午前三時に眠るとき
その寮舎では総勢40名程度の少女達が共同生活を送っていた。全寮制の貴族学校、といえど出自は皆中流貴族の半端者たちである。この学び舎では、勉学、運動能力はもちろん、様々な所作、食事や歩き方、言葉遣い、声の出し方、部屋の清潔さ等々、生活の端々に至るまでが教育対象であり、また二流意識の少女達がそのカーストを定めるために、無自覚にも用いている指標もまた、それらであった。
今朝、茶髪の少女は遅れて一階の食堂にやってきた。人前では常に正装でいることが、この学び舎における絶対的なきまりであり、入学して一番初めに頭に叩き込まれるルールである。女性が一人で身なりを整えるというのは、ただでさえ大変である。それを十四にもならぬ少女が一人で行わねばならない。生家の屋敷では身支度の全てを給仕らにやってもらっていたのに、ここに来ていきなりこれだもの、遅刻してしまう日があっても仕方がないと思いませんか。
実は、彼女が食堂にきたのは朝食を食べるためではない。朝食は用意されていない。なぜなのか。僕に分かるはずがないでしょう。そんなことより、茶髪の少女の眼前に立つ五人の少女に注目してもらいたい。ほら、真ん中の少女、紺碧の髪色の少女。見るも美しい肩まで伸びる髪をお持ちでしょう?
「あらマリーさん、今朝は顔色が悪いこと。目の下も暗くってよ。お勉強に必死になって徹夜でもしてしまったのかしら?そうでもしないと成績を保てないなんてお可哀想なこと。同情しちゃうわあ。」
茶髪の少女がそう言うと、紺碧の髪の少女の脇に立つ四人の少女は失笑した。それに茶髪の少女が追随すると、ついには皆で紺碧の髪の少女を面白がって爆笑した。紺碧の髪の少女は惨めであった。間違いなく、惨めであった。
僕はこの物語を目にしたとき、完全な成功を得たと思った。この鮮明に展開される話の一語一句、少女達の瞬きに至るまでの細かい所作を記憶しメモし、少女達が紡ぐ群像劇を完成させれば、絶対に売れる。流行る。僕が心の底から面白いんだと感じているのだから、間違いない。
そんなことを考えていたのもつかの間、僕は目を覚ましたらしい。寝床から横に目を見やると、姉が暗闇でなにやら眺めていた。まったく、僕の狭い六畳間に居座るのはやめてもらいたいものだ。
姉は古びた映写機を用いて、なにか映像作品を見ていたらしい。その映像には少女たちが映っていて、茶髪の少女が、紺碧の髪の少女にいびられている姿があった。
「なんだ、僕の発想じゃないのか。」
「起きてたんだ。なんのこと?」
「いいから、部屋から出てって。」
そのまま僕は寝床で丸くなることにした。
ガサゴソガサゴソ…
ガサゴソガサゴソ…
ガサゴソガサガサ…
いつの間にか部屋は暗くなっており、窓から差し込む街灯の明かりだけが、六畳間を照らしていた。
ガサゴソガサガサ…
なにやら頭上で紙袋をあさっているかのような音がする。
ガサゴソガサガサ…
うるさい。眠い。
ガサゴソガサガサ…
誰ですか?こんな時間にガサゴソと。
尋ねようとして体を起こしたら、体が起きなかった。固まって、動けない。全身が何かに縛られて、
ガサゴソガサガサ…
恐怖だ。怖い。その感情を自覚した途端、体が自分のものでないような感覚に陥った。
誰?
誰なの?
やめて!うるさい!
どっか行ってよ!
「やめてくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…。」
突然、声がした。異常なまでにおびえる女性のような声である。いくら自分が多大に恐怖していても、それを上回る恐怖を抱いているかのような振る舞いを示す人間が眼前に現れると自分の恐怖は絶大に軽減されるのだということを、僕はこのときはじめて認識した。
気が付けば目を開き、首を曲げ、声のする方を見ていた。そこには、いたいけな少女が頭を抱え、丸く縮こまっている姿があった。髪の毛が地面までついているのが、わずかに照らされた光によって認知できる。
彼女が異常なまでにおびえている理由は、すぐに分かった。震える小動物の正面には、刃物を突き付けるハンターがいた。刃物、というより刀、というイメージか、腕の長さほどもあろうかという刃が暗闇の中でもひと際輝いていた。そのハンターは髪を腰まで垂らしているようで、いま僕は、少女が少女を刀で追いつめているという、創作物でしか見られないであろう光景を眺めているのだと確信せざるを得なかった。
小動物を救いたい、と反射的に体を起こした僕は、ハンターと目が合ってしまっていた。胸がどきどきしてしまう。だって、刃先が僕に向けられるんだもの。でもこれで小動物は助けられたのかな。
知らぬ間に麻縄のようなもので縛られていた自分の体は身動き一つとれなかった。これからハンターに捌かれるであろう自身の肉体を気の毒に思いながら、絶望の谷底へと落ちゆく心とともに、この心身を現世に昇華させること、それこそが僕の使命だったのだと投げやりに決めつけた。
「あーあ、終わっちゃった。」
昼のコンビニで僕はレジ打ちをしていた。
「ありがとうございましたー。」
商品の入ったレジ袋を左手にぶら下げ、右手でケータイをいじりながら退店するお客様を見送りながら、僕は自分が自分ではないことに気が付いた。視角が変わっていき、六十ほどの見た目をした男性が視界に入り込んできた。白髪交じりの髪の毛をオールバックに固めている。どうやらレジ打ちをしていたのは彼だったらしい。こちらを見ていた。
とてもおかしな体験をした。僕は実家で母にこの話をした。
カーテンの隙間から日が漏れる、午前六時六畳間での出来事である。
ありがとう。感謝します。
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