魔法使い見習い9
冬明けのぬかるんだ街道を一台の馬車が進んでいた。商人が使うそれよりもずっと大きく、装飾の施された馬車は遠目で見ても貴族のものと判る立派なものだった。
その馬車の周りを五人の騎兵が囲み、周囲を警戒している。こまめに二人の騎兵が先走り、戻ってくる様子を見ていたダレントールは、その騎兵の動きをつまらなそうに見ていた。
「さっきからすれ違う人すらいないのに、警戒しすぎじゃないのか」
「人が少なくなった方が襲う時には都合がいいのですから、コードアの警戒も当然です。ダレントール様も自らの立場を自覚なされませ」
ダレントールのつぶやきに反応したのは、ルガードだった。
今回ルガードはダレントールの相談役として同行していた。
ダレントールはベトナー領の領主である騎士モールディ・ベトナーとの交渉と契約、新しく発見されたという岩塩坑の視察を父ザンクレッツに命じられていた。
ダレントールは自他共に認めるブラーニス家の後継者である。
貴族の子女に高等教育を与える場として設立された王立学院の最終学年となる彼は、首席の座を一度も譲ることなく卒業しようとしていた。
父親譲りと言われる交渉術は既に高く評価されており、学院卒業後は宰相府に勤めることが決まっていた。
自領では父の代理として、東部の貴族の接待や、大商会との会合を行なっていた。ダレントールは父ではなく母親譲りの端正な容姿をしており、特に東部貴族の社交界においては常に話題の中心にいた。
また武芸の鍛錬も怠らず、王家騎士団で採用されている基本剣術の他にも、家臣であるコードアと実戦的な稽古をしていた。
しかしザンクレッツはこの優秀な長男にもの足りなさを感じていた。既に大領の嫡子として育てられたせいか、苦労が足りていないと。
ザンクレッツがブラーニス家の家督を相続した時、ブラーニス領は東部でも広いだけが取り柄と呼ばれる田舎貴族だった。
元々他国と接している西部に比べ、東部は辺境と位置づけられていた。
そんな領地を相続したザンクレッツは、硬軟織り交ぜた交渉術を持って領内の改革を進めた。
中央に金を投資してコネを作り、他領から資金を集め、時に意に沿わない家臣を放逐し、多数の賞賛と同じだけの恨みを買いながら今の東都と呼ばれる一大城下町を作り上げたのだった。
ダレントールはブラーニス領が大きくなった後に生まれた。東部をまとめる貴族の盟主と呼ばれるようになった、今のザンクレッツしか知らないのだ。
そして共に血汗を流したルガードだからこそ、ザンクレッツの心配も理解出来ていた。
今回のベトナーへの訪問によって、少しでも経験を積ませ、この青年に足りないものを埋めてやりたいのだ。
「ダレントール様。これから赴くのは辺境とはいえ、我が家に莫大な財をもたらしてくれる可能性のある場所です。わかっておられますか」
「わかってる。わかっているからだ。カレンゾ様や父君との交渉だろう。カレンゾ様を見たから父親の程度も分かるさ。少し煽てて、親父が言っていた条件だけ撤回させる。簡単なことだ」
「それは油断ですな。あの条件を作った相手も向こうの陣営にいるのです。あなどって失敗する愚は避けられた方がよろしいかと」
ルガードの言葉に弛んでいたダレントールの背筋が伸びた。
「そうだった。それを忘れていた。ルガードすまない」
そう言ってダレントールはルガードに頭を下げた。人の意見を聞くことができるのは、この青年の長所である。教育を務めていたルガードは目を細めてゆっくりと頷いた。
「必要以上に警戒する必要はありません。何しろこれから協力者となるべき相手ですからな。しかし大切なことは、この開発の主導権をブラーニスが握れるかどうかです」
「ああわかった。余計な口を開かせないなら交渉の席から外すのがいいか。トップ同士で決めるべきとでも言えばいいだろう」
「なるほど」
「いや同席させた方が相手の器量も見れるかな。裏で動かれるよりもずっといい。何ならブラーニス家に引き抜いたっていいんだからな」
緩んでいたダレントールの眼が引き締まってきた。ルガード相手に交渉をどうするか考えを口に出しながら整理していた。
これで大丈夫でしょう。
ルガードはダレントールの話に相槌をつきながら、その様子を見ていた。