第十三話
銀色のドラゴンは去り、ホシドリの樹海に残されたのは小さな人間が十人そこらと、白く錆び付いた巨大な脱皮殻が一つ。
「レンガさん、これ表紙に使うのはどうですか」
中指でノックするようにリーシャはそれを叩く。
既に固まりつつある脱皮殻は硬質な音をたてる。
「折角だし頂くか。いいだろ、ガイウスさん?」
「…………あ、ああ。好きにして構わない。
そもそも私の物というわけでもないのだ」
急に話を振られ、狼狽えつつも返すガイウスにジズやその部下達も現実に引き戻される。
随分と長い間、神秘的な光景に目を奪われていた様な感覚が彼らに残っていた。
翼に当たる部分をリーシャが剣で切り取り、レンガがそれを明らかにサイズ違いな鞄に無理矢理詰め込む。
「大主様、我々はそろそろ……」
「…………………そうだな、いつまでも屋敷を空ける訳にはいかん」
黒いマントの男達は律儀に破壊された自分の武器を回収し、ジズの指示を待っている。
潮時だろう。
膝元の土を払い、ガイウスはレンガに向き直る。
「今回の一件、貴殿らがいなければ我々は取り返しのつかない事をしていたかもしれない。
ドラゴンから街を…………………、いや、違うな。
…………ドラゴンと街を守ってくれて、感謝する。
あれに手を出していれば、我々は……、人類は新たな強大な敵を生み出していたかもしれない」
「気にされなくていいですよ。
楽しかったですから。
ね、レンガさん」
「記念すべき最初のページも埋まった事だしな」
肩を並べ穏やかに笑いあう二人。
先ほどまで瞳に宿していた殺意が嘘の様に消えている。その姿はガイウス達から見れば普通の年頃の若い男女である。
だが、普通ではない。
最低でも二等星、ともすれば大陸でも数えるほどしかいない一等星級の戦闘力。
それ以上にその精神と、胆力はその若さで培えるものではないと老執事ジズは確信していた。
だが詮索する様な真似はしない。
彼らは旅人で、たまたま訪れたオーランの街を、偶然救った。
それ以上踏み込めば、互いに不都合が生じるかもしれない。
「謝礼は言葉ではなく形のあるものを送りたい。
その力に見合う程のものを出せるかはわからないが、仮にも街の支配人としてある程度の融通は利かせてみせよう」
「……いらない、って言えれば格好良かったんだけどな。
出来れば王都までの路銀を少しばかり……」
「……………………それだけか?」
「欲しいものですか…………。
この世界の謎、とかありませんか?」
あまりにも漠然としすぎている問いにガイウス達は答えに窮する。
その手を伸ばせば大概の物には届く二人が欲するのは未知。
顔を見合わせるジズの部下達、見かねたレンガが助け船を出す。
「地下迷宮とか、あとは不明大陸とかについて、何か知ってれば教えてほしいんだ」
「ふむ…………、生憎だが世間一般に知られている内容しか私達も持ち合わせていない。
王都に行けばあるいは……」
地方の外れの街とは言え王都の裏側に多少なりとも通じるガイウスですら一般常識以上の心当たりが無い以上、レンガ達も諦めるしかない。
だが、彼ですら知らない、と言うことは逆に考えればまだ誰にも知らされていない、知ることの出来ていない秘密が世界には溢れているということの裏付けになる。
「それならいいさ。俺達はゆっくりやるよ。
時間なら、無限にある」
「……………力になれず済まない。
若さとは、眩しいものだな」
ガイウスはレンガやリーシャを見た目通り二十そこらの人間として扱いそう言ったが、レンガ達の真意は少し別の場所にあった。
今回の場合は、尺度が違う。
彼らの言う無限とは、比喩などではない。
人の一生は短く、出来ることは少ない。
それこそ、少し殺し合うだけで終わってしまうほどに。
「宿はとっているんだろう?
すまないが私はやらねばならない事がある。
今夜にでも遣いの者に謝礼を持たせて向かわせよう」
レンガから宿の名を聞き出し、ガイウスとジズ、そしてその部下達は先に街へと戻っていった。
今度こそ、ドラゴンも人もいない、静かな森の奥にレンガとリーシャの二人が残される事になる。
「なんか、あっという間だったな」
「そうですね」
「表紙、作らなきゃな」
「私、斬るのは得意ですけど加工はちょっと……」
「俺がやるさ。昔から得意だったんだ、こういうの」
そう大きくない四角い鞄の中からレンガが取り出したのは、白い硬質な竜の老外皮。
そっと力を込め、少しずつ掌に熱を帯びさせる。
(やたらと堅い、その上に耐熱……、この分だと対寒対衝撃何でもござれだな。
永続的に魔法の"破片"みてえなのがかけられてるのか。
翼持つドラゴンってのは無意識下でも魔法を行使してんのか?)
壊さない様に優しく、力を加えて形を変えていく。
薄く延ばし、鍛えて、やがて密度を高められたそれは硬く重いものとなる。
綺麗な長方形に整えた後、中心に二本縦線を入れ、それぞれに沿って折り目を付ける。
「レンガさん、背表紙のところ、随分と大きめに幅を取りましたね。
これだと五百ページくらいになるのでは?」
「こっちに帰ってきてから二日三日で一ページだぞ?
この調子で行くと次の150年には図書館が出来ちまう」
それも悪くないな、と二人は考えながら、作業に没頭する。
紙束を貼り、綴じて、本としての体は完成した。
白い表紙には、レンガが造り出したペンを用いてリーシャがタイトルを彫る。
「魔神の図鑑 その一」
この世界の文字で力強く書かれたそれは、今は誰に見せるほど内容がある訳ではない。
目次は空っぽで、次の見開きにはやたらと鮮明に描かれたドラゴンが一匹と、主観だらけの説明文。
後は白紙の山ばかり。
それでも、二人はその出来に納得していた。
150年間、殺し合うばかりで何も成し得なかった二人が、やっと歩き出した確かな証拠。
過去を振り返る為の思い出を、白紙の分だけ綴らんとする決意の表れ。
裏表紙の右下に小さな文字で刻んだ二人の名は、魔神と剣神。
きっと誰も信じない、お伽噺のはじまりだった。
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明朝。
昨夜のうちに受け取った紙幣と硬貨、更に王都とその周辺地域でのみ使用可能な限定金貨までが入った鞄を肩にかけ、レンガとリーシャは街の北側から街道に出る。
見送る者はおらず、迎えの馬車もいるはずがない。
短い滞在だったがために後ろ髪引かれる想いでも無く、愛着を覚えたという訳でもない。
それでも、オーランという街を二人が忘れることはないだろう。
「貨幣の仕組みはそう大きく変わってないんですね」
「その辺りは更新するのが面倒だからなあ」
とぼとぼと果て遠い開けた道を二人は歩く。
背後には街、左右には高台や丘、それに小さな林。
「よし、目指すは王都」
「歩いて三十日はかかると言ってました。
案外短いですね」
「寝ずに歩けばその半分だ。飽きたら馬車でも掴まえるか」
空は快晴、微風に少しの湿度。
血の匂いの混じらない空気は、何度嗅いでも心地いいものだった。
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「まさか一日で去られるとは」
大屋敷に数ある部屋の中でも、最も強く朝日が差す部屋に二人の男はいた。
一人は老執事。
老いた身ながら長い年月に裏打ちされた一挙手一投足には全くの無駄が無い。
そしてもう一人、椅子に腰掛ける小太りの男は、覇気には欠けるがその瞳には聡明さをたたえている。
「全くだ。時間があるのか無いのか。
…………して、そちらの首尾はどうだ」
「深部手前にて交戦した四等星の者達には、捜索班が確認したレッサーバジリスクの新たな巣の情報を狩竜協会を通じて伝えさせました」
「当面はお前は表に出るのは控えた方がよさそうだな。面倒をかける」
「いえ、寛大なお心に感服するばかりです」
「多少なりとも影響力のある四等星の者らに、この街について悪い印象を与えたくないだけだ」
ガイウスは手元のカップを傾け、熱い紅茶で舌を濡らす。
いつもと変わらぬ味。
熟練の技巧は温度や湿度、茶葉の状態に至るまで徹底されている。
だが、今日はいつもより一時間早く、この香りを楽しんでいた。
街の支配人たるガイウスのすべき事は無数にある。
二人の若者の働きにより、最も恐れていた問題は氷解した。
しかし、今度は歴史と向き合わなければならない。
大賢者の成した事は、この街でも有名な語り草である。
それが真に正しい事だったと信じて疑わない人々の為に、そしてそう言った伝承や逸話を求めて来る旅人を相手に観光業を施策してきた自分達や街のためにも、ガイウスはその身を粉にして日夜隠蔽や裏工作に励む事になる。
考えたくもない大きな問題は消えたが、今度は考えなければならない小さな問題が山積みだった。
それもこれも彼らの所為、もとい彼らのお陰、なのだろう。
「かの大賢者をも凌ぐ力、か」
「…………一体、何者なのでしょうか」
「そうだな………………。
女神か、魔王か、それとも………………」
続く言葉を鼻で笑って、ガイウスは腰を上げて書斎に向かう。
今は遥か神話よりも、目先の書類の方が大事であった。
次回からは【地下迷宮編】となります。
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