そして俺は彼女に出会った
こちらを振り向いた少女を目にした瞬間、そのあまりの美しさに心臓を射止められた。
新入生の入学式を終えた帰り道、ぱらつく雨のなかをビニール傘を手に一人で歩いていたら、公園の前で足が止まった。
そこに、水色の傘を差して、ぽつりと佇む人がいたからだ。
無視して立ち去ることもできたが、まるで泣いているように、その水色の傘を差した人からは寂しげな空気が感じられたので、見なかったことにはできない。
「なぁ、そんなところに立ってどうしたんだ?」
近くまで歩み寄って、声をかける。
水色の傘がおもむろに動くと、その人はこちらを振り向いた。
黒い髪をしっとりと湿らせて、長いまつ毛をぬらした少女がそこにいた。
この世のものとは思えないほど少女の顔は美しくて、俺は言葉を失った。手にしたビニール傘を取り落としそうになる。
天使。
この少女を表現するなら、その言葉がふさわしい。
「えっと、こ、こんなところに立って、どうしたんだ?」
さっきと同じ質問を繰り返すが、緊張のせいか、ろれつがうまく回らない。
少女はどこかよそよそしく視線を泳がせると、端正な顔を伏せて口をつぐむ。
その代わりに、みゃあみゃあという鳴き声が答えてくれた。
少女の左手には、子猫が抱かれていた。きれいな毛並みは雨に濡れており、小さな体をふるふると震わせている。
それを見て、だいたいの事情を察する。公園に捨てられていた子猫を放っておけなかったんだ。
改めて少女を見ると、俺が通っている高校の制服を着ていた。
「同級生のなかでは見かけない顔だけど、もしかして今日から明栄に入った新一年か?」
少女は伏せていた顔をあげると、言葉の通じない外国人にでも話しかけられたように、きょとんとした。
「わたしのこと……知らないんですか?」
はじめて聞いた少女の声は、鈴の音のように透き通っていて、雨のなかでもはっきりと耳に届いた。
「えっと、もしかして有名人だったりするのか? 悪いけど、知らないな」
まぁ、これだけかわいければ有名でもおかしくはない。
「そうですか……」
少女は見知らぬ異世界にでも迷い込んだように、どこか戸惑いをふくんだ声でつぶやいた。
「あなたの言うとおり、わたしは今日明栄に入学した一年です。それで、その……」
少女は、左手にかかえている子猫に視線を落とす。
みゃあみゃあと、子猫は甘えるように小さな声で鳴いていた。
「わたし、猫が大好きなんですけど、うちは母親が猫アレルギーで飼うことができなくて……」
ぽつぽつと言葉を選ぶように、事情を説明してくる。
どうやらこの子のなかには、その子猫を見捨てるという選択肢はどこにもないようだ。
もしも俺の大好きなラノベや漫画やエロゲの主人公なら、積極的に子猫の里親を探すことに協力するだろう。
けど俺は、とある事情から女性と親しくなることを避けている。最初からこの子が女性だとわかっていれば、声もかけずに公園を素通りしていたに違いない。
誰かと親しくなって、好きになっても……結局は嫌われてしまう。
もうあんな想いをするのはごめんだ。この少女にも、深入りしないほうがいい。
なのに俺は……目の前で困っている少女を突き放すことができなかった。
間違いだとわかっている。
わかっているが、一度でも少女と接点を持ってしまった俺のなかに、見捨てるという選択肢はどこにもない。
バカな自分に、ほとほと呆れてしまう。
「友達や知り合いに連絡して、里親になってもらえないか頼んでみたか?」
「わたし……あんまり、というか一人も友達がいなくて……」
まさかのボッチ発言。
こんなかわいいのに、友達がいないのかよ。いや、むしろかわいいからこそ友達がいないのか?
あんまりつついたらヤブヘビになりそうなので、追及はよしておこう。
「んじゃあ、俺の友達に猫がほしいヤツがいないか聞いてみるよ」
「……いいんですか?」
「これも何かの縁だ。任せておけって」
軽く笑いかけてみせるが、少女は不安げな面持ちのままだ。
「心配するなよ。これでも男友達はそれなりにいるし、信頼だって厚い。男の友情を信じろ」
女には恵まれてないが、男には恵まれている。
ちっとも嬉しくないけど、俺はあいつらを信じているぜ。
ケータイを操作して手当たり次第に男友達にメッセージを送りまくった。
……で、その結果、全滅だった。誰一人として子猫をほしがるヤツはいなかった。
ぬぐぐぐぐっ、あいつらぁ~。
歯ぎしりをしてケータイを握りしめる。
友人たちへの憤り、そして自分自身の人望のなさに悲しみを禁じえない。
「あの……やっぱりダメだったんですよね? でしたらもう……」
少女は左手のなかで震える子猫よりも弱々しげな表情になって目をそらす。自分一人だけで問題を抱え込もうとしている。俺に期待なんて、はじめからしてなかったんだ。
ここで適当に頷いて別れれば……この少女と接点を持つことは二度とないだろう。
俺の異能力のことを考慮すれば、ここで別れるのが最善の選択だ。
だけど……それはできない。
この子を孤独なまま、ここに置いてけぼりにはしておけない。
胸の奥にある鼓動が、俺を突き動かすようにそう訴えかけてくる。
「心配するな。一度手を出したんだ。ちゃんと最後まで付き合うさ」
自分でも不思議なくらい、やさしく笑いかけることができた。
少女は空から神様の声でも聞こえてきたかのように、つぶらな瞳を大きくする。
「どうして、そこまで……」
「そりゃあ同じ高校に通う先輩として、困っている後輩がいたら見過ごせないだろ」
なんてのは、口からの出任せ。
本当の理由は、もっとシンプル。
目の前にいる女の子がかわいいから、という不純きわまりない理由だ。たったそれだけで、抱え込まなくていい問題を背負おうとしている。
「とりあえずその子猫だけど、里親が見つかるまでは俺の家で預かるよ」
「いいんですか?」
「あぁ、任せろ」
トンと胸を叩いて格好つけてみたはいいが、両親を説得するのに骨が折れるのは想像に難くない。確実にキレられる。
「えっと、それじゃあ、お願いします」
少女はまだどこかよそよそしい態度のまま、恐る恐る歩み寄ってくる。
距離を縮めるように、俺も少女に歩み寄った。
二人の頭の上で、傘と傘が音を立てて重なる。
少女は子猫のおなかの下に左手をまわしたまま、ほんのちょっとだけ身を寄せてくる。
俺は手を伸ばして、少女の手から子猫を受け取った。
やわらかくて、温かくて、でもちょっぴり濡れている子猫は、少女から離れるのを嫌がるように、みゃあみゃあと鳴いている。
こんな冴えない男よりも、かわいい女の子のほうがいいってか。気持ちはわかるが、しばらくは俺の手のなかで我慢してくれ。
「よろしくお願いします」
ぺこりと少女は折り目正しく小さな頭を下げてきた。
「あぁ、お願いされた」
頭をあげた少女は、さっきよりはいくらか不安を薄めた表情になっていた。
目と目が合うと、胸の心拍数が増す。
やっぱり恥ずかしい。
どれだけ見ても飽きないほどに、目の前の少女は美しい。
これが俺と、俺の好きになる女の子との出会いだった。




