第十九話
死んだ人間は生き返ることはない。
不可逆の絶対の摂理は悲喜交々のままに人々を黙らせる。
命より大切な恋人も、憎しみ抜いた仇も、死ねばそれまで。
「『水銀の魔法』か」
「………………」
貫いた筈だ。確かに自分の必殺の魔法で。
それがこうして蘇り、あまつさえ魔法の解析までされている。
顔に出ることはなかったが、カシウスは脳裏を埋め尽くさんとする疑問の数々と、余裕をまるで崩さない赤黒い髪の男の態度に不快さを秘めていた。
「発射されるまではさっぱりわからなかった。
水銀を生み出し固め、透明化の魔法を重ねがけ、さらに射出する。
それまでに幾重にも隠蔽が施され、正体を割らせない、見事な腕前だ。
死んで胸に水銀が広がってようやく気付いたぜ」
(…………高度な幻覚の魔法……、視聴覚両方に作用する偽装の類いか……。
しかし私に通用する程高度な魔法を使える者ならば必ずその顔と名は割れている筈だ……。一体この男は……)
反魂の魔法など無い。あってはならないのだ。
ならばそれ以外の可能性を潰していくしかない。
死んだと宣ってはいるが、それをむざむざと信じれば相手の思考誘導に乗せられるだけだ。
一様に白い服を着た者らが、思い出した様に武器を握り、その手に魔法を練る。
この相手は、まがりなりにも一等星のドラゴンハンターの魔法を耐え抜き欺いた者なのだ。
手心を加える必要など無い。
「物騒だな。こっちは戦う気なんざ最初から無いってのに」
「…………魔法の正体を明かし、武器を捨て両手を頭の上に上げなさい。
手枷も着けさせてもらいます」
カシウスのその言葉に、レンガは取り合う気は無かった。
一等星のドラゴンハンターの力の底は未だ見えずとも、レンガを滅する力が無い以上負けることはない。
相手が殺し合いを望むなら相手をしてもいいし、話し合いで済ませられるのならそれに越したことはない。
そう日に何度も神を降ろしては、善くないものまでやってきてしまう。
観測者ではあっても、破壊者ではないのだ。
しかし抗う力がありながら降伏するのも当然選択肢には無い。
「その白い服、魔族を追っかけてたのはあんたらだろ。
あいつらは俺が保護してる。
魔族領に帰してやりたいんだが、何か知らないか?」
「…………………………なるほど。
どうやら普通ではないようですね」
王都グリアノスとその周辺州では、魔族に与する行為、魔族を庇う行為等は厳罰が課せられる。
よくて極刑、最悪の場合関係を疑われた自分の家族や知り合いまでもが粛清の対象になる。
そんな禁忌をこうも易々と口にする辺り、この赤黒い髪の男は正常ではないようだ、とカシウスは肌で感じ取る。
酷く濁ってはいるがよく見ればその瞳は金色に輝いている。
カシウスの茶色の瞳とは内包する力の種類が異なることを示唆している。
(鬱金色が示すは禍…………。
どこの血族にしろ今相手取るのは骨ですね)
バレンディア王国とその周辺国、同盟国も含め、おおよそ殆どの人々は青か茶色の瞳を持っている。
この大陸に生まれ、育ち、魔素に馴染むとこれらの色になるとされ、"普通"であることの証左である。
そんな世界で、ごく稀に変わった瞳の色を持つ者が存在する。
『色付き』と呼ばれる彼らは、通常の人間とは明らかに異なる魔法体系や身体能力、技術を持ち、そして大半の場合性格が大きく歪んでいる。
レンガ・ヴェスペリアと名乗ったこの男、恐らく本名ではないだろうとカシウスは推測する。
家を追い出されたか、はたまた元々破戒の一族なのか、どちらにせよ世俗と乖離するその思考に道理は通じない可能性が高い。
(…………それにしても、こうして対面すると全く殺意を感じない。
本当に、まるで道を尋ねるが如くといった風体ですね)
杖こそ握っているものの、それも手に持ってる程度の気の入れようだ。
おそらく先ほど遣わせた部下は無力化されたのだろうが、こうしてわざわざ顔を付き合わせてみれば、恨み抱かれている訳でもなさそうだ。
実に奇妙、不可解な男だ。
「…………わかりました。あなたの様な『色付き』、それも禍福の金となると敵にするには面倒だ。
それで、一度殺された対価に何を知りたがっているのですか」
秘匿こそ知られたものの、相手はおそらく狂人、言いふらす様な真似をするとは思えない。
それ以上に厄介な事になる可能性もあるが、今はこれ以上手元の有能な部下を失いたくはなかった。
「悪いな、助かる。
……この地下迷宮を通って魔族領に行くにはどうしたらいい?
地上はいらない面倒が起きそうでな」
はぐれ魔族を人間の手の届かない場所へと送り帰す。
一等星のドラゴンハンターと対峙して、その身に魔法を受けてなお、禁忌の目的の完遂を諦めない。
カシウスには狂っているとしか思えなかった。
それだけの事をして何が得られると言うのか。
だが、逆にこうも浮世離れしているのは好都合だとも思える。
「…………まず確認したいのですが、あなたはストーネスの地下迷宮にて魔族を保護している、という事でいいのですか」
「まあそんなところだ。成り行きで守ったら魔族領に帰して欲しいって頼み込まれてな」
その答えにカシウスの部下達に少しだけ動揺が走る。
当然だろう。その程度の事で都を、国を敵に回す人間がいるとはとても思えない。
カシウスとて何か深い事情があるのだろうと睨んでいた。
それがまさか口約束の頼み事程度だとは。
余程の壊れ具合か、もしくは国を相手取るほどの力を持っているのか。
どちらにせよ、なおさら敵に回すわけにはいかなくなった。
カシウスは斜め後ろに立つ部下達をちらりと見て、反対する者がいないか確認する。
幸いその行動の意味がわからなかった者はおらず、そして全員が声を上げず頷くに留めた。
「…………いいでしょう。
では地下迷宮とはまずどういった物なのか、教えて差し上げます」
レンガとしては随分あっさりと引き下がってくれたものだと驚いていた。
もう一悶着あってもおかしくはないはずだか、何やら金がどうのとこちらを恐れてくれたらしい。
リーシャを置いてけぼりにして一人先に情報を知るのは少し悪い気もしなくはないが。
だが、カシウスの語る内容は、レンガが期待していたものと少し異なっていた。
「まず、我々人類と魔族は完全な敵対状態にあり、お互いが存在を認めあった場合、どんな場所であろうと戦闘に発展します」
平和な世界とうたわれていた筈なのに、随分と物騒な真実がレンガの耳に入る。
表だって争うことはしてこなかったと、逆に水面下では牽制合戦に精を出していたのか。
それに、地下迷宮の説明をされるに至って、なぜこの話が前座に据えられるのか。
「もはや衝突は免れず、しかしお互いに責めあぐね何十年と経ちました。
数で勝る人間に、個で勝る魔族。
主に地理的な理由によって魔族は侵攻の足でたたらを踏んでいました。
悩んだ魔族達は、人間界の内部に一度潜り込んでしまえば、小さな身で大破壊を引き起こせる魔族の精鋭達によって大都市の制圧を容易に行えると考えたのです。
その為に、魔族はある手を打ちました」
語るカシウスはどこか言葉尻に熱がこもっている様な気さえしたが、レンガは黙って聞くに徹していた。
彼の語る話の内容が真実ならば、
「なぜ地下迷宮同士が繋がっているのか。
なぜ魔族領の地上にしか存在しない魔物が迷宮内にはいるのか」
「………………」
「簡単な話ですよ。
地下迷宮は魔族によって作られたのです。
人間界侵攻の足掛かりとなる前線基地として」
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レンガが転移の魔方陣の向こう側に行ってから二十分後。
リーシャ達は奇妙な集団に囲まれていた。
「おかしな話だよなあ!
カシウスさん直々の頼みとあって来てみりゃあ、魔族が二人だあ!?
しかも、それを庇ってる女が一人。
どう考えてもおかしい、おかしいよお前ら?」
粗野に大声を上げ、脅す様に叫ぶ茶色い癖毛の男。
その手には派手な意匠の弓、服装は竜鱗とおぼしき素材で出来た軽鎧、肩口には覆うように翼を模した何かの羽の束が伸びている。
それと似た格好の男女が他に七人。
彼らの視線はリーシャと、その後ろで怯える魔族の姉弟、ルシアとウィンに注がれている。
「ああ、名乗るの忘れてたな。
俺は『大鷲の猟団』の副団長、ステルク様だ!
お前らの後ろにある薄汚え魔方陣を消せって言われて来たんだが……」
「………………ひっ……」
「どうやら他にも消さなきゃいけねえものがあるらしいなあ!?」
ステルクと名乗った男の怒号と共に、魔力が吹き荒れる。
手に持つ弓は光り輝き、男の意思のままに破壊をもたらすであろうと一目でわからせてくる。
「副団長、あの女は私に殺らせてくださいよ。
ムカつくんですよ、ああいう澄ました顔の女は」
「あっズルいぞテメエ!
副団長! 魔族のガキの方殺させてくれ!
さっきの怯えた顔で気に入っちまった」
下卑た会話の内容に、ルシアもウィンも耳を塞いでしまいたくなる。
人間とはこういうものだ。
知っていただろうに、レンガとリーシャという異常者に触れてしまってからすっかり忘れていた。
ウィンの目に浮かぶ小さな涙を見たルシアは、リーシャの背から離れ、並ぶ様に横に立つ。
どうせ惨たらしく殺されるくらいなら、魔族として誇りを持って死にたい。
残酷な世界に抗いたいその一心で、震える足を押さえ付け、首に下げている古びた懐中時計を右手で強く握る。
「姉さん……?」
「大丈夫、ウィンは私が守るから……。
たまには、お姉ちゃんらしいところ見せないと」
その光景を見て、ステルク達の間で更に笑いが起こる。
人ならざる者が人の振りをしている様に見えたのが滑稽だったのだろう。
「急所は外せよお前ら!
折角のお楽しみなんだ、白けた真似はすんじゃねえぞ!」
「へへ、副団長も人が悪い」
「じゃ、まずはそこの女から」
言うが早く、風の様な踏み込みで槍を突き出してきたのは短髪の女だった。
持ち手と穂先に魔方陣が仕込まれたシンプルながら使い勝手のいい魔法槍。
リーシャの肩目掛けて放たれた鋭利な刺突は、しかしリーシャが軽く振った剣の腹でいなされる。
「ちっ、素人じゃなさそうね」
「はっ、あんな糞ほども魔力の無い女にまさか負けたりしねえよなあ?」
大きく後退した槍を握る女に対して、仲間から笑い声と野次が飛ぶ。
彼らにとってこれは殺し合い等ではなく、ただの虐殺。
勝つか負けるかではない。どれだけ面白おかしく、笑える様に殺すかで彼らは悩んでいた。
「一太刀」
「………………は?」
そんな中、鈴を転がした様な声が一つ。
団員の女の槍の一撃を"なんとか"防いだ、黒いバトルドレスの女が一言発したそれに、辺りは静まり返る。
絶体絶命の中で狂ったのだろうかと、ステルク達は嘲るような笑みを見せる。
だが、その面に笑みを作ったのは彼らだけではなかった。
「150年前は、多いときで一日に千人」
「……リーシャ、さん…………?」
隣に立つ彼女の様子がおかしい。
薄ら笑い、剣をじっと見つめるその様は何かに取りつかれている様にも見える。
「そして、150年の間、斬ることが出来たのはたったの一人。
つまり負債はおおよそ五千五百万人」
「なんだよ、イカれちまったかぁ?」
リーシャと槍を持つ女の目と目が交差する。
そこでステルク達はようやく気付く。
世にも珍しい赤い瞳は、大地の女神の祝福の証。
それをこうして見ることが出来るとは、王都でも広く名が売れている大鷲の猟団の面々でも初めての経験だった。
「左手の小指、動かしてみてください」
流れるような金髪に赤い瞳の女、リーシャがそう告げる。
槍の女は最初何を言われているのか、その真意を掴めなかった。
素直に動かすのは癪だったが、意識した結果少し力が入ってしまったため、結果として事態はリーシャの思惑通りに動く事となる。
「……へ………?…………ッ……!?」
槍を持つ女の小指に走る激痛。
斬られた事を思い出した彼女の身体が、やっと本来あるべき姿に戻る。
迷宮の堅い床に、何かがぼとりと落ち、赤い汁を散らす。
端的に言えば、彼女の左手から小指だけが斬り落とされていた。
「五千五百万って、膨大ですよね。
この大陸にそれだけの人間がいるのかも疑問です」
油断しきっていたとは言え、百戦錬磨であるはずの大鷲の猟団の一員が手傷を負わされている。
その事態にやっと彼らの顔から笑みが消え、本格的に臨戦態勢に入る。
だが、そんな事はお構い無しとリーシャは女神の様に笑いながら言葉を続ける。
「だから、あなた達の指を全部落として、その次に四肢を、最後に頭を落として数を稼ぎます。
運が良ければ多分痛むことはありませんよ、多分」
「……………リーシャさ━━━」
「やっと斬ってもよさそうな人間が現れたんですから、それくらいしても誰も怒りませんよね。
大丈夫、あなた達の屍はちゃんと弔います。
まあ私ではなくレンガさんが、ですが。
……というかあの人どこで油を売っているんでしょう。
あなた達知りません?」




