第四十八話
今の自分が好きでないと嘆く若い女がいた。
こんな筈では無かったと呟く壮年の男がいた。
変わりたいと願う少女がいた。
彼らは皆、時を同じくして気が付くことになる。
今までがどれだけ恵まれていたのか。
どれだけのものを与えられ、そして奪われずに済んでいたのか。
醜い獣になり下がって、ようやく理解出来た彼らが懇願することはただ一つ。
その爪が家族を引き裂く前に、その牙が友人を噛み砕く前に。
誰かどうか、
私を殺してください。
「メアリが…………!誰か!?うちの娘が…………、ドラゴンにッ!!誰か、頼む!」
「嘘っ!嫌!コーディなんでしょ!?ねえ!」
誰もが口々に絶望を露にする。
その凄惨たる有り様を影で見守る者は、奇妙にも二つの陣営に分かたれていた。
「第一節は成功。ハッ、群れなきゃ何も出来ねえ人間どもが」
この惨劇を引き起こした魔族。
北方民族であるヴラド領の領兵。
逃げ惑う人々の影に隠れ嘲笑うその姿は誰の目にも留まらない。
「…………ええ。建造物への被害は最小限に。
一般兵との連携は極力控えます」
事態に直面しながらも氷のような冷たさで誰かと会話をする者。
人間ではある。が、彼は目の前で襲われている人々を助けることはない。
その力を持ってすれば、空から振る弱きドラゴンも人が化けた獣も屠るのはそう難しくない筈だ。
だが、手を出さない。
それが人の為だと信じているからだった。
交錯する魔族と人間の意思。
しかし、彼らの望みは途中まではまるで変わらない。
同じ未来を描いていた。
それがこの阿鼻叫喚の生き地獄。
「おばさん!? ねえ!嘘でしょ!?ねえってば」
「…………お母さん、どこ?」
「誰か!あいつを……!親友を殺してくれぇ!」
「………………はい。こちらの区画も概ね──」
悲鳴が、絶叫がそこかしこで響き渡る。
名だたるドラゴンハンターが奔走し、竜学者が駆け、それでも人は死ぬ。
魔族ではない。
ドラゴンの手によって。
人々は恐怖し、同時に思い出す。
『竜害』
常識外れの巨体と魔法を行使するドラゴンという存在が、如何に人類の敵だったかを。
住処を分け、竜狩りという武器を手にし、すっかり忘れていた。
だが、後悔などしている暇はない。
何かを考えることすら、全身を這う恐怖が許さなかった。
「……空が………………」
昼間のバレンディアの快晴。
いつしかホシドリの雪は止み、太陽が照る筈であった。
だが、それを遮るもの在り。
日の光を喰らい尽くす一団は、逆行に影を落とし高らかに宣言する。
「始めよう。人類諸君。
我は征服卿ヴラド公が三剣、ウェルキア・ジルヴラド」
子供の手足が纏わりついた禍々しい魔剣をこれ見よがしにかざし、宣誓する。
不意打ちの連続を詫びるかのように、堂々とした振る舞い。
空を埋めるいびつなドラゴンと、それに跨がり、使役する魔族の兵士。
王宮前の記念公園、その大噴水から放たれた防空結界魔法は、ガラスの割れるような音と共に呆気なく撃ち破られる。
「すまないが、死んでくれたまえ。
なに、君たちもそうして生きてきたのだろう?」
落ちて、堕ちて、転がり込んだ筈の地獄の底が抜けていく。
目映い絶望の光に晒された王都に、希望など見る影も無かった。
・・・
レンガ・ヴェスペリアは、リーシャ・マナガレウスは。
それをどこからか視ていた。
そう、視るだけだった。




