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第十五話

世界は理不尽である。

魔族の少年、ウィンはそう信じて疑わなかった。

事実、不条理はいついかなる時でも付きまとい、困難の壁は無数に立ちはだかっている。


生きているだけで、殺される。


そんな世界を憎まずにはいられなかった。



「レンガさーん、あなた、人には独断専行するなとか言うくせに自分は突っ走るんですね」


「仕方ねえだろ、妙な魔力の灯火が不安げに揺れてたんだ」


「言い訳無用です。そんなだから150年前も裏切られ続けたんですよ」


「うぐっ……」



闖入者は赤と黒の髪の男だけではなかった。

薄暗い迷宮を照らす『喚石よびいし』の淡い光を反射して輝く金色の髪。

勝ち気なつり目に赤い瞳。黒を基調としたバトルドレスの似合う女。



(誰だこいつら……? いや、それよりもどうやって地下迷宮の壁や床を壊したんだ……? くそっ、姉さんさえ動ければこんな奴ら……!)



ウィンは混乱に乗じて逃げようとしたが、三つ歳の離れた姉が苦しげにうずくまっている。

無理もない、ここまで緊張の中全力で走り続けていたのだから。

万事休す、だった。



「ま、魔神、だと……? 何を寝惚けた事を」


「この『ストーネスの地下迷宮ダンジョン』は既に王立騎士団及び中央調査隊の管理下にある。

どの様な手段を用いたかは知らないが、それを破壊するなど、死罪に値するぞ!」



全身鎧に身を包んだ、声からして恐らく女性の兵士が二人の男女に向かって怒号を投げかける。

敵の敵は味方か。

ウィンは状況を見極めようと必死になっていた。


もしかすれば、助かるかもしれない。

何か策を、



「あーはいはい。面倒くさがって床ブチ抜いたのは謝るよ。後で直すから」


「ぷっ、レンガさん、怒られてますよ」


「子供かお前は」



真面目に考えるウィンの頭上前方ではそんなふざけた会話がくり広げられていた。

姉の背をさすりながらしゃがんで見る二人の謎の男女の背格好は、なぜかとても大きく感じる。



「貴様ら……、余程死にたいと見える。

…………総員、魔法展開!」



両脇から挟むように無数の魔方陣が宙に貼られる。

逃げようが無い。

この男女二人が交渉ごとに長けているだとか、権力者の知り合いだとか、そういった展開を期待していたウィンは奥歯を噛み締めていた。

何をしに来たのだ、こいつらは。



「ん……? おい、リーシャ。こいつらの肌、もしかしたら」


「……魔族! 凄いですよレンガさん! 私初めて見ました!」


「俺だってそうだわ。

しかし、見たところ血の色も一緒だし、違うのは肌の色と牙だけかあ。

こんなんじゃ人間と何も変わらねえな」



突然興味を向けられ、ウィンとその姉、ルシアは身体を強張らせる。

麻の服からはみ出る素足や腕にはいくつかのかすり傷と、そこからはほんの少しの赤い血が付いていた。


値踏みする様な眼差し。

しかし、その発言はどこか奇妙な部分があった。



(人と変わらない、だと? この人間ども、やはりふざけている……!)



絶体絶命な状況にも関わらず、ウィンは憤っていた。

人間などという醜く、愚かな者達と一緒くたにされる事が我慢ならない、そうありありと表情に出ている。

やはり、敵なのだ。



「なあ、そこの女将校さん。こいつら殺したいのか?」



握りこぶしに親指だけを立ててウィン達に向け、赤黒の髪の男がそう問う。

いつでも魔法を放てる様に展開されたその陰から、声は返ってきた。



「…………貴様、馬鹿にしているのか?

魔族だぞ。人類の敵だ。

そいつらを生かしておけばいずれ誰かが殺される。

私の部下が、友が、家族が━━━」


「俺達はそんな野蛮な生き物じゃない!

殺すことしか知らないお前達と一緒にするな!」



我慢の限界とばかりに、ウィンは会話を遮ってそう叫んでしまう。

謂れの無い言いがかりで命を奪われる理不尽さにもはや耐えられなかった。

ただ一人の肉親である姉と、静かに暮らせるだけでよかった。

そんな些細な願いすらも、世界は許してはくれない。



「…………時間の無駄だな。

殺せ」



全てが同じ魔法。

数百の光の矢が全て自分達に向かって飛んでくる。




目を瞑り終わりを受け入れたウィンは、しかし来るはずの痛みが、衝撃がいつまで経っても訪れない事に怪訝そうに目を開く。


世界から音が消える。

魔法に長ける魔族のウィンには、それが何かわからなかった。

ただ、おぞましい何かが赤黒い髪の男の魂に巣食っている様な。



「話し合いの余地もねえのか。

喧嘩っ早いんだよなあ、人間ってのは昔っから」


「な…………何が……? 私達の魔法は……、どこへ……」



唖然とするくぐもった女の声が鎧の中から聞こえてくる。

光の矢は、魔方陣は全て消え去っている。

ウィンも彼女らと同じ気持ちだった。


まるで自分達を庇うように立つ二人の男女に、驚きと疑問が次々と生まれる。



(どうやってあんな強力な魔法を消した……?

どちらも大した魔力量でもないのにどうやって……?)



金髪の女の方からは、奇跡と言っていいほど全く魔力の気配がしない。

男の方は人にしては魔力はある方だが、魔族からしてみれば子供の様なものだ。



「……う、ウィン……? にげ、て……」


「姉さん!? くそっ、このままじゃ……」



元々が病体なうえ、それを散々連れ回したのだ。

ルシアは苦しげに呻き、身体をウィンに支えられながら自分の胸を押さえている。



「あん? ああ、中毒か。

あったよなあ、俺らの頃も」


「大方あなたのせいでしたけどね。

あれだけ馬鹿みたいな威力の魔法を好き放題放って濃度を上げれば普通の人は息も出来ませんよ」



『魔素中毒』

魔素の濃度が極端に高い場所に一定以上の時間いると、魔力として使役できる魔素の許容限界を短時間で超えてしまい、結果、視覚、聴覚、三半規管や酷いときは内蔵に大きなダメージを受ける事になる。


地下迷宮ダンジョン内は地上に比べて魔素が多い。

それに加えて、今中央調査隊の面々が放った魔法と、それをかき消した力の相克、さらに閉所という事も相まって、この場の魔素の濃度は一時的に上昇していた。


ルシアは咳き込んだ末に大量の空気を肺に取り込んだのも原因の一つだろう。

放っておけば、命に関わる。



「さて、俺はどっちの味方につけばいいんだ?

自由に世界を謳歌する為には、あんたら中央調査隊に目をつけられるのは御免だ。

争いなんて、無いに越した事はない」


「……………………ならばそこを退け。

今なら罰金刑だけで済ませてやる」



女将校、レジーナの言葉に部下達は少しだけ狼狽える。

魔族を庇った人間など、どう考えても死罪が妥当だ。

国家の敵どころか、人類の敵である。

それなのに、なぜ自分達の上司は、上官は譲歩する様な態度なのだろうか。眉をひそめるのも無理はなかった。

だが、続くレジーナの言葉が、まるで理解出来ない者らにあえて説明するかの様に迷宮に小さく響く。




「………………魔法を消す、地下迷宮ダンジョンの床を破壊する。

貴様らの力は未知数だ。こちらとて争いたくはない。

今回だけは減刑に留めてやる」


「……………………」


「……聞いているのか…………!

退けと言っているのだ!!」



声を荒げるレジーナを無視して、謎の男はウィン達を見ていた。

ウィンにはその濁った金色の瞳が自分達に何を見ているのかさっぱりわからなかった。

緊張状態の中、男は飽きたのか視線を外し、隣に立つ金髪の女に向き直る。



「なあ、リーシャ。自由ってなんだ」


「死、ですよ」


「……だよなあ。生きてる限り、不自由は付きまとう。

力を得て、視野が広がるほど自分を縛る鎖の数に気が付いていく。

行き着けば、自由なんて最初から無いことを知る。

世界ってのはどうも駄目だよなあ」



同じ言語のはずが、まるで違う世界の言葉を聞いている様な錯覚にウィンは囚われる。

何を意味不明な事を語っているのだろうか。


自由だの、不自由だの。

定義のあやふやな言葉をつかまえて真剣に語らうには、今この場はあまりに剣呑である。



「長い付き合いになりそうだな。

女将校さん、名前は?」


「…………それは、転移の…………!?」



噛み合わない会話のまま、謎の男女が立つ地面を中心に広がった巨大な魔方陣は、あっという間に"四人"の姿を消し去った。


レジーナには確かに今の魔方陣に見覚えがあった。

細部こそ違いはすれど、間違いなくあれは『転移の魔法』。


地下迷宮ダンジョンのみに存在する術者不明、原理不明の術式は、長らく王都の魔法研究会での主だった題材となっていた。

解明出来れば、この広い大陸の街のどこへだろうと一瞬で移動可能になる。

だが、その熱意と研究費に対して目覚ましい成果は上がっていない。


知り合いから愚痴混じりにその事をよく聞かされていたレジーナは、今目の当たりにしたものに驚愕していた。



「…………何者だ、奴らは」



追っていた魔族共々逃がしてしまったのは大きな失態だ。

誉れある中央調査隊の副隊長として、汚名返上の為に部下達に檄を飛ばし更なる下層へと彼らは向かった。




━━━━━━━━━━━━━━━━━━




「レンガさん、今の魔法ってもしかして……」


「ああ、一応は『転移の魔法』だ。

ただ、肝心の仕組みの部分はさっぱりわからなくてな。

入り口にあった魔方陣を転写して変数に当たる部分だけ書き換えた。


しっかし、ぶっつけ本番だったが上手くいってよかったなあ。

最悪あのやたら堅い壁の中に埋もれてる可能性もあったし」



あまりにも向こう見ずな発言に呆れるリーシャ。

人の事をとやかく言っておきながら、自分もまるで考えてはいないではないか、と口には出さず白けた目を向ける。

あのまま彼らと刃を交える気だったリーシャからしてみれば、あまり面白くない展開だ。


なにせこの世界に戻ってきてから一人たりとも斬っていない。

戦闘狂にとっては平和な世界とは地獄に等しい。



「"彼ら"を助けたのは、転移の魔法を使いたかったから、という訳ではないでしょう?」



そう。二人だけで話してはいるが、今この場所、『ストーネスの地下迷宮ダンジョン』の地下三階の大広間の端には四人の男女がいる。


レンガ、リーシャ、それに魔族の少年少女である。



「あいつらが悪で、こいつらが正義だなんて保証はどこにもない。

ただ、まあ。こうも怯えられてはなぁ……」



浅黒い肌、真っ赤な髪、長い犬歯。

レンガもリーシャも、彼らを見るのは初めてだったが、一目で魔族だとわかった。


お互いを守る様に抱き合う二人からは、魔素、もとい魔力を何倍も濃密にした気が秘められている。

とくに少女の方は、魔素中毒から回復したのか、毅然とした眼差しに相応しい強い意思と魔力をひしひしと感じる。



「成り行きで助けた様な事になりましたが、今一度説明が必要ですね。

魔族の方々、言葉…………は同じでしたね。

こちらに敵意はありませんから、話して頂けませんか」



二人に視線の高さを合わせる様に屈むリーシャ。

その際腰に差した剣の鞘が壁面の『喚石よびいし』の光を反射してきらりと光る。

それがまるで殺意の様に鋭利に見えて、魔族の少年は肩をびくりと震わせた。



「お前、顔はいいのにまるで子供に懐かれないよな」


「近寄りがたい美人と受け取っておきます」



怯えるだけの彼らを諦め、リーシャは立ち上がり腕を組む。

楽しい迷宮探索のはずが、なぜか子供のお守りをすることになっている。

それはそれでいいのだが、いかんせん要領を得ない。


二人で悩んでいると、

きゅるる、と小さな音が鳴った。

静かな迷宮の中なのが幸いしたのか。


その腹の虫の音は、頬を染めて腹を押さえる魔族の少女のものだった。



「……………………」


「……………………」



顔を見合わせるレンガとリーシャ。

そういえば、人は食べなければ生きていけないのだった。

二人ともそんな感想を同時に抱く。


彼らがどんな事情で追われていたのかは知らないが、頬はやつれ、服はぼろぼろで、血と泥の痕の残る肌を見せられては、さしもの心無い二人でも手を差し伸べずにはいられなかった。



「……………………カビてなきゃいいが」



レンガは徐に鞄に手を突っ込み、がさごそとその中を漁る。

次々と取り出したのは禁書、神具、怪しげな瓶など様々である。

一体その大きさの鞄のどこに入っていたのか、突っ込みを入れる者はいない。



「…………おっ、あった」



やがてレンガが取り出したのは、至って普通の鍋。

それを、紫と黒と灰が混じり合う迷宮の地面に起き、不思議そうに見ている魔族の少年少女らにレンガは背を向け胡座をかく。

自分の髪を二本、赤と黒のそれを一本ずつ並べ、両手を合わせてそっと祈る。



「『写・宇迦之御魂神うかのみたまのかみのうつし』」



無造作に置かれた二本の髪の毛が灰のように消え去ると同時に、その下から一つの小さな芽が出る。

青々とした双葉。

レンガの鼓動が一つ鳴る度に、それは成長していき、やがて五メートル近く上の迷宮の天井にぶつかるまで伸びる。

幹からは葉が渡り、その葉の先には、

なぜか馬鈴薯と人参がなっていた。



(なぜ地下茎や根のはずの可食部分が枝葉に実ってるのかさっぱりわかりませんね……。

レンガさんも、宿られてる神様もその辺り適当過ぎるのでは……)



リーシャの思っている通り、大分奇妙な光景だったが、神降ろし中の本人としては至って真剣である。

レンガは手でもいだそれを宙に放り、やっと出番が来たとばかりに、リーシャは右手の人差し指に力を込めて振るう。

そのまま食材は空中で一口大の大きさに綺麗に斬られ、鍋に吸い込まれる様に落ちていく。

魔法で水を張り、これまた魔法で鍋の底を熱する。



「味付けはどうしますか?」


「塩と胡椒はあるから、後は…………うーん、コンソメの神様はいないんだよなあ」



話している間にも具材は煮え、微かに甘い匂いが漂う。

レンガの物々しい髪を触媒に、神の力をもってして育てた野菜ともなればさすがに味も宿るのだろうか。


少ししてから、小さな匙でレンガが味を見る。

シンプルな味付けながら、野菜の旨味が引き立つ中々の出来映え。



「完成、魔神スープ」


「食器はこの辺のを使いますか」



リーシャが手に取ったのは、先ほどレンガが鞄から無作為に取り出した祭具やら神具やら禁断の兵器やら。


魔族の少年には真っ黒な謎のお椀が。

少女には血の様な赤色の大きな謎の御猪口が。


それぞれスープをなみなみと入れられ、二人に手渡される。

二人にスプーンを渡して、レンガは両手を再び合わせる。

四人は鍋を囲んで座っている。

二人の少年少女は終始困惑していた。



「魔神様と……あと豊穣の神様に、そのお命お恵みに感謝して、

いただきます」


「いただきます」



レンガもリーシャも、必要が無いというだけで食べる事が嫌いという訳ではない。

たまにこうして舌を使ってあげなければ、土や草すら美味と感じてしまう。

それに気付いたのは殺し合い始めてから五十年してからだったが。



「ん? 何してんだお前ら。食え。飯食うのが遅い奴は大成しないぞ」


「レンガさん、なんか嫌な上司みたいですね」


「ちょっと心当たりがあるからやめろ」



その言葉にお椀(?)を持って固まっていた二人は目を見開き、顔を見合わせた後恐る恐る口に近付ける。

優しい畑の香りが鼻を通り抜け、続いて少しだけの塩味と微かな胡椒の刺激が後を追う。


三日間、飲まず食わずで逃げてきたその身体に、温かい味が染み渡る。

何の警戒もせずに人間から渡された物を口にするくらいには、二人は飢えていた。



「…………………………!」


「そりゃ美味いに決まってんだろ。

神様の味だぞ、栄養も満点だ」


「まあ触媒はレンガさんのかみの━━━」


「言わんでよろしい」






十五分前までは別の人間と命のやり取りをしていたというのに、なぜか今また別の人間と今度は団欒に身を置いている現状は、魔族の二人にとって違和感を抱かざるを得ないものだったが、

それでも、喉を通るスープは温かく、それだけで暗い迷宮が少しだけ明るく感じられた。

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