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第三十五話

「あら、おかえりなさい」



柔和な笑顔に迎えられたレンガとリーシャ。

誰もいない大広間のソファに通され、二人は並んで座ることになる。

漂うシチューの深い味の香り、押し返す柔らかな座椅子の感触、そのどれもが本物であり、疑う余地は無い。



「頑張ってきたのね。夕餉の時にお話聞かせて貰おうかしら」



下ろし立てのエプロンに、縛った茶色い髪。

十代後半と思われる女性が、この『月影の宿』の店主だった。

バーのカウンターよろしく設けられたキッチンの後ろで鼻唄を歌いながら料理に励む姿は、新妻のような初々しさとどこか手慣れた主婦の雰囲気が同居している。



「悪い。旦那さん、見つけられなかった」



レンガの小さな声に動かしていた手を止め、彼女は再び大広間に戻ってくる。

その顔はわずかにもの悲しげに憂い、そしてすぐさま仕方ないと言いたげに笑顔を作る。



「いいの。あの人は昔からそうだったから」


「…………」


「ふふ。私が小さい頃から宿を開くのが夢だったって言ったら『俺が叶える』って言ってきかなかったのよ。

そのために二人でいっぱい働いて、宿の名前だってあれこれ悩んだりしたの」



楽しげに、懐かしむように彼女はそう語る。

少女のように、老婆のように。



「だから幸せだったの。

"例えどんな終わり方であっても"」


「そう、ですか」


「でもやっぱり、夢見ちゃったのね。

本当だったら、とか。あの時こうしてれば、とか。

それが優しい子に見つかっちゃったみたい」



それだけ言って、店主の女性はキッチンへと引っ込んでいく。

後悔など微塵も感じさせない、晴れやかな笑顔だった。



しばらく包丁がまな板を叩く音と、芳しい香りを堪能し、やがて料理が大広間の大きなローテーブルに運ばれてくる。

山菜のサラダに乳白色のシチュー、小さなグラスに注がれた食前酒。



「いただきまーす」


「いただきます」



二人で声を揃え、スプーンを手に取る。

一口運べば色とりどりな味が溢れ、やがて泡沫の如く消える。

今確かに感じるこの感触は、紛れもない本物だ。



「ねえ、お客さん」



向かいのソファに腰掛けた十代前半の少女が、少し高い声で二人に声をかける。

喜色を隠そうともしない、純粋な満面の笑み。

頬張る口と運ぶ手を止め、レンガもリーシャも黙って彼女の話を聞く。



「ありがとう」


「……」


「それから"あの子"にも、出来たら伝えてあげてほしいな。

長い幸せな夢を、ありがとうって」



刻限が迫る。

鐘の音が迫るように鳴り、掛け時計の針がぼろぼろと崩れる。

数十年の刹那の夢想。

それが今、限界と言わんばかりに音をたてて歪んでいく。

カップが、包丁が、テーブルが。

徐々に形を失い、やがて店主の少女の姿までもが




「待った」




レンガの金の瞳が輝き、消えかけた世界が一時的に停止する。



「……え?」


「タダ飯食らいになる気はねえぞ」



床に置いていた赤い肩掛け鞄をがさごそと漁り、レンガは目当ての物を取り出す。

その手に握られていたのはバレンディア金貨が三枚。



「美味かったぜ」


「寝心地もよかったですよ」



みしりと世界が重圧に軋み、再びわずかに崩壊が進行する。

テーブルの上に差し出された三枚の金の輝き。

それを見て少女は驚いたように固まっている。



「……えっと」



おずおずと手を伸ばし、その重みを確かめるように胸に抱く。

子供の頃にしたままごとで、幾度も行ったこのやり取り。

夢はついぞ叶わなかったが、夢の中で続きを見られた。

嬉しくて、寂しくて、消えてしまいそうになる。


だが、ままごとはいつもここでは終わっていなかったはずだ。

最後に訪れてくれた不思議な夢の旅人。

異様な雰囲気を纏う、優しい客人達に言わなくてはならない。

夢であっても、夢だからこそ。今は自分は宿の女将なのだ。




「えへへ、まいどありっ」




夢が、後悔が、満たされる。

幼い少女の涙を浮かべた笑みが弾け、世界は崩壊ではなく、霧散する。

時間切れではない。

店仕舞いだった。




足元には湿った土。辺りは林、空には一つの月。

人工物などどこにも無い、寂れた木々の立ち並ぶ場所だ。



「お前か。夢の仕掛人は」



レンガの前には腰ほどの高さの小さな枝木が生えている。

横に伸びた一本の枝に、小鳥のように留まる小さな姿があった。



蝸牛かたつむりの…………、ドラゴン?」



親指ほどの全長に、渦を巻いた殻を背負い這う黒い蝸牛。

四方を四つの魔方陣でそれぞれ囲い、じっとその場で固まっている。

普通の種と決定的に異なるのは、その身に秘めた膨大な魔力だった。



「名付けるなら『夢の魔法』か。

他者の願った光景を投射、投影……、いや違うな。そのまま現実にするのか?

ふざけた魔法だな」



蝸牛の留まる木の下にはこれ見よがしに人骨が転がっている。

レンガ達の予想が正しいのならば、これは数十年も昔の産物のはずだ。

形をそのまま残しているのは、この蝸牛の仕業なのだろう。



「頭骨の損傷、ですか。

獣に襲われたか、野盗に狙われたか」


「まあ、笑える最期ではなかったろうな」



そっと片手を胸の前で立て、目を瞑る。

浄魂の炎が遺骨を包み、抱き締めるように土へと還す。



「願いを叶えるならば、彼女は伴侶の方と暮らす夢を願わなかったんでしょうか」


「それこそ高望みだったんだろうな。

夫は地下迷宮ダンジョンに出稼ぎに行って志半ばで倒れて、自分も未練の渦中で死ぬ。

そんな中でせめてもう少しだけ待ってたかったんだろ」



指を差し出せば蝸牛の形をしたドラゴンはレンガの手に移る。

陸生巻貝特有のぬめりが一切無い、極小規模な遷移魔法により移動する摩訶不思議な存在。



「さすがにあれだけの期間あの規模の魔法を行使してたせいかガス欠みたいだな」


「連れていくんですか?」


「ああ。こいつの自由意思の度合いがわからない以上さすがに放っておくには危険すぎるからな」



願いを叶える蝸牛。

本人に夢を見せるだけに留まらず、現実を侵食し奇蹟を呼び起こすその力は魔法の域を超えている。

なぜこんな場所にこんなものが放たれているのか。

考えても詮無きことゆえに、二人はその場をあとにする。


夢破れた者達が見る夢。

人々の生活水準を引き上げた地下迷宮ダンジョンは地上を汚染するために設けられたものであり、実態は魔族の侵攻路の体のいいスケープゴートだということ。

それと知りながらなお全てを秘匿し人類の破滅を望む者。


今日も今日とて幾人もの冒険者が迷宮を訪れ、ある者は死に、ある者は遺される。

起きて見る夢に未来を期待して。


次回から王都と魔族の話になります。

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