第三十四話
大陸南西部一帯を支配するバレンディア王国。
その中核たるのが王国領北部に位置する『王都グリアノス』。
広大な都内は行政区、文化区、居住区、商業区の四つに大まかに区分けされ、二百万の人口をもて余すこと無く流れに組み込んでいる。
文化区の最たる景勝地として知られる現国王の住まうラボス宮殿、そして一般に解放されているラボス宮殿前公園は今日も今日とて観光客で賑わい、屋台に新聞売りにと喧騒は収まることを知らない。
そんな雑多な人混みを、ベンチに腰掛け楽しむ二人。
「呑気なもんだな。魔族との全面戦争が発表された後だってのに」
「どこか非日常に浮かされているようにも見えますね」
二人で並び肩を寄せ円形のベンチに座るレンガとリーシャ。
太い観葉樹を囲むように作られた椅子は、優れたデザインと若干の座りづらさを感じさせる。
恐らくは訪れた観光客の流動性のためだろうが、二人には特に気にならなかった。
「さて、気のままに王都に来たはいいが、何からやるか」
「抱えた謎のおさらいでしょう。
解決しないまま随分と積もってます」
端から見れば、二人はただの恋人にしか見えないだろう。
レンガはともかく、目映い金の長髪に女神の如く整った顔、それにいくらか時代の古い黒色のバトルドレス。
リーシャの見た目は相応に人目を引く。
しかし、忙しなく歩く人々はそんな彼女に対して興味以上の感動を得ることはない。
気のせい以上、勘違い未満。
力の乏しい大衆の些細な感覚をぼかすためだけに作られた児戯のような奇跡。
レンガの魔法ですらない小さな術式により、人は欺かれている。
「まずは俺らの祖国、共和国と帝国がなぜ滅んで、王国がどうやって勃興したのかだが」
「どの歴史書を読んでも、バレンディアの建国年は150年よりずっと前です。
私達のいざこざに紛れて乗っ取ったと考えるのが妥当ですが……」
魔神と剣神の衝突。
どんな魔法兵器よりも破壊をもたらした究極同士のぶつかり合いは、国どころか大陸すらも巻き込み、あらゆる国から恐れられ疎まれた結果、別次元への幽閉という理外の手段により終着した。
「そもそもなんで俺達は王国を知らなかったんだ?
…………いや、なんで俺達は"共和国と帝国が世界の全て"だと思ってた?」
「…………」
魔神転生者、夕闇恋餓は自らの意思でこの世界を訪れた。
レンガ・ヴェスペリアとして帝国領西方の小さな帽子屋で育てられ祖国のために戦った。
敵はマナギア、味方はガルム。疑うことは無かった。
リーシャも同じだ。
欠片ほどの愛国心と無限の殺戮衝動を携え目の前の敵兵を葬るだけ。
物心ついた時からこの二国しかこの世には無いものだと思っていた。
それは子供ゆえの教養の無さでも、視野の狭さでもない。
天を駆けその眼で見た広い大陸は"途中から景色が途絶えそれ以上先が無かった"。
そんなことはあり得ないとわかっていたのに。
「隠してやがる」
誰かが、偽っている。
世界を。自分を。
魔法の才能が"そこそこ"あったレンガには、150年前はついぞ暴けなかった秘匿の奇蹟。
「ですが、その隠匿の魔法は破られた。
だからこその今の世界なんですね」
「ああ、魔族もドラゴンもそうだろうな。
誰が何のために、どんな方法で仕組んだのか。
まあ、今考えるほどのことでもねえか」
「ええ、ゆっくり考えるのもいいかもしれませんけど。
そうしている間に人も魔族もいなくなってるかもしれませんから」
いなくなる、というどこか簡素な表現。
実態は種の滅亡の示唆だが、当事者でないという危機感の欠如が気の抜けた言い回しを生んでいた。
「ああ、そういやストーネスの"アレ"、どうしようかな」
「"アレ"、ですね」
二人が思い浮かべるは、宿の街ストーネスでの出来事。
ストーネス近郊に現れた地下迷宮に眠る宝を求めドラゴンハンターや冒険者で溢れ返った街に追い出された二人。
街道の傍の林にて匂いに釣られたリーシャが見つけたのは奇妙な宿だった。
「初日に見た看板は『音の宿』、次の日には『はじまりの大宿』」
「店主の女性も三、四十代だったはずが、若返っていましたね」
「夫を待つなんて言ってたな。
"数年前"に、王都に新しく生まれた地下迷宮目指して向かったらしいが」
レンガが今手に持っているのは数日前に購入した地下迷宮の情報誌だった。
ぱらぱらと捲り、目当ての頁を開きリーシャに見せる。
「王都周辺の迷宮だと、『バレシアの地下迷宮』、くらいですよね」
「ああ、バレシア沼地に突如現れた巨大地下迷宮。
良質な鉱石に喚石が採れるってんで当時どころか今なお盛り上がってるらしい」
「…………ですが」
リーシャが紙面に目を滑らせれば、そこにはバレシアの地下迷宮に関する詳細な情報が記されている。
どのような場所に入り口が現れたのか。
誰が最初に発見したのか。
そして、いつ発見されたのか。
「見つかったのは神歴五百六十四年、五の節」
「……」
「今からおよそ七十年前です」
どれだけ人の往来があろうとも二人の会話の内容に耳をそばだてる者はいない。
最も聞いていたところで誰も興味など示さないだろう。
歓談する様はありふれた一幕であり、内容は世間話である。
「放っておいても悪さはしねえだろうが……」
「終わらせてあげるのも、知る者の務めかもしれませんね」
「神らしくていいな。天上の女神様はだんまりだしな」
息をするように不敬をのたまい、レンガとリーシャはベンチから立ち上がる。
向かう先は宿の街ストーネス。
まさかあれだけ気持ちよく王都に着いて、またとんぼ返り。
忘れ物を取りに帰るような状況だが、実態は異なる。
忘れられたものを還すため。
「日暮れには着くだろうな。宿に泊まるには丁度いい」
小さな謎を終わらせるために。
二人は消えるように王都をあとにした。




