第四十話
王都上空に突如発生した豪風。
晴れ渡っていたはずの空はどこからか雲を呼び、薄暗くグリアノスの街を覆い始める。
魔素に聡い者がまず気付く。
それは突如天に顕現した神の如き力。
ざわつく市井の中で、誰かが大鐘楼塔の上を指差す。
遥か高みの宙に立つその姿を見て、人々は慌てるでなく、沸き立った。
「ゼノン様だ! ゼノン様が戦ってるぞ!」
「相手はドラゴンかしら」
「死体とか降ってきたりしねえよな?」
「馬鹿言いなさいよ。ゼノン様の魔法だったら死体なんて残るもんですか!」
先ほどまでとは違った種類の喧騒が途端に街に溢れる。
人々は熱狂していた。
魔族を蹂躙する兵器の存在に。
・・・
「出会い頭に人をぶっ殺す割には大層な人気だな、神徒サマ」
「手でも振り返してあげたらどうですか?」
「…………」
第三神徒ゼラキア・ゼノンは考える。
末妹たる第六神徒ラヴィエル・リィンの話通り、この赤黒い髪の男は妙な力を持っていた。
魔力でもない、神の祝福でもない。
完全な独立した第三のエネルギー。
そしてその横に立つ金髪赤目の女。
情報が本当ならば、彼女は自分達と同じ経緯で生まれたのだろう。
『愛の魔法』による被造者としては先達に当たる。
そんな彼女からは奇妙なことに微塵も魔力を感じられない。
結局のところ考えたところで正体不明は正体不明のままだった。
「魔穿て、『理砲』」
だから攻撃した。
問題に直面した時、解決してくれたのはいつもこの力だった。
固有魔法─放射系統─旋風放射─第一階層。
生まれ持った風の力。それをただ放つだけ。
それだけで何もかもが眼前で形を失う。
理を乱すのは同じ理の力。赤黒い髪の男に向けて放ったそれは正体不明の術式を撃ち破るべくその脆い身体を貫通した。
「聞いたか、リーシャ。『理砲』だとよ」
五体が弾け、魂が霧散してなお全てを無かったことにする生き物。
それが今ゼノンが相対している存在だった。
「間違って伝わったのか、それとも超威力の戦略級魔法の総称となっているのか。
どちらにせよ、不思議な気分ですね」
雲を引き裂きどこまでも貫いた烈風の槍は、しかしこの二人に特に効力を発揮することはなかった。
埒が明かない。キリが無い。掴み所が存在しない。
ゼノンの脳裡に募ったのは苛立ちではなく面倒さだった。
「…………やめだ」
「あん?」
「やめだって言ってんだよ金眼野郎。
どんなズルしてんのか知らねえが今のアタシじゃどうにもなんねえ」
今にも降りだしそうだった雲間が引いていき、再び晴れ間が差し始める。
青天の霹靂はまた、終わるのも唐突だった。
「は?おいおい、これからだろ」
「血湧き肉踊る戦いの始まりでしょう」
「……だったら武器の一つでも持てってんだよ。
やる気あんのか?あんたら」
そう言われてみればレンガもリーシャも己が剣や杖を握っていなかったことに気が付く。
敵と認識していなかったわけではないが、なぜかこの修道服を着た女、ゼノンにどことなく楽しめそうな雰囲気を感じていた。
「じゃあゼラキアさん、お話しませんか」
「…………はあ?」
晴天の中、宙に立つ三人。
下界からは誰が何をしているのかなど到底見えるはずもなく。
ただ、突如吹き荒ぶ暴風と分厚い雲のカーテンは王都の市民にとっては見慣れたものだった。
『第三神徒が暴れている』
相手は魔族だろうか、それともドラゴンだろうか。
人々は空の安寧に感謝し、彼女を敬い、彼女を造った"らしい"聖神を今日も崇めるのであった。
「話って…………、正気か?
アタシはあんたらを殺しに来て、それが出来ねえとわかったから引き上げてんだぞ。
引き留めて殺し合うならまだわかるが」
「俺のか弱い身体をミキサーにかけたことはどうかと思うが、まあよく考えたら怒ることでもねえしな」
身体を風の刃で粉微塵にされて怒ることもない、というのはゼノンには理解できない。
自分も大概人格破綻者の自覚はあるが、目の前の亡霊は人格と言えるものがそもそも存在するのかも疑わしい。
神徒を前にしてこのような態度を取る相手など当然初めて見たわけであり、ゼノンはいささかの困惑の中にあった。
そんな彼女の背を押すように、もしくは手を引くかの如く。
剣神リーシャ・マナガレウスは感じたことの無い感情を胸に、レンガより一歩前に出て第三神徒ゼラキア・ゼノンに告げる。
それは乱入してきた敵に対してではなく。
「ゼラキアさ……、いえ。
ゼラキア、座りなさい。お話があります」
まるで姉のようだ。
レンガの小さな微笑みは誰に見られることもなく、ばつの悪そうなため息によってかき消える。
神徒と剣神の家族会議に巻き込まれた魔神の姿がそこにはあった。




