第四十七話
騒ぎの渦中にある王都グリアノスにて、静寂に耽る者在り。
ドラゴンが飛び交う市中を高みから眺めるその様は、不思議とその男によく似合う。
「よくもまあ、これだけの数を集めたものだ」
「ハン、わかってて言いやがる。
大将も人が悪い」
「敵ながら見事ということだ。
例えそれがこちらの予想を上回らずとも、な」
部屋の主は軍警省が総首、ミハエラ・ハーミット。
言葉返すは中央懲罰隊『容赦室』室長、ララ・スノウドット。
彼らは下界で今何が起こっているのか、よく知っていた。
アザレ、つまりは下級のドラゴンが無数に空より現れ暴れている。
たったそれだけのことだ。
二人にはどこからか立ち上る火の手も、襲われる無力な市民も目に入らない。
見るのは大局。
この茶番がどこまで物語じみた展開をなぞってくれるか。
それ以外はどうでもよかった。
「さて、俺は『墓所』の警備にでも参りますかね。
見つけられる奴なんざいねえだろうが」
「ここで油を売っているよりはよかろう」
赤銀の籠手を着けた方の手でドアノブに手を掛けたスノウドット。
大規模な魔法を持たない、対人戦闘に特化した彼だからこそ、"それ"に気付くことが出来た。
身体を翻し右手の籠手を輝かせ、遥か王都を見下ろすガラスの大窓に向ける。
来たるそれは物理的な障壁をすり抜け、ハーミットの眼前に迫り、その頭蓋を突き破らんとし、
「甘いな」
声と共に灰より細かく塵へと還る。
構えた右手をそのままに、やれやれと言った顔でかぶりを振るスノウドット。
一応は護衛の真似事をしてみたものの、相手が悪かったようだ。
「さすがは、護衛の一人も付けずに戦時下の王都に居座るだけはありますねえ」
「世辞はいい」
「へーへー。
……今の術式は我が国のものではありませんでしたな。
魔族側の魔法と考えるのが妥当かと」
「敵地に潜り込ませる斥候にこのような愚を犯す者がいるとは考えにくいが。
……まあよい。そろそろ頃合いだろう」
後ろ手に組み街を眺めれば、今も人々は懸命に、果敢に戦っている。
素晴らしい、素直にハーミットにはそう思えた。
誇らしい民草のもと、この国は今日新たな一歩を踏み出すのだ。
「ある程度の損害は構わん。
どの道我々が手を出さずとも中央省の愚物どもが働く」
「了解。"生まれでたものたち"の対処に変更は?」
「無い」
完璧なまでに戦況を掌握しているという自負。
度を超えた大権力。
ともすれば王家すらも凌駕する影響力。
そして召し抱えた精鋭と、多数の兵士。
その覇軍が今動けば、人間と魔族の運命もまた動き出す。
一人になった部屋で、ハーミットは眺めていた。
空を覆うドラゴン。
やはり、下級と言えどその力は脅威だ。それもこの数となれば、わかっていたとは言え街の被害も軽くはない。
戦う人々。
力無き者も協力し、愛する者のために武器を取る。
誇らしい限りだ。
憐れな魔族達。
未だ作戦の成功と、果ての勝利を信じ込む道化。
そして、
「…………見事だ、ヴラド」
一人の若い男が少女の手を引いて走る。
だが様子がおかしい。
彼は確かに手を握っていた。
ただし、それは肘から先だけだ。
驚愕に震える男の瞳に映ったのは、それ以上に驚き、恐怖し、痛みに悶える少女の姿。
なぜ。
男はそう言ったのだろうか。
だがその声を聴けば、周囲の人々は恐慌に飲まれ、ある者は逃げ惑い、またある者は絶望し、
それ以外の多くの人は武器を取った。
取り囲まれた男は混迷の中で悟った。
いつもより高い視点も。
色がいくつか消えた世界も。
いびつな鱗の目立つ自分の両腕も。
男の目に涙が溢れた。
だが、それすらも神が許した奇蹟なのだろう。
人の身でない自分に与えた、神の慈悲なのだから。
彼はもはや二足で立つことすら叶わなかった。
男と形容することすら、今は出来ない。
涙を流す、四つ足の獣。
背には翼、口には牙。
それはドラゴンなのだろう。
ゆえに人々は、彼を殺すべく武器を取ったのだった。




