第二十三話
リーシャの手伝いもあって、レンガはストーネスの地下迷宮地下二階まで戻ることが出来ていた。
事態は一刻を争う。
『魔族殺しのカシウス』
単純で安直な名付けゆえに説得力も増している。
家族を殺された、とステルクという男が語っていた。
(そういや、あいつどこ行ったんだ)
茶色い癖毛の男。
何やらリーシャに酷く痛め付けられていたが、肝心の襲撃した理由を聞く前に思わぬ邪魔が入ってしまった。
そんな事を考えながら、レンガは転移の魔方陣に飛び込む。
向かうはあの緑が繁る地下迷宮。
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「ウィン! ルシア!」
転移して早々に、レンガはあらかじめ握っていた漆黒の杖から術式を展開する。
魔族の姉弟が転移してからまだそう時間は経っていない。
だが猶予などあってない様なものだろう。
人間であるレンガでさえすぐさま手にかけようとしたのだ。
それが恨みを抱く魔族相手ともなれば、あのカシウスという男が凶行に及ぶのは想像に難くない。
だが、幸いにも二人は生きていた。
右手に神木を削った短刀、左手に翡翠の勾玉を持ったレンガを待ち受けていたのは、
「あっ……、レンガさん」
「………………」
傷一つ付いていない魔族の姉弟の姿だった。
相変わらずぼろきれの様な服だがそれは元からである。
「………………何してんだ、お前ら」
「えっと、その……」
二人はなぜか迷宮の通路の壁に木々を避けるようにして背を預け座っていた。
少し離れた場所には白い服を着た人間の姿。
魔族と人間が争うこと無く同居している。
「…………レンガ・ヴェスペリア」
無数の武器が乱雑に置かれている広間から、レンガに静かな声がかかる。
問わずともわかる、一等星のドラゴンハンター、カシウス・バレンシアのものだろう。
「…………どういう事だ」
「どういう事、とは?」
「あんたは…………、魔族を恨んでるんじゃなかったのか?」
あの男、ステルクとか言ったか、彼があの状況で嘘をついたとも思えない。
それとも、これから拷問にでもかけようとしていたのか。
だが、魔法の手が届く距離に魔族がいるというのに、彼の顔は憎しみに歪むことなく涼しいままだ。
「ああ、私の異名をどこからか聞き付けたのですか」
「『魔族殺し』、"ふかし"だったのか」
「嘘ではありませんよ。
私は魔族を何十人とこの手で殺してきました」
真白い服に白髪をなびかせるカシウスはやはり余裕を崩さずそう言ってのける。
仄めかされた事実にルシアとウィンは壁に背を強く付け身体を強張らせる。
「今はもう、理由が無い、というだけです」
魔族の姉弟を一瞥し、カシウスはそのまま武器が散乱する広間の奥へと消えていく。
彼の部下と思われる人間達も、多少は横目で見れど、宿敵とされる魔族の二人に対して武器を向けるどころか害意すら浮かべていない。
そういえば、この地下迷宮で彼らに追われている時も攻撃は飛んでこなかったと、今更ながらウィンは思い当たっていた。
「……お前らはここで待機しててくれ。
多分、今はここの方が安全だ」
それだけ言って、レンガはカシウスの後を追うように広間へと歩みを進める。
白い服を纏った者らも、それを止める気は無く、各々の武器を眇め、また地図を引いて何かを確認しあったりと警戒している様子は皆無だ。
「姉さん、俺達……、どうなるんだろう」
多分に当惑を含んだウィンの呟きももっともなものだった。
命の危機に瀕した回数も、それを幾度となく覆した魔に依らぬ未知なる力も、どれもが二人にとっては身を心を磨り減らした要因である。
五日間という短い期間に随分と振り回された。
「…………大丈夫、私達は……、多分」
「……姉さん、もしかして、魔法で……?」
「うん。視えたよ。
少なくとも、私とウィンは大丈夫。
でも…………」
壁に背を付けたままのルシアが目を遣ったのは緑と鉄とが広がる広間の奥。
「あの白い髪の人間、あの人は多分……」
「………………そうか。
じゃあ、あの……、レンガって人間の男は……?」
大地の巫女の候補たるルシアにだけ許された超魔法。
それは対象の行く末を視る力。
未来の情景がはっきりと視て取れるわけではない。
物事が上手くいくか、失敗するか、ともすればもっとざっくりとした、温かい冷たいだとか、明るい暗いだとか、五感に触れる些細な何か程度でしか感じることは出来ない。
だがそれだけに揺らぎは存在せず、今までこの魔法を行使した際に未来が改変された試しは無い。
魔素を変換する通常の魔法とは大きく異なるその体系は魔族の人々にとって神秘とされ、ゆえに彼女は魔族の東部を統べる大地の巫女の第四候補として名乗りを上げていた。
「どうなんだ、姉さん」
「…………未来を変える力」
何も視えない。
それがルシアの出した答えだった。
人は未来を変えられない。
たとえ結末を知り、それを覆そうと奔走しようと、その未来には絶対が付きまとう。
運命に、世界に干渉するには人の身ではあまりに心もとない。
だが、もし触れられざるそれに手を伸ばす事が出来るものならば。
未来は視えない。
「…………あの人は、多分」
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カシウスを追って広間を真っ直ぐ歩けば、レンガはやがて一つの細道に行き着いた。
道端には切り落とされた蔓や草葉が朽ち、迷宮に沈んでいる。
ここはバレシアの地下迷宮地下二階。
最も有名かつ広大なその迷宮において、殆どの探索者が認知していないとある区画。
「この先の転移の魔方陣を踏めば、今度は『ザラの地下迷宮』。
凍てつく死者の迷宮です」
足を止め振り返ったカシウスが譲った景色の先には、レンガにとってはもはや見慣れた転移の魔方陣。
どういう風の吹き回しでこの白髪の男が案内の真似事をしてくれているのかは不明だが、レンガは素直に甘えることにした。
どうせ魔族の二人を送ったらこの白装束に身を包む謎の一団とはおさらばなのだ。
「んで、そこの『本道』を行けば魔族領なのか」
「ええ。
私の仲間が見張りのためにいますが話は通してあります。
私としても、あなた方の様な払えない厄介はさっさと去って頂かないと困るので」
鬱陶しそうに片目を細める仕草に言葉ほどの害意は無い。
だが本音でもあるのだろう。
レンガは変に取り合う事なく魔族の姉弟を呼びに戻る。
「レンガ・ヴェスペリア」
カシウスの涼やかな声が、木々が彩るそこそこに広い通路に浅く響く。
足を止め、しかし振り返る事なくレンガは聞く姿勢を見せる。
「今、王都では『神徒』や『聖神』の存在により対魔族の主戦的な感情が煮詰まっています」
「…………」
「腐敗した貴族と目先の欲に忠実な商族は王家に丸め込まれ止める者はおらず……、もはや魔族領への侵攻作戦は現実的なもの、いや、それどころか既に実行段階に移りつつある組織もあるようです」
耳慣れない単語がいくつも飛び交ったが穏やかでない話だという事くらいはレンガにでもわかる。
カシウスの目は真剣そのものだが、どこか虚ろげに語っている様にも見える。
諦めの色が混じっているのだとレンガが気付くのに、そう時間はかからなかった。
「これからは動乱の時代が来るでしょう。
人も魔族も巻き込んだ、神もドラゴンも関係無い、争いの世界が」
「…………勝手にやっててくれって、言ったらまずいか?」
「……………………あなたの正体は残念ながら私には掴めません。
だからどうか、我々の邪魔だけはしないで頂きたい」
数刻前の様に脅すでもなく、ただ頼み込むカシウス。
三等星のドラゴンハンターでさえその一生には安泰が約束されている。
その上の二等星ともなれば国からの依頼や国民への奉仕すら求められる代わりに、欲するものは大抵あちらから舞い込んでくる。
ならば一等星の者達は何を行い、何を欲するのか。
「…………滅ぶまで勝手にやってろ。罰当たりども」
捨て台詞の様な格好でそう言い残し、レンガは二人を連れてくるためにこの場を去る。
最後まで上手く噛み合わない会話ながら、二人にわだかまりが残る事はなかった。
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「行くぞ、魔族領」
奥間から帰って来たレンガの第一声に、魔族の姉弟はやっと嬉しげな表情を見せた。
魔族と人間が共生しているこの空間は、本来あり得ない筈の場所にあるという点も含めて完結している。
「ほ、本当に帰れるんですか……!」
「ああ、なんか思ってたより話通じる奴だったぜ。
一回殺されたけど……………って、どうしたウィン?」
「…………」
両手を合わせ喜ぶルシアとは対照的に、弟のウィンは浮かない顔をしていた。
「ウィン、どうしたの?
もしかして体調が悪いとか……」
「………………なんでアンタ、ここまでするんだ」
憮然とした表情のまま、顎を引いてレンガを見つめるウィン。
ともすれば睨み付ける様な格好だが、その言葉から読み取るに猜疑心こそあれど敵意は無いのだろう。
弟の不躾な態度に少しだけ視線を右往左往させ慌てるルシアと、濁った金色の瞳を返すレンガ。
しばし視線をぶつけ合ったのち、根負けして口を開いたのはウィンだった。
「おかしいだろ……、だって!
人間の癖に……! 心無い人殺しの民族の癖に!」
「ウィン……?」
「何を目論んでるんだよ! 俺と姉さんをどうするつもりなんだ……!
なんでだよ……」
堪えきれなくなったのか、堰を切った様に溢れだす言葉をレンガはただ受け止める。
別にこの少年の気持ちを蔑ろにしたい訳でもない。
出会えば殺し合う定めの種族同士でここまで馴れ合ってしまっている事は、彼らにとっては素直に喜べるものではないだろう。
無償の愛ほど怖いものは無く、無性の善意ほど受け取るには躊躇わざるを得ない。
はっきり言って、ウィンにとってはレンガとリーシャは異質だった。
気味が悪いとさえ言える。
助けてくれた事は当然感謝しようとも、まるで心を開けない。
そして、レンガにもそんな事はわかっていた。
「アンタも、あの女も、怖いよ……」
「ウィン、あなたね!」
「自惚れるな」
下ろした両手を強く握るウィンを叱りつけるルシアの言葉を遮る様に、レンガの言葉が場に静けさをもたらす。
冷たい声色だったが、怒っている訳でないのはその穏やかな顔を見るまでもなかった。
「お前らなんぞ俺からしたら少し肌が黒いだけの子供だ。
大人だぞ、こちとら。
迷子のガキ二人、親元に送り返す気位程度は持ち合わせてる」
それは自負。
自分の強さに絶対の自信を持っているからこそ言える言葉。
得意気に笑って見せているレンガに、しかしウィンは納得できないでいた。
ルシアも食って掛かる弟程ではないとは言え、やはり疑念を抱かずにはいられなかった。
今まではやたら厳しい戒律の中でしか存在しなかった人間という脅威は、ここ数日で嫌と言うほどその恐ろしさを知らしめて来た。
やっとわかった。
なぜ両親が、大人達があれ程口やかましく喚起していたのかを。
「タダで助けられるのが嫌なら百年後に菓子折りでも持ってこい。
その頃には人間も魔族もいがみ合っちゃいねえだろ」
嘘を言っている様にも見えない。
怪しい人体実験にされるとか、見世物として一生飼われるだとか脅されてきた二人でも、さすがに毒気が抜かれてくる。
そうこうしている間に、今度は三人が今いる場所の近く、ストーネスの地下迷宮に繋がる転移の魔方陣がやたらと強く輝き始める。
先ほどまでは明滅しその力を失っていた筈だが、なぜか今その放つ光は目映く、白い服を着込んだカシウスの部下達も何事かと目を寄せている。
レンガにはその正体がわかっていた。
ここまで魔法に負担をかけられる存在など知る限りでは一人しかいない。
やがてその光から現れたのは、
「あっ、レンガさん」
「おう」
リーシャ・マナガレウスだった。
レンガ・ヴェスペリアの知り合いと見るや、白い服を着込んだ者達はまた各々の作業に戻る。
どうやら自分達は余程カシウスらに"諦められて"いるらしい。
そう感じたレンガは都合が良いのか悪いのかわからず苦笑し、リーシャの身体に付いた汚れを魔法で払う。
「お前まさかあの大穴登ってきたんじゃねえだろうな」
「翼と尻尾の生えた親切なお嬢さんに助けてもらいました」
「そりゃよかったな」
軽いやり取り。気になる事を言ってはいたが、レンガには今はそれを追求する気は特に無い。
率先して伝えなければならない情報ならばリーシャは自分から言うだろうという信頼に似た何かを抱いているからである。
「お二人とも無事みたいですね」
「ああ、白い服着てる奴らは斬るなよ」
最後に人差し指でリーシャの少し絡まった横髪をほどき、レンガは適当な説明だけで済ませようとする。
あまりにも足りない、それどころか全く状況の解説にはなっていないが、レンガとしてはこの人斬り女は多分その辺りはどうでもいいだろうなと勝手に見切りをつけただけである。
実際リーシャはそれ以上言及する訳でもなく、腰に差した剣に伸ばしかけていた右手を遊ばせていた。
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