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第四十三話

共同研究棟竜学部の一室。

腕利きの竜学者スカラーが日々集い知慧を持ち寄るこの場所には、今一人の男だけがいる。

足元まである白衣を上着にして羽織る初老。

竜学者協会現会長、ガスケット・レバン。



「悪趣味なものだな」



その言葉までは、確かにレバンはこの部屋に一人だった。

床に散らばった書類を踏みつけ、その足に透明な魔方陣を展開し、魔を打ち破らんとするために放つ。

彼は初め、慣れ親しんだこの部屋に入った時に、既に気付いていた。

鼻が曲がりそうなほどの魔法の痕跡である。

あれを隠し、これを作り上げ、乱し偽り人を騙す。

不愉快極まりないそれらに向けて、魔法になる前段階の魔力をひと固まりにして放射する。



「…………フン、中央懲罰隊も遂には軍警省の犬に成り下がるか」



無数に施されていた偽装魔法の全てが砕け散り、現実が露になる。

それなりに広い部屋の片隅。

先ほどまで何も無かった空間には、今一人の男が立っていた。

レバンにはこの男の立場も、何のためにこの場所にいるのかも全てわかっていた。

機能性を損なわない程に加飾された式典用の軍服に、蒼銀の籠手。



「『懺悔室』か。告解すべきは誰なのか。

よもやわかっていないわけではあるまい」


「滅多な発言はお控えを」


「貴様のその答えこそ不道徳だろう」



一触即発と言うには気勢を放つのはレバンのみであり、相対する王国軍の軍人は後ろ手に組み抵抗を見せる様子はない。

不法侵入に魔法的な隠蔽。研究資料にも手をつけられているかもしれない。

いくら相手が国家機関と言えど、余りに横暴で、無遠慮で、そして冒涜的なその行いに、レバンの皺が目立つ目元は細められる。



「子供の使いの相手をしたかと思えば、今度は跳ねっ返りの青二才とはな。

軍警省大臣ハーミットなりの当て付けか?」


「滅相もありません。

『懺悔室』はおろか、中央懲罰隊の戦闘士官で会長殿のお相手が務まる者など、私か、もしくは『容赦室』のレイジュ卿くらいでありましょう。

閣下もその事は重々承知しておられたご様子」


「黙れ」



年老いに掛かる身体から放たれた重圧は、その深淵の雰囲気による気後れの類いだけではない。

魔素が絡み合う。魔方陣を伴わないそれは強すぎる意思によって従わされ、主の命に背くこと無く対象の口を縫う。


『言の葉の魔術』

レバンが望まずとも生み出した魔法未満の奇蹟の一つ。

人に宿った魔素は魔力と呼ばれ、通常人の意思に従い肉体の強化や主の望む姿へと変質する。

魔素だけでは現行の生命体の五感だけでは可視も可聴も出来ず、漠然と"そこに在る"としか認識することは出来ない。


しかし、レバンのみならず、一定以上の魔法適性を持つ者の強い意思は言霊ことだまとなり、魔力や魔法に変質させずとも形を持ち実世界への干渉を可能とする。

魔法的な干渉力で言えば一芸の域を出ることは無いが、それを可能とするということ自体が相対する者の能力の非凡さをよく表している。



(真正面から抑え込めればそれに越したことはありませんでしたが。

さすがにそう甘くはありませんね)



中央省直轄『中央懲罰隊』

バレンディア王国の法となる規律の化身たる組織の尖兵。

造反者の処断や公表されることのない外敵の殲滅が主な仕事であり、その存在は一般市民にとっては噂や恐怖話の中のものでしかない。


だが事実として彼らは実在し、あろうことかこうして竜学者の長たるレバンの前に立っている。

中央懲罰隊は『懺悔室』『容赦室』『救慈室』の三部隊に編成されるが、それらの区分は名前だけでしかなく、主な役割に違いはない。

『神敵の排除』

それが使命である。



「そこを退け」


「なりません。かの降る雪を止めに行かれるおつもりでしょう」


「"退け"、と言った筈だ」



中央懲罰隊、懺悔室が副長シガー・スカーレンの胸部に圧痛が走る。

自らの身体を流れる魔素が、魔力が掻き乱された結果が意図せぬ齟齬を生み、激痛をもたらす。

支配権を強引に取り返し魔力を再服従させ魔法の展開に移行したスカーレンだったが、いつの間にかその手首足首には手錠のように待機状態の魔法が展開されている。


ただ一秒の、その中の刹那。

手品のような子供騙しで意識を逸らされた結果が死に繋がっていた。



「薄汚い汗を私の部屋に垂らすなよ」


「…………」



命を握られている。

どれだけ訓練し、慣れようとも、喉元にぴたりと冷たい刃を当てられるようなこの瞬間には冷や汗の一つも出る。

対竜の華たる範囲魔法を得意とするレバンに対して、主に対人魔法を磨き上げたスカーレン。

密所たるこの部屋にてその大勢はあっけなく決まり、勝者たるレバンは悠々と部屋を出る。

その筈だった。



「…………国習院にて、『鍵の魔法』の存在を教授されたそうですね」


「……」


「病床の陛下は大変嘆かれ、また閣下も深い憤りを覚えられたご様子でした」



レバンには嫌でも理解出来た。

この三十にもならない若造が、何を言わんとしているのかが。



「しかし、閣下はあなたの働き次第では不問にすると仰っていまし────」



スカーレンの言葉が遮られたのは彼の身体が宙を舞い、高尚そのものと言った本が立て並ぶ本棚に叩きつけられたからであった。

魔法ではない。

激昂したレバンの振るった左拳が、精悍な軍人の肉体を殴り飛ばしていた。


棚から漏れた本がどさりと落ち、むせるスカーレンの肩や足元に散らばる。

だがその顔には明確に笑みが浮かんでいた。



「……ゲホッ、ハッ……、はぁ。お早いご理解、痛み入ります」



自由の身であった筈のレバンは憤怒の形相で扉に背を向け、投げるような乱暴さで椅子に座り直す。


バレンディア国習院。

王都グリアノスの第一校よりバレンディア中に展開を続けている、未来の叡智が結集する学習機関。

その学部の一つに魔法学科と言うものが存在する。

つまるところが竜学者の候補生であり、レバンは週に一度彼らに教鞭を振るっていた。


そこで溢した閑話休題の小話。

禁忌の業魔が一つ、『鍵の魔法』。

魔法学に精通する王都の研究者の一部と王族、またはそれに近い権力者のみが知る限りであり、みだりに話すことなど許されてはいない。

だが受講者とて一般人とはかけ離れた魔に近付かんとする者達である。

教える相手をよく選び、レバンは迂闊とはほど遠いほど慎重に、いずれ相対するやも知れぬ身近な脅威として、彼らに知恵を授けた。

そもそも国習院の大図書館には鍵の魔法について記された文献がいくつか存在している。

他の名だたる禁忌と違い、専門家の卵である彼らに教えることにそう大きな問題はあるとは思えなかった。


やれ妬み嫉みだの、恋だ友情だ青春だの、愚かで俗物的で青すぎる学生達。

だがいずれは自分の手足として使えなくもないだろう。

自分が死んだ後に意思を継ぎドラゴンと魔法を解き明かす者がいる可能性も。

まあほとんど無いだろうが、生意気で無力な子供なりに何かしらやってはくれるだろう。


そんなレバンの淡い期待は、くだらないほどに容易く利用され、こうして政治の道具になっていた。


『禁忌を知った子供は処断の対象になり得る』


言外の脅しはスカーレンの予想以上に効いた様子だった。

研究費の為に教鞭を取っているだけで国習院の子供など見下し、哀れんでいるとさえ思っていたが、存外この年寄りにも人の心があったようだとほくそ笑む。


強者を縛るのに魔法など必要無い。

腹部の痛みが気にならない程には任務の成功と、唾棄していた老害を屈服させたことの満足感がスカーレンを満たしていた。



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