第四話
二人は空を飛んでいた。
『飛行の魔法』により地上から五十メートルほど離れた宙を、並んで風を切っている。
無論そのままでは目立つので『光の魔法』によって姿を消している。
魔法の平行使用は脳に負担をかけるとされているため禁忌とされる場合が多いが、そこは魔神。
一度に十やそこらなら無理なくこなせる。
「しっかし随分と緑化に励んだみてえだな。
見渡す限りに森に丘、草原なんて」
「ええ、本当に。私たちの居た頃なんて一面ゴミか、瓦礫か、死体でしたから」
世紀末を知る二人にとって、この世界はとても平和に映る。
十年続く戦争の最終局面など、とてもではないが正視に耐えるものではない。
「ドラゴンって言うくらいだから空でも飛んでるのかと思ってたんだが」
「私の視力でも見えないとなると……困りましたね………………?」
そう言ったすぐそばから、リーシャは宙で足を止める。
何か聴こえたのだろうか、耳をそばだて目を瞑っている。
当然レンガは邪魔することなく、静かに辺りを見回している。
「あら、あそこ」
リーシャが指を指した先には、馬車。
辛うじて整備されている森の中の道を、何やら凄い速さで積み荷を落としながら走っている。
これは、厄介ごとだ。
そう睨んだレンガは一目散に地上へ舞い降りた。
着地するのは馬車の前方、ではなくその後ろ。
馬車を追いかけるように、落とされた荷を撥ね飛ばしながら走ってくる、その存在こそ
「これが……ドラゴン!…………なのか?」
「あら………?」
茶色く、細長い体躯。
全長は十メートルはゆうに超しているだろう。
人の胴程もある太さの身体は秘めた筋力を隠しきれていない。
「いや、これデカい蛇じゃん」
確かに大きい、が、レンガの想像していたのは、背には羽、口からは炎を吐く、旧世界の本でよく見た西洋竜である。
「先ほどの荷馬車の御者はドラゴンがどうのとぶつくさ言っていました。
間違いないかと」
遅れて降り立ったリーシャがそう追い討ちをかける。
記念すべき最初のドラゴンがこれとは。
「こいつじゃダメだ。最初のページなんだぞ」
「しかし……期待はずれではありましたが、いるものですね、ドラゴン」
その肝心のドラゴンは突如空から降ってきた二人の小さき人間を観察していた。
知性の低い部類のドラゴンとは言われるが、彼我の戦力差を考える程度の知能は持ち合わせている。
呑気に目の前でお喋りに興じる脆き人間二人。
彼らからは "何も感じない"。
強さも、恐ろしさも、猛々しさも。
これは、餌だ。
そう確信して、頭からかぶりつくことにした。
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「まさか巣が近くにあったとはなあ」
足元に山積みされたドラゴンの死体の上で、レンガはあくびを噛み殺す。
血濡れのリーシャに『分離の魔法』をかけ、その綺麗な金髪に清潔さを取り戻す。
「しかし、強い弱いではありませんでしたね。
彼らからは "何も感じませんでした"。
子供か、平和な環境に適合して牙が抜け落ちたか、まあどうでもいいことですが」
ドラゴンの死体は、あるものは焼かれ、凍り、刻まれ、砕かれ、様々である。
これは一掃したのではなく、何が効き、何が効かないのか、レンガが試した為であった。
五十にも及ぶ死体の数々をどうしようか悩んだレンガだったが、自然は自然に還すのが一番だろう。
「…………少し、拝借しとくか」
牙と茶色い鱗を数個ずつ、紙に包んで鞄にしまう。
「ねえ、レンガさん。
正直、人里近くのこの森ではこのような矮小な蛇ぐらいしか居ないのではないでしょうか」
「ごもっともだ。
かと言って土地勘の無い俺らが闇雲に遠くに行くのもなあ」
死体の山から飛び降り、リーシャの横に立つ。
凄惨たる有り様は、日常を思い起こさせる。
血の匂い、肉が焦げる匂い、全て懐かしい、二人の青春の思い出だ。
「とりあえずあの街に戻って聞き込みするしかないか」
「まあドラゴンが存在すると知れただけでも収穫でしょう。
私達にはたっぷり時間があるんですから、歩みを緩めて楽しむのも旅の醍醐味です」
「世界の方が持たねえかもな」
軽口を叩きながら二人は透明な羽で街へと戻る。
血の匂いを、かすかに漂わせながら
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レッサーバジリスク × 46
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「祭りもお開きみてえだし、空いてる宿とるか」
街へ着いた頃には傾いた日が建物を赤く染めていた。
昼間の喧騒はなりを潜め、屋台や舞台の撤収作業に追われた人々が黙々と手を動かしている。
「レンガさん、お金、あるんですか?」
「…………」
無い。
別空間に収納してある杖の一本でも売るか、そう考えていた時、ふと鞄の中に入れた大蛇の牙と鱗が思い当たる。
とても戦闘に使える物ではないが、売れば幾らかにはなるだろう。
本当は魔法実験の材料にする予定だったが、こんなものはいつでも手に入りそうだ。
路銀の方が今は大事だ。
「これ、売るか」
「しかし……そんな脆い物、買い取ってくれる物好きなどいるのでしょうか」
「武器防具から離れなさい。
こういうのは大抵装飾品に使うんだよ。
まがりなりにもドラゴンの鱗と牙だぞ?」
売る宛を探して二人が向かったのは、昼間にも足を運んだあの役場。
今さら看板を見れば、そこには『狩竜協会オーラン支部』の文字。
そう言えば、そこそこ大きいこの街の名前はオーランだとさっき知ったばかりだった。
いくつも並ぶ役場の建物の中でも一番大きいそこに入り、そして昼間と同じ歓迎を受ける。
「あっ!おかえりなさい!どうですか?
お仕事、見つかりそうですか?
もしよろしければ簡単なものを斡旋できますよ!」
なぜ他の職員のように机を挟んだ向こう側ではなく、入ってすぐの場所にこの女性はいるのだろう。
レンガにはわからない。
「いえ、実は手持ちに残された素材を買い取ってくれる店を探していたのですが、中々見つからなくて……」
「あっ、ドラゴンの素材や稀少鉱石の買い取りですか!
大丈夫、うちはそういった事もやっているので!
価格に不満があったらもちろんお返ししますから!」
便利な場所だ。
ドラゴンハンターが少なくなっていると言ってはいたが、今この時間、役場はそこそこ賑わっている。
鎧を纏う者もいるし、杖や剣を担いでいる者もいる。
「ありがとうございます、これなんですけど……」
そういってレンガは鞄に入れていたそれを取り出す。
紙を開き、包まれていた牙と鱗を見せる。
こんなもの、本当に売れるのだろうか。
そう思っていたレンガの眼前では、騒がしかった女性職員が静まり返っていた。
「……これって、もしかして。
レッサーバジリスクの鱗ですか……?」
「レッサー……バジ?」
あいつ名前があったのか。
鱗と牙だけで持ち主を見抜く彼女の技量も中々だったが、それ以上にあんなものに大層な名前が付けられていることが驚きだった。
心当りが無かったのがそのまま顔に出ていたのか、女性職員は騒がしさを取り戻す。
「レッサーバジリスクですよ!
すごいなあ……。
単身で狩ることが出来たら四等星までのドラゴンハンターの昇級試験をパスできる難敵……ってあれ?
もしかして倒してきたわけではないんですか?」
六等星から一等星まであるドラゴンハンターの等級は、この世界において大きなステータスの目安となる。
まず第一に、最低資格である六等星のドラゴンハンターですら試験に挑む者の半分も合格することが出来ず、五等星ともなれば一人前以上、そこからは一つ等級が上がるだけで生涯の稼ぎの桁が大きく変わっていく程だ。
レッサーバジリスクは周辺の生態や環境を破壊する狂暴性と、繁殖のペースが早い事からその戦闘力以上に危険視され、またその素材は武器防具のみならず嗜好品にまで重宝されるため、狙って狩る者は少なくなかった。
王都にある狩竜協会本部にて発布された、『レッサーバジリスクを試験官を伴って単身で討伐、帰還出来た者は四等星までの昇級試験を免除する』という令は沢山のドラゴンハンターを沸かせ、そして悩ませた。
レッサーバジリスクは単体でも十分手強いこと、そして何より群れやすく、血の匂いを嗅ぎ付けて複数体集まってくること。
そのため今ではこの制度はほとんど機能しておらず、新しくドラゴンハンターになった者の中には存在すら知らないという者も少なくない。
(数十体倒しました、なんて言っても信じてもらえる空気じゃなさそうだな)
(ええ。それに変に目をつけられて大任を負わされたり、監視が付くのもあまり好むところではありません)
二人は知っている。
強さとは、ただそこにあるだけで煙たがられ、利用され、恐れられるものだと。
強者にはそれに見合う危険が付きまとい、弱者は安寧の中で暮らすことが許される。
恐れられ、忌み嫌われる事が少なくなかった150年前。
もう利用されるのも、拒まれるのもこりごりだった。
「……これは以前知り合いに譲ってもらった物なんです。
一応大事に持ってはいたんですが、事情が事情なだけに、売り払ってもその友人も怒ることはないだろうと思いまして」
「なるほど、そうだったんですね!
わかりました、任せてください!今鑑定してくるので、五分ほど待っててくださいね!」
何も不審がることなく受付カウンターの奥に去っていった彼女を見送り、レンガはホッと一息つく。
「当面の資金に関しては問題無さそうだな」
「今日はこの後どうしますか?」
「んー、そうだな。
一度宿に行くか。捜索は明日でいいだろ」
二人の肉体に疲労が蓄積することはない。
代謝も緩やかであり、ほとんど人外になりかけている為、食事や睡眠は本来は必要としない。
それでも、心に関してはそうもいかない。
休息とは、身体だけが必要とするものではないのだ。
「150年ぶりに、飯でも食おうぜ」
「はい、少し楽しみです」
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「大主様、お耳に入れたいことが」
ここはバレンディア王国領内、緑と歴史の街オーラン。
古くからこの地を統べ、開拓に尽力した一族は、今をいきる人々にはあまり知られること無く、こうしてひっそりと居住区の一角の屋敷にて暮らしていた。
周囲の家には商豪の一族だと伝えてあるが、実態は先に述べた通りである。
「夜更けの知らせとは。あまり良いものではなさそうだ」
豪奢な椅子に座る小太りの男は、オーランという街の実質的な支配者と言っても過言ではなかった。
「南方の森の深部にて、レッサーバジリスクの他殺体が発見されました」
「……………続けろ」
「死体の数はおおよそ四十。
鋭利な刃物で刻まれたものや、魔法により焼かれたもの、凍り漬けにされたものなど様々であり、四等星以上のドラゴンハンター複数人の仕業かと思われます」
街の南側に広がる大きな森には確かに数種類のドラゴンが棲息している。
レッサーバジリスクはその中でも際立って厄介なため、額面通り受け取るならば街道や林道の治安の向上に繋がったと喜べるだろうが、彼の立場ではそうはいかなかった。
「奴らの血は更なる竜種を呼び寄せる。
始末はしてきたのか」
「はい。既に完了しております」
最悪のケースは避けられたが、風向きはあまり良くない。
小太りの男は背もたれに全身を預け、目を瞑り思考する。
ドラゴンは経済に必要な存在である。
彼らを求め、沢山の人々が街を訪れ、金を落とす。
彼らから取れる素材によって金が回り、人々の生活の質も向上する。
警備隊の手の届かない森の奥地でも、ドラゴンの存在により荒くれ者が居つくこともない。
だが、かと言ってドラゴンの数が多過ぎても良いわけではない。
日常を危険に晒されれば人々は街から去ってしまう。
何事もバランスなのだ。
近年は特にドラゴンハンターの来訪が多かった為、街周辺のドラゴンは減少傾向にあった。
祭りの開催の為に多少ドラゴンを減らすことに抵抗はなかった。
だが、減りつつあるドラゴンを更にこれだけ減らされてしまうと、街の存続に陰りが差す。
十年以内にはそう大きな影響は出ないだろう。
しかし、それ以降はどうだろうか。
支配者たる者の務めとして、看過出来るものではない。
「四等星以上の者ならばすぐに見つかるだろう。
金で退かないようなら警告、それでも聞く耳を持たぬのなら、わかるな」
「かしこまりました、大主様」
老執事は一切の音をたてず、部屋を後にした。