第十七話
ここはストーネスの地下迷宮地下二階。
レンガとリーシャ、それに魔族の姉弟の四人は早速迷っていた。
本懐を遂げられ心無しか迷宮の壁も嬉しそうに蠢いている。
「気持ちわる……、さっきからなんだよこの壁」
「生きていたら殺せるんですが、どうやらそうではないみたいです」
少しだけ鞘から浮かせた剣を再び戻したリーシャが残念そうに愚痴る。
この階の探索を始めてからずっとこの調子である。
「たまにあの犬が湧いてくるだろ。あれで我慢しようぜ」
「斬りがいが無いんですよ。大物か、大量に出てくるかしてくれないと」
ぶつくさ言いながらも歩みを止めない彼女を不安げに見つめる視線が二つ。
魔族の姉弟、ルシアとウィンのものである。
リーシャが敵を見つける度に、背筋が凍りつく殺気を息をする様に放つために、丸腰の二人には非常に心臓に悪い。
たとえ武器を持っていたとしても何が変わる訳でもないが。
「中央調査隊はどこまで行ったんだろ。
この階の音はどうだ?」
「うーん……、多分もう下に行ってるんじゃないでしょうか。
さすがに名前負けしない能力を持っているみたいです」
リーシャも素直に彼らの力量を認める。
人海戦術と迷宮探索に長けた種類の魔法を多く行使する彼らは、やはり一流と呼ぶに値するのだろう。
だが、今の四人の当面の目標は、ストーネスの地下迷宮の踏破ではなかった。
魔族領へ二人を送り返す事。
お守りが面倒だから、という理由でレンガが決めたのである。
二人としては嬉しさ半分申し訳なさ半分だったが、逆らう訳にもいかずそのまま決定された。
「確か逃げてる最中は階層の移動はしてないんだよな」
「あっ、はい! 多分この階で間違いないと、多分……」
しどろもどろに答えるルシアはやはりまだどこか緊張しているようだ。
それ以上に弟のウィンの方が肩肘を張っていたが。
同じ様な通路、同じく湧き出る魔法を使う犬の姿をした魔物。
どこまでものんびりとした二人の探索に、魔族の姉弟は少しだけ焦りがちらついていた。
当然それを口に出す様な真似はしないが。
「そういや魔族領ってどんなとこなんだ?
こっちにはまるで情報が無いんだが」
「…………えっと」
「…………………………言ったら、村長や皆に……、殺される」
口ごもったルシアの代わりに、弟のウィンがそう答える。
擦り切れた自分の靴を睨むように俯いている彼の表情は重たい。
どうやらあまり触れられたい話題ではないらしい。
「そりゃ物騒だな」
「人間に助けられたと伝えれば、あなた達はその方々に殺されるのですか?」
「……多分、祖母は……、村長は怒ると思います」
人間も魔族も変わらない。
リーシャはそう強く感じていた。
表面上は人類と魔族は敵対していないとの事だったが、やはり実情は違うらしい。
この様子ではいつ戦争が起こってもおかしくはない。既に小競り合いは頻発しているようだし。
「奪い合うのは楽しいですからね。
領土の為と始めた戦いが、気付けば相手を殲滅する為に全てを焼き払っている、なんて事もざらです」
「随分と飛躍したな……。
とはいえまさか魔族を見付け次第殺すのが王都の常識だとされたら、あながち間違いじゃないかもな」
「………………あの、ずっと気になってたんですけど」
自分の左手首を強く握りながらルシアが問いかける。
背はそう高くないのだが、姿勢が良いため、こうして歩いていると年齢以上に大人びて見える。
「お二人は、私達の事をどう認識されているのでしょうか……?」
「どうって、魔族だろ」
「私からすればあなた達姉弟と人間とで、何も大した違いは無いように思えます。
要するに今のあなた達はただの迷子の子供ですよ」
人間と違いが無い。
そう言われ頭に血が上りかけたウィンだったが、そう言い放ったリーシャの赤い瞳には何の色も感じられない。
侮蔑でも、同情でもない。
在るものを在るがままに告げただけだと雄弁に語る目。
「まあ、お前らぐらいの歳ですら俺より魔力量が多いってのは興味深いけどな。
特にルシアの方なんか、俺らの時代ですら滅多にいなかったぞ。俺の魔法の師匠並だ」
「あ……、当たり前だろう! 姉さんはな、大地の巫女の一等候補で………!
……………あ……」
「ウィン……、あなた」
直情的な性格なのか、素直にべらべらと情報を吐き出してしまったウィンをルシアが呆れた様にたしなめる。
別にレンガは誘導した訳ではないのだが。
「すみません、今聞いたことは……」
「誰に言いふらす気もありませんよ。
そもそもあなた達を利用したり、"使用したり"する気があったらとっくにしてますから」
二人の背筋にぞくりと怖じ気が渡る。
人はここまで冷たい目が出来るのかと思うほど、リーシャの瞳は笑っていない。
種としての人間も恐ろしい生き物だが、この人間達は全く違う方向で恐ろしかった。
「おっ、また来たな」
軽い口調のレンガと対照的に、ルシアとウィンは全身を強張らせ魔力を巡らせる。
奇妙な色の壁からぼとりと落ちたそれは、またしても犬の姿をした魔物。
目は血走り黒い大きな体躯と口から際限無く垂れる涎には正気の色が見えない。
五匹、六匹と次々湧き出し、それを片っ端からレンガが炎に似た何かの魔法で焼き払っていく。
「…………終わりかな。さすがに見飽きたな」
「れ、レンガさん…………。その、どうしてレンガさんは、それしかない魔力であれだけの魔法を放てるんですか……?」
飛び散った血や肉を塵に変えるレンガに、ルシアがおっかなびっくりと言った様子でそう訊く。
ウィンも同じ気持ちだった。
魔法に、魔力に秀でる魔族だからこそ、レンガの力はとてつもなく不可思議に映る。
「レンガさんの魔力……、全然減っていないのに……」
「ああ、事象の改変量に比例するはずの消費魔力が少なすぎるって事か?
そりゃあ、この世界の法則だからな。あんまり俺には関係無い」
言っている意味はまともに受け取れるものではなかったので、ルシアもウィンもあまり納得は出来なかった。
まるで、自分が外界からの使者だとでも言う様な態度。それも嘘をついている風でもない。
自分達はとんでもない"もの"に着いていってしまってるのではないかと、今更ながら二人は危惧していた。
「レンガさん、あれ、魔方陣じゃないですか?」
「…………壁にひっついてやがるな」
しばらく歩いて見付けたそれは、今までの足元に展開するタイプの魔方陣と大きく異なるが、魔法の詳細を見てみれば同じ様に『転移の魔法』であった。
「……この迷宮に侵入したとき、降り立った場所の天井にも転移の魔法が張り付いていた。
地下一階はぶち破って来たからわからねえが……………………、となるともしかして向かう方向に張り付いてんのか?」
「天井ならば上階へ、同様に地面ならば下階、だとすると横壁に付いているのは………………」
最初に踏み出したのはレンガだった。
リーシャが喋り終わる前に、その壁へと向かって歩みを進める。
「…………リーシャ、お前はそいつら見てろ。
とりあえず偵察してくるわ」
「わかりました。行ってらっしゃい、レンガさん」
例えばもし、これが違う地下迷宮に繋がっていたとして、出たその先に人間がいれば大いに不都合が生じる。
狂暴な魔物がいるかもしれない、無数の罠が待ち受けている可能性もある。
ここは一番対応力があると自負しているレンガが先陣を切ることにした。
「出来れば面白い場所で頼むぜ」
そう口にして、レンガは光の中へと消えていった。
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視界が光に覆われたのも一瞬。
レンガはすぐさま辺りを見回す。
「これは………………、あいつら連れてこないで正解だったな」
切っ先が三つ、魔方陣が五つ。
そのどれもが焼き切った様に鋭利だったが、中でも抜きん出ていたのは十八の瞳だろう。
全てがレンガに向けられている。
「投降しなさい」
白く長い髪を綺麗に整えた、一見すれば女の様な容貌の背の高い男がそう告げる。
傍らで武器や魔法を展開する者達と異なり、彼だけがなんの武装もしていない。
だが、その立ち振舞いから普通ではない事はレンガにも十分伝わる。
背に追う転移の魔方陣はなぜか機能しない。
「苦しんで死ぬか、楽に死ぬか。選ばせてやると言っているのです」
「……誰だ、あんた?」
取り合わず、そう訊いたレンガに対してどよめきが起こる。
武器を構えた人間達の中には怒りに顔を赤く染める者や、驚愕に目を見開く者もいる。
「なるほど、田舎者でしたか。これは失礼」
恭しく、押し付けがましい優美さで白髪の男は胸に手をあて礼をする。
レンガは彼らの統一された服装を見て、ルシアの言葉を思い出していた。
上着やズボン、ブーツやマント、そのどれもが白で固められている。
「私はカシウス・バランシア。
一等星の竜狩りにして、人を滅ぼす者です」
静かながら高圧的なその言葉を聞いて、レンガはつまらなさそうに杖を取り出した。




