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幸福の酒 不幸の酒  作者: 町役太郎
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バイク便の男

大和荘の敷地内に、一本だけ植えられた桜の木は、満開に花を咲かせていた。大和荘のブロック塀前に、早朝出したと思われるゴミが散乱している。昼近くになってもまだ回収されず、ゴミが置いてある場所には、カラスが三羽しつこくゴミを啄ばんでいた。綺麗な絵画に墨汁をこぼしたように、カラスは周りの風景とは不釣合いだった。

そのカラスがオートバイのエンジン音で、いっせいに空に舞い上がった。

暑くもなく寒くもない、ライダーにとってこの時期が一番いい季節かもしれない。メッセンジャーサービス・アルァーと、ロゴの入った大きなコンテナを、後席に取りつけた250㏄のロードバイクを降りた男は、プレハブアパートの外階段を駆け上っていった。男は203号室まで行き、木目調のスチールドアをノックした。

「花本さん、いますか?」

 二度呼び掛けたが、中から返事はなかった。男はウエストバックから携帯電話を取り出すと、予め登録してある番号を押した。呼び出し音が四回鳴ると相手側が電話に出た。

「はい、メッセンジャーサービス、アルファーです」

 女性の明るい声で応答があった。

「田口です。社長お願いします」

 田口と名のる男は携帯電話を耳に当てたまま暫らく待った。アルファーは中野に事務所を構える、小さな運送会社である。

田口がこの大和荘に来たのは、バイク便会社アルファーの社員である花本が、一週間以上無断欠勤をし、電話も繋がらなかったからだ。今までそのようなことがなかったため、社長は心配して後輩である田口に、様子を見てくるよう言いつけたのである。

「あ、私だ。どうだ?」

 電話の声は太く落ち着いていた。

「今花本さんのアパートに来ているのですが、ノックしても返事がないんです」

 田口はこのアパートに来た時の状況を社長に説明した。自ら行方を暗ましたのか、何か事件に巻き込まれたのか、ごく普通の人生を歩んできた田口にとって、この先起こりうる出来事を想像することすらできなかった。与えられた仕事を坦々とこなすだけで、あまり先のことは考えないようにしている。その日その日が、恙無く過ぎていけばそれでいい。

 この会社にはバイク便のライダーが十二人いて、他に軽トラックによる搬送業務も行われていた。社員数十九人の小さな会社である。

バイク便のライダー五人は正社員で、他の七人はアルバイトだった。会社には3台の250ccのオートバイがあったが、一人の社員が、会社のオートバイを使用しているだけで、他は皆自前のオートバイで配達していた。当然自前のオートバイの方が時給単価は高い。

「おそらく玄関の郵便受け辺りに、ここの大家か、不動産会社の連絡先があるはずだ。先日埼玉の御両親に電話をしたのだが、花本とは半年以上も連絡を取っていないということだ。悪いが大家か不動産会社に連絡を取って、花本の部屋を確認してもらえないか。花本はうちの会社に来て無断欠勤したことは一度もない。それからアパートの駐輪場に花本のオートバイが置いていないか確認してくれ。何か事件に巻き込まれていなければいいのだが」

 田口は社長の口調から、何か分からないものの一瞬不安を感じた。花本とは同じ会社に勤務しているというだけで、とくに親しかったわけでもない。仕事内容が配達のため、顔を合わせることすら殆どなかった。正直なところ花本がどうなろうと、田口の知ったことではない。俺なんかより花本と同じ歳の川西のほうが、花本とは親しいはずだ。川西に頼めばいいのに、何で俺がという不満があった。

「分かりました」


        バイク便の男

 大和荘の敷地内に、一本だけ植えられた桜の木は、満開に花を咲かせていた。大和荘のブロック塀前に、早朝出したと思われるゴミが散乱している。昼近くになってもまだ回収されず、ゴミが置いてある場所には、カラスが三羽しつこくゴミを啄ばんでいた。綺麗な絵画に墨汁をこぼしたように、カラスは周りの風景とは不釣合いだった。そのカラスがオートバイのエンジン音で、いっせいに空に舞い上がった。

暑くもなく寒くもない、ライダーにとってこの時期が一番いい季節かもしれない。メッセンジャーサービス・アルァーと、ロゴの入った大きなコンテナを、後席に取りつけた250㏄のロードバイクを降りた男は、プレハブアパートの外階段を駆け上っていった。男は203号室まで行き、木目調のスチールドアをノックした。

「花本さん、いますか?」

 二度呼び掛けたが、中から返事はなかった。男はウエストバックから携帯電話を取り出すと、予め登録してある番号を押した。呼び出し音が四回鳴ると相手側が電話に出た。

「はい、メッセンジャーサービス、アルファーです」

 女性の明るい声で応答があった。

「田口です。社長お願いします」

 田口と名のる男は携帯電話を耳に当てたまま暫らく待った。アルファーは中野に事務所を構える、小さな運送会社である。

田口がこの大和荘に来たのは、バイク便会社アルファーの社員である花本が、一週間以上無断欠勤をし、電話も繋がらなかったからだ。今までそのようなことがなかったため、社長は心配して後輩である田口に、様子を見てくるよう言いつけたのである。

「あ、私だ。どうだ?」

 電話の声は太く落ち着いていた。

「今花本さんのアパートに来ているのですが、ノックしても返事がないんです」

 田口はこのアパートに来た時の状況を社長に説明した。自ら行方を暗ましたのか、何か事件に巻き込まれたのか、ごく普通の人生を歩んできた田口にとって、この先起こりうる出来事を想像することすらできなかった。与えられた仕事を坦々とこなすだけで、あまり先のことは考えないようにしている。その日その日が、恙無く過ぎていけばそれでいい。

 この会社にはバイク便のライダーが十二人いて、他に軽トラックによる搬送業務も行われていた。社員数十九人の小さな会社である。

バイク便のライダー五人は正社員で、他の七人はアルバイトだった。会社には3台の250ccのオートバイがあったが、一人の社員が、会社のオートバイを使用しているだけで、他は皆自前のオートバイで配達していた。当然自前のオートバイの方が時給単価は高い。

「おそらく玄関の郵便受け辺りに、ここの大家か、不動産会社の連絡先があるはずだ。先日埼玉の御両親に電話をしたのだが、花本とは半年以上も連絡を取っていないということだ。悪いが大家か不動産会社に連絡を取って、花本の部屋を確認してもらえないか。花本はうちの会社に来て無断欠勤したことは一度もない。それからアパートの駐輪場に花本のオートバイが置いていないか確認してくれ。何か事件に巻き込まれていなければいいのだが」

 田口は社長の口調から、何か分からないものの一瞬不安を感じた。花本とは同じ会社に勤務しているというだけで、とくに親しかったわけでもない。仕事内容が配達のため、顔を合わせることすら殆どなかった。正直なところ花本がどうなろうと、田口の知ったことではない。俺なんかより花本と同じ歳の川西のほうが、花本とは親しいはずだ。川西に頼めばいいのに、何で俺がという不満があった。

「分かりました」

 田口は迷惑と感じつつも階段を下り、一階玄関の郵便受けがあるところまで行った。ステンレス製の郵便受けは二段になっており、全部で十四あった。郵便受けの上にプレートがあり、そこに不動産会社の連絡先が記載されている。その横には(ゴミ収集日はきちんと守りましょう)というステッカーが貼ってあった。ちょうどここに来た時、ゴミ袋をカラスが漁っていたが、オートバイを停めた時には、カラスはすでに空に舞い上がった後だった。今日はゴミの回収日ではなかったのかもしれない。

単身者の住むアパートは、ゴミに対するトラブルが多く、田口も単身者用のアパートに居住していたため、不動産会社の管理者から、ゴミの出し方で注意を受けたことがある。

 田口から連絡を受けた不動産会社は、花本の実家に確認した後、そちらに向かうということだった。不動産会社の者が来るまで四十分ほど待たされた。それまでに花本のオートバイを確認しようと、アパートの周りを一周した。このアパートには駐輪場がなく、道路に面した左側、アパートの脇に、銀色のシートの掛かったオートバイが停めてあった。シートには鍵がついていたため、無理してめくり上げることをせず、形状だけで判断した。リアシートが盛り上がっていたため、花本のCB400に間違ない。このバイク用シートは、オートバイの後席にコンテナを、取り付けたまま被せるつくりになっている。会社が業者に発注して特別に作らせたものだ。

 配達の仕事は歩合制ではなかったが、オートバイで走るのはそれなりにリスクが伴うため、何もなければ走らないほうが都合はいい。花本のオートバイを確認した後、アパート前にオートバイを停め待っていると、不動産会社のロゴが入った白い軽自動車がアパート前に停止した。

軽自動車から出てきたのは、二十代後半と思われる小柄な女性だった。髪をショートカットにし、ベージュのツーピースを着ていた。田口の姿を見て「アゴー不動産です」と頭を下げ、こちらに向かって歩いてきた。

「アルファーの田口です」

 田口も女性に向かって軽く会釈した。

「先ほど花本さんのお母様に連絡し、了解を得ましたので、今から部屋の中を確認したいと思います。申し訳ありませんが、一緒に中を確認してもらえませんか?」

 このようなことは頻繁にあるのか、女性は事務的に述べた。二人は階段を上がり、203号室の前まで行くと、女性は上着のポケットから鍵を取り出し、玄関ドアを開けた。ドアを開けたと同時に、妙な臭いが鼻についた。

独身男の部屋というのは、大概いやな臭いがするものだが、今までに経験したことのない強烈な悪臭だった。しかし田口にしても、前にいる女性にしても、人生経験の少なさも伴って、それが何の臭いか見当もつかなかった。

 女性が先、玄関の三和土に入り、田口はそれに続いた。狭いキッチンスペースに入ると女性はいきなり悲鳴を上げた。

田口は女性の後ろから、鴨居にぶら下がる、照る照る坊主のような姿の男を確認した。自分が立っている床が抜け落ちていくような感覚になった。

「花本さん・・・・・・」

 田口は呆然とそこに立ち尽くしていたが、女性はそこにへたり込んでしまった。まったくこのようなことを予測していなかった。

 田口から110番通報を受けた所轄の警察署は現場に急行した。当初、単純な自殺と考えられたが、まだ若いにもかかわらず携帯電話とパソコンがどこにも見当たらないことと、遺書なども発見されないことから、警察は自殺と他殺の両方を視野にいれ捜査が行われた。検視の結果、ロープの締め跡のほか、あごの辺りに僅かであるが、布擦れした擦過傷があった。被害者は柔道の絞め技のような行為で、殺害されたのではないかと推測された。

 被害者の名は花本強。年齢二十七歳。バイク便のメッセンジャーサービス・アルファーの社員であった。バイク便のライダーは、宅配便のドライバーより多少収入は多かったようだが、車は所有しておらず、仕事に使用するオートバイが、アパートの裏に停められていた。生活に派手さは見られない。あらゆる方面から捜査が行われたが、犯人逮捕につながる手掛かりは何一つ得られなかった。

        啓輔

 長野市街から車で19号線を松本方面に走った山間部にある、信更安庭(しんこうやすにわ)の焼肉屋で忘年会を終えた人見(ひとみ)(けい)(すけ)は、予約してあるタクシーに乗り、中条村にある自宅に向かった。今日は勤務先である農協の忘年会だったため、いつもは自家用車で通勤しているところ、今朝はバスで通勤した。どちらかといえば酒は好きなほうなので、帰りのことを考えタクシーで帰るつもりで、昨日から信州新町にあるタクシー会社へ予約を入れておいた。

 啓輔は二年前妻を骨髄腫で亡くしている。癌は痛みが激しいという知識はあったが、妻の小百合は見る見る痩せ衰え、最期は布団より薄い身体になって亡くなった。ちょっとした動作で骨が折れてしまい、寝たきりになると顔しか動かせないようになっていた。痛みが激しいのか、顔は苦痛に歪んでいた。排泄は自力ではできず、便も看護師に指で掻き出してもらわなければ排泄できない状態だった。

 モルヒネを投与すると、時折意味不明なことを口走るようになり、あまりの痛々しさに言葉を失った。それでも啓輔は歯を食いしばり小百合の看病を続けた。

 小百合が荼毘に付された時、あまりの骨壷の軽さに我慢できず泣き崩れた。どのような人間でも死は必ず訪れる。それは神がすべての生物にあたえたプレゼントに他ならない。好むか好まざるかにかかわらず、それを拒否することは許されなかった。しかし小百合は何で、あんなに苦しい思いをして死なねばならなかったのか。あまりの少ない骨を目の当たりにして、それまで張り詰めていたものが一気に弾けた。

 娘の(あかね)は啓輔の礼服の裾を掴み、目に涙をため身体を震わせていた。これからは父と娘二人で生きていかねばならない。啓輔は茜の手を取ると力強く握り締めた。

 あれから二年、茜は素直に成長した。来年はいよいよ高校に進学する。今、家で一人寂しく自分を待っているに違いない。十時には家に帰ると茜には告げてある。気がつくと時計の針は既に十時を回っていた。タクシーの運転手に催促されなければ、まだマイクを放さなかったかもしれない。

 啓輔は歌を歌うのが好きだった。演歌からポップス、アニメソングまで何でも歌った。ただ最近の流行り歌はどうも苦手だ。同僚に煽てられつい有頂天になり、歌いすぎてしまうのが常だった。

「娘も待っているので、そろそろ帰るわ。お先に」

「娘が待っているんじゃ、引き止めるわけにはいかんな」

 宴会場はまだ何人かで盛り上がっていたが、茜一人寂しく待っていると思うと、席を立つしかなかった。

 店を出て国道19号線に面した店の駐車場でタクシーに乗り込むと、ゆっくり座席に身体を預け大きく息を吐いた。今夜はけっこう飲んだが、それほど悪酔いはしていない。気持ちよく飲めた酒だと思った。

「運転手さん。待たせてすまないね。小川村の方に車を走らせてもらえますか」

「分かりました」

 タクシーは国道19号線から直ぐ、オリンピックのため新たに造られた、白馬に抜けるバイパスを暫らく走った。昼過ぎに降り出した雪はすでに止んでいた。雪国のタクシードライバーは非常に運転が上手い。今の車は殆どABS装着車だったが、たとえABSが装着されていなくても、雪道でタイヤをロックさせることはない。

「運転手さん、その辺で車を止めてください」

 安庭から十五分ほど走った辺りでタクシーは停止した。

「ここでいいんですか?」

 タクシーの運転手は疑問を感じたのか、啓輔に確認した。辺りは何もないところに思われた。

「うちはそこの道を下ったところにあるんです。下に降りてしまうと、Uターンをするのが大変ですので」

「そうですか」

 啓輔はお金を払うとタクシーを降りた。啓輔の家はこの幹線道路から徒歩で五分ほど下ったところにある。タクシーで行けば僅かな距離であるが、お金が勿体ないという気持ちと、自分は毎日通いなれた道だが、狭い道を行かせるのは運転手に済まないという気持ちもあった。相手はプロのドライバーなのだから、それほど気を遣わなくてもいいようなものだが、普段あまりタクシーを使わないため、変な気を回してしまった。

 タクシーを降りると、ペンライトを点灯させ、胸ポケットに差し込んだ。用を足したくなり路肩でズボンのチャックを下げた。路肩といってもどこまでが路肩か、雪が積もっていたため判別しづらい。しかし足に伝わる雪の感触で、どこが道路で、どこが道路でないか、大体の見当はついた。道路の向こう側は田圃である。今は雪が積もり、道路より幾分低くなっているが、地元の人間でない限り、そこが田圃とは気がつかないであろう。

 道路は凍結していたが、路肩に足を踏み入れると、スノーブーツが完全に埋まってしまった。

用を足し終えズボンのチャックを上げようとしていると、自分が来た安庭方面から、一台の車がライトをハイビームにしこちらに迫ってきた。ほんの微か首を左に向けた途端、左半身に強い衝撃を受けた。自分の意志に反し、身体がどこかへ持っていかれるような感覚になった。雪が顔を覆い息ができない。痛さと顔の冷たさが同時に身体を支配する。意識が朦朧としていく中で、中学生にしては目鼻立ちがはっきりした茜の顔が頭を掠めた。自分は死ぬかもしれない。そう感じた瞬間、意識はこの世のものではなくなっていた。

        ひき逃げ

 人見啓輔は翌朝、コンビニにパンを届けるトラックの運転手によって発見された。遺体は田圃にうつ伏せで倒れており、雪が薄っすらと積もっていたため、よほど注意していなければ、それが人とは分からなかったであろう。

トラックの前にも何台か車が行き来していたが、運転台が低い普通乗用車で発見するのは難しかったと推察される。トラックの運転手もまさか人ではないだろうかと思いつつ、その場所まで赴くと人が埋もれていた。

運転手は(しん)(こう)で消防団に所属していた。以前雪山へ橇すべりに行き、遭難した子供の遺体を発見したことがある。その時もこの遺体のように、雪に埋もれていた。その状況が酷似していたため、運転中でありながらそこに目がいったのかもしれない。一度ならず二度も雪に埋もれた遺体を発見するとは、自分自身思ってもみなかった。

 運転手はジャンパーのポケットから携帯電話を取り出すと、110番通報した。二十分ほどで中条村の、駐在所の巡査がパトカーでやってきた。

 県警の捜査員が現場に到着したのは、駐在所の巡査が来て一時間ほど過ぎた後だった。

 事件は単純なひき逃げであったが、被害者が倒れていた辺りの、雪の上についたであろう足跡が、人為的に消してあったのがかえって不自然だった。被害者が撥ねられた時間帯は、雪が降っていなかったのかもしれない。犯人は被害者の状態を確認した後、自分の歩いた痕跡を人為的に消したのではないか。普通は動揺してこのような行動をとらないものだが、自分の痕跡を綺麗に消していく犯人に対し、捜査員は凄まじい悪意を感じた。それと同時に、なかなか犯人は見つけられないのではないかという、いやな予感が捜査員の頭を掠めた。

 捜査は暗礁に乗り上げ、まったく進展しなかった。夜間でも幹線道路だったため、目撃者がいてもおかしくないのだが、あまりにも田舎だったため、まったく情報が得られなかった。裏を返せば犯人は自分の犯行が、誰にも見られていないと確信を得たから逃げたのかもしれない。それと同時に雪が痕跡をすべて消し去ってしまった。ただ被害者の遺体の損傷から、四輪駆動車などに装着する、バンパーガードのようなものにぶつかったのではないかと推測された。そうなると車体自体は何の損傷も受けないはずである。犯人が車を処分してしまえば、ひき逃げした車を見つけるのはもはや不可能だった。

        茜 

        1

 人見茜にとって父が亡くなったことは、母が亡くなった時よりもショックが大きかった。

 その日茜は、父が十時ごろには帰ると言っていたため、風呂に熱い湯を溜め、炬燵にもぐりながら英語の勉強をしていた。十一時になっても帰ってこない父を、心配に思ったものの、どうすることもできなかった。居間にある電話で、父の携帯電話に電話した。

 茜の通う中学校は田舎だったこともあり、中学生で携帯電話を持っている者はかなり少なかったし、茜自身も携帯電話は持っていなかった。父にしても茜にせかされて、仕方なく携帯電話を購入した。父の携帯に電話しても、留守番電話サービスに繋がるだけで、父は電話に出なかった。

 玄関と居間の電灯だけ点け、自分の部屋に行き机に向かい、再び英語の勉強を続けた。勉強していても集中できず、時間を確認すると十一時三十分だった。言い様のない不安を抱えたままベッドにもぐりこんだ。

 インターホンの音と、「人見さ~ん」という男の声で目が覚めた。茜はベッドから跳ね起きると、カーデガンを羽織り、玄関まで赴き扉を開けた。冷たい外気が玄関ホールに入ってきた。そこには村の駐在所の巡査が立っていた。

「茜ちゃん、お父さんが・・・・・・」

 茜は巡査の話が終わらないうちに、玄関の床にへたり込んでしまった。巡査の言葉を聞かずとも、父の身に何が起きたのか察しがついたからだ。父は何者かにひき殺された。

「何で?」

 神様はこれでもかというくらい、私に試練を与える。しかしそれは、これから茜に与えられる試練の序章に過ぎなかった。その時悲しみより不安が全身を支配した。

(私は独りになってしまった。これからどうなるのだろう)言い様のない不安で身体が押し潰されそうだった。なぜかその時父に弁当のおかずのことで、文句を言ったことを思い出した。

        2

 茜は中学校に進学するとテニス部に入部した。平日学校で給食は出るのだが、土・日の部活の時は、弁当を持参していかなければならない。母がまだ健康な時期は、父の弁当は母が作った。しかし母が病に臥せてからは、勤務先に行く時の弁当は、父が自分で作っていた。だからたまの土・日の部活に持っていく弁当も、父が作ってくれた。

父の弁当は男が作るのだから、決して見栄えのいいものではなかったが、茜はたいして気にも留めなかった。

父が弁当を作るといっても、家事全般は茜がこなした。だから朝弁当に入れるおかずは、昨夜茜が作った残りものが殆どだったため、父は朝それを弁当に詰めるだけだった。朝まだねむい時間に、父が弁当を詰めてくれるのはありがたかった。

 それがある日の土曜日教室で、同じテニス部の女子同士弁当を食べていると、野球部の男子が茜の弁当を覗き見て「ふつう弁当に天ぷらいれるか?なんか不味そうだな」とからかった。茜は箸を置き弁当に蓋をすると、それを持って教室を飛出した。

「茜・・・・・・」

一緒に弁当を食べていた友人が、後方から声を掛けたが、それを振り切り廊下を早歩きで歩いて行った。遠くで「あんた最低・・・・・・」という声がかすかに耳に入った。

 茜はそのままトイレに入ると、弁当の中身を便器の中にぶちまけた。目頭が熱くなったが、涙が零れるのを必死にこらえた。筋違いなのは分かっていたが、からかった男子生徒より、あんな弁当を作った父に対し怒りが込み上げてきた。

 父子家庭のため周りは何かと気を遣ってくれたが、子供はある意味正直だった。思ったことをすぐ口にする。たかが弁当のおかずのことだが、茜はそのことで凄く傷ついた。

天ぷらは昨夜茜が揚げたものだ。父の好物だったため、喜んでもらおうと、よく茜は天ぷらを揚げた。多少多めに作るため、父は自分の弁当に入れ持っていったが、顧みると茜の弁当に天ぷらが入っていたのは初めてだった。コンビニ弁当などにも天ぷらが入っていたため、自分自身はさほど気にも留めなかったが、他人から見たら奇異に映ったのかもしれない。こんな弁当を作った父が許せなかった。

 その日の夜、父が帰ってくるのを待ち、帰ってくるなり父に対して、いきなり文句を言った。

「何でお弁当に天ぷらなんか入れるのよ。今日学校でお弁当を食べていたら、友達に何で弁当に天ぷらなのとバカにされたわ」

 途中から茜は涙を流していた。父は帰宅するといきなり娘に文句を言われ、困惑していた。

「茜御免ね。辛い思いをさせちゃったね」

 理不尽な娘の言動に腹をたてることもなく、父は本当に済まなそうに頭を下げた。

何であの時あんなに、父に対して文句を言ったのだろう。父がいくら詫びても怒りは収まらなかった。

「もういい。私の弁当は私が作るから」

父は少しも悪くない。それなのに・・・・・・。

「茜・・・・・・」

 あんな悲しそうな父を見るのは、母が亡くなった時以来だった。その時はさすがに済まないと思ったが、それでも素直に父に謝れなかった。

けっきょく弁当は茜が自分で作るようになった。そのことを謝らなければと思いつつも、その機会を失ったまま父は亡くなってしまった。

(お父さん、御免なさい。我が儘な茜を許してください)

 それは虚しい心の叫びだった。父はもう茜の手の届かないところへ逝ってしまった。

        3

「茜ちゃん。お父さんの遺体を確認してもらわなければならないんだけど・・・・・・」

 巡査が何を言っても茜の耳には届かなかった。父がひき逃げされたと聞かされても、中学生の茜にはどうすることもできなかった。

巡査が帰り、気持ちが少しだけ落ち着くと、伯母の相羽(あいば)幸子に電話した。それ以外親戚と呼べる者がいなかった。それから間もなくして、巡査と中学校の保健婦が来てくれた。彼女は宮岡康子といい、同じ学区内に住んでいる中年の女性だが、面倒見がいいので女生徒には人気があった。

「茜ちゃん。心配しなくていいからね」と優しく声を掛けてくれたものの、この後私は独りで生きていかねばならない。心配しなくていいなんて、無理なことだった。それでも宮岡は色々なところに電話を掛け、何か分からないものの、人が亡くなった時にやらねばならないことを、手際よく手配してくれているようだった。

「親戚には電話したの?」

 遠くの親戚より近くの他人とはよく言ったもので、宮岡の存在は正直ありがたかった。

「はい、名古屋の伯母さんに電話しました」

 茜は名古屋と言ったが、実際は愛知県の半田市にあった。父が名古屋の伯母さんと呼んでいたため、茜も場所は名古屋だと思いこんでいた。相羽幸子は亡くなった母の姉である。幸子と夫の間には子供がいなかったため、幸子は茜をとても可愛がってくれた。

 茜は宮岡と巡査の車に乗せられ、父の遺体を確認しに行った。父はすでにライトバンに乗せられていた。寝ているような穏やかな顔だった。もう少し苦痛を伴った顔を想像していただけに意外だった。目の前にいるのは父ではない。きっと別人なのだ。そう思いたかったが、父が着ていたジャンバーは、昨日の朝着ていたものに違いなかった。ショックがあまりにも大きく、遺体にしがみついて泣くことすらできなかった。

「・・・・・・」

「茜ちゃん・・・・・・」

 宮岡が温かい手を茜の肩に乗せた。

昨日までは高校受験のことで頭が一杯だったが、今はもうそんなことは、どうでもいいことのように思えたのが自分でも不思議だった。

        4

 茜は父の葬儀の後幸子に呼ばれ「相羽の養子にならないか」と勧められた。伯母の家は幸いといってはなんだが、子供がいなかったし、幸子は母が亡くなってから、親身になり世話をしてくれた。

 人見茜から相羽に姓が変るのは、中学生の茜にとって辛いものだが、どこか分からない施設に入れられるよりはましに思えた。あと三年我慢すれば社会に出て、何とかやっていけるような気がする。茜は早く社会に出てやらなければならないことがあった。それは父を殺した犯人を探し出すことだ。実際当てがあるわけでもなんでもない。警察があれだけ大々的に捜査したにもかかわらず、犯人の足取りすら掴めなかった。それでも私は、父を虫けらのようにひき殺した犯人を、どうしても許すことができない。これは父に対して素直になれなかった私の贖罪なのだ。

 今思い返しても私は、父のことが好きだったのかどうか分からなかった。私の中で父に怒られたという記憶がまったくない。私が友達から訊く父親像とはかなり掛け離れていた。本当の父であるはずが、何かよそよそしく感じられた。普通の親であれば怒ることでも、父は決して怒ることはなかった。

 父が勤務している農協でちょっとしたイベントがあり、屋台が沢山出たため、茜は父に連れられそこに出掛けた。屋台で焼きそばをもらい食べていると、父の職場の人に「茜ちゃん、お父さんの歌聞いたことある?」と訊かれ「いえありません」と答えた。「お父さん、物凄く歌上手いんだよ」と教えてくれたが、私は父が歌っているところを見たことがない。それは私にとって意外なことだった。父は私の知らない、もう一つの顔をもっているのではないか、そう思えてならなかった。なぜそのように思うようになったかというと、父が所蔵している漫画を読んだからだ。父の書棚には、沢山の古い漫画があった。その中に楳図かずおの、「おろち」の中にお父さんは誰にも親切でいい人だ。しかしお父さんには秘密があった。それは戦争中ガダルカナルで戦友の人肉を食べたというものだ。その内容が父に重なり、父にも茜に言えない暗い過去があるような気がしてならなかった。

 私は中条村の家を出るにあたり、父の遺品を整理した。その時見てはならないものを見てしまったのだ。父の手帳の間に、女の子と思われる赤ん坊の写真が一枚挿んであった。写真の日付を確認すると、それは私ではなかった。いったいこの子は誰なのか。私に姉がいたとは考えられない。

 父がなぜ私にあのように接したのか。その写真を目にした瞬間、何となく分かったような気がする。あの子の母親が誰か分からないものの、あの子の父親は啓輔に違いない。父は私を透して、あの写真の赤ん坊を思っていたのではないか。

今でも私はあの悲しい父の眼差しを払拭することができない。弁当のおかずのことで父に文句を言った時の、あの悲しい目はどうもがいても、私の頭から離れなかった。申し訳ないと思いつつ、最後まで父に詫びることができなかった。雪の中に冷たく埋もれていた父が不憫でならなかった。(お父さん、私が必ず犯人を見つけ出します。たとえどんなに時間が掛かっても)

        5

 半田市は愛知県知多半島の付け根にある小さな町であったが、長野の山奥から出てきた茜にしてみれば華やかに映った。何より茜にとって嬉しかったのは、海に近いことである。   

海といっても砂浜があるわけではなく、船が着くコンクリートの埠頭があるだけなのだが、それでも海が近くにあるというのは、茜の気持ちを豊かにさせた。

 小学校の時は家族で夏に何度か、新潟の海に海水浴に行ったことがある。国道18号線を北上し、長野県から新潟県に入ると道が開け、暫らくすると海が見えてくる。子供の頃の茜はそれだけでも嬉しかった。

 母が病に伏せると、家族でどこかへ出掛けることがなくなった。父は娘に気を遣ったわけではないだろうが、時折休日には長野へ映画を観に連れて行ってくれた。

 半田は海があることと、山がなく中条村に比べると随分温暖な場所だった。雪は降っても殆ど積もらない。雪質もパウダースノーに近い長野の雪に比べると、半田の雪は湿り気の多い重たい雪だった。

 長野の冬に比べれば暖かいことに違いないが、家の中は暖房器具がなければ過ごせなかった。それに反し夏の暑さは半端なものではない。中条村の家でも居間にエアコンが設置されていたが、夜間にエアコンをつけることは殆どなかったように記憶している。しかし半田の夏は、夜エアコンがない生活は考えられなかった。

 茜は半田市内にある、比較的進学率の高い高校に入ることができたが、楽しいはずの高校生活は決して楽しいものではなかった。クラスの殆どの者は大学進学を視野に入れ、勉学にいそしんでいた。皆自分の未来に希望を持ち、それに向かって努力している。しかし私は大学に進学しない。私は夢も未来も見ることができなかった。いや正確には見ようとしなかったと言ったほうがいいかもしれない。伯母夫婦は「大学のことは心配しなくていいのよ。あなたが一番行きたい学校に行けばいいのだから」と気遣ってくれた。

「ありがとうございます」と答えたものの、半田に来る前から私は大学に進学しないことを決めていた。

父の残した退職金と生命保険のお金があったが、それにはまったく手をつけなかった。伯母の家は伯父が自動車メーカーのラインに勤めていて、経済的には安定していたが、これ以上伯母夫婦に迷惑を掛けたくなかったのと、たとえ伯母であっても借りは作りたくなかった。

 ただあれほど強く思い込んだ、父をひき逃げした犯人を、社会人になったら捜し出すという決意が、この三年の間に薄らいでいたのも事実である。

高校に入り沢山の本を読んだ。人間的に成長したわけではないだろうが、自分の人生にとって、父を殺した犯人を見つけ出すことが重要なことなのか、自分自身疑問に感じるようになっていた。

冷静に考えれば警察に見付けられなかったものが、素人の茜に見付けられるわけがない。それは最初から分かっていたことだが、それよりも誰か分からない犯人を怨み続けるより、自分の人生を謳歌するほうが、いいのではないかと気持ちが変化していた。そのほうが父も喜んでくれるのではないか。娘が復讐に人生を捧げるのは本意でないはずである。娘の幸せを考えるのが親なのだから、私が犯人を探し出さなくても、それを責めたりはしないだろう。それだけ私の心にゆとりが生じたのかもしれない。

        6

 高校を卒業した茜は、陸上自衛隊に入隊した。この高校の女子生徒で、自衛隊に入隊したのは茜が初めとのことだった。担任の松島は茜の自衛隊入りに当初反対した。

「君の成績なら少し頑張れば、国公立も夢ではない。何も自衛隊に入らなくてもいいのではないか。ご両親には相談したのか?」

「いいえ、私一人で決めました」

「一生のことだぞ。家に帰って一度ご両親に相談してみてはどうだ」

「・・・・・・」

 松島は茜が相羽の養子ということを知っていた。昔の話ならいざ知らず、現代においてたとえ養子だからといって、上の学校に行かせないとは考えられない。松島から幸子に話を持ちかけると、幸子は驚愕していた。

「茜ちゃん。お願いだから大学に行ってちょうだい」

 幸子に哀願されたが、茜の決心は変わらなかった。どうしても独り立ちしたかった。松島からそれなら防大を受けてみないかと勧められ、受験してみたが合格には至らなかった。

受験勉強をしていなかったため、学校の成績はそれほど悪かったわけではないものの、受験勉強をしている他の生徒たちと比べると、やはり学力は低下していた。それでもそれほどショックは受けなかった。

自衛隊に入ると決心した時、駅にあった自衛隊募集の葉書を郵送すると、二日後には電話があり、愛知県地方連絡部の横山二等陸曹が白いワゴン車で、直接家まで訪ねてきた。車は外観だけ見ると、どこにでもある普通の商業ワゴン車で、横山の服装も背広にネクタイという出で立ちのため、自衛官には見えなかった。ただナンバープレートがヨーロッパ車に装着するような細長いもので、場所を特定するものが記載されていなかった。

 幸子は「どちら様ですか?」と伺うと、相手は「愛知地連の横山といいます」と名乗り名刺を差し出してきた。担任の松島から話を訊かされ、ある程度覚悟はできていたのか、松島から初めて訊かされた時に比べると幾分落ち着いていた。それでも茜がワゴン車に乗り込んでいく時は、不安な顔を隠さなかった。その車で名古屋市守山区にある駐屯地に向かった。

 初めて見る自衛隊の中は、茜が想像していた世界とはまったく異なっていた。グランドではジャージ姿の男たちがソフトボールをやっていた。OD色の軍服を着た男たちがすれ違うたびに、横山に対し敬礼をしてくる。駐屯地内を一通り見学すると、近くにあるファミリーレストランに入り、チョコレートパフェをご馳走になった。

 高校生活ではあえて友達は作らなかった。進学校であったため、生徒たちは放課後遊び呆けることはなかった。それでも休日は親しい者同士、名古屋へ出かけたり、映画を観にいったりしていたようだが、茜はそれには一切参加しなかった。だからファミリーレストランに入ったのは、父に連れていってもらって以来久し振りだった。何の変哲もないチョコレートパフェが、とてもおいしく感じたのはそのせいだろう。

「どうだった?駐屯地の中。君が入隊する朝霞は、もっと大きい駐屯地だけど」

「緑色のジープや、トラックが沢山置いてあって、ああ自衛隊なんだと感じました」

「まあ、あすこは兵器もたいしたものは置いてないから、あまりそれらしくは感じにくいかもしれないけど、陸上自衛隊がどのようなところか、見てもらうにはいいかなと思って」

 横山は何かにつけて、とても親切だった。茜が「飛行機が見たかった」と言えば小牧基地にも連れていってくれた。内容的にはこちらのほうがはるかに見ごたえがあった。

四月から朝霞駐屯地に、新隊員教育として入隊した。

愛知県地方連絡部の人から「荷物はできるだけ少なくしたほうがいいですよ」と教えられた。少ない荷物を抱え、地連の二等陸尉と新幹線で東京へ向かった。家を出る時幸子は涙を流していた。自分の我が儘であの家を出ることになり、本当に申し訳なく思う。あれだけ良くしてもらっておきながら、心から素直に伯母たちに甘えることができなかった。何がそのようにさせたのか分からなかったが、最後まであの二人に対し心を開くことができなかった。父に対しては何も気を遣うことなく、自分の不満をぶつけることができたのに、養子先の両親にはどうしてもよそよそしさが残ってしまう。それは血は水よりも濃いということなのか。朝霞駐屯地は横山が言ったように守山駐屯地より、かなり大きな駐屯地だった。ここにはオリンピック選手を養成する自衛隊体育学校もある。

 家から持ってきたボストンバックには、普段着が二着とスウェット、トレーナーと下着の他は本が数冊入っているだけだった。

健康診断の後業務隊倉庫で、補給陸曹から被服を受領しWAC隊舎に入った。すべてが新しく新鮮だった。周りにいる女性は私と同年代だったが、営内班では茜が一番年下だった。さすがにここには髪を染めている者はいなかった。ここに入隊するには、それなりの覚悟が必要だということは、誰もが認識しているに違いない。

 茜は女でありながら銃、戦車、飛行機が好きだった。母がまだ健康だったころ、父は飛行機や戦車のプラモデルを買ってきては作っていた。だから第二次世界大戦時の、ドイツの戦車の名前はすべて言えるほどだった。何より戦闘服を着た男性が、とても魅力的に映った。

 当初茜は航空自衛隊の航空管制官になりたかった。しかし地連の人の話によれば、その関連の職種は競争率が高く、希望どおりにその職種に就ける可能性はきわめて低いという。取り敢えず陸上自衛隊に入隊して、その後空きができたらそちらに移ればいいとアドバイスを受けた。

これは入隊後分かったことだが、一度就いた職種は後で職種変更は簡単にできないということだ。好きな飛行機を間近で見る仕事に就けたらいいなあと思いつつ、他にも私と同じような考えを持つ人がいるのだということを知った時、それはそれで仕方ないと素直に諦めることができた。

新隊員の営内班は十一人部屋で、3等陸曹の班長付以外は二段ベッドになっている。

「今日から皆と寝食を共にする、田上3曹です。よろしくね」と班長付が挨拶した。田上は綺麗な顔をしていたが、背は低く線が細かった。こんなきゃしゃな人が勤まるのかと不安に感じたが、訓練が始まるとどうして、新隊員と比べれば体力の差は歴然としていた。飛んでも走っても、田上には誰も敵わなかった。

そして掃除に関してはとても厳しかった。トイレ掃除は特に根を入れて掃除することを教わった。便器の水の溜まった中に、ポケットから取り出した十円玉を投げ入れ、田上の真向かいにいた新隊員に「十円玉を拾いなさい」と命じた。

新隊員が「え、十円玉を拾うのですか?」と躊躇していると、田上は自ら便器に手を突っ込み、十円玉を拾い上げた。

「自分が使用しているトイレを、いつも綺麗にしておくことは、自衛官の基本よ」

田上の口癖だったが、確かに自衛隊のトイレはどこの部隊へ行っても綺麗に清掃されていた。この後田上は海上自衛隊のトイレ掃除は、もっと厳しいと教えてくれた。

 朝霞で行われる前期教育は茜にとっても、他の女性隊員にとっても、初めての経験に違いない。毎日の行動が分刻みに行われる。朝の起床ラッパから、夜の就寝ラッパまで、気が休まる時間が殆どない。とくに大変だったのは洗濯と靴磨きである。洗濯機とアイロンは台数が決まっていて、使用する順番は早い者勝ちであった。隊員は訓練が終わると、風呂や食事よりまず洗濯場に走って行く。戦闘服なのに折り目がちゃんとついていなければならない。洗濯が終わると乾燥室で洗濯物を乾かす。それが乾くとアイロンをかけ折り目をつける。これがかなり大変なため、最初に貰った給料で、ノーアイロンの戦闘服を皆購入した。

 洗濯より大変だったのは、靴磨きである。短靴は磨くのが容易いが、半長靴は磨いても硬くてつやもなかなかでない。区隊長や班長などの半長靴は、つま先がピカピカに輝いているが、新兵の靴は磨いてもなかなか艶がでなかった。班長付に訊くと「ぼろきれにキウイの靴墨をつけ、それに唾をつけ時間を掛け磨くことだ」と教えてくれた。半長靴は一ヶ月もすると足になじみ艶もでてきた。

入隊当初は体力づくりから始まり、基本教練、座学などが行われる。入隊して一週間もすると武器授与式が行われ、区隊長から一人一人小銃が手渡される。この時はさすがに自分が自衛官になったのだという実感が湧いてきた。銃の分解結合もしだいに、目を瞑ってもできるようになっていた。

初めての射撃は感激した。点検射撃をした後、クリックを調節し、息を止め『闇夜に霜が降りるごとく』引き金を引く。肩にずしりと重みを感じ、弾は自分の思った方向に飛んで行く。雷管を撃鉄で打ち付けた時に発する音は心臓に良くなかったが、硝煙の臭いは何ともいえない不思議な香りだった。これが砲弾になると、何とも嫌な臭いに感じたのはなぜだろう。

 小銃を持っての戦闘訓練は、体力的にも非常にきついものだった。ハイポートといわれる銃を抱えながら走る訓練は、今までやったどのスポーツよりもきつかった。WACの中には銃を抱えたまま倒れる者もいた。匍匐前進は傍目から見るよりきつく、戦闘服を着ていても肘や股が、砂や小石ですれて痛かった。

富士演習場で行われた戦闘訓練は、朝霞で行われたものよりさらに過酷なものだった。火山灰の土壌は走っても、走っても、前に進んで行かない。匍匐前進すると粒が大きく硬い火山灰で肘や股がこすれ、痛さを我慢するのに必死だった。前期教育も終盤に差し掛かると、自分の行きたい部隊、職種を希望する。茜のいた区隊は武器隊と通信隊が、人気が高かった。一応職業適性検査が行われ、それぞれの適正にあった職種へ配属されるのだが、ある程度は本人の希望も考慮してくれる。希望調査表を班長に提出した三日後、区隊長に呼ばれた。区隊長の小阪3尉から「相羽2士はどの職種を希望している」と訊かれた。

茜は「武器隊を希望しています」と即答した。別に理由はなかった。武器を扱う仕事が自分にはあっていると思えたからだ。

「実は今年から機甲科が、女性隊員を募集することになった」と小阪は説明した。

機甲科は陸上自衛隊の戦闘職種で、戦車と偵察が主な任務だった。陸上自衛隊では花形の職種である。本来、機甲科、普通科(歩兵)、特科(大砲)の職種は戦闘職種のため、後方支援部隊の職種と違い女性の採用はない。しかし時代の流れとともに、戦闘職種にも女性が進出してもいいのではないかという風潮になり、今回第一期の機甲科隊員を募集することになったということだ。機甲科イコール戦車クルーになることである。茜はまったく予期していない小阪の言葉に、どう返答していいか、すぐには答えられなかった。しかし興味はあった。女性であれば会計隊や衛生隊も視野にあったが、それなら何も自衛隊でなければならない理由はない。

 茜は少しだけ考え「お願いします」と答えた。

職種が決まり前期教育が終了すると、それぞれのWACは全国に散って行く。茜が行く第一機甲教育隊は御殿場市の駒門駐屯地にあった。駐屯地と演習場の間に東名高速が走り、駐屯地の車両置き場には90式、74式、61式と歴代の戦車がすべて置いてある。

61式戦車は間もなく一線から退くことになっていた。しかし初めての女性機甲科教育に使用される戦車は61式戦車があてがわれた。この戦車は大の男でも乗りこなすのが難しいじゃじゃ馬で、90式戦車に比べると明らかに時代遅れの代物だった。最初に行われたのは操縦席に乗り込むことである。これが思ったより難しい。操縦席に座ると首から上だけが出る体勢になる。戦闘態勢の時は椅子を一番下まで下げ、ハッチを閉め潜望鏡で前方を確認する。戦車の操縦手は前方しか見えないため、両サイドと後方は戦車長が砲塔の上から確認し、操縦手に無線で伝える。無人戦闘機が開発される現代戦において、戦車は非常に原始的な乗り物だった。

 教育隊の戦車操縦席に座ると、戦車の両サイドに、教官が立てたポールの位置を確認し、車両感覚を身につける。更に61式戦車の一番の特徴であるノンシンクロ、ダブルクラッチのギアチェンジの癖を掴む。回転を上げたままギアを入れようとすると、ギアはまったく入らず、物凄い力で押し返される。「ガンガン」と凄まじい音がして、皮製の戦車グローブを嵌めていても、掌の皮が一枚捲れてしまうほどの衝撃を受けた。ただ回転があっていれば「コトン」と気持ちよくギアが入る。それがこの戦車のじゃじゃ馬たる所以でもあった。

 第一機甲教育隊で行われる主な目的は、公安委員会が発行する大型特殊免許を取得することである。この免許があれば社会に出て、ブルドーザーやショベルカーなどを運転することができた。

通常機甲科は大型特殊免許を取得するための、操縦訓練車両は戦車があてがわれていたが、普通科や特科の大型特殊免許の操縦訓練は、APC装甲兵員輸送車などの、戦車などより車重の軽い装甲車で行われた。

指導教官は皆男性で操縦席のハッチに腰掛け、教育隊員の操縦を指導する。

指導教官はスキーのストックを改造したステッキのようなものを持っており、新隊員がエンストすれば「何やってんだ。敵に撃たれちまうぞ」と怒鳴られ、そのステッキで新隊員のヘルメットを躊躇なく叩いた。ヘルメットを被っていても、けっこう頭に響き、親にも叩かれたことがない彼女たちにとって、スパルタ式の指導はかなりこたえた。

「お前ら何回同じ失敗を繰り返すんだ。やる気がないのなら、職種変更して会計かなにかに変えてもらえ」

 朝霞とは違って実践的な訓練のため、精神的にもかなりきつかった。

 それでも営内班に戻ると「あの教官、髭が濃くてきもいんだよ」とか「操縦している時、ごちゃごちゃ言っても、エンジン音がうるさくて聞こえねーちゅーの」と教官の悪口を言い憂さを晴らした。

戦車隊員の装備はヘルメットも、半長靴も、普通の隊員の装備とは異なっている。ヘルメットは軽く、マイクつきヘッドホンが装着できるようなつくりになっており、ゴーグルも装着されていた。

戦車ブーツは通常の半長靴のような紐つきではなく、長靴のような履きやすく脱ぎやすい皮製のブーツだった。紐つき半長靴と違い、全体が焦げ茶色に輝いている。操縦訓練の前に、必ず服装検査が実施された。戦車ブーツが磨かれていないと、隊舎から車両置き場まで兎跳びをさせられる。これをやると翌日足がピノキオのようになり、階段を上るのも一苦労だった。

 男子隊員でも苦労する戦車の操縦訓練は、WACにはなおさらきついものだった。WACの中には普通運転免許を持っているものも何人かいたが、殆どが原付バイクすら乗ったことのない者たちである。

74式戦車の操縦席を見せてもらうと、オートバイのようなハンドルがついていて、ギアはセミオートマチックだった。教官に言わせれば、こちらの操縦はそれほど難しいものではないらしい。片手運転は簡単にできるし、ギアに神経を使うことはない。サスペンションもしっかりしているため、乗り心地も61式戦車に比べるとマイルドということだ。

 61式戦車はノンシンクロの上、五速変則だが高低があり、実質前進十段変則になっている。タコメーターは右横についていて、どうしても慣れないと回転が必要以上に上がってしまう。そうなるととても女性の腕ではギアが入らない。茜はある程度慣れてくると、アクセルの固定レバーをOFFにした。これは普通の乗用車のように、エンジンを掛ければそのままアイドリングが保てるわけでなく、アクセルペダルと連動した操縦席右側にあるアクセルレバーをアイドリングの回転にあわせる。アクセルレバーをOFFにしておけば、回転は必要以上にあがらないため、ギアは入りやすくなるが、戦車を停止したときアクセルを踏んでいないと、エンジンが停止してしまう。このアクセルレバーの使い方を見て教官は驚いていた。

学科試験で落ちた者はいなかったが、実地試験では何人かのWACが落第した。その者たちも卒業までには何とか合格し、大型特殊免許を取得することができた。免許証の条件には、大特車はカタピラ車に限ると記載されている。

 茜は第一機甲教育隊を終了すると、12戦車大隊第3中隊に配属された。12戦車大隊は群馬県の相馬原駐屯地にある。日本全国で61式戦車を使用している部隊は、第一機甲教育隊と12戦車大隊の第3中隊だけだった。

 相馬原駐屯地は伊香保温泉の直ぐ近くにあり、冬の積雪量が多少少ないものの、茜の生まれ育った長野の中条村に酷似していた。駒門から来た女子隊員は茜一人だけだった。

12戦車大隊の隊舎は12師団司令部の斜め後ろに位置していた。WAC隊舎は通信大隊の後ろに慎ましく建っている。WAC隊舎だけは人数が少ないため、通信や武器隊との共同部屋だった。

中学校校舎のような細長い建物が立ち並ぶ中にあって、WAC隊舎だけはこじんまりした建物である。建物の大きさもさることながら、ここの隊舎は女性しか入れず、入浴場も建物に併設されている。隊舎の周りには花壇が設けられ、沢山の花が植えられていた。他の場所にも花壇がないわけではないが、WAC隊舎はそれらが非常に際立っていた。知らない人が見ても、ああここは女の園なのだと分かるくらい、庭の整備が行き届いていた。

 自衛隊は元来女性が少ない職場だが、その中にあっても12戦車大隊は、とても男臭い職場だった。その職場も時代とともに変化しつつある。

営内班は陸曹以外概ね五人から六人ずつになっていて、通信、施設、司令部付隊の混成になっている。男性隊員の場合戦車は戦車、通信は通信と隊舎が完全に独立していたが、WACは少人数のため、色々な部隊の混成になっていた。

 御殿場から電車に乗り継ぎ高崎で下車すると、12戦車大隊の73式大型トラック(カーゴ)が迎えにきていた。カーゴの荷台から景色を眺めていると、どんどん民家が少ない田舎に入って行く。駒門から来た半数以上が、群馬県内の出身者であったが、その他の者はいろいろなところからの寄せ集めであった。

茜は三年間愛知県で暮らしていたが、言葉に多少の違和感を持っていた。それに比べ、群馬県民の話す言葉は、長野と愛知のイントネーションの違いに比べれば、ほんの僅かなものだった。朝霞、御殿場、相馬原と、だんだん田舎に行くに従い、気持ちが沈んでいくのも仕方ないことかもしれない。

 茜は先ほど3中隊の先任曹長、竹岡から貰い受けた部隊帽を被っていた。ライフルがクロスになりTANK・BATTALIONと刺繍が施されている。3中隊を出るとWAC隊舎に入り二階に上がった。

茜が入る営内班は206号室である。ライトグリーンのドア前に立つと、緊張で身体が硬くなった。前期・後期教育を終え、初めて入る実戦部隊の営内班である。自衛隊は上下関係がとても厳しいのではないかということは、イメージとして強く持っていた。たとえどんなに厳しくとも、自衛隊に入隊すると決めた時、どんなことにも耐え忍ぶ覚悟はできていた。私には帰る家がないのだ。今日からはここが私の家になる。だからといって自分が不幸な人間だとは思いたくなかった。

 駒門からここの駐屯地に来るまでに、何人かの男子隊員と話をしたが、彼等の中にもいろいろな職業を経験しているものも少なくない。中には一度辞めてまた入ってきた猛者までいるということだ。

周りの人たちの話を聞くかぎり、自衛隊を一生の仕事と捉えている人は少ないように感じた。茜自身もこの仕事を一生続けようとは、今の時点では考えていなかった。そのような者たちの集まりであるから、自衛隊という組織は何かいま一つ、国民に認められない中途半端な存在なのかと思えてならない。

幹部自衛官はよく本音と建前を口にする。そもそも諸外国から見て、自衛隊は軍隊以外の何ものでもないはずなのに、自衛官自身が自分たちを軍人と認識していないところに、国民とのずれが生じるのではないだろうか。国の憲法で認められていない特別国家公務員という名称自体、何か侘しさを感じずにはいられなかった。

 茜の心のどこかに、落ちていく人間の心地好さみたいなものがあった。太宰治の『人間失格』や『斜陽』などの文学作品に惹かれるのはそのせいかもしれない。自分があまりにも幸が薄いため、そのような文学作品に共鳴する部分が多かったのだろう。

 朝霞に入隊した時、同じ営内班の一人が大きなスーツケースで、沢山の衣類や化粧道具を持ってきたが、その荷物の殆どを親元へ送り返されてしまった。

 茜は相羽の家へ引き取られてから、衣服も殆ど買わなかったし、机と椅子以上に大きいものは何もなかった。自分にとってどうしても必要だといえるものが、何一つなかった。

帽子を取り、軽くノックし「相羽2士入ります」と大きな声で言うと「どうぞ」という女性特有の優しい声が扉の向こうから聞こえた。

 汗ばむ手でドアノブを回すと、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。四人の目が一斉に茜にそそがれた。オークション会場で品定めでもするように、皆から見られているような気がしてはずかしかった。

部屋は右側に二つのベッドがあり、左側には三つのベッドが並んでいる。ドアを開けてすぐ右側に絨毯が敷いてあり、六人ほど座れるL型のソファーが設置してあった。壁にはボックス型のスチールロッカーがあり、その上に20型のテレビが置いてある。ソファーにはWACが二人腰掛け、他の二人は自分のベッドに座っていた。

茜は真直ぐ前を見据え「12戦車第3中隊、相羽2士です。どうぞよろしくお願いします」と自己紹介した。

「よろしく。私この班の先任士長、武器隊、有坂京子。分からないことがあったら何でも訊いて。一応この中では一番古株だから」

 ソファーに足を組んで腰掛けているWACが笑顔で言った。目鼻立ちが整い、綺麗な女性だった。薄いピンク色のトレパンを穿き、上は戦闘服という出で立ちだった。自衛官は業務が終了すると、下だけトレーニングパンツなどの動きやすい服装に着替える。食事やPX(売店)に行く場合は、階級が分からなければならないため、上だけ戦闘服を着ていた。

「私通信隊の橋詰多恵子よろしく」

 有坂の横に腰掛けていたWACが挨拶した。目が細くきつい感じの女性だった。

「私付隊の田村洋子よろしく」

 右側のベッドに座っていたWACが挨拶した。眼鏡を掛けていたが、堀の深い綺麗な目をした女性だった。

「私通信隊の島崎有子よろしく」

 左側ベッド真ん中に座っていたWACが控えめに挨拶した。一番廊下側のベッドは白いマットレスが剥き出しになっていたため、おそらくそこが茜のベッドになるに違いない。教育隊の営内班とは違い、ここは生活の匂いがした。不安もあったが、それ以上に期待も大きかった。

 今までの三年間、自分は居候だという気持ちが常に存在していた。血の繋がった伯母の家なのだから、それほど気を遣うことはないはずなのに、それでも茜自身どうすることもできなかった。二人とも茜にはとてもよくしてくれた。それでもやはり本当の両親のように接することができなかった。それは私自身に問題があるのだと感じる。頭では理解できても、気持ちはどうすることもできない。

 今日からあのベッドのスペースだけは、私の空間なのだ。たったそれだけのことが、茜には嬉しかった。

「そこがあなたのベッドよ」と有坂が指差した方角に、マットレスが剥き出しになったベッドがあった。

 有坂から言われたことは、次の新隊員が来るまで強制ではないものの、外出はできない。土・日、士長クラスは彼氏とどこかへ出かけたり、東京方面に遊びに行ったりするため、一番下の者は営内班に残り掃除をすることになっている。茜が来る前は島崎1士が掃除やワックス掛けをやり、部屋を綺麗にしていたということだ。

 毎週日曜日にソファーや絨毯を廊下に出し、ワックスを掛けポリッシャーで磨くという。教育隊の営内班で目についた、靴のこすれた後がまったくなかった。これは男子隊員も一緒で、営内班に残った者が、ワックス掛けをするのは、昔からの習わしみたいなものになっている。その代わりといっては何だが、外出した先輩たちは、必ず寿司やフライドチキンをお土産として買ってきてくれた。それは二十歳前後の乙女にとっては、とても嬉しいことに違いない。

 六人部屋だと四人がそれぞれ色々なお土産を買ってきてくれる。営内班で飲むことは禁止されている酒も買ってきて、日曜日の夜はさしずめ宴会となり、営内班に残る陸士はあまり夕食をとらないよう準備して待っていた。

 身体が慣れてくれば、毎日が修学旅行みたいで結構楽しめる。気の持ちようで独り孤独になることもない。それなりに楽しいと思える日が過ぎていくように思われた。

 日々の家業は部隊によってまったく異なるのだが、戦車大隊の毎日の課業は戦車の整備が主な仕事だった。三中隊には十二両の61式戦車があり、半分以上は陸上自衛隊の富士学校に置いてある。ほとんどの演習が東富士で行われるため、戦車は陸上自衛隊の富士学校のグランドに置いてあった。

戦車も一年に一回車検を通さねばならないため、それに合わせて整備が行われる。どの中隊にも整備班がいて、中隊で使用する戦車・APC・ジープ・カーゴはこの整備班が毎日整備にあたっていた。整備班は演習中でも戦車に乗ることはほとんどない。整備班になりたい者は、それ専門の教育を受けなければならなかった。

整備班でない隊員は、重火器、小火器の整備か、整備班の手伝いをさせられる。手伝いといっても、車両の洗車や泥落とし、塗装剥がし、マスキングテープ貼りである。APCや戦車の中のマスキングテープ貼りは、口ばかり動かし、手が一向に動かないのが実情だった。

戦車の整備場は駐屯地の裏門近くにあり、道を挟んだ場所が演習場になっている。どこかの中隊の整備班が飼っている鶏が時折、整備班の駐車場を走り回っていた。

戦闘職種で戦車部隊は、車両が多いため結構忙しい。これが普通科なら火器整備だけやればいいため、あとは個人の体力づくりに打ち込める。

戦車大隊は中隊ごと行動しているのだが、ほとんどの中隊は課業開始と同時に、ストレッチ体操を行い、半長靴を履いたまま演習場をかるく走って大隊前まで戻ってくる。3㎞ぐらいの行程だが、登り坂があるため結構きつかった。これが課業がある時は毎日行われる。中隊には茜より遅い者もいたが、それでも歩く者はいなかった。

ここでは年一回、12師団の持久走大会が催される。戦闘服に半長靴、ライナーという出で立ちで走るのだが、戦車大隊は毎回優秀な成績を収めていた。

       光村 

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 光村(みつむら)高貴(こうき)は高校を卒業すると、東洋経済産業新聞社が主催する、新聞奨学金制度で東京の大学に進学した。実家は群馬の山間部にあったため、高校は進学率があまり高くなかったものの、通学のことを考慮し、実家から一番近い地元の学校を選択した。実家から近いといっても、バスで十分ほど掛かる。そのバスも二時間に一本という少なさで、朝も夕方もまったく同じ時間のバスで通うこととなった。

大学にはどうしても行きたいと思い、東京の大学に進学することにした。高崎や前橋に出たところで、下宿するのは変わらないし、どうせなら東京の方が選択肢は広がると考えた。

父は大田にある自動車関連会社に、期間従業員として働きに出ている。週末だけ家に帰り月曜日の早朝家を出て行く。母は畑で自分の家で食すものだけを細々と作っていた。下に弟と妹がいたため、上の学校に進学するには、親に負担を掛けるわけにはいかなかった。

 そんな時朝刊を読んでいて目にしたのが、新聞奨学金制度だった。新聞奨学金は住居と食事が完備され、朝刊と夕刊の新聞を配れば後は自由時間である。これは後で分かったことだが、東洋経済産業新聞のように発行部数が少ないと、一軒一軒との距離が離れているため、時間的ロスが大きい。大手の新聞であれば、同じマンションで半分以上取っているところもあり、配るのも比較的楽だったようである。

光村が人生で躓いたのがこの時だった。実家はかなり田舎だったため、都会の地理に慣れるのもまた大変だった。新聞はまだ暗いうちから配るので、高い建物は光村には皆同じに映った。

人の運、不運は確かにあると感じる。光村の配達する地域は、新聞取得者の家と家との距離が離れているのは勿論、やたらと坂の多い場所だった。重い新聞を自転車に積載し、坂を上るのは、山間部で育った光村でも容易なことではない。

 光村たち学生配達員は、新聞販売店にある二階の寮に居住していた。ここには六人の学生が住み込みで働いている。一つの部屋は四畳にも満たない狭い空間だった。壁は石膏ボードで敷居がしてあるだけで、トイレや風呂はすべて共同。部屋で本を読んでいると、隣室の者がジュースを飲んでいる喉の音さえ聞こえてくる。

 光村が朝刊を配り終えるのは、他の者より条件が厳しかったため、一時間近く遅くなった。

遅い朝食を済ませ学校の講義に出るも、眠気が身体を支配し頭には何も入らない。夏休みに入っても新聞配達があったため、一週間も休みが取れず、身体も心もしだいに衰弱していった。それでも一年もするとさすがに身体も慣れ、配達する場所も新しく学生が入ってきたため、平坦な場所に変わり、配る時間も短縮した。

二回生の冬休み正月映画の大作がロードショーされたため、新宿の映画館に足を運んだ。東京では新宿が好きで、休日はコマ劇場辺りをうろうろするのが習慣になっていた。

映画を観終わった後、暇を持て余しコマ劇場辺りをふらつき、紀伊国屋書店に行こうと考えながら歩いていると、背の高いすらっとした女性が近づいてきた。手には飲食店のウエイトレスが注文を取る時使用する、小さなバインダーを持っていた。

「ちょっと、お時間よろしいでしょうか?」

 ダークグレーのスーツを着た女性は、光村の前に立ちふさがると、はっきりした口調で話しかけてきた。光村は突然声を掛けられ、呆然とそこに立ち尽くしていた。すると女性はペンを持ち、バインダーに何か書き込む素振りを見せた。二十代後半の目鼻立ちのはっきりした女性だった。

「え~何ですか?」

 猜疑心を隠さず女性を凝視した。

「アンケートに答えていただけますか?」

 とくに急いでもいなかったため「はい」と答えた。女性は料理店のウエイトレスが注文を取るように、何か質問してはそこにまるを打っていく。質問の内容はたわいないものだった。休日は何をするのかとか、映画はどんなジャンルの映画が好きなのかとか、どんなスポーツをやるのかとか、何を目的とした質問かまったく見当がつかなかった。30項目の質問が終わると女性はいきなり「貴方にピッタリのリゾート会員権があります。ほんの少しだけ時間をいただけませんか?」と誘ってきた。

リゾート会員権などに興味はなかったが、どうせ暇だからと思い「はい」と返事をした。

 連れて行かれた場所は、コマ劇場から少し新大久保に寄った、五階建ての古い雑居ビルだった。ビルに入り朱色のエレベーターに乗り込むと、女性は四階のボタンを押した。     

 エレベーターが四階で止まり扉が開くと、向かって右側の木製扉を開けた。驚いたことに中は外観と打って変って豪華な造りである。まるで高級マンションの応接間みたいだった。大きめの白い革張りソファーが置いてあり、テーブルは大理石で豪華なものだった。サイドボードの上には真っ白な花瓶あり、そこには薄いピンク色のバラが沢山活けてある。

 ソファーから少し離れた窓際に、マホガニーの執務机が置いてあり、そこには薄いブラウンのサングラスを掛けた、三十代後半と思われる男性が書類を眺めていた。光村が部屋に入室すると、男性はゆっくりと立ち上がり会釈しながら「どうぞ」とソファーを促した。

 光村はソファーに腰を掛けると、女性は一旦部屋を出て、トレーにコーヒーを二つ載せ戻ってきた。そしてブランド物のカップとソーサーをテーブルの上に静かに置いた。「どうぞ」とコーヒーを勧められたが、すぐには手をつけなかった。

 女性はソファーの後ろにある書棚から、厚さが三センチほどの電話帳のようなカタログを取り出すと、光村の向かいに座った。カタログをテーブルの上に広げると、ページを一枚一枚めくり始めた。そのページをめくる女性特有の細い指に、釘付けになった。光村はその指に心を奪われ、ほとんどカタログを見ていなかった。カタログはすべてがカラー印刷で、ヨットやホテル、リゾート地の綺麗な写真がこれでもかというくらいに掲載されていた。

「当社は色々な有名ホテルと提携しており、ホテルを利用する時は割引が得られ、旅行や映画も割引が適用されます。洋服や車など購入の際も、この会員価格が適用されます」

 女性はこれでもかというくらい会員の特典を強調した。光村は当初説明を訊いても、まったく興味が沸いてこなかった。何かひどく遠い世界のような気がして、自分には関係ないことのように思えたからだ。それが少しずつ内容を変え、同じ話をされていくうちに、二時間後気がつくと契約書にサインをしていた。自分にはまったく関係ないにもかかわらず、高額のローンを知らないうちに組まされていた。クーリングオフという制度があることすら知らなかった。

 契約してから一週間後、クレジットカードのような会員証と、女性に連れられて行った雑居ビルのオフィスで目にしたカタログより、さらに分厚い豪華なカタログが郵送されてきた。   

それからまもなく自分の口座から月々三万五千円ずつ引かれ、半年後にはその三万五千円すら払えなくなっていた。滞納を続けていると信販会社の者だと名乗る人物から、新聞販売店に何度も督促の電話が掛かってくるようになった。

カタログには色々なサービスが掲載されているが、どれも30%OFFとか40%OFFとか記載されているだけで、無料で使用できるものは何一つ存在しない。その時になって何でこんなものの会員になったのか、自分でもよく分からなくなっていた。後悔してもすでに遅かった。

結局しつこい電話に根負けし、サラ金から金を借り、滞納していた金を支払った。借金することに、何の迷いも躊躇いもなかった。そこからは面白いように借金が雪だるましきに膨らみ、気がつくと借金はいつの間にか三百万円にまで達していた。当然群馬の両親へも、取り立て屋が脅しを掛けてきたようだが、両親も払う当てがなく、状況は確実に悪い方へ傾いていった。

 サラ金が高利だということは十分承知していた。それなのにそれに手を出さずにいられない状況に追い込まれていった。母親からは「何てことをしてくれたの」と泣きを入れられ、新聞販売店の主人からは「取立て屋に、店の周りをうろうろされると、君には辞めてもらわなければならない」と忠告された。途方に暮れ学校にも行かず、新聞販売店近くのゲームセンターに入り、ゲームをするわけでもなく椅子に座りボーとしていた。

 親に迷惑を掛けず大学に進学しょうと考え、新聞奨学金を受け東京へ出てきたのに、こんなことになってしまった。日にちが経てば経つほど借金は増え、気分は益々憂鬱になっていく。

ゲームセンターでゲームもやらずに、テーブルゲームの画面を眺めていると、体躯のいい背広を着た男が、いきなり光村に声を掛けてきた。

「君学生さん?」

「はい」

 怪訝な顔を男に向けた。

「今日学校は休みかな?」

 なぜ男はそのようなことを訊いてくるのか、その時はまったく相手の意図が分からなかった。

「いえ・・・・・・」

 その男に対して何か言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。

「失礼とは思うのだが、だいぶ以前から君、ここのゲームセンターに入り浸っているよね。それもゲームをまったくやらずに」

「あなた、なんですか?」

 一瞬サラ金の取立て屋かと勘ぐったが、どう思考を凝らしても、取立て屋であるはずがないと思い至った。取立て屋なら自分を見たらまず「金を返せ」と言ってくるはずだ。

「あ、失礼しました。私は東京地連の笹間と申します」

 そう言うと男は背広のポケットから、身分証明書を出し光村に呈示した。男は自衛隊の勧誘員だった。

「何か、悩みごとがあるみたいだね。よかったら訊かせてくれないかな。たとえばサラ金で困っているとか。相談にのるよ」

「え・・・・・・」

 椅子に座っていたが、後ろへ引っ繰り返りそうになった。何でこの男は知っているのだろう。

「ちょっと、喫茶店でも行こうか」

 光村は知らないうちにうなずいていた。

 ゲームセンターすぐ近くの喫茶店に入った二人は、注文を取りにきたウエイトレスにホットコーヒーを二つ注文した。コーヒーはすぐ運ばれてきた。

「どうぞ、コーヒーでも飲んで」

「いただきます」

 光村はミルクだけを入れ、スプーンでかき回さず、そのまま喉に流し込んだ。ちゃんとしたコーヒーを飲んだのは、久し振りのような気がする。

「どうして僕に借金があるって分かったんですか?」

「若者があんな時間から何もせず、ボーとしているのを見れば、女にでも振られたか、借金に追われているとしか考えられない。しかし君の場合どう見ても、女に振られたという顔じゃなかったからね。たぶん借金じゃないかと思ったのだよ」

 何でもいい、この蟻地獄から抜け出せるかもしれない。そう考えると目の前にいるこの男が、砂漠にあるオアシスのように思えた。

驚くことに借金はすべて地連の男が清算してくれた。どのような手段を講じたのか、詳しくは説明してくれなかったが、国が行うことなのだから、非合法なやり方ではないはずである。

まったく前が見えない状態で、すべてが投げやりになっていた。あの何もない田舎から、夢と希望を抱いて上京してきたものの、東京は光村に対して微笑んでくれなかった。その日その日の生活に追われ、心も身体もぼろぼろになっていった。自衛隊に入って何が変わるというのだろう。何の期待もしていなかったが、溝に首まで浸かっているような状態から、何でもいいそこから抜け出したかった。

       2

 光村が入隊した教育隊は、横須賀にある武山駐屯地だった。ここには陸上自衛隊の教育隊のほかに、海上自衛隊の教育隊、少年工科学校、航空自衛隊の地対空ミサイル、ナイキが設置されている。ランニングしていると、潮風が顔を撫でていくのがとても心地好かった。山で育った光村にとって、海という場所はそれだけで、心を和ませてくれるような気がする。

光村は大学も辞め、借金も清算してもらい、自衛隊に入る決意をした時、自分の人生に対し半ば投げやりになっていた。中学時代部活で少し野球をかじったぐらいで、運動という運動はやったことがなかったが、山育ちと二年以上新聞配達をしていたおかげで、足腰はそれなりに鍛えられていた。走ることが仕事の自衛隊では、体力的には何も問題なかった。

 新聞配達以外の仕事に従事したことがなかったが、自衛隊、特に陸上自衛隊は非常に特殊な人間たちの集まりだということを、自分自身が自衛隊に入隊して実感することになる。

四月隊員といわれる、高校を卒業してすぐに入隊してくる者を除いて、ほとんどの者が自衛隊に入隊する前、何らかの仕事に従事していた。そして何より自衛隊を特殊な職場にしていたのは、任期があるということだ。海上・航空自衛隊なら三年、陸上自衛隊は二年と、本人が希望すれば更に任期を延長することは可能であるものの、いずれ曹にならなければ、本人が望んでも、士長のまま何十年と勤務するのはあまり現実的ではない。

 曹に上がるには昇進試験を受けねばならない。たとえ読み書きが満足にできなくても、新入隊員の採用時に受ける試験のように、後ろから地連の人が、答えを教えてくれるのとは訳が違い、合格できない者は何年掛かっても曹には上がれないのが実情だった。

陸士にいる間はどんなことがあっても、落ちこぼれることはなかったが、ここにきて初めて能力のない者は淘汰される。このまま社会に出てもうまくやっていけるわけがなく、一任期、二任期で辞めた者は、年齢が許せば再入隊してくる者もめずらしくなかった。自衛隊に長くいればいるほど、社会での適応能力がなくなっていくのも、仕方のないことかもしれない。

特別とはいえ国家公務員のため、犯罪歴があれば任用されることはないが、光村のように人生に行き詰まり、ドロップアウトした者も少数ではあるが、存在したのもまた事実である。  

すべてが集団生活のため、悩みごとや喪失感が、意外にも緩和されていくのが不思議でもあった。ただ人生において落とし穴は一つだけではなかった。

        3

 光村が相馬原の12戦車大隊第3中隊へ配属されたその年の師走に、御巣鷹山に新日本航空の大型旅客機が墜落した。光村は冬休みに入っていたので、自衛隊の先輩たちとスキーに行っていたところを急遽呼び戻された。光村たちが相馬原駐屯地に戻った時には、すでに先発隊は出発した後だった。

墜落現場は積雪もあり、道もまったく整備されていないため、そこまで辿り着くのがことのほか大変だった。かんじきを履き一歩一歩山を登って行く。

林の中の急斜面を何度も躓きながら、少しずつ登って行った。小隊長は時折上空で旋回しているヘリと無線でやり取りし、墜落現場を確認していた。

「バートルの奴らいいよな。こちとら雪の中を這いずり回っても、なかなか現場にはたどり着けないでいるのに、ヘリで行けばあっという間だよな」

「ヘリで行っても、降りられるところがあるかどうか分からないぞ」

「あいつら、ロープ一本あればどこでも降りられるさ」

 古株の士長たちが上空を見上げながらぼやいた。沢山の林が邪魔をして、ヘリのエンジン音は聞こえてもその姿は確認できない。

 レンジャー隊員は別としても、車両部隊である光村たちは、演習中歩くことはほとんどなかった。

戦車クルーにとって、雪中行軍はとても過酷なものだった。それでも何とか現場に辿り着くと、そこはまさに地獄絵図だった。真っ白な雪に血をぶちまけたように、人の肉片が散らばり、山に激突した飛行機は、原形を留めずばらばらになっていた。白兎が狼にでも襲われたように、山のあちこちがえぐられ地肌をさらけだしている。

 先発隊はすでに遺体の収容作業に入っていた。胴体だけの遺体や、下半身だけの遺体を目の当たりにして、今までの自分が相殺され、もしかしたら新たな人生が歩めるのではないかという錯覚に陥った。

人の死を間近で見ると、この先どんな辛いことがあっても、耐えられるような気がしてくる。ほんの数時間前までは元気だった者たちが、一瞬にしてその運命を抹消されてしまう。この事故を目にしたものは誰もが、死というものを身近に感じ、生きているただそれだけのことが、ありがたく思えた。

光村は二任期を終える前に、陸曹になる試験を受け、一発で合格することができた。

        4

 時代も平成へと変わると、自衛隊も少しずつ変化していった。海上自衛隊で以前から行われていた日米合同演習が、陸上自衛隊でも頻繁に行われるようになった。12師団も最初に富士にある海兵隊と合同軍事演習を行った。それからは戦車を北海道まで陸送し、大掛かりな日米合同演習も行われるようになった。

それに伴ったわけではないだろうが、装備も大きく様変わりした。軍服や制服から始まり、ヘルメット、小銃、ジープ、戦車にいたるまで新型が配備された。

 90式(開発当初は88式と呼ばれた)戦車は、光村が自衛隊に入隊した時はすでに配備されていた。非常に重厚なエンジン音は、74式戦車の2サイクルディーゼルエンジンの甲高い音とは明らかに違っている。形状は西ドイツのレオパルド戦車を髣髴させた。今までの陸上自衛隊の戦車とはまったく異なる車両だった。61式と比べるとまるで、プロペラ機とジェットエンジンを搭載した戦闘機くらいの違いに感じられた。装備よりも大きく変化したことは、女性隊員が戦闘職種に進出してきたことである。

全国的に61式戦車が廃止されていく中にあって、光村がいる3中隊だけがいまだに61式戦車を使用していた。このポンコツが、どれほど操縦が難しいか。よくもまあ、よりによって女性隊員がここに配属されたと思う。

 戦車も小銃同様、砲身の分解結合がある。これは部品一つ一つが重く、女性にはきつかった。砲弾も61式戦車は90ミリ砲なので、女性でも何とか持ち運べたが、120ミリ砲になるとさすがに女性ではきついように思われたが、90式戦車は装填手が要らない自動装填だった。これは戦車隊員にとって驚くべきことだった。四人のクルーが三人になるのだ。装填手はだいたい新隊員の2士や1士が担当する。演習中はこの装填手が、コーヒーを淹れたり、ラーメンを作ったり、履帯痕を消したり、飯を糧食班に取りに行ったりと、いろいろな雑用をこなすため、クルーが独り掛けると、ドライバーがその補強をしなければならない。

WACが部隊に配属されても、相馬原で行われる演習はともかくとして、富士での演習に参加することはなかった。トイレ、入浴、寝る場所の問題が解決されるず、今後戦闘職種に女性が進出していくにあたっての課題となるであろう。

        5

 今思い返してみてもなぜ、先任曹長は光村を相羽茜の教育係にあてたのか分からない。普通、戦車隊員は六ヶ月に一度、概ね四人ずつ新隊員が中隊に配属される。これが普通科であれば、毎月何人かの新隊員が補充されるのだが、戦車の台数にも制限があるため、年間を通しての新隊員の採用がとても少なかった。

茜は四月隊員だったこともあり、3中隊に配属された新隊員は茜を含め六人いた。新隊員を教育するのは、通常同じ営内班の1士が担当する。それこそ部屋の掃除からカーゴの座る位置まで、懇切丁寧に教えられ、少しでも怠っていると就寝前に集合が掛かる。  

この集合というのは、新隊員を屋上などに呼び出し、こんこんと説教をすることである。明かりがほとんどない屋上で、新隊員たちは一列横隊になり、気をつけの姿勢をとらされ、5~6人の士長や1士から「お前ら、何で呼び出しを受けたか分かっているのか?」と怒鳴られる。ただ昔の軍隊のように鉄拳による制裁は行われなかった。たとえば先輩隊員に荷物を運ばせ、新兵がそれをぼんやりと眺めていたとか、どうでもいい、たわいないことで呼び出された。

演習中での飯の配食及び後片付けは、2士の仕事である。本部管理中隊の糧食班まで飯を取りに行き、最後は残飯を処理し、バッカンを綺麗に洗う。それは陸士であれば誰でも経験してきたことなので、それ事態は慣れてしまえばどうということはない。ただ一人か二人怠け者がいて、人にやらせて自分はちゃっかり休んでいる者が稀にいる。そうなると自衛隊という組織は全体責任のため、新隊員全員が呼び出され説教をされることになる。部隊によっては陰険な士長もおり、なかばいじめのように新隊員に辛くあたる者もいた。

陸上自衛隊は下の者は上の者より、常に動いていなければならないところがある。

新隊員の実践的な訓練は、富士で行われる実弾射撃にほかならない。その意味において、WACである茜は、実践的な訓練は受けられなかった。茜が12戦車大隊第3中隊に配属され、光村が主に教えたことは、武器の整備である。小銃は勿論、サブマシンガン、9ミリ拳銃、キャリバー50、キャリバー30、そして戦車の砲身、科学防護マスクの分解結合、整備を懇切丁寧に教えた。

高校を卒業してから新宿で女性に騙された以外、女性との接点がまったくなかった光村にとって、女性と対峙するのは非常に緊張を強いられるものである。武器庫の油臭い中で床に古い毛布を敷き、その上に武器を置いて茜に分解結合を教えた。

「キャリバー50はかなり重量があるから、気をつけて。これは戦車の砲塔に取り付け、上空警戒で弾幕を張る時使用する。ヘリや航空機に狙われたらこれで応戦するけど、コブラとかに狙われたら、もうおしまいだね。こんなの役に立たないよ」

「そうなんですか?」

「戦車なんて地上戦が専門で、航空機には非常に弱い兵器だから、上から狙われたらひとたまりもない。鷹に狙われた蛇同然だ。このキャリバー50は大きいけど、作りは結構単純なんだ。小銃のほうが複雑なくらいだよ。サブマシンガンなんか、コンバットで使用していたような古い代物だけど、これもすごく作りが単純になっている。町工場で作れると思えるくらい、作りはシンプルにできているんだ」

 そのように光村は茜に説明しながら、色々な武器を分解してはまた組み立てた。

「サブマシンガンは、砲手が使用するんですか?」

 サブマシンガンに興味を持ったのか、茜がサブマシンガンを手に取り質問してきた。

 通常戦車クルーは、装填手、操縦手、砲手、車長がいて携行火器もそれぞれ異なっている。車長は9ミリ拳銃。砲手、操縦手はグリスガンのようなサブマシンガンを携行する。装填手は小銃が携行火器になっているが、弾帯に銃剣を装着しなければならず、戦車の乗降時に銃剣がハッチに引っ掛かり、狭い車内では大変だった。

「そうだね。サブマシンガンは砲手が使用し、あと操縦手もサブマシンガンが携行火器になっている。車長はこっちの9ミリ拳銃を携行するんだ」そのように説明すると、棚のケースから黒光りした拳銃を取り出し茜に持たせた。

「携行火器もこれだけコンパクトになれば、楽でいいんだけど。戦車の中での置き場所に結構困るんだよな」とつぶやいた。

 目の前に正座を崩した、女性特有の座り方をした茜が、光村にはなぜかなまめかしく映った。戦闘服を着ていても、男性の肉づきとは明らかに違う柔らかさが伝わってくる。

誰もいない二人きりの密室で、手を伸ばせばすぐ女体が手の届くところにある。光村の中に一瞬いやらしい考えが浮かんだが、すぐにそれを打ち消した。自分はいったい何を考えているのか。

茜とは何度となく二人きりになったが、話す内容は仕事がらみのことで、プライベートの話は何一つすることができなかった。

自衛隊に入隊してからというもの、女性との付き合いはまったくなかった。12戦車大隊に配属された時は、三十過ぎの生保レディーが、保険に入ってくれと随分付き纏われたが、それは仕事であって、プライベートで光村に近づいてくる者は一人もいなかった。ただ周りにも彼女のいない者が多かったため、自分だけ惨めだという思いには至らなかった。

 光村は自衛官としては、どちらかというと温厚で穏やかな性格である。自分が士長になり下の者が入ってきて、屋上などに新隊員を呼び出した時は、組織の一員としてそれに加わるものの、本来他人に対し強要することをすごく苦手としていた。

自分自身が怒られたり、なじられたりするのは、何とか耐えられたが、それを自分が他人に対して行うことは、光村にとって本意ではない。それでも何人か我が強いものがいれば、光村の気の弱さは相殺されてしまう。

 光村自身、自分では気がつかなかったが、男女に関係なく教え方は懇切丁寧だった。それは茜にも伝わったと思われる。茜に戦車大隊のいろはを教えているうちに、いつしか光村は茜にほのかな恋心を抱くようになっていた。ただ光村は他人には言えない、心に深い闇を抱えていた。この闇はたとえ茜でも埋められない深いものだった。

 茜が部隊に配属され、半年以上過ぎたころ、思い切って光村は茜をデートに誘った。それは茜のいるWACの営内班に、新たに新入隊員が入ったため、外出できるようになり、一ヶ月が過ぎたころだった。それ以前に同じ中隊の若い陸士たちが、茜をドライブに誘ったが、茜は外出許可が下りるようになっても、決して首を縦に振らなかった。

 そんな茜だったが、光村がドライブに誘うと、以外だという顔をしたものの、「いいですよ」と快く承諾してくれた。光村は自分で誘っておきながら、自分で驚いた。ただ他の隊員とは違い、教育係である光村の誘いを、断りにくいという側面はあったと思う。それでも生まれて初めて、デートに誘ってよい返事をもらったことは、嬉しいことに違いなかった。

 光村は課業が終わると、早速中隊の整備場に行き、愛車のビッツを洗車した。白い車体は普段あまり洗車をしていなかったため、水垢がつき洗い落とすのに苦労した。そして車の中も掃除機をかけ綺麗にした。この歳まで生きてきて、こんなに心躍ることはかつてなかったように記憶している。

 ドストエフスキーの小説『罪と罰』のラスコーリニコフが、ソーニアによって救われたように、自分ももしかしたら茜によって救われるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた。

 日曜日は軽井沢にでも行ってみよう。

        茜

 茜は12戦車大隊第3中隊に配属されても、あまり戦車に乗る機会には恵まれなかった。それでも半年ほど経ったころ、相馬原の演習場でハッチを閉めての戦闘態勢による、操縦訓練が実施された。

 操縦連度も学力や体力同様、かなり個人差がある。戦闘機のようにパイロット自身が、かなりの能力がなければなれないのとは違い、半年前まで車すら運転したことがない者がほとんどである。練度を上げるには回数をこなすしかない。富士演習場は敷地が広大なため、かなり時間を掛け操縦訓練が行われたが、相馬原の演習場は敷地が狭いため、思い切った操縦訓練は殆ど行われなかった。

 教育隊での操縦訓練は、すべて頭を出しての操縦だったため、ハッチを閉めての操縦訓練は、とても刺激的なものだった。そして操縦よりも興味を引かれたのが、戦車の車載機関銃、キャリバー30による射撃だった。射場の土手に木っ端でできたサイコロを転がし、近距離からそれを撃つ。サイコロを撃つと、サイコロは粉々に砕け散る。その時の感覚は何ともいえないものだった。

 茜は部隊に配属され、すぐ光村3曹が付きっ切りで仕事を教えてくれた。光村の教え方は今まで経験したどの陸曹よりも、懇切丁寧で分かりやすいものだった。我の強い自衛官の中では珍しい温厚な性格だった。その人柄は亡くなった父、啓輔を彷彿させた。

 父が亡くなったあの日から、私の中にある何かが、抜き取られたような気がしてならない。大切なものは無くして初めて分かるということか。そんな私の心の隙間をもしかしたら、この男が埋めてくれるのではないかと淡い期待を抱いた。

私は父が亡くなって、父がどれほど茜を気に掛けてくれていたか、誰から説明を受けなくとも、感じることができる。伯母の家に引き取られ暫らくしてから、幸子が「啓輔さんに何度か再婚話を持ち掛けたけど、私には茜がいるからといって、決して首を縦に振らなかった」と話してくれた。私はたとえ伯母からその話を訊かされなくとも、父は自分を犠牲にし、すべて私のために生きていたことを知っている。何年か経ってそれは、あの手帳に挟んであった写真の赤ん坊の償いを、私にしていたのではないかと思うようになっていた。

 父には決して人には言えない、心に何か闇を抱えているように思えてならなかった。なぜか光村にもそれと同じ哀愁が漂っているように感じた。光村も人に言えない何か心に闇を抱えているのではないだろうか?

 私はその闇が何であるのか、突き止めたい衝動に駆られた。他人にあまり関心を持たない茜には珍しいことだった。

 茜のいる営内班に新入隊員が入ってくると、茜も外出できるようになった。どこで聞きつけてくるのか分からないが、同じ戦車3中隊の若い陸士が、しきりにデートしようと誘いを掛けてくる。

茜は今まで男性から積極的に声を掛けられたことはなかった。飛び切りの美人というわけでないものの、容姿はそれなりに整っていたが、なぜか男性は興味を示さなかった。それは他人に対し心を開かない、人を寄せ付けないオーラのようなものが、茜自身から発せられていたからかもしれないと、自分自身感じていた。

 茜は決して異性が嫌いだったわけではない。普通の同年代が男性を選ぶ基準として、容姿を重要視するのとは違い、茜が異性に求めたものは、何か寂しげな、暗い過去を持っているような男性だった。しかし今まで茜の周りには、父を除いてそのような異性は存在しなかった。

 自衛隊に入り部隊に配属されると、今までの自分が嘘のように、男性隊員が気安く声を掛けてくるようになっていた。それは紅一点ということもあり、断られてもそれほど恥ずかしくないという気持ちも、おそらくあったのではないだろうか。当然社交辞令もあっただろう。ただ茜は気安く声を掛けてくる男性隊員と、付き合う気は更々なかった。

 茜が引かれる暗い過去を持った男性が、外見で判断するのは難しく、ましてそのような者が茜に気安く声を掛けてくるとは考えられない。そんなある日同じ中隊の光村が、茜をドライブに誘った。それは茜にとって意外なことだった。

 光村は一見女性に対して、気安く声を掛けてくるタイプには見えなかった。茜の理想とするタイプとは少し違うような気がしたが、光村の目は啓輔と同じ色をしていた。何か暗い過去を引きずっているように感じたから、自ら積極的に女性に対し声を掛けてきたことに、驚きを隠せなかった。一瞬この男もどこにでもいる普通の男と変わらないのかとも思えた。しかし何かが引っかかった。この男の過去には人に語れない何かがある。そう思わずにいられない。それに光村は茜に対し非常に親切だった。いや茜に限らず、すべての後輩に親切だった。それは自衛隊では珍しい存在に違いない。茜は多少迷いがあったものの、光村の申し出を受けることにした。

 光村自身茜が他の男性隊員から、声を掛けられているのを目にしているはずである。どのような理由で、茜に声を掛けてきたのか分からないものの、茜が誘いを受けたことに、本人自身が驚いていた。暗い眼をしたこの男のどこに、そんなエネルギーがあったのだろう。

 茜は男性の服装や車にそれほど興味はなかったが、誰が見ても光村の服装は地味で、車はどこにでもある国産の小型車に乗っていた。どう見ても女性に好かれようと、努力しているようには見えなかった。車に詳しくない茜でも、光村が今どきの若い男性のような、車好きとはとても思えない。車自体はそれほど古い車ではないものの、とても車に対してお金を掛けているようには見えなかった。

 光村に誘われた日曜日WAC隊舎で待っていると、茜の携帯に電話が掛かってきた。

「光村です。今WAC隊舎の横に白のビッツを停めています」

 茜は営内班を出ると光村の車まで赴いた。光村の車に乗り込むと、外見とは違い中は意外に広く感じられた。

 相馬原駐屯地は表門に向かって緩やかに傾斜している。光村はゆっくり車を走らせ、表門を抜け高崎に向かった。山は緑に色づき、額からはうっすらと汗が滲み出ていた。

「相羽2士、今から軽井沢に行こうと思うんだけど・・・・・・」

「はい」

 初めてということもあり、どうしても仕事時の呼び方が取れない。いきなり茜さんとも呼べないのは分かるが、プライベートで、それも異性から階級名で呼ばれたのは、少々残念に思えた。

 長野にいた時は父に連れられ、何度か軽井沢を訪れたことがある。今まで意識していたわけではないものの、父が亡くなり中条村の家を出てから、長野に足を踏み入れたのはこの時が初めてだった。車のカーオーディオからは、茜も好きなニーノ・ロータの映画音楽が流れていた。哀愁漂う映画音楽は茜も好きだった。

「光村さん、ニーノ・ロータが好きなんですか?」

「え・・・・・・」

 光村は一瞬言葉を詰まらせた。

「相羽2士、ニーノ・ロータを知っているの?」

「はい。勿論。光村さん、相羽2士というのをやめませんか。今日はプライベートなんだから」

 茜はたかが自分の好きな曲が、カーオーディオから流れていただけなのに、もしかしたらこの男の感性は、自分と同じものを持っているのではないかと思い始めていた。それはさして好きでもない男だが、努力して好きになろうとしているが如く、相手の魅力を探していたのかもしれない。そこまでして何で私は、この男に取り入ろうとしているのか、いったいどうしてこの男に惹かれたのか、その時の茜に分かるはずもなかった。

 車は妙義山を仰ぎ見ながら、ワインディングロードを上っていった。

 同じ職場どうしでの異性との付き合いは、街中でなんぱされて付き合うのとはまったく異なっている。なんぱされその男についていくか、そうでないかはほとんどギャンブルに近いものがある。外見だけではその人の内面など分かるはずもなく、いい人かそうでないか、自分に合っているか、合っていないか、時間が経過しなければ分からない。男性が女性に声を掛け、なんぱするのはほとんどが、女性の身体が目的ではないだろうか。

 茜にとって身も知らない男に声を掛けられ、のこのこそれについていくことは、考えられないことだった。人間は犬と猫と違い、会ったその日に関係を結ぶなどということは、あまりにも人間性に掛けている。異性に気安く声を掛けてくる者はナルシストに他ならない。

 それが同じ職場の上司や同僚だったらどうだろう。その人物の本質は見えなくとも、どのような人物であるか、かなりの正確さで判断がつく。男性に対し警戒心の強い茜でも、同じ職場の先輩である光村に対し、好感を得ないはずがなかった。光村と茜はこのドライブが切っ掛けで交際するようになった。

       光村

今まで女性を好きになったことがなかったわけではないものの、外見にとらわれることはなく、一人の女性として内面から好きになったのは、茜が初めてだったような気がする。茜はそれなりに容姿も整い、グラマラスではなかったものの、均整のとれた体形をしていた。

 人が人を好きになるには、それなりに理由があるはずである。光村が茜に惹かれたのは、たんに周りに女性がいなかったからではない。なぜだろうと自分自身で考察してみたが、正直よく分からなかった。強いて言えば、茜自身が光村に好意を寄せているのではと、自分の都合のいいように解釈したからではないだろうか。

 世の中は詰まるところ、男と女しかいないが、双方がそれぞれ100パーセント相手を好きになるなんてことはありえない。どちらかが必ず、大なり小なり妥協し自分にもっとも相応しい相手を選ぶはずである。

 男と女の出会いにとって、容姿はとても大きな要因に違いないが、それだけがすべてでないことは、歳をとるにしたがい理解できるようになってくる。

 茜はたまたま容姿が整っていただけで、たとえ容姿が自分の好みと違っていても、自分は茜に惹かれていっただろう。

 女性と付き合った経験のない光村にとって、たとえ仕事上のことであっても、頼ってこられることが、これほど心地好いものだとは考えてもみなかった。

 光村が茜を自分の彼女と認識しだしたころ茜から「光村さんは何で自衛隊に入隊したのですか?」と訊かれたことがある。今まで地連の者以外、詳しい事情を話したことはなかったが、ここで茜に自分がなぜ入隊したのかを告白した。

 借金を抱えそれで自衛隊に入ったと。胸を張って話せる内容ではなかったが、変に隠し立てするのもおかしいと思い正直に話した。

「僕は新聞の奨学金制度で大学に通っていたんだけど、大学二年生の時、新宿でキャッチセールスに引っ掛かり、わけの分からないリゾート会員権を契約させられてしまった」

 その時女性の綺麗な手に見とれていて、ついサインをしてしまったとは、さすがに話すことはできなかった。

「光村さんは大学に行っていたんですか?」

 茜は以外だという顔をした。

「私もできれば大学に進学したかったんです。けど養父たちに迷惑を掛けたくなかったから、上の学校に行くのをあきらめました」

「茜のお父さんはもしかして・・・・・・」

 そこまで言いかけたが、それ以上立ち入ったことを聞くのは、悪いような気がして言葉を飲み込んだ。

「父も母も、私が幼いころに亡くなりました。それからは伯父の家に引き取られ、高校を卒業するまでそこで育てられたんです。正直なところ大学には行きたかったのですが、これ以上伯父たちに迷惑を掛けたくなかったから・・・・・・」

 茜の両親がなぜ亡くなったか知りたかったが、本人が話さない以上しつこく詮索することができず、あえて詳しい話は訊かなかった。今まで彼女にそんな過去があるとは思ってもみなかった。付き合い始めてからは、いつも明るい笑顔を自分に投げかけてくれていたので、茜のその告白は光村を動揺させた。

 茜の生い立ちに比べれば、自分の過去なんてたいしたことないような気さえしてくる。

「そうだったんだ。僕の家もあまり経済的には恵まれていなかったけど、大学に行きたくても行けない人にとってみれば、僕のように途中で辞めてしまうのは、本当に情けない話だね」

 そこまで言ってから、茜は奨学金制度というものを知っていたのかと疑問に思った。自分のように親から殆どお金を出してもらわなくても、奨学金と新聞の奨学金で、大学に進学することは可能であろう。しかしそんなことを今さら茜にアドバイスしたところで、かえって茜の気持ちを乱すだけと考え、そのことを口にするのを控えた。その後茜に自衛隊に入った経緯を詳しく話した。茜は表情を変えることなく素直に光村の話を訊いていた。

「光村さん。自衛隊に入隊してからは、お父さんやお母さんのところへは帰っていないのですか?」

 正直痛いところをついてくると思った。一度自衛隊に入隊する時、父に承諾してもらうため実家に立ち寄ったが、それ以来一度も実家には顔を出していない。

 借金の取立て屋が実家まで押しかけたようだが、その時は母しか在宅しておらず「うちにはお金はない」と言って引き取ってもらったと、母は息子に不満をぶちまけた。そのことに関しては両親に済まないという気持ちはあったが、そもそも子供を上の学校に行かせられない親の甲斐性のなさが我慢できなくもあった。恨みまではいかないまでも、親に対して不満が鬱積していたのは間違いない。

「実家には一度も帰っていない」

 吐き捨てるように発したその言い方に、茜自身が光村のあまり触れてはならないところに触れてしまったと感じたのか、今度は茜の伯父たちに対する自分の気持ちを話し始めた。

「伯父も伯母も私にはとても良くしてくれたのですが、どうしても素直に甘えることができませんでした。あの家に引き取られてから、私自身これから先どうなるのかと、いつも不安を抱えていました。人に対して甘えることができなかったのです」

 茜は真っ直ぐ光村を見据えた。それは今まで見せたことのない真剣な眼差しだった。

「光村さん、甘えてもいいですか?」

 思いも寄らぬ茜の告白に光村も動揺を隠せなかったが、自分みたいな人間に頼ってくれたのは正直嬉しかった。茜は気の毒なくらい光村に気を遣ってくれている。自分はそれに答えねばと思った。今まで生きてきて人に頼りにされたことってあっただろうか。ふと考えてみたが思いつかなかった。

「これからは僕にうんと甘えていいよ」

 自ら発した言葉でありながら、すごく照れくさかった。

 握った茜の手は冷たくとても小さかった。自分が幸せになるにはこの人しかいないと素直に感じた。

茜とのデートはもっぱら、光村の愛車でのドライブだった。この密閉された空間はいっそう二人の絆を強くしていくように思われた。

        茜

 目の前に広がる真っ白な世界は、いやでもあの時のことを思い出させる。光村と茜はスキー場のペアリフトに乗っていた。眼前には北アルプスが聳え立っている。氷を削り取ったような真っ白な山の稜線は、幼いころから見つづけた風景そのものだった。久し振りに見た山は、茜の周りが大きく変化していく中にあっても、以前と少しも変わらなかった。

「茜ってけっこうスキー上手なんだね。びっくりしたよ」

 今日はどうしても茜が、白馬のスキー場に行きたいとせがんだので、仕方なく光村はここに連れてきてくれた。

「あたりまえじゃん。今まで黙っていたけど、私中学三年生までこのスキー場から、それほど離れていないところに住んでいたんだから」

「え、本当かい!茜の実家は愛知県じゃなかったのか?」

「うん。私が中学三年生の時、ちょうど御巣鷹山に飛行機が墜落した同じ日に、私の父は何者かにひき殺されたんだ。その犯人は未だに捕まっていないんだけど」

 茜は肩を落とし、下を向いた。父がひき逃げされたことを、光村に話したのはこの時が初めてだった。

「それは気の毒だったね。犯人の目星はついていたのかい?」

「分からない。父がひき逃げされた日、雪が降っていたため痕跡とかが、すべて消えてしまったみたい。警察の方でも懸命に捜査したみたいだけど、手掛かりは何一つ見つからなかった。でもね、たとえ誰も見ていなくても、あの山はすべて見ていたはず」

 そう言うと茜は手に持ったストックで、眼前に聳える北アルプスを指した。

「あの山だけは真実を知っている。だから犯人は、あの山の前には立てないはずよ」

 啓輔が撥ねられた時間帯は夜間で、山は見えないはずだが、それはあくまでも人間の視点であり、夜中であろうが雪が降っていようが、山はすべてを見ていると茜は信じていた。

「全然知らなかった。茜も随分辛い思いをしたんだね」

 光村は力なく述べ、一瞬何か聞いてはならないことを聞いてしまったような、困った顔をしていた。別に場をもり下げるつもりで言ったわけではないが、その後リフトが山頂へ着くまで会話が続かなかった。光村には両親が早く亡くなり、伯母に育てられたことは打ち明けていたが、父がひき逃げされたことまでは語っていなかった。光村にしてもあまり自身の境遇を打ち明けてくれなかったから、茜の過去を語れば、光村も自分の内面をさらけ出してくれるのではないかという期待もあった。

一度自衛隊に入った切っ掛けを話してくれたことがある。キャチセールスに引っかかり、借金を抱え大学を辞めざるをえなかったことは打ち明けてくれたが、それ以外のことはあまり詳しく語ってくれなかった。ただなぜか分からないものの、由良2尉だけは注意したほうがいいと教えられた。茜が「なぜ?」と訊くと、今詳しくは言えないが「あの人は氷のように冷たい人だ」と耳打ちした。しかしその時の茜にはなぜ、光村がそのようなことを言うのか、まったく理解できなかった。

       啓輔

 人見啓輔は農協に勤務する以前、名古屋にある大型レストランでマネージャーをしていた。レストラン(シャングリラ)は名古屋を中心に店舗を展開している、この地方では名の知れたレストランチェーンだった。

啓輔は名古屋市今池支店のマネージャーだった。マネージャーの業務は多忙を極め、食材に関する業者の契約発注から、保健所の立ち入り検査を受けるための、食品衛生講習会への出席、社員やアルバイトの勤務管理まで多技にわたっていた。

 長野市内の高校を卒業すると、名古屋の大学に進学した。学生時代シャングリラでアルバイトをしていて、就職活動はせず大学を卒業すると、そのまま横滑りで正社員になった。長野の実家の両親は、公務員のような安定した職業に就いて欲しかったようだが、その希望にこたえてやることはできなかった。

 父は農協に勤めていて、母は米やアスパラを作っていた。父は農協退職後母と二人で、農業を細々やっていたが、父は心臓を患い入退院を繰り返していた。

 啓輔が二十五歳の時、アルバイトに来ていた女子大生の真奈美と親しくなり、真奈美が大学卒業すると同時に結婚した。仕事が多忙で新婚旅行にも行けなかった。すぐに娘亜美が生まれたため、真奈美はアルバイト以外の勤務経験がない。

 亜美が生まれてすぐ、長野市内に入院していた父が亡くなった。母も持病があったため、一人息子の啓輔に、長野に戻ってくるよう哀願した。そのことを真奈美に相談すると、真奈美は露骨に嫌な顔をした。もともと真奈美と母は反りが合わなく、その者たちが同じ屋根の下で暮らすのは無理があった。

母がすぐに亡くなるとは思わなかったが、別居というかたちで長野に帰郷した。勤務先は以前父が勤めていた農協に、なんとか入ることができた。

 正直なところ啓輔は、母が心配というよりも、今のレストランの仕事がつくづく嫌になっていた。拘束時間が長いわりに賃金が低い。真奈美の父は愛知県内にある大手自動車メーカーの役員で、真奈美の兄は国立大学の講師をしている。真奈美の実家にはほとんど顔を出さなかったが、真奈美の父は明らかに啓輔を見下していた。いや啓輔にはそのように感じたと言ったほうが正しいかもしれない。啓輔が長野に戻り別居を始めたその日から、二人の関係は戸籍だけのものとなった。

 当初名古屋市内にマンションを借りていたが、それも勿体ないと感じたのか、真奈美は守山にある実家に入った。最初、二週間に一度真奈美の実家に顔を出していた。妻の実家の敷居は高く、長野に戻るとどっと疲れが出た。真奈美の両親も、もう来ないで欲しいと目で訴えているようだった。別居して三ヶ月過ぎたころ、真奈美のほうから離婚話を切り出された。

 その日啓輔は妻の実家の応接間に通された。真奈美の実家は、近くにミッション系の名門女子大もあり、一軒一軒の敷地が広い閑静な住宅街にある。土地の広さだけなら、啓輔の実家のほうがはるかに広いが、そこには一般人を寄せ付けない、オーラのようなものが漂っていた。

 榊原と石に彫った表札は、インターホンを押すことも、躊躇させるほど威厳があるように感じられた。真奈美はともかく、結婚当初から啓輔は、この家の者に歓迎されていなかった。それは啓輔より、啓輔の母のほうが強く感じていたかもしれない。本人たちは気づいていなかったようだが、何でこんな奴に、大事な一人娘をやらなければならないという気持ちは、間違いなくあったであろう。

 義母の趣味なのか、クリーム色のソファーに大理石のテーブル。ロココ様式に装飾された部屋は威圧感すらあった。真奈美に応接間へ案内された時、すでに真奈美の両親は壁際のソファーに腰掛け、啓輔を待っていた。義母は孫の亜美を抱いていた。啓輔が入ってきても、義父も義母も何も言わなかったので、「失礼します」と言って窓側の席、両親の真向かいに真奈美と並んで腰掛けた。高級な皮製のソファーは、啓輔にはすごく座り心地が悪かった。この家では何年経っても啓輔は異分子である。

 啓輔はすでに、真奈美が何を言い出すのか見当が付いていた。

「もう終わりにしましょう」と真奈美は突然切り出した。義父も義母も顔色一つ変えなかった。啓輔のほうが何か分からぬ恐怖に身体が震えた。罪を犯した犯罪者が検察官の前に連れてこられた心境って、こんなものかもしれない。

 啓輔は浮気をしたわけでも、妻に暴力を振るったわけでもない。強いて言えば二人の育った環境が、あまりにも違いすぎたのだ。真奈美は社会を知らなかったし、まだ考えが幼かった。自分が描いた結婚生活とは大きく掛け離れていたのだろう。日にちが経過するとともに、自分はこんなつまらない男と、何で一緒になったのだろうと後悔したのかもしれない。結婚して真奈美が殊の外プライドが高いということを知った。結婚は個人個人がするものだが、その後ろには膨大な歴史が、ついてくるのだということを認識していなかった。

「君、養育費は要らないから、亜美には今後一切会ってほしくないんだが」

 義父のあまりにも身勝手な言動に、一瞬怒りがこみ上げてきたが、それを態度に示すことはなかった。正直亜美に会えないのは辛かった。最近やっと歩けるようになった亜美に、啓輔の記憶は残るまい。

 啓輔は義母に抱かれた愛娘を見た。その時ちょうど亜美はぐずって、頭を後ろに向けた。啓輔と目が合いニコッと微笑んだ。これが最後になると思うとさすがに辛かった。涙が出そうになったが、必死で堪えた。握りしめた拳が白くなっていた。

「分かりました」と答えたものの、心の中では(あんたらは俺の存在自体を記憶から消したいのだろう)と毒づいた。横にいる真奈美を見ると、ハンカチで目頭を押さえていた。その行為は少しだけ啓輔を安心させた。

 完全に終わった。そう思うことで、自分自身納得するしかなかった。妻の実家を出る時広い玄関で真奈美に「亜美の写真をくれ」と頼んだ。「ちょっと待って」と言って取ってきた写真は、たった一枚だけだった。「たった一枚か・・・・・・」と真奈美を睨めつけたが、それも仕方ないと思い視線を逸らした。たった一枚の写真。それすら啓輔が亜美の父親であった証にならない。

 長野に帰る車の中で啓輔は思いっきり泣いた。真奈美と別れたことが悲しかったわけでも、亜美と二度と会えないのが辛かったわけでもない。真奈美の両親が啓輔の存在自体を、娘の記憶から抹消しようとしていたことが悔しかった。

 真奈美と正式に離婚してから、一年足らずで母が亡くなった。あのまま一年待っていたら、二人の関係は続いていたのだろうか。いや二人の関係はすでに、修復できない状態になっていた。

 農協の仕事はレストランのマネージャーの仕事に比べると、随分のんびりしたものだった。

 長野の中条村に帰り、しばらくして近所に住む、中学時代の先輩丸山に誘われ、村の青年団に入った。丸山は役場に勤めていた。玉井小百合とは、青年団が主催するスキー旅行で知り合った。真奈美に比べると随分おとなしい女性だった。

光村

スキー場のペアリフトでそれを訊かされた時、光村は驚きのあまり持っていたストックを落としそうになった。茜と付き合いだしたころ、この女性はもしかしたら自分を救ってくれる女神になるかもしれないと感じたものだ。しかし今、自分は奈落の底に落ちていく。この女性となら家庭を持ち、きっと幸せになれると信じていた。

あの日から自分の目に映る景色が変わったように感じた。何をしても楽しくない。何を食べてもおいしくなかった。よりによって何で自分はあの時あの車に乗っていたのか。運命の糸が茜を引き寄せたとしか考えられなかった。あれが起きたのは今から五年前のことである。

富士演習場で行われた日米合同演習が終わり、1小隊1車の車長由良3尉(現在2尉)と、原口3曹(現在2曹)、花本士長、光村がまだ2士のころ、演習が終わったため、富士学校のグランドで戦車にシートを掛けていた。砲塔の一番高い位置に立った原口が、下にいる三人に声を掛けた。

「由良3尉、今度の正月休み何か予定ありますか?」

「いや、とくに予定はないが」

 由良は原口を見上げ答えた。

「このクルーで正月休み、ちょっと白馬へスキーに行きませんか?」

「スキーか・・・・・・」

 由良は原口の言葉を聞き、考え込む素振りを見せた。

「花本士長は何か予定あるのか?」

戦車前方で原口が垂らしたシートを広げ、車体に紐を縛り付けていた花本が上を見上げた。

「別に予定はないすよ」

「スキーに行かないか?」

「いいすよ」

 花本はまったく考えず即答した。

「光村2士は実家に帰るのか?」

 今度は光村に話をふった。

「いえ、帰る予定はないです」

「一緒に白馬に行かないか?」

 このころの自衛官は、先輩から誘われ断る新隊員はあまりいなかった。光村はサラ金のことがあってから、実家には寄り付かなかった。自衛隊に入隊することを、父に一応断りを入るため、立ち寄ったが「勝手にしろと」言われただけで、とくに反対はされなかった。

 由良はその場で即答しなかったが、けっきょく行くことに同意した。車は原口が出すことになった。

        原口

 原口3曹は自家用のハイラックスサーフを大隊前に停めた。今年の仕事納めが終わったのが午後二時だった。部隊の休暇は、前段と後段に別れ取得することになっている。3中隊の由良3尉、花本士長、光村2士、原口3曹の四人は休みが前段だったため、四人で示し合わせ白馬にスキーに行くことにした。四人は同じ戦車クルーである。由良は1小隊の小隊長で原口が砲手、花本が操縦手、光村が装填手だった。この四人の息があっていないと、戦車はただの鉄の塊になってしまう。

群馬にもスキー場がないわけではないが、原口が以前松本のレンジャーに入隊した時、その年の冬、13普通科連隊の者に、白馬にあるスキー場へ連れていってもらった。その時北アルプスの壮大な景色と雪質に魅了された。八方根のペンションには、今夜中に着くと連絡を入れてあるが、渋滞に嵌まれば何時になるか見当がつかない。

 原口と他の陸士二人は、隊舎に居住していたが、由良だけは近くにアパートを借りていた。

原口が陸士二人のスキーをキャリアーに載せていると、司令部付隊の方からスキーを担いだ由良がこちらに歩いてきた。

「由良3尉、二人とももうすぐ来ると思います」

「途中運転変わらなくても大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。富士に行くよりよほど楽ですから」

 原口は牽引免許を持っていたため、富士に演習へ行く時はいつも、カーゴの後ろに何かを牽引していた。

 原口が由良からスキーを受け取り、キャリアーにスキーを載せていると、大隊の玄関からスキーウエアを着た花本と光村が出てきた。

「由良3尉御苦労様です」と光村が頭を下げた。

「スキー場へ行ったらその由良3尉というのをやめんか。いかにも我々は自衛官ですと名乗っているみたいで変じゃないか」

「気をつけます」

 そう言ったものの普段言いなれているだけに、そう簡単に直せるとは思えないが、それはそれで仕方ないのかもしれない。

 原口はスキーの腕前に関しては多少自信があった。最近はスノーボードもスキー場では目立ち始めたが、自分はスキーの方が向いているような気がする。

 原口は山岳レンジャーのスキー訓練に参加したことがある。自衛隊のスキーはクロスカントリースキーのように踵が上がり、子供のころから慣れ親しんだアルペンスキーとはあきらかに違っていた。最初のうちは少々戸惑いを感じたが、それも次第に慣れた。

 松本のレンジャーは山岳レンジャーで、同じレンジャー訓練でも過酷さは際立っていた。人間の欲求がすべて遮断される。食欲と睡眠欲を抑えられるのは、何にもまして苦痛だった。レンジャー訓練から帰還すると目が落ち込み、鶏がらのような身体になっていた。胃が収縮してしまったのか、すぐ腹が減り休憩時間になると菓子ばかり食べていた。

 原口にとって自衛隊はとても居心地のいい場所だった。群馬県内の高校を卒業すると、すぐ横須賀にある武山の教育隊に入隊した。最初の体力検定は一級だった。部隊希望は迷わず12戦車大隊を希望した。部隊に配属されると、一級バッチをつけていたため、同じ中隊のレンジャーバッジをつけた3曹から、レンジャーに行けと強要され、あまり気はすすまなかったが、仕方なく松本のレンジャーに入隊した。そこは想像を絶する世界だった。

人間の限界を肌で感じることができた。ヘリからロープ一本で降りるのも、蛇を食べるのも、慣れてしまえばどうということはない。しかし眠れないのだけはどうしようもなかった。

 原口たち四人はハイラックスサーフに乗り込むと、榛名女子学園前を下り高崎に出た。途中コンビニに寄り、ビール、缶酎ハイ、つまみなど買い込み白馬に向かった。高崎に入ったころには雪が降り始め、辺りはすっかり暗くなっていた。高速に乗ると雪は益々激しく降り速度規制も引かれた。

 原口の愛車はスタッドレスタイヤを履き、四輪駆動車のため走行には、まったく不安は感じられなかった。高速に乗ると早速車内では酒盛りが始まった。しかし運転手の原口は、ペットボトルのお茶で喉を潤すしかなかった。

 原口以外白馬のスキー場は今回が初めてだった。

「原口先輩、レンジャー訓練で蛇を食うって本当なんですか?」

 四人の中で一番年少の光村が遠慮がちに訊いてきた。

「おう。松本の駐屯地では蛇を飼っているんだ。山に入ってもすぐに蛇なんか捕まえられないからな。慣れればうなぎみたいで美味いぞ」

「え~本当ですか?」

 たわいない話で車内は盛り上がった。車は長野インターを降りると、オリンピック開催に伴い整備された道路を走り、国道19号線に出た。

「光村ビールを取ってくれ」

 原口は高速を降りた安心感と、雪道の運転に神経を集中していたため、むしょうに喉が渇いた。あと少しでスキー場に着くという安堵感も働いた。

「原口大丈夫か?」

 助手席に座っている由良が、心配そうな顔をこちらに向けたが、「大丈夫です」と原口が言い切ったため、それ以上強く詮索してこなかった。富士演習の時は背嚢の中にウイスキーや焼酎を忍ばせ、夜間に飲むということもあった。酒に強いという自負もあったため、飲酒運転に対しての危機感というものが希薄だった。

 片側に犀川の流れる国道19号線を松本方面に走らせ、しばらくすると白馬方面の標示板が見えたため、その方面に車を走らせた。白馬に抜ける道に入ると時間が遅いこともあり、車はまったく走っていなかった。気がつくと雪は止んでいたが、幹線道路でありながら車がまったく通らないため、道路は白く雪化粧していた。四輪駆動とスタッドレスタイヤが雪をしっかり捉え、走行には何の不安もないように思われた。対向車がまったく来なかったため、前照灯をハイビームにした。

 そんな時ズボンのポケットに突っ込んである、携帯電話が突然鳴り出した。ズボンの右前ポケットに手を突っ込み携帯電話を取ろうとしたが、椅子に腰掛けた状態のため、大腿部が曲がり、ポケットの中の携帯電話がなかなか取り出せない。仕方なく腰を浮かせ、右手をズボンに突っ込み、携帯電話を取り出そうとしたところ、車前部に何かがぶつかる強い衝撃を受けた。それは車を運転している者は、ほとんど味わったことのないいやな感触だった。

「おい、原口。はねたぞ」

 由良の声と同時に原口はブレーキを強く踏んだ。

(ガガガガ・・・・・・)

 ABSが作動し車が停止した。背中に戦慄が走った。頭の中がぼーとしてしまったのは、先ほど飲んだ酒のせいだけではない。500ミリリットルの缶ビールを一本飲んだだけで、酔うなんてことは絶対ないと自負していた。それが携帯電話を取り出そうとして、注意がポケットの方に向いてしまったため、何かを撥ねてしまった。

今日まで人を撥ねた経験はなかったが、確認しなくともそれは間違いなく人だと確信した。放心状態でいると、いつの間にか携帯電話は鳴り止んでいた。

 車が停止すると由良はすぐに車を降りていった。原口も車を降り、車の後方に足を向けた。前方の由良が立ち止まり携帯電話で誰かと話している。原口は由良を追い越し、先ほど自分が撥ねたと思われる場所まで赴いた。

ポケットから携帯電話を取り出し、携帯電話についているライトを点け前方を照らした。前方を注意し、照らしてみると、路肩に新雪を踏みつけた跡があり、その右側に人がうつ伏せに倒れている。道路の路肩から少し離れたところに、こちらに頭を向け倒れているのをみると、かなりの衝撃で飛ばされたのではないだろうか。雪道には絶対の自信があったため、かなりスピードを出していたように記憶している。

 人が倒れている前で立ち止まっていると、三人が原口のところまで歩いてきた。花本が手に持っている懐中電灯で前方を照らした。

「あちゃ~。やっちゃいましたね」

 この無責任な花本の言動に、腹を立てる余裕は、今の原口にはなかった。何でこんなことになったのだろ。(何で?)自分の頭の中でこの言葉だけがこだましていた。

「まずいことになった。今中隊から電話があり、部隊に非常召集が掛かった」

 由良は原口が最悪の状況にいるにもかかわらず、まったく事故とは関係ないことを口にした。

「災害派遣ですか?」

 光村は自衛隊に入ってまだ日が浅かったが、秋に山火事で部隊が出動したことがあったため、由良に伺ったのではないだろうか。

「御巣鷹山に飛行機が墜落した」

「本当ですか?」

 花本と光村は同時に声をだした。原口は自分に起きた出来事のほうが、大変で他のことにはまったく気が回らなかった。

「さっきかなりの衝撃があったが?」と言い由良は人が倒れているすぐ側まで近づいた。その後を二人が続いた。

 由良は腰を屈め倒れた者の頸動脈に指を当てた。

「まだ生きている」

 由良は立ち上がると辺りをゆっくりと見回した。その後由良が口にした言葉は驚くべき内容だった。

        由良 

        1

 自分はどうして自衛隊なんて組織に入ったのだろう。防衛大学校を卒業した後も、祖国を守るなどという大それた気持ちは、米粒ほども持ち合わせていなかった。由良真一が出た高校は山梨県内では指折りの進学校だったため、クラスのほとんどの者は当然のように大学へ進学した。東京が比較的近いこともあり、半分以上が東京の大学に進学した。

 高校三年時に行われる三者面談には、親は一度も顔を出さなかった。由良の母は彼が小学校六年生の時に病気で亡くなっている。由良の三つ上に姉がいたが、高校卒業と同時に看護学校に入るため家を出た。その姉も今は結婚して山梨県内に居住している。

 父の慎三は由良が物心ついたころからすでに酒乱だった。町の鉄工所に勤務しており、給料のほとんどを競馬や酒につぎ込んだ。母の美津枝が生きていたころは、美津枝が保険の外交で結構収入はあったのだが、美津枝が亡くなると給食費が払えない月があるほど、生活が逼迫していった。姉の和歌子と由良も何とか高校まで行かせてもらったが、それ以上上の学校に行かせるだけの才覚は慎三にはなかった。

 由良は中学一年生から高校卒業まで朝刊を配り、高校に入ってからは部活が終わった後と休みの日は、ファーストフードでアルバイトをした。大学には絶対に行きたいと思い、奨学金を申し込んだが、保護者である慎三が勝手に断ってしまったため、奨学金を受けとることができなくなった。

「俺は大学進学なんて、許した覚えはないぞ。高校まで出させてやったんだ。あとは働け」

 慎三は昔からこのような捻くれた性格ではなかった。しかしあることがきっかけで由良とは、親子の溝が深くなってしまった。慎三は酒さえ飲まなければ、ギャンブルはするものの、どこにでもいる普通の父親だった。美津枝が健康な時期は、家族で旅行に行ったこともある。しかしアルコールが入ると人が変わったように、粗暴になってしまう。幼いころから慎三に何回となく殴られたことか。

由良にとって慎三の暴力は恐怖の何ものでもなかった。その恐怖に打ち勝つため、中学生になると柔道を始めた。才能があったのか、父への反発心からなのかは分からないものの、技を磨きみるみる強くなっていった。高校三年生になると、県の大会に出るまでになっていた。

高校に入ったころはすでに、慎三は由良にとって怖い存在ではなくなっていた。体格も由良のほうが大きかったため、アルコールが入っていなければ、由良に対して暴力を振るってくることはなかった。しかしアルコールが入ると決まって、手が出ることは改善されなかった。

柔道を習いある程度技が身につくと、慎三の暴力も軽くかわせるようになっていた。高校一年生の時たまたま慎三の放った右ストレートが、由良の左目を捉えたため、由良は冷静さを失い慎三の腕を取ると、一本背負いで投げてしまった。格闘技の経験のない慎三は、宙を舞い畳に背中を打ちつけた。「う~」と唸り声をあげたと思うと、「え~ん」と子供みたいに泣き出した。

 由良は慎三を見て自分のほうが泣きたかった。こんな親が父だと思うと、いっそのこと父を殺して自分も死のうかとさえ考えた。悲しかった。あれほど暴力を誇示していた男が、子供を投げるより簡単に、自分に投げられてしまった。その時何でもいい早くこの家を出なければと決意した。

由良は慎三が高校を出ているのかどうかすら知らない。あの年代であれば中卒でも別段不思議ではない。そんな慎三みたいな無教養な男にはなりたくなかった。人生に希望も何も持てなかったが、無教養な大人にだけはなりたくなかった。

クラス担任に対してあまり信頼をよせていなかったが、恥も外聞もなく金の掛からない進学方法を訊きにいった。担任は防衛大学校や海上保安大学校のような学校があることを教えてくれた。

修学旅行でフェリーに乗った時、ひどい船酔いになった。そんなことがあり船酔いに自信がなかったため、あまり考えず防大を受けてみたいと言うと、担任はすぐに願書を取り寄せてくれた。あまり頼りにしていなかった担任が、ここまで親身になってくれ正直頭が下がった。

金まで貰え学校に行けるなんて思ってもみなかった。防大は全寮制で規律はかなり厳しいと担任は説明したが、あの慎三がいる家よりはましに思えた。

防大に入って最初に感じたのは、周りにいるものは、皆糞みたいな奴らだということだ。由良のように家庭が貧しく、上の学校に行きたくても行けないものもごく少数いたものの、ほとんどがお坊ちゃまで、何でわざわざこんなところに来なくてもと、思うような輩ばかりだった。

入学式の時は両親まで伴って家族で写真を撮り、母親などは息子の服装を整えている。こんな過保護に育てられた者が、はたして厳しいといわれる防大で本当にやっていけるのか、人事ながら心配になってくる。

周りの者の話を聞いていると、パイロットになりたいという希望者が多かった。由良自身は船以外の勤務場所だったらどこでもよかった。

 防大を卒業し久留米の幹部学校を出て配属されたのが、市谷の調査隊だった。最初はロシア語を専攻していたため、来る日も、来る日も、ソ連の新聞や雑誌の翻訳に追われた。こんなことをやっていて、何に役立つのか疑問に感じなかったわけではないが、上官から「新聞にはあらゆる情報が詰まっている」と教えられ、わけもわからずただ翻訳しては、それを上官に報告していた。

冷戦時KGBの工作員と思われる人物の尾行もしたことがある。この時由良は職務上大きなミスを犯した。

ソ連の大使館運転手は、ほとんどがKGBの工作員だった。冷戦時ロケットの推進力では西側に負けない技術を持っていたソ連だったが、監視衛星の目となるレンズの開発技術は、西側に大きく遅れをとっていた。あせったソ連は何とかこの技術を獲得しょうと、KGBは各国で奮闘した。中でも横須賀にあるNTT研究所の技術者は、KGBの格好のターゲットだった。すきあらばこの研究所の技術者に接触し、本国に技術を持ち帰ろうと画策している。仮想敵国であるソ連にとって、この国ほどガードが甘く諜報活動しやすい国はない。他国に比べ情報戦で遅れを取っているのは明らかだ。そんな少人数、低予算の中、由良たち調査隊は是が非でも、それを阻止しなければならなかった。調査隊は何班かに別れ、研究所周辺と大使館運転手を監視していたのだが、由良は張り込み中、車の中でほんの僅かな時間寝てしまった。

「由良さん。由良さん」と同僚の西井が、サイドウインドウを叩く音で眼が覚めた。自分がいったいどこにいるのか認識できなかった。頭を振り意識を正常に戻すと、自分が寝ていたことにようやく気づいた。

「由良さん、寝ていたんですか?」

「・・・・・・」

「こんな大事な任務遂行中に困るな~」

ちょうど交替時間だったため、ごまかしが効かなかった。というよりも、相手が西井だったため諦めた。こいつは情け容赦なく、人のミスを上に報告する。常に自分のポジションを風上におきたいタイプの人間だった。相手が悪かった。西井に見つかった時点で腹を括るしかなかった。

その日由良は直属の上司である新井3佐の執務机前で、直立不動の姿勢で立っていた。

「貴様には、自分たちがソ連の脅威から、この国を守っているという誇りがないのか。日本人はソ連なんか絶対に侵攻してこないと高を括っているし、いざとなればアメリカが守ってくれると信じて疑わないが、現実は我々のような組織がなければ、ソ連は間違いなくこの国を乗っ取るだろう。あの国には我々の常識は通用しないのだ。そんな緊迫した情勢のなかにあって、貴様はよくもあのような失態をしでかしてくれたものだな。貴様はもっと使えるものと思っていたが、どうやら買い被っていたようだ。少しどこかの部隊に行って頭を冷やしてこい」

「・・・・・・」

 新井3佐はどちらかというとあまり軍人らしくない自衛官だったが、他の部下の手前、めずらしく由良を叱咤した。

市谷の調査隊にはいられなくなり、まったく職種の異なる12戦車大隊に飛ばされることになった。スパイ映画のような毎日神経が張り詰めた生活と違って、戦車大隊の仕事は非常にのんびりしたものだった。配属された中隊の戦車は、走るのが不思議なくらいクラシカルな乗り物である。

思い返してみれば、あの調査隊での緊迫感が、由良にとっては心地好かったのかもしれない。止まれば倒れてしまうオートバイを、もうスピードで走らせている感覚に似ていた。少なくとも今のこの戦車大隊にいるより、敵と対峙しているという緊迫感が常にあった。しかしあの緊迫している中で、自分はうつらうつらとはいえ寝てしまった。よりによって何であの時寝てしまったのだろう。省みれば寝たのはあれが初めてではなかった。あの時たまたま交代時間に寝てしまったため、表沙汰になっただけで、自分はたとえ頭上に銃弾が飛び交っていても、寝られるのではないかとすら思えた。

企業でも、軍隊や自衛隊でも、目に見えない水面下では色々なことが行われている。自分がもし幹部学校を出て、そのままどこかの陸上自衛隊駐屯地に配属されていたら、あの国家の水面下で行われている緊迫感を味わうことはできなかったであろう。

戦車大隊に配属され今までと一番違っていたことは、若い陸士が多いということだ。それと同時に驚かされたことは、陸士の知能の低さである。ほとんどの者が高校すら満足に出ていない。将棋の駒に脳はいらないのは当然としても、あまりの低脳さに最初驚きを隠せなかった。陸士は将棋駒の歩そのもので、あるにこしたことはないものの、なくても勝てる。陸士の存在はそれ以上でもそれ以下でもなかった。

12戦車大隊のある相馬原はとてつもなく田舎だった。由良は同じ年代の者と比べるとあまり若者向けの遊びはしない。たいした趣味もなく市谷にいる時は休日、大型オートバイで高速を飛ばすことだけが唯一の楽しみだった。

 オートバイのスロットルを限界まで開け、車の間を180㎞以上のスピードですり抜けていく。一歩間違えば命を落とす。そんな緊迫感がなんともいえず、気分を高揚させた。生に対する執着のない由良は、そこにしか生きている目的が見出せなかった。自分はいつ死んでもいい。最近とくに強く感じる。

今回同じ戦車クルーにスキーに誘われ、あまり気乗りはしなかったが、父親との確執のため、帰る家を持たない由良にとっては、暇潰しになるかもと考え参加することにした。スキーは防大時代、同期の奴等と何度か北海道に行ったことがあったので、それなりに滑ることはできた。

出発にあたり一応中隊長である佐奈川に報告しておいた。少年工科学校出の佐奈川は、防大出の由良を目の敵にしているところがある。自分が佐奈川の歳になれば、おそらく大隊長クラスにはなっているはずだ。石頭の佐奈川は由良にとって目の上のたんこぶだった。

 12戦車大隊は別名タイガー戦車隊と呼ばれ、戦車の砲塔部分には虎の顔が描かれている。大隊長の暗号名はタイガーで、本部管理中隊はチーター・ピューマ・モンキー・パンダと動物の名が付けられ、その他の中隊は穂高・赤城・白根と山の名前が付けられていた。

日本全国で教育隊以外に61式戦車を使用しているのは、12戦車3中隊だけだった。吉井の弾薬庫に僅かに残る砲弾が、すべて打ちつくされた時点で、現役を退くことになっていたが、若い隊員にはあまり評判のいい戦車でなかった。由良も試しに運転してみたが、最初のうちはギアすら入らず、陸士たちに失笑された。

 由良は相馬原駐屯地のすぐ近くに、家賃三万五千円のアパートを借りていた。大隊の仕事納めが終わると、すぐにアパートに帰りスキーの支度をし中隊に戻った。歩哨のいる表門を通り、師団司令部の隊舎を通り過ぎると、今回スキーに行こうと誘いを掛けてくれた原口が、車のキャリアーにスキー板を載せているところだった。真っ白な車体のハイラックスサーフのバンパーには、かなりいかついステンレス製のガードが付けられていた。

 富士演習場に行く時はいつも、原口が運転する牽引付カーゴの助手席に乗っていく。原口の運転には何の心配もいらなかった。しかし原口は高速道路が雪の影響で、速度規制されていたため、かなり遅いペースで走らなければならなかった。そのためストレスを感じたのか、長野でインターを降りるとビールを飲み始めた。少し不安を覚え原口に「大丈夫か?」と訊いた。すると「大丈夫です」と答えたため、それ以上詮索すると、和やかな車内の雰囲気が壊れてしまうのではないかと危惧し、それ以上強く言葉を掛けられなかった。

 これは昔からの習慣なのか分からないものの、士官が下士官や陸士に対して、強い態度で諭すことはあまりない。それと相反し陸曹や先任士長の陸士に対する態度は、旧陸軍を彷彿させる凄まじいものだった。

富士の射撃演習の時、装填手の光村が由良の無線命令を聞き間違え「打ち方待て」と言っているにもかかわらず、榴弾砲を装填してしまい、射撃終了後原口に思い切り大腿部を蹴られたことがあった。普段は非常に温厚に見える原口だったが、一度激情に駆られると手がつけられない。さすがレンジャーと思わせることが何度か見受けられた。

 この酒好きの自衛隊の中にあって、由良は勧められてもなるべく酒を飲まないように努めていた。防大時代はさすがに先輩からの勧める酒を断れず何度も吐いたが、部隊に赴任してからは、飲み会の席では体質的にどうしても酒が飲めないと言い断っていた。防大で飲まされた時は、自分はおそらく酒に強いのではと感じたが、それを確かめることはしなかった。慎三が酒乱だったため少なくとも、自分にも慎三の血が流れていることから、自分も酒乱になるのではないかという危機感はたえず持ち続けていた。

自衛隊の中で酒が飲めないということは、異端児に近いあつかいを受ける。それでも父のようになりたくないという信念から、防大卒業後は努めて酒を口にしないようにしていた。

原口の運転するハイラックスサーフが国道19号線から外れ、白馬に向かう道路に入ると、原口は先ほどよりアクセルを強く踏んだ。四輪がしっかり雪道を捉えている感覚があったため不安は感じなかった。そんな時原口がポケットの携帯電話を取り出そうと、腰を運転席から浮かせた瞬間、車両前部に何かがぶつかった。

 前方をぼんやり見ていた由良は、それが人であることはほぼ間違いないと感じた。まずいことをしてくれたと思った。500ミリリットルの缶ビールを一本飲んだだけとはいえ、飲酒運転には違いない。あの当たり方であれば重傷は免れまい。(余計なことをしてくれたな)と心の中で毒づいた。

「おい、原口、はねたぞ」という声と同時に、車は強いキックバックを受け停止した。由良は車が停止したと同時に車外へ飛び出した。スノトレに雪を踏みしめる感触が伝わり、そのまま車の後方へ歩き出きだすと、首からぶら下げた携帯電話が、ゴジラのテーマ音楽と雄叫びを上げながら、着信音が鳴り出した。あまりの場違いな音に、自分で設定しておきながら、腹立たしささえ覚えた。

 あわてて携帯電話に出ると、今もっとも聞きたくない声が耳に飛び込んできた。それは戦車3中隊の先任曹長竹岡の声だった。

「もしもし由良3尉ですか?」

「はい。由良です」

「竹岡です。今日新日本航空の旅客機が、御巣鷹山に墜落し、部隊に非常召集が掛かりました。至急部隊に帰還してください」

 特徴のあるしわがれ声は、名前を名乗らなくても誰だかすぐに分かった。

 この時由良は非常に落ち着いていた。それは調査隊の経験がそうさせたのかもしれない。旧日本軍の中野学校にはおよばないものの、調査隊の職務はある程度人間性を排除しなければ勤まらない職種である。その時今まで考えもしなかったことが頭に浮かんだ。つまり自分は感情が普通の者より希薄だから、調査隊に選ばれたのではないだろうか。そう思うと自分自身納得できた。

 原口は飲酒運転で人を撥ねた。まだ確認していないが、撥ねられた者はかなりの重傷だろう。そして幸いといってはなんだが、車がまったく通っていなかった。目撃者が誰もいない。僅か数秒の間に、頭の中で今起こっている出来事を整理してみた。

「由良3尉聞こえていますか?」

 電話の応答が遅れたため、竹岡は電話に呼び掛けていた。

「はい」

「由良3尉に掛ける前、原口3曹に電話を入れたのですが、繋がりませんでした。原口3曹たちは由良3尉と一緒なんですよね?」

「はい。花本士長と光村2士も一緒です」

「申し訳ありませんが、原口3曹たちにも至急部隊に帰るように伝えてもらえませんか」

「分かりました」

 定年間際のこの男のせいで、原口は人を撥ねてしまった。最初から自分に電話を掛けてくれていれば、こんなことにはならなかったのに。もともと好きなタイプではなかったが、このことでますますこの男が嫌いになった。

由良は電話を切ると前にいる三人に声を掛けた。

「まずいことになった。今中隊から電話があり、部隊に非常召集が掛かった」

「災害派遣ですか?」と光村が心配そうに由良の方に身体を向けたので、由良は御巣鷹山に旅客機が墜落したことを説明した。花本と光村はかなり驚いていたが、原口は呆然とそこに佇んでいた。

すぐに被害者が倒れている場所まで赴き、腰を屈め携帯電話のライトで照らし、倒れている者の頚動脈に手を触れた。まだ脈はある。

「まだ生きている」

 そう口にしたものの、身体はまったく動く気配がなかった。今すぐ救急措置をとれば助かるかもしれない。それでも原口の刑事罰は免れまい。原口が逮捕され懲役に行こうと由良の知ったことではないが、その車に同乗していたとなれば、自分もただでは済むまい。 

自衛隊での出世欲などまったく持ち合わせていないが、今の仕事以外自分が勤まる仕事がすぐに見つかるとはとうてい考えられなかった。どちらが正しいか正しくないかなんて関係ない。二者択一、すぐにこの場所を離れなければという考えが頭を支配した。幸い原口のハイラックスサーフは、前面にバンパーガードが装着されているため、おそらく車本体には損傷がないと思われる。

「足跡を消せ。すぐにこの場から離れるぞ」

 そのように言うと由良は腰を上げ、携帯電話のライトで足下を照らし、足で足跡を消した。原口以外の二人も由良に倣い自分たちの足跡を消した。戦車クルーは足跡を消すのが上手かった。なぜなら演習で陣地を構える時、履帯痕を消し、戦車の置いてある場所を隠蔽せねばならない。

「原口、撤退だ」

 呆然と立ち尽くしている原口に由良は声を掛けた。由良は原口を助手席に乗せると、車の周りを懐中電灯で確認し、運転席に乗り込んだ。ハンドルをいっぱい右に切りUターンして、今来た道を引き返して行った。(これで雪でも降ってくれれば幸いなのだが)そう心に念じつつ、前照灯をロービームにしてアクセルを強く踏んだ。原口は蝋人形のようにただじっと前を見詰めていた。

        2

 由良にとって憂鬱だったのは、花本の存在だった。車に同乗していた四人が、口裏を合わせ黙っていれば、よほどのことがない限り、警察が自分たちにたどり着くことはないであろう。雪の上についたはずの足跡はすべて消したし、たとえ残っていても、その時四人が履いていた靴は、どこにでも売っている大量生産品だ。タイヤ痕にしてもそれを特定するのは難しいに違いない。幸いにして大きなバンパーガードを装着していたため、相手方にこちらの車の塗料などが付着したとは考えにくい。後は車を処分してしまえば、自分たちに捜査の手がおよぶことはないはずである。逃げ切れるものなら、逃げ切りたい。

 原口本人が口を割らなければ、逃げ切れる自信があった。原口は当初かなり動揺していたが、由良の説得に納得するしか術がなかった。水が漏れるとすれば、当事者でない花本と光村からであろう。原口が逮捕されても、この二人はたいした罪には問われまい。

 自衛隊というところは、新隊員の時から連帯責任を教え込まれ、一般社会人より仲間意識が強いのも事実だった。

 非常召集で部隊に戻り、御巣鷹山へ登り目にした光景は、まるで地獄絵図だった。図らずもこのことが、たった一人を撥ねたことだと、それぞれが錯覚するようになっていた。当事者の原口も時間とともに、落ち着きを取り戻していくように思われた。

 原口は3曹だったため、自衛隊を離れることは考えにくかったが、花本と光村はいつ自衛隊を辞めてもおかしくない。案の定光村は陸曹として自衛隊に残ったが、花本は自衛隊を任期満了し、東京に行ってしまった。由良はあらゆる手段を講じ、花本を繋ぎ止めようと試みたが、当初から自衛隊に骨を埋める気はなかったようだ。

 花本が退職する時「御巣鷹山に飛行機が落ちた日のことは、くれぐれもこれで頼む」と言い、由良は人差し指を立て口に当てた。

「へへ、心配しなくても誰にも言いませんよ」と花本は、ニタニタ笑っていた。

 あの日駐屯地に帰る車の中で「乗り合わせた船だ。沈む時は一緒に沈もう」と言いくるめたが、御巣鷹山の遺体回収が図らずも、仲間意識を強くしたと思い込んでいた。あの時共犯という意識を持っていたのは自分だけで、後の二人はあまり深刻には考えていなかったのかもしれない。いや少なくとも光村は、由良の思惑どおりになった。しかしノー天気な花本だけは、由良の思い通りにはならなかった。

蛇使いも自分の手元にある毒蛇は操ることは容易いが、野生に帰ってしまった蛇はもう言うことをきかない。由良の頭の中に一瞬不安が過ぎった。

       

私が現在このように思えるようになったのは、言うまでもない、姉の存在があったからに他ならない。

 姉から留学先で受けた理不尽な出来事を告白され、この人は私なんかよりも、もっと辛い思いをしてきたのだと感じずにはいられなかった。私は姉の出現によって前向きになれたのと同時に、姉も私との出会いによって前向きに人生を歩んでいってほしい。それはきっと亡くなった父が、私に与えた使命なのではないだろうか。

 父があんなに優しかったのは、たんに心に闇を抱えていたからではない。きっとあれが父の本質なのだ。その血が私にも流れている。私の根底には、父のような思いやりのある人間になりたいという願望が常に存在していた。

 私は父のほんの一部分しか知らないから、父が誰に対しても思いやりのある人物か、そうでないかということは、実際のところ分からない。父の知人や職場の人から「君のお父さんは本当に思いやりのある人なんだよ」と教えられたわけでもない。それでも父は私の中で、私のイメージした人そのものなのだ。それはなんの根拠もないことなのに、そう思うことで茜は納得したかった。

 その日茜と亜美は渋谷のレストランで食事をしていた。今まで何度となく、姉は東京に遊びに来ていたいが、なぜか分からないものの、姉はこの街が好きだと言っていた。食事はいつも姉が奢ってくれた。最初のうちは申し訳ないと感じていたが、姉がそれで言いというのなら、それに従うのが妹のつとめだと思う。

 渋谷センター街にある、イタリアンレストランで食事を終え、エスプレッソコーヒーを飲んでいると、姉が突然話の矛先を変えた。それまで最近観た映画の話をしていたのだが、姉は急に真剣な眼差しで、茜を見詰めた。

「茜ちゃん実は私、今度東京の本社に転勤希望を出そうと思うの。これはあなたに出会う前から、いずれは東京か大阪に出て自分の力を試してみたいと考えていたのだけれど。そしたら今回偶然東京行きの話があったものだから。通るか通らないかは別として取り敢えず希望を出しておこうと思って。弟はもうこちらの家電メーカーに就職しているから、私も東京に出てこようかと考えたの・・・・・」

「本当ですか・・・・・・」

 それは嬉しいことに違いないのだが、突然の申し出にどう返答していいか分からなかった。姉の勤務している銀行に限らず、日本の多くの企業は東京に集中している。姉が東京に出て来たいと願うのは、私のことも含めいろいろな要因があってのことだということは、理解しているつもりだった。

「お姉さん、私も陸曹試験を受け、隊舎を出れば外で暮らせます。そしたら一緒に暮らしましょう」

 自衛隊の実情は姉に順を追って説明すればいいことだ。私は今までマイナスの人生を歩んできた。しかしこれからはプラスの人生を歩んでいく。今まで辛かった分これからは大いに人生を楽しまなくては。

「もし、茜ちゃんと一緒に暮らせるなら、こんな嬉しいことはないわ。ね真っ昼間だけどワインを注文しましょう。茜ちゃんと飲むお酒が一番美味しいの」

「はい」

 人に頼られること、ただそれだけのことがどれほど嬉しいか。今の茜には痛いほど感じることができた。

 ウエイターが運んできたグラスワインは、店内の照明を受け黄金色に輝いていた。それはこれからの二人の人生を象徴しているようでもあった。


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