第五十五話
竜化の魔法。
邪道と排される研究の末、遂に産み出されるも、本来の目的用途とは異なる使い方をされたそれは、しかしある種もとのそれよりも悪辣で、道理に反した邪法となっていた。
敵国の兵士を、のみならず市民すらもドラゴンに変貌させてしまう。
いかに対立の溝が深まる人間と魔族間と言えど、この魔法が戦争に用いられるべきかは随分と議論がなされ、そして呆気なく採択された。
まず触媒となるホシドリの花粉を竜化の対象に一定量取り込ませる。
ドラゴンから生まれたホシドリの樹には、その血脈が僅かながらに移っている。
それを人体に馴染ませ、細胞の変質を加速させる。
魔族の斥候らが地上に打った楔となる杭。
それと遥か上空に展開した魔方陣を対とし、共振させる。
前提条件として敵地への潜入が必要になるものの、やはりもたらす破壊に比べて随分と簡素であり、簡単な奇蹟であった。
「『宵六握刀』」
背負った白い杖を逆さに握り、頭の後ろで思い切り振りかぶる。
杖の頭に現れ出でた巨大な魔白き槍の穂先。
透き通るそれは柄となる杖に対してあまりに大きく、そして美しかった。
レンガには竜化の魔法がどういったものなのか、明瞭に理解することは出来なかった。
魔法に関してはあくまでそれなりに才能がある程度である。
故に地に潜む巨大な魔方陣らしきもの、としか認識出来なかった。
そして、魔神にとってはそれだけわかれば十分でもあった。
「よっ」
空中で翼の魔法を解除し、自由落下する最中にも振りかぶったその刃は深淵なる力を段々と増していく。
降り立つは宮廷前の大公園。
物理的な破壊は目的ではない。
霊的、魔法的な物質のみの消滅。
「消し飛べよ」
着弾する。その全身で。
空を見る人々は降って湧くドラゴンの群れと、そして突然落下してきた旅人風の男に驚きを禁じ得ない。
が、そんな彼らの反応などレンガにはどうでもよかった。
魔方陣の核に刃は打ち込んだ。
だが足りない。そんなことはわかっている。
これ程の規模の魔方陣には大抵修復作用が備わっている。
だから、レンガは突き刺した杖と刃を、捻った。
抉る。返す。また抉る。
これが例えば人体に対して行われているのだとしたら相当に惨い行いであったが、相手は喋らぬ魔方陣。
あらぬ筆で描かれた目に見えぬ紋様を掻き混ぜ壊す。
たったそれだけで、魔族の神秘は打ち砕かれた。
・・・
少女の手を引き走る若い男がいる。
降るドラゴン、アザレが街に現れる中、母親とはぐれた少女は目に涙を貯め男と一緒に走っていた。
どこへと言われても見当はつかないが、それでも今いる場所よりは安全なのだろう。
そう信じて走る。
少女が石段に足をかけ転ぶ。
膝を擦りむき肘からは血を流す。
しかし、立ち止まってはいられない。
その時、男の脳裏に悪夢が生じた。
なぜだかはわからない。
だが、不安げな少女の手を引くのが躊躇われるような、恐ろしく、そして考えたくもない内容だった。
今駆け抜けてきた通りの奥からは、人の悲鳴とドラゴンの鳴き声が聴こえる。
少女を立ち上がらせ、手を引き走らなくては。
そう頭ではわかっていても、"どこかで繋がってしまった何か"が見せたおぞましい夢がこびりついて離れない。
離れかけた手と手。
少女の絶望した顔が夢と重なる。
ああ、やはりあれはそうなのか。
逃れることなど。
その時、どこかで星が降った。
魔力ではない。それよりももっと不可思議で、ありふれていて、温かみがある力。
呆気に取られたのはドラゴンも同じだった。
人より鋭敏な感覚を持つ彼らだからこそ感じるものもあったのかもしれない。
その波動を受けて、男は我に返る。
大工仕事の見習いゆえに、血豆やかすり傷が目立つ、見慣れたいつもの自分の手だ。
だがそれが、今ではたまらなく安心できる。
「逃げよう!」
「…………う、うん……!」
再びその手を取り、駆ける。
振り払われた悪夢など捨て置き、今は生きることだけを考える。
王都一の職人になる。
それが自分の夢だから。
運命の枷が、また一つ外れた音がした。




