い込まれる。
すぐに正気に戻った彼女は、目の前の"信頼できる相手"に対して語り始める。
「『この話は忘れなさい』って、普段は優しいバートンさんが……、少し怖い顔で言ったんです」
バートン、とは彼女の上司だろう。
きな臭さに鼻が曲がりそうだ。
これ以上聞き出せば善良な彼女に不都合が生じるかもしれない。
その身体の性質上、レンガは契約と恩義には抗えない。
潮時だろう。
「そうですか、貴重な話をありがとうございます」
「はい。その……、長々と引き留めてしまってすみませんでした!
またいつか、お会いできたら」
「ええ、…………魔神の加護に、期待しましょう」
まじん……?、と首を傾げながら呟く女性職員に背を向け、二人は無表情で狩竜協会の施設を後にする。
午前中の噴水広場には観光客の姿こそあれど、祭りの日の様な賑わいは無い。
二人で肩を並べてベンチに座り、世間話に花を咲かせる。
「いきなり"当たり"を引いた、かもな」
「まず、謎を整理しましょう」
口を小さく動かす二人の声を聞き取れるものは、今この広場にはいない。
だが、そのことを気にする者もいないのである。
「この街の南にある、薄氷の森は、昔、危険な場所だった。
それもたったの五十年前。
大賢者様とやらが森の深部に潜んでいた悪のドラゴンを成敗して、平和が訪れた」
「平和になったはずの森に生えていたのはドラゴンを呼ぶ木でした。
しかし、それを切ろうとはせず、さらに保護とまで言い出す始末だそうですね」
「だが、翼持つドラゴンの目撃情報は全くと言っていいほど無い。
かと言ってさっきの役場の嬢ちゃん……役場の職員が嘘を言っていたとも思えない」
二人はゆっくりと、ご馳走を前に惜しむように少しずつ口に運ぶ。
「大賢者様とやらは実在したみてえだが、随分胡散臭いな」
「この街でこの事を疑問に思う者が全くいない、というのも異常ですね」
「権力者か?」
「国の力の働き、でしょうか」
二人の頭の中では今、何通りもの"楽しめそうな"想像が展開されている。
出来るだけ大事で、されど小気味良く。退屈だけは勘弁だった。
「ねえ、レンガさん。
私達って賢かったでしたっけ」
「俺は大賢者様とやらより強いと思うぜ」
「その答えが既に馬鹿っぽいですね……」
辛辣なリーシャに、レンガも言わんとする事を察する。
確かにこうして安楽椅子の上に座っての思考遊戯は楽しい。
楽しいが、正解に辿り着くのは随分先になりそうである。
「…………俺が元いた世界には知恵の輪って遊具があったんだよ。
こっちで言う絡根戻しと似たようなやつが」
「得意だったんですか?」
「好きではあった。
ただ、どうしても解けないのが一つあってな」
懐かしむように、レンガはかろうじて覚えている記憶を手繰り寄せる。
「何べんも挑んでる内に、気付いたら壊れてたんだ。
もう二度と、俺はあの難問を解くことは出来ない」
「なんというか……、そういう武勇伝には事欠かないですね、レンガさんって……」
呆れる様に半眼を向けるリーシャも、レンガがどの様に話を運びたいのか薄々とわかっていた。
先にベンチから腰を上げたのは、レンガだった。
頂点に登りきっていない日は、雲に陰ることなく街を照らしている。
「中々の散歩日和だ」
「森林浴なんか、いいかもしれませんね」
逸る気持ちは押さえつけて、踏み出す足は心なしか歩幅が大きくとも、ゆっくりと。
知ることに躊躇いの無い二人は、惹かれるように、街の外へ歩き出していた。