第十六話
(よく食うなこいつら……)
飢餓状態の時は一度の食事であまり量を取らない方がいいとどこかで聞いたのを思い出しながらも、レンガは四杯目となる魔族の少女のおかわりのお椀をよそっていた。
年頃は十五、六くらいだろうか。
浅黒い肌と赤い髪には、少しだけつやが戻ってきたようにも見える。
好きに食べていいとレンガが言ってからは、魔族の姉弟は無言で馬鈴薯と人参のスープを食べ進めていた。
まあ育ち盛りだろうし、どうせ自分は大して食べないのだとたかをくくっていたが、既に鍋の中は空になっていた。
原因は一つ。
「もう無くなっちゃったんですか。
中々美味しかったですね」
「…………」
この女である。
魔族の少年が三杯、少女が四杯、
そして剣神ことリーシャ・マナガレウスが六杯。
幸せそうな顔で食べるものだからレンガはついぞ口出ししなかったが、どう考えても食べ過ぎである。
「……? どうしました、レンガさん?」
「……遠慮って知ってるか」
「私とレンガさんはそんな間柄ではないでしょう」
ずいぶんと頼もしそうな顔でそう言われ、レンガは反論を諦める。
まあ捨てるよりはいいだろう、そう自分に言い聞かせ、魔族の姉弟が食べ終わるのを待つ。
一応急かす様な態度を取らない為に漆黒の杖を整備する振りをするレンガ。
そこまで気を揉むのもどうかと自分でも思ったが、相手は遥か年下なのだ、たまには年長者として振る舞うのも悪くない。
しばらくして食べ終わった魔族の姉弟は、おずおずとしたまま膝立ちになり居住まいを正す。
これが彼らなりの礼儀なのだろうか。
そこでようやく、彼らは口を開いた。
「あの…………、ありがとう、ございます」
赤い髪を肩まで伸ばした魔族の少女が上目遣いでそう言う。
レンガは別の方向を向いていたため、必然的にリーシャに向かって彼女はそう言った。
「あっ、ありがとうございます!」
遅れて弟と思われる少年が続く。
怯えてはいるが、どうやら少しは心を開いてくれたのだろうか。
一瞬だけそう考えたレンガは、しかしすぐに自分の考えを否定した。
先ほどの中央調査隊の発言から、彼ら魔族が個人ではなく、人間という種族そのものに命を狙われているのはよくわかっていた。
いくら命を救われたからと言って、安心など出来るはずがない。
「一応聞いとくが、お前らは魔族、でいいんだよな」
「……っ!」
「…………はい……」
膝に置いた手に力を込め黙ってしまった少年に代わり、少女が力無く答える。
この反応は予想出来ていたためにレンガに驚きはない。
「一つ聞くが、お前らなんで地下迷宮なんかにいるんだ?」
「それは……」
「…………地上にいたはずが、気付いたら迷宮にいて……、それで人間に追われて……」
沈痛な面持ちでそう答える彼らは嘘をついている様には見えない。
本当に何も知らず迷い混んで来たのだろうか。
「ってことは半日近く中央調査隊に追い回されてたのか。そりゃあ腹も減るよな」
「…………あの」
「ん?」
「私達が迷宮で人間に追われ始めたのは五日前、です……。
初めは弓や剣を持った人間で、その後は白い服と帽子を揃えた人間、最後にさっきの兵隊です」
首に下げた小さな鎖付きの懐中時計を握りながら、魔族の少女がそうこぼす。
五日前、という言葉にレンガは当然違和感を感じていた。
この『ストーネスの地下迷宮』が発見されたのは早くて三日前だったはずだ。
それ以前は、あの巨大な門に囲まれた入り口があった場所には何も無かったとストーネスの住民は言っていた。
魔族の姉弟か、街の住民か、誰かが嘘をついているならそれで終わりの話だが、"誰も嘘をついていない"となると話は変わる。
「お前らは、元は北の大地、魔族領に居たんだよな?」
「……はい。
冬支度の為に、二人で大きい街に向かっていたら突然こんな場所に飛ばされて……。
魔素も多いし、人間はいるし……」
「………………」
この様子ではおそらく魔族は地下迷宮の存在を知らない。
この二人が幼く、一般的な知識に疎いだけという可能性も低くはないが。
「リーシャ、どう思う」
「北の地で転移の魔方陣を踏み、このストーネスに跳ばされた。ここまではおそらく正しいと思います。
しかしそれだけでは日付のズレを説明出来ませんね……」
「………………逃げてるとき、踏んだかもしれない」
それまで黙っていた魔族の少年がぽつりと呟く。
「さっきの……、あんたが使った魔法に似たもの……。
夢中だったからおぼろ気だけど……」
「………………………………最初にお前らは他の場所の地下迷宮に跳ばされ、その中で追われ、転移の魔方陣を踏んで今度はこっちに跳ばされた、って事か?
各地の地下迷宮が繋がってるなんて情報、初耳だぞ」
「最下層まで隅々調べ上げられている地下迷宮が王都近くにあったはずですが。
もしかして全てが繋がっている訳ではないのかもしれませんね」
もしそんな事実があればもっと知れ渡っているはずだろう。
中央の情報規制なども考慮に入れなければならないが、そもそも人々に解放している以上箝口令にも限界はある。
(信の置ける一部のドラゴンハンターや中央調査隊に危険度調査の名目で斥候の真似事させてんのは、もしかしてその事実を隠すためか……? いや、だとしてもそいつらだけで隅々まで調べられる訳がねえ)
杖を握ったまま立ち尽くすレンガに視線が注がれる中、リーシャは一人別の方向を見ていた。
今四人がいる場所は迷宮の中でもとくに開けた大広間。
四方にはそれぞれ道があり、後にこの地下迷宮が一般人に解放されたならば、ここはいい休息地となるだろう。
そう心の隅で考えていたレンガとは裏腹に、リーシャは立ち上がり唐突に腰に差した剣を抜く。
「…………ひっ!」
「……ああ、大丈夫ですよ。あなた達は斬りません」
すらりと伸びた抜き身の剣。
なんの飾り気も無く、ただ斬るために造られたとしか思えない意匠。
『神剣マナガレウス』
とにかく丈夫で壊れない剣を作って欲しいと頼まれた共和国の鍛治師達が、ありとあらゆる手を尽くし造り上げた、ただ堅く鋭利なだけの剣である。
当時、魔方陣を織り込んだ魔法剣が主流だったのに対し、若き剣神が要望に出したそれはあまりにも無骨で味気無く、力の象徴として彼女を推し出そうとしていた共和国の首脳らは渋い顔をしていた。
しかしその剣を携え、戦場で幾度も人を魔法を斬る内に、いつしか神剣には強い断魔の力が宿るようになっていた。
その原理は一切解明されず、しかし強大な魔法を刃の一振りで斬り捨てる彼女の姿は共和国の人々を大いに奮わせた。
そして極めつけは魔神の存在。
天をも焦がす彼の魔法を幾度と無く受け続けた結果、神剣はその銘に何一つ恥じない討魔の兵器として完成した。
それから150年。
ただ一つの刃こぼれも無く、現存している。
「ほら、お出ましですよ」
リーシャの言葉が響いてすぐさま、迷宮の堅いはずの土から、まるで湧き出るように犬のかたちをした何かが生まれる。
「狼か、猟犬か?」
「き、気を付けてください!
あれは魔物です!
でも、本来は地上にいるはずなのに……、なんで…………!」
十匹ほど、やかましく水音をたてながら生まれた大きな犬のような何か。
レンガはそれらから目を離さず、その思考は別のところにあった。
魔物とは、地下迷宮のみに存在する謎の生き物である。
それが人間の一般常識だ。
そして、彼ら魔族が魔物を知っていてもそうおかしな話ではない。
だが、今、彼女が言った"地上にいるはず"という言葉は聞き逃せなかった。
北側の大陸では魔物が闊歩しているのだろうか。
なぜ南側の大陸では地下迷宮内にだけ存在するのか。
一瞬だけ喉を鳴らした後、瞬く間に魔物達の鼻の前に魔方陣が展開される。
「魔法!? 面白いな!
ドラゴンが使うならまだわかるが、犬っころごときがそんなもんを作り出せるとはな!」
目を輝かせたレンガが鞄から取り出したのは、一冊の大きな白い本。
魔神の図鑑である。
魔法を構築中の魔物達を、どこからか取り出した黒いペンで見開きの左側に転写する。
逃げるでもなく楽しむ彼を見て、魔族の姉弟は困惑していた。
だが、こんな妙な状況は実は初めてではない。
先ほど鎧を着た人間達に囲まれていた時も、この二人はとても楽しげだった。
頭のネジが外れているのか。
もしくは、
「もういいですか、レンガさん」
「おう、いいぞ」
そのやり取りを交わした刹那、リーシャは一歩踏み出し、空を撫でるように真横に剣を振るう。
その直後、剣の間合いの遥か先、魔物達の居た場所の景色がズレる。
「………な…………、なに……今の……」
魔方陣は宙に浮いたまま、犬の姿をした魔物達もその足で立ったまま、ぴたりとも動かなくなる。
立ち上がり逃げようとしていた魔族の姉弟は、その光景に魔法を見出だす。
拘束の魔法、昏睡の魔法、麻痺の魔法。
だが、そのどれでもない。なまじ魔族がゆえにわかってしまう。
剣を握る彼女には一切の魔力が無く、魔法が放たれた痕跡も皆無だという事に。
「命を斬りました。
もう襲ってくる事はありませんよ」
事も無げにそう言うリーシャはゆっくりと剣を鞘に収める。
魔族の姉弟は自分の身体の震えを自覚していた。
剣技の類いに明るい訳ではない二人でもはっきりとわかる、絶対的な力。
命を救ってくれたはずの彼らが、命を狙ってきた人間達よりもずっと恐ろしく見える。
「もしかして下層に行けばもっと面白い奴がいたりしてな」
「安直ですが私も同意見です。
もっと斬って、斬って、斬りまくりたいです。
この際、人でも魔物でもレンガさんでも構いません」
「なあ、リーシャ。理性って知ってるか」
「犬の餌ですよね」
「蛮族かよ……」
そんな会話も怯える二人にとっては大分恐ろしかった。
おそらく杖と剣を持つこの二人がその気になれば、自分達の命など一瞬で終わってしまう。
その事実はあまりにも鮮明に死を連想させ、恐怖を加速させるものだったが、同時に二人は少しだけ安心もしていた。
きっとこの恐ろしい人間達は、自分達に何の興味も無いだろう、と。
ただそこにいるだけで襲いかかってきたり、魔力に優れる肉体を研究材料にするために懸賞金をかけられたり。そんな考えはこの人間達からは微塵も感じられない。
「じゃあ行くか。お前らももう面倒事に巻き込まれんなよ。
あと食った後に激しい運動すると腹痛くなるからな」
なぜか甲斐甲斐しい言葉を残して、レンガは探索に戻る。
後を追うようにリーシャもその場を去る。
魔族の姉弟の予想通り、この二人の目には多分自分達がそれこそ人間の子供と同じものとしか映っていないのだろう。
なんの未練も無く、あっさりと放される。
「……………………あの!」
その背にかけられた、少女の声。
足を止め振り返る二人に、赤い髪を震わせて、精一杯彼女は叫ぶ。
「……………わ、………私達を、助けてくれませんか!」
「……姉さん!? 何、言って……!」
機嫌を損ねれば殺されるかもしれない。
天災に命を助けられたならば、同様に天災に命を奪われてもおかしくはない。
後者の方が圧倒的に現実味があり、自分達はたまたま運が良かっただけだ。
それでも、損得勘定の天秤を精一杯揺らし、魔族の少女はこの行動に至った。
「多分、私達はこのまま二人でいても、人間に殺されます……。
だから……、あなた達を、利用させたください」
「…………」
「身の回りの世話でも何でもします!
家にある高価な物も、全部差し出します!
だから……!」
ぼろ切れの様な服。
傷付いた身体。
そして、目には涙を浮かべ、"見捨てれば死ぬぞ"と叫ぶ少女。
見下し、蔑んでいる人間相手に頭を下げる姉を、拳に爪をたて強く握り、じっと我慢して見ている少年。
そう間を置かず、答えは返ってきた。
「弱さとは、無防備とは、いつの時代も卑怯なものですね」
「全くだ。こんなもん断ったら俺らが悪そのものじゃねえか」
後ろ髪を掻きながら、レンガは呆れた様にそう呟く。
「まあもののついでだしな。
ちゃんと言う事は聞くんだぞ」
「………………! ありがとうございます……!」
「あ、ありがとう、…………ございます」
涙を切って笑みを見せる少女と、どこかやりきれない顔の少年。
二人は走ってレンガとリーシャの背を追い、旅を共にする事になる。
「……あ、それで……その、私、ルシアと言います」
「………………俺はウィン…………、です」
大広間から小道、━━━といっても天井までも横幅も大分広いが━━━、を選択し、歩きだした四人。
怯えた態度はどこへやら、二人の魔族の少年少女、ウィンとルシアは少し上ずった声で前を歩く二人に話しかけていた。
「私はリーシャです。それ以上は聞かない方がいいかもしれませんね」
「俺はレンガ。そんだけだ」
誰もところを表す姓を名乗らなかったが、言及する者もいない。
楽しい迷宮探索が、予定の人数を倍して始まったのだった。




