もうこの手を離したくはない
真っ暗な夜空の下にある校庭は物音がせず、人の気配は皆無だ。
最悪ここでなら、俺以外の人間が被害にあうこともない。理想的なシチュエーションといえる。
「では朝倉さま、どのようなプレイをご所望ですか? なんなりとご命じください」
「麗佳から離れた途端、下ネタをぶちこんできましたね」
「はい、ずっと我慢していましたので。我慢するのもそれなりに気持ちよかったです」
そんな告白聞きたくなかったよ。
さっきみんなが一生懸命に戦っていたとき、この下ネタメイドはずっと脳味噌がピンク色だったのか。
「早乙女さん、お願いがあります」
「早速の要求ですか。たまらないです」
いや、あんたが期待しているようなことは、なんもねぇよ。
溜息をつきそうになるのをこらえて、俺は早乙女さんにやってほしいことを口早に説明した。
「……かしこまりました」
無表情のまま、早乙女さんは首肯する。無表情なのに……なんだろう、すごくがっかりしているように見えた。
俺は早乙女さんから五メートルほど離れると、正面から向き合る。
これで準備は整った。
うまくいくかどうかはわからないが、これに賭けるしかない。
あとは早乙女さんの好感度をあげるだけだ。
っつてもこの人の好感度をあげる方法といったら、普通のやり方じゃだめだ。
「早乙女さんってアレですよね、エロいことばかり考えていてその……変態ですよね」
とりあえず罵ってみたが……好感度のあがる音はしなかった。
「今のはもしや、わたしを罵倒したつもりですか? 舐めないでください。そのような生ぬるい罵倒で、わたしの心が揺さぶられるとでも? 貶すのならもっと本気で貶してください。口汚く罵って唾を吐きかけてください。ゴミを見るような目で見下して、好きなだけ踏みつければいいではないですか」
えぇ~、なにこの人ガチできもちわるい。
つうか、なんで俺が怒られてんの? なんで罵倒のことについて説教されてんの?
だめだ。俺には他人を本気で罵ることはできない。雛子や麗佳じゃないからできない。今だけは、相手の心に容赦なく言葉のナイフを突き刺せるあいつらをリスペクトする。
そもそもなぜ好感度をあげるのに、罵らなきゃいけないんだ? おかしいだろ? それは早乙女さんがおかしいからです。やだっ、納得。
ポケットのケータイを覗いてみると、もう日付が変わるまで一分も残されていなかった。
まずいっ! ど、どうする? 罵ること以外に方法はないのか?
俺にできること。
俺と早乙女さんの共通点。
俺と早乙女さんが共有できるもの。
……ある。一つだけある。
だがこれを口にしたら、いろいろばれて後々面倒なことになる。
しかし、このままではバッドエンドだ。またしても俺は好感度表示に敗北してしまう。
それだけは嫌だ。
だったら背に腹はかえられない。やるしかない。
「早乙女さん!」
「怒鳴るような大声で名前を呼んでいただき、ありがとうございます。ときめきました。それでなんでしょうか?」
どんなときめきだよ。
いや、ツッコんでる場合じゃない。それよりも前に早乙女さんと会話したときのことを思い出す。
俺と早乙女さんとの共通点を。
「早乙女さん、前に『ラブ姉』っていうエッチなゲームの話題を振ってきましたよね。あのときは俺、ネットの情報とか言って、まるでプレイしてないように装っていましたけど……」
早乙女さんを見つめる。
見つめながら告白する。秘密にしていたことを。
この瞬間に、全てを賭ける。
「実は俺も『ラブ姉』をプレイしていたんですよね! 発売日に並んで買いに行きましたよ! そしてやっぱり、『ラブ姉』はエロがあるからこそ成り立っています! このまえはストーリーもしっかりしているとか言いましたけど、ぶっちゃけ格好つけてました! 本当はエロこそが大切なんですよ、エロこそが! 我々はエロがあるからエロゲを買っちゃうわけですよ! ストーリーよりもエロを求めて、お姉ちゃんとのバリエーション豊かなアマアマエッチが見たかったんですよ! もう何回お世話になったことか数えきれませんね!」
……あぁ、なにかとても大切なものを失っていく。目の端から涙があふれてくる。
俺、なんでこんなことを友達の従者に告白しちゃってるんだろう?
仁美たちがここにいなくて、本当によかった。
それと堀田ちゃん、ごめん。俺、『ラブ姉』を買ったのはストーリーじゃなくて、エロが目的だったんだ。ストーリーよりもエロへの欲望が勝ってたんだ。あの原画家さん大好きなんだ。
「そうでしたか。朝倉さまもわたしの同士でしたか。しっかり『ラブ姉』のお世話になっていたのですね」
いつもは表情という表情をほとんど見せない早乙女さんだが、今だけは慈愛に満ちた女神のような微笑みを浮かべていた。
そして、日付が切り替わる。
あとほんの数秒でカウントが『0』になる。
「今です、お願いします!」
合図を送った。
早乙女さんは迅速にリベリオンミラーを展開する。
ピコピコピコンといくつか好感度があがる音が響いた。
ドッオオオオオオンと盛大な炸裂音が頭のなかで轟くと、好感度表示が粉々に砕け散る。爆発が起きたんだ。
展開されたリベリオンミラーが発光している。
鏡から放たれた光は、上方に向かって跳ね返された。光は尾を引きながら夜空を舞いあがり、星屑のように消えてなくなる。
ごくりと重たい唾液を飲み込む。
正面に立っている早乙女さんは、感情のない面持ちで展開したリベリオンミラ―を消していた。
どうなったんだ? 成功したのか?
「あの、早乙女さん……」
「なんでしょうか?」
早乙女さんの冷たい声に、足がすくみ、胸がしめつめられる。
だめだったのか? クリアできなかったのか?
どっちなんだ?
「早乙女さんは、俺のこと、嫌いですか?」
恐怖に押しつぶされそうな不安を払いのけながら、勇気を出して問いかける。
好感度表示が、どうなったのかを。
「朝倉さま……」
早乙女さんは深刻な面持ちで俺を見ると、重々しい空気をまとって口を開いた。
やっぱり、ダメだったか……。
「氷室さまというものがありながら、わたしに手をつけようとするだなんて、食いしん坊さんなのですね」
ズッコケそうになった。
「確認なんですけど……早乙女さんは、俺を嫌ってるわけじゃないんですよね?」
「麗佳さまの大切なご友人を、なぜわたしが嫌いになるのでしょうか?」
その一言を聞いて、ようやく俺は重圧から解放される。
……成功したみたいだ。
早乙女さんのリベリオンミラーは、あらゆる異能力を跳ね返す。その効果は不可視のものから、精神系のものまで広範囲におよぶ。実際、工場跡では睨んだだけで相手を静止させることができる異能者の能力も跳ね返していた。
黒峰と雛子がやりあっていたとき、早乙女さんがリベリオンミラ―で光の残滓を跳ね返したのを見て思いついた。
もしかしたら、俺の好感度表示の爆発も、リベリオンミラーで跳ね返せるのではないかと。
そのためには早乙女さんに爆発を起こさせなくてはいけない。ちはやと堀田ちゃんよりも、早乙女さんの好感度を一番高くする必要があった。
そしてさっきの俺のエロゲユーザーであるという苦渋の告白により、爆発が起きるぎりぎりのタイミングで、早乙女さんの好感度はちはやよりも高くなったんだ。
そのあとは早乙女さんのリベリオンミラーで、好感度表示による爆発を跳ね返すだけだ。
事前にお願いしていたとおり、早乙女さんは合図を送ったらリベリオンミラ―を発動させて上方に向けて跳ね返してくれた。
誰の心にも嫌悪感を芽生えさせることなく無事にクリアできた。
「朝倉さま。先ほどのは一体……」
自分がなにを跳ね返したのかわからない早乙女さんは、淡々とした口調で尋ねてくる。
「すみません。それは教えることができないんです」
好感度表示が発動してないときでも、他人に話したら何が起きるかわからない。せっかく無事にクリアできたのに、ここで危険な橋を渡るのはごめんだ。
「そんなに焦らしてわたしをもどかしい気持ちにさせるとは……やりますね」
なぜか褒められた。ちっとも嬉しくねぇ。
「説明できないのであれば、言及はいたしません。ひたすらわたしはもどかしさを感じておきましょう」
言及してくれないのはありがたいが、それを性的な快楽に利用するのはやめてくれ。
「なんにしても、朝倉さまがわたしの同士だと知ることができたのは大きな収穫です」
……そうだった。この人に俺がエロゲユーザーだとばれてしまったんだ。
これからは顔をあわせるたびに、ばんばんエロゲの話を振られるのかと思うと……疲れる。俺はエロゲが大好きなはずなのに疲れる。
けれどまぁ、今回の好感度表示はどうにか乗り越えることができた。
胸のなかの重みは消えていき、ゆったりとした安堵がひろがっていく。
早乙女さんと一緒に中庭に戻ると、さっきまではなかった二つの人影がそこにあった。
「王月さんに、それに柊も……」
「こんばんは、お兄さん」
「柊が多くの能力者が集っているというので来てみたが、クオンはいないみたいだな」
王月さんは自嘲するように微笑むと、周りに倒れている風使いたちを見まわす。
王月さんがいるからか、仁美は少しだけ不機嫌そうだ。苦々しげな表情で意識を失っている堀田ちゃんに膝枕をしている。
いいなぁ。俺も仁美に膝枕してほしい。その細い足に頬をすりすりしたいです。
もしも堀田ちゃんが起きていたら、感涙にむせび泣いただろう。いや、風使いにされているから、起きられたら困るんだけど。
雛子はにっこりと仮面のような笑顔を貼りつけたまま佇み、麗佳は腕組みをして校舎の壁に背中を預けている。二人とも、眠っている風使いが起きないか、警戒しているみたいだ。
「んっ……」
小さな吐息をもらすと、仰向けに眠らされていたちはやが顔をしかめる。長いまつ毛を小鳥の羽のように震わせて、閉じていたまぶたをあけていった。
ちはやは眠りから覚めると、数秒ほどボーッとしていたが、すぐに電気が流れたようにビクンと上体を起こす。
ぱちくりと両目を見開いたまま、首を巡らせて辺りの様子を確認する。そして王月さんと柊がいることに面食らっていた。
ちはやが目覚めても、他の風使いたちが動く気配はない。機能を停止したままだ。
状況を理解すると、ちはやは長年かけて築き上げてきた地位を失った政治家のように顔を伏せて消沈する。
「自分で風使いを増やしておきながら、それを解決しようとしていただなんて……マッチポンプもいいところね」
力のない笑みを浮かべる。
ちはやは次期生徒会長として、責任を持って行動していた。それなのに結末は、あまりにも残酷なものだった。
調和機構の情報操作によって、世間に真実が伝わることはないかもしれないが、ちはやはこれからレベルイエローの能力を改善するために訓練を受けなきゃいけない。
生徒会長になるのは……難しいだろう。
「ねぇ、お姉さん」
打ち萎れるちはやに、柊が歩み寄っていく。
「お姉さんみたいなタイプは珍しいよ。大半の人は自分が異能者として覚醒したら、歓喜するものなのに。お姉さんは異能者になってうれしくないの?」
「うれしくないわね。異能者のことを否定はしないけど、わたしは普通の人間でいたい。異能者には、なりたくないわ」
「そう」
ちはやの告白を聞くと、柊は世の中の汚さを知らない無垢な子供のように微笑んだ。
「将美さん、予定が変わるけどいいかな? このお姉さんは異能者であることを望んでない。ひょっとしたら、制御できずに被害の規模が大きくなるかもしれない。なにより、ぼくは早く自由になりたいんだ」
「困ったヤツだな。上の連中はうるさいだろうが、好きにするといい」
「将美さんのそういうズボラで寛容なところは好きだよ」
ニコッと柊は笑いかける。
なんの話をしているんだ、この二人は?
「風使いの件は秘密裏に解決したことになるだろう。事実は公表されないから、七星だっけ? おまえの名前が表に出ることもない。死傷者がいないのは幸いだったな。もっとも、風使いたちは女に対していやらしいことをしまくっていたようだが」
ギクッとちはやは身をすくませる。自分の性癖が、もろに風使いたちに影響していたことを気にしているようだ。
「七星をどうにかしたところで、一度外に出てしまったものはどうしょうもないが……そういえば仁美の学校に能力を消せる特別顧問がいたな。眠っている風使いたちを確保したら、そいつに一働きしてもらうとしよう」
王月さんが何を言っているのか理解はできないが、奏先生のことを話しているのはわかった。ドンマイ、先生。下っ端でも、たくさん仕事が回ってくるみたいだぜ。
「七星のこともふくめて、この場にいる風使いたちや、破損した校舎の修復などはわたしが引き受けよう」
事後処理は任せろとのことだ。
王月さんに、ちはやと堀田ちゃんのことを託しても大丈夫なのだろうか?
「心配はいりません。将美さんは……信用できる人ですから」
ぽしょぽしょと仁美は小声で言った。
それを聞いた王月さんは、皮肉げに口元を曲げている。
二人の関係は微妙なようだが、仁美の言葉なら信じられる。この場のことは、王月さんに任せよう。
「あぁ、それから仁美。クオンのことだが、注意を怠るなよ。あいつは必ずまたおまえの前に現れる」
忠告を受けると、仁美は唇をきつく結んだ。
黒峰クオン。
多彩な能力を見せてきたあの少女は、間違いなく仁美にとっての大敵になりえる。
ちはやと堀田ちゃん、それから眠っている風使いのことを王月さんに任せると、東条高校を後にする。
雛子、麗佳、早乙女さんと別れると、静かな夜道を仁美と二人だけで歩いた。
肩と肩が触れそうな距離を保ちつつ、仁美は前方を見つめながらつぶやく。
「わたし……うれしかったです」
隣を見ると、仁美は口元にかすかな笑みを浮かべていた。
「異能力のことは好きじゃないですし、戦うことも好きじゃありません。だけど……」
ちょっとだけ小首をかしげて、きらきらとした水晶のような瞳を向けてくる。
「雛子と立花先輩が、力を貸してくれてうれしかった。あぁやって、誰かと一緒に一つのことができてうれしかった。ちょっとだけですけど、心が通じ合ったみたいでうれしかった。こんな気持ちになれたのは、久しぶりです」
胸が熱くなる。
隣にいる仁美が、あまりにも素敵な笑顔をしていたから。
胸の奥から、好きだという想いがあふれてくる。
「……仁美」
「はい?」
名前を呼ぶと、仁美はこっちを見てきた。
左手が震える。怖い。苦しい。緊張している。だけど止められない。仁美への想いを止められない。
震える左手を、そっと仁美の手にのばす。
「あっ……」
手と手が重なる。
仁美は両目を大きくすると、小さな肩をこわばらせて立ち止まった。
「嫌だったか?」
ふるふると仁美はかぶりを振るう。
「びっくりしましたけど……嫌ではないです」
恥ずかしそうに頬を赤らめて視線を下げると、仁美のほうからもギュッとしてきた。
ちっちゃくて、やわらかくて、温かな感触が伝わってくる。
気持ちが通じ合うように、相手の手を握りしめる。
心臓がドキドキしていた。この胸の高鳴りは、仁美にも伝わっているのだろう。
俺も左手を通して、仁美の鼓動を感じ取っている。
「帰るか」
「は、はい」
ぎこちなく仁美が頷くと、どちらからともなく踏み出した。
手をつないでいるからか、自然と歩調も同じものになる。
ちらりと横を向いて目と目があうと、仁美は穏やかに微笑んでいた。
別れ道まで行けば、この手を離さなきゃいけない。
だけど、もうこの手は離したくない。ずっとつないでいたい。
どんな感情にも負けないくらい強く、そう思った。




