まだ終わるわけにはいかないぜ
俺の心境を反映させたかのように、翌朝の天気は雨がぱらつきそうな曇り空だ。
もう頭のなかに好感度表示は存在していない。なぜなら最悪の形で、幕を下ろしてしまったから。
せっかくシズクとの関係を修復できたのに、好感度表示が出てくる前の状態にリセットされてしまった。元の木阿弥というやつだ。
これからどうしよう……。
空虚さをかかえたまま、夢遊病者のようにおぼつかない足取りで通学路を歩んでいくと……前方に天使、じゃなかった仁美を発見する。
仁美は俺を見るなり、ギョッとしていた。
な、なんだその反応は? ま、まさかシズクだけでなく、仁美にまで爆発の影響が出ているのか?
だったらもう生きていけない。なにを希望に生きていけばいいのかわからない。エロゲか? 俺にはエロゲだけしか残されてないのか? 泣ける希望だぜ。
「……友則先輩? どうしたんです、その隈? 頬もげっそりしてますけど」
とたとたと駆け寄ってくると、仁美は気づかわしげに顔を覗きこんでくる。
「えっと、今日は真宮先輩は……」
口元に拳を当てて、きょろきょろと周りに目を配る。
そのシズクが原因で、昨夜はあまり眠れなかったんだけどな。
「……仁美。確認なんだが、俺のこと嫌いになったりしてないよな?」
仁美は目を丸くすると、氷づけになったように身をこわばらせた。
「えっと……昨日は、つい逃げちゃいましたけど、あれはどういうことだったのか、聞いてもいいですか……」
昨日のことというのは、校門で俺とシズクが話していたことだ。そういえばあのときのことを、まだちゃんと釈明していなかった。
「確かに俺は、シズクのことが好きだった。けどそれは、小さかった頃の話だ。今はそんな気持ちはさらさらない」
ていうか、もう嫌われちゃったよ。どうしようって感じだよ。
「そ、そうですよね。すみません、昨日は先輩の話をちゃんと聞かずに、逃げちゃったりして。置き去りにした堀田さんにも、悪いことをしました」
うん、めっちゃキレてた。俺に。
「そ、それで仁美……俺のことは……」
固唾を呑んで、好感度表示による影響がないかを改めて問いかける。
「いろいろ誤解しちゃいましたけど、そんな簡単に友則先輩のことは嫌いにはなれません。安心してください。……えっと、その」
ちらちらと照れくさそうに見てくると、仁美はこちらに体を向けてきて。
「はい、大好きです」
頬を桜色にそめて、極上の笑顔で好意を示してくれた。
じわりと目頭が熱くなる。涙がこぼれそうだ。ていうかもうこぼれてる。ついでに鼻水も。好感度表示が残ったままなら、ピコンていう音が響いていただろう。そして仁美の好感度だけでなく、俺の仁美に対する好感度もあがりまくっていた。
ぐうっ。仁美ぃ。やっぱりおまえは俺の天使! メインヒロインだ!
「ひとみいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 好きだああああああああああああああああああああああ!」
感極まり、猛然と仁美に飛びつく。
ひぃっ、と短い悲鳴をあげると仁美は迅速なサイドステップを踏んで回避。
ドゴンと音がする。視界が一瞬だけ暗転。なんか星が散った。顔面に激痛がひろがっていく。どうやらちょうど屹立していた電柱に衝突してしまったらしい。
「なぜ避けるっ! 俺のこと好きじゃないのかっ!」
「い、いきなり泣きながら抱きつかれようとしたら驚きます! 時と場所を考えてください!」
怒られちゃった。
闘技場では抱きつけたけど、とっくに動きを見切られてしまったようだ。さすがメインヒロイン。同じ不意打ちは通じないか。それメインヒロイン関係ないね。
ジンジンする鼻をさすると、まだ頬を赤らめている仁美と向き合う。
「あ~、じゃあ学校に行くか」
仁美は相好を崩すと、「はい」と快活な返事をした。
好きな女の子と一緒に通学路を歩む。それだけで、暗鬱とした気持ちが晴れていく。
「おはよう、ひとみん。ついでに友則さんも……なんだか今日は目の下に隈ができて顔がいろいろ酷いですけど、デフォルトとそう変わらないから問題ありませんね」
「もともとモブのような顔立ちなのだし、それくらい酷いほうが個性が立ってていいんじゃないかしら?」
せっかく気持ちが晴れてきたのに、二人のサブヒロインが現れてがっくりする。おまえら、朝から容赦ないね。
二人とも、いつもと変わらぬ態度だ。俺は昨日二人のことを傷つけてしまったのに、関係を絶たないでいてくれた。
こそばゆくて、胸が温かくなる。でも、感情を表に出したら負けのような気がするから、意地でも本心は見せてやらない。
「真宮さんはいないのね」
「友則さん、セクハラでもしたんですか?」
「してねぇよ」
二人とも、仁美と同じことを聞いてきた。聞き方は悪いけど。
「あの、友則先輩。やっぱり真宮先輩となにかあったんですよね? だからそんな……朝から目も当てられない酷い顔に」
仁美。それね、好きな男の子に言っていいセリフじゃないから。悪意がないぶん、こっちのダメージがデカイから。
「簡潔に言えば、シズクとの仲直りに失敗した」
ヒロインズはそろって仰天する。まぁそうなるわな。
「やっぱりセクハラですか。それでシズクさんとの間に亀裂が」
「っ、恥を知りなさい! あなたの軽率な行動で、これまでの苦労が水の泡よ!」
「水の泡なのは事実だけど、セクハラじゃねぇよ。そこは譲らねぇよ」
セクハラでバッドエンドを迎えるとか、どんなストーリーだよ。
「友則先輩。本当は、なにがあったんですか?」
仁美が神妙な面持ちで尋ねてくる。
俺の話をちゃんと聞いてくれるのはおまえだけだよ。
「詳しくは説明できないが、すべては俺の失態だ」
ここで好感度表示についてもらしたら、この三人にも嫌われてしまう。昨夜の二の舞はごめんだ。
「友則さんが人には言えないことをやらかしたわけですね。やっぱりセクハラしか考えられません」
「違うから。なんでおまえ、さっきから俺とセクハラを結びつけようとするの?」
そんなに俺を犯罪者にしたいの?
「ふん、ここまで漕ぎつけておいてミスをするだなんて、やっぱり凡人ね。しょうがないから、手が必要なら協力してあげるわ」
厳しさと優しさを兼ね備えたツンデレのテンプレみたいなことを言ってくるな。
雛子も麗佳も、まともな説明になってない俺の言葉に釈然としないものを感じている。
仁美だけは、俺が話せない問題を抱えていることを、なんとなく察してくれているみたいだった。
それから雛子と麗佳をまじえて通学路を歩き出すと、仁美はこっそり身を寄せてくる。前を行く二人には聞こえないように、声のボリュームを落として話しかけてきた。
「本音を言えばわたし、友則先輩が真宮先輩と親しくなるのを見ていて、とても辛かったです。でも友則先輩が悲しそうにしているのを見ているのは、もっと辛いです」
仁美は切なげな色をたたえた両目で、見つめてくる。
「だから、友則先輩の素直な気持ちを大切にしてください。真宮先輩とどうなりたいのかを……」
はげましてくれているのに、仁美の声は必死になって真情をこらえているように辛そうだ。
いつまでもシズクとの関係に決着をつけないのは、それだけ仁美の不安をふくらませてしまうことになる。
俺は、シズクとどうなりたいのか……決めなきゃいけない。
お互いに干渉しなければ、このままでも害はないだろう。もう好感度表示は消えたんだ。他人でいつづけることも選べる。仁美、雛子、麗佳に爆発が起きなかった代わりに、シズクを犠牲にしたんだと思って終わらせてもいい。
これも一つの結末だ。
エロゲなら『諦める』か『諦めない』か、ルートを分かつ選択肢が出てくるだろう。
だったら俺は……後者を選びたい。
まだ、終わりたくない。
だって今なら迷わずに言えるから。
真宮シズクは朝倉友則にとって、大切な幼馴染みだって言える。
ほんのひとときだけだが、昔の二人に戻れて、心を触れ合わせて、手放しちゃいけないものだってわかったんだ。
それに誓った。好感度表示による呪いを解いてみせると。もう好感度表示には負けないと。過去の絶望を乗り越えてみせると。
あの決意を、なかったことにはできない。
「仁美。ありがとな。元気が出てきたよ」
「先輩が元気になってくれて、よかったです」
にっこりと仁美は曖昧な笑みを浮かべる。心の底から笑っているわけではない。
この笑顔を、本物の笑顔にしたい。
そのためにも、ウジウジしてはいられない。
なにがなんでも、ハッピーエンドにしてみせる。
◇
学校に来ると、吉報が届いた。
どうやらまだ俺の命運はつきたわけではなかったらしい。
「やっぱり俺には、あなたが必要なんですっ!」
昼休みになると、生徒指導室に調和機構の任務から帰ってきた奏先生|(友達への借金も返済したようだ)を呼び出して、ぎゅっと両手を握りしめる。
この人のキャンセル能力さえあれば、好感度表示がもたらしたシズクの嫌悪感を消すことが可能だ。挽回できる。
「もうその手は食わんぞ。どうせまたわたしをおばさん呼ばわりするつもりだろ?」
「え? なに言ってるんですか? 奏先生はまだ若くてぴちぴちですよ。ぶっちゃけ高校生でも通じます」
通じないが。高校生はさすがにキツイが。
「ふん、見えすいた世辞をよくもまぁぬけぬけと口にできるな? わたしはそんなもので乗せられるほど愚かではないぞ」
奏先生はパシッと握っていた両手を振り払う。口元がふるふる痙攣して、ニヤけていた。ちょろい。
「……先輩、奏先生に一体なにを頼むんですか?」
同行してきた仁美が、入り口の前にたたずんで声をかけてくる。
さっきまでの俺と奏先生のやりとりをジト目で見ていたけど、あれだな、好感度表示があったらブッブ~って音が鳴りそうな顔だったな。
「いや、ちょっとな。俺は奏先生に借りがあるから、それを返してもらおうと思って」
「なんだ、まだ諦めてなかったのか? あれはだめだと言っただろ? なしだ、なしなし」
このポンコツ教師……。あくまでキャンセル能力を使わないつもりだな。
「先輩の言う借りがどういうものなのかは知りませんが、借りがあるならちゃんと返すべきです」
不真面目な生徒を注意する委員長のように厳しい目つきで仁美は睨みを利かせた。
「わたしが受けた恩をどうしようとわたしの勝手だろ。氷室、おまえに指図されるいわれはない」
臆することなく、奏先生は泰然と睨み返す。
「ふん、だがまぁいい。朝倉、この前の借りを返してやる」
しっかりびびっていた。膝がメッチャ笑ってる。奏先生の腰掛けた椅子がガタついてる。
仁美を連れてきたのは正解だったな。おかげで奏先生の言質を取ることができた。
チョイチョイと奏先生が手招きしてくるので、俺はそばに近づく。
「いいか。絶対に他言無用だぞ? もしもこのことがばれたら、わたしは調和機構から罰せられる。下手したら失職してしまう」
ヒソヒソ話でもするように小声でささやくと、奏先生は右手で俺に触れようとしてくるが。
「あっ、今回は違います。そうじゃありません」
「違う? どういうことだ?」
「あ~、その……言いにくいんですけど、俺じゃなくて、別の生徒にやってほしいなって」
「なっ! ふざけるな!」
奏先生が大声をあげたので、少し離れたところに立っていた仁美は目をしばたたく。どうかしたんですか、と疑問の表情で尋ねてくる。
「ははははっ、なんでもない」
愛想笑いで答えると、俺は奏先生とのヒソヒソ話に戻る。
「ほ、他の生徒というのはどういうことだ。ただでさえリスクがあるというのに……やっぱりなしだ、なし。この話は忘れろ。あとジーッとこっちを見ている氷室をなんとかしろ。おっかない」
特別顧問なのに、教え子に相当びびってるね。なんでこんな人にラノベ主人公のようなキャンセル能力が授けられたんだろう?
「その点は抜かりありません。俺に考えがあります。奏先生が触るのは、あくまで俺だけでいいですから」
「それは本当だろうな?」
「はい、もちろんです」
奏先生は直接シズクに触らなくていい。それでもシズクの呪いを解く方法はある。
「じゃあ奏先生。そのときが来たら、よろしくお願いします」
首をかしげる奏先生に約束をとりつけると、俺は仁美を連れて生徒指導室を後にした。
帰りのHRが終わり放課後になったので、教室から躍り出る。廊下を急ぎ足で進んでいき、目的のクラスに到着すると、事前の打ち合わせどおり、麗佳がシズクに話しかけて足止めをしていた。
といってもシズクは教室の入り口まで来ており、もうおまえ邪魔だからどけや、って不機嫌そうに眉間を寄せている。
通せん坊をする麗佳の傍らには、仁美と雛子の姿もあった。肝心の俺がドン尻だったみたいだ。担任のやつ、今日にかぎって長々と話をしやがって。
「待たせたな」
声をかけると、シズクは不機嫌に嫌悪感をブレンドさせた目つきで睥睨してくる。
うっ、来た道を引き返したくなった。すくみそうになる足を踏ん張らせて、刺々しいシズクの視線に耐える。
「これはあなたの差し金?」
ドライアイスのように冷えきった、それでいて触れたら火傷してしまいそうなほど凍てついた声だ。
「あぁ、そうだ。おまえに話がある」
距離をつめると、同じだけシズクも後ろに下がった。
警戒されている。爆発の影響だけでなく、鬼ごっこのときにミリアドカラーで能力をコピーしたことも相まって、不用意に近づくことさえ許してはくれない。
これは……ゼロオリジンがあっても、普通のやり方じゃあ触れるのは難しいな。
「もうわたしに話しかけないでもらえるかしら? あなたのことはやっぱり嫌いだと言ったはずよ? つきまとわれるのは迷惑だわ」
うぐっ……一度仲直りできたぶん、再びこうやって拒絶されると、以前よりも精神的にくるな。
「友則さん、気持ち良さそうですね?」
「こ、この変態! まさかそのために足止めを頼んだというの?」
「ちげぇよ! どんなマニアックな頼みだよ!」
俺はそこまでして女子からの罵声を求める性癖の持ち主じゃない。
雛子と麗佳のせいで、場が和んだというか、ちょっとおかしな空気になってしまった。
仁美は、昨日までとは別人のように俺への態度が厳しくなったシズクを目にすると、眉尻をつりあげる。
「友則先輩は、ずっとあなたに対して一生懸命でした。ずっとあなたのことで一喜一憂していました。ですから、たとえ友則先輩のことが嫌いでも、ちゃんと向き合ってください。友則先輩にとって、あなたは大切な幼馴染みです。それは誰にも代わることができません」
……わたしでも、と仁美は消え入りそうな声でつけくわえる。怒っていたし、うらやましげでもあった。
力強い仁美の言葉に、シズクは思考を巡らせるように黙り込む。
仁美が作ってくれたチャンスを、逃してはいけない。
「シズク、このまえやった鬼ごっこ、結果は引き分けのままで、決着はお預けになっていたよな」
「それが、どうかしたの?」
「決着つけようぜ」
不動の覚悟を持って、挑戦状を叩きつける。
シズクは唇を引き結ぶと、両目に剣呑な炎を灯した。
「……えぇ、いいわよ」
取り澄ました面持ちで、了承を口にする。
「ただし、あなたが負けたら、今度こそ二度とわたしにつきまとわないでちょうだい」
無条件に、ってわけにはいかないよな。
やるからには、相応のリスクは覚悟しなきゃいけない。
「……わかった。でも俺が勝ったら、今後もおまえにつきまとうからな」
発言だけ聞いたら完全にストーカーだな。
でもおまえは俺の幼馴染みだから、無関係ではいたくない。
「先輩……もしかして」
仁美が視線で問いかけてくる。
あぁ、そうだよ。
勝算はある。なんたってこっちには、ラノベ主人公ばりに最強なキャンセル能力があるんだ。
負けるつもりはないぜ。
「それから、次はわたしも全力でいかせてもらうわね」
「えっ?」
「あと制限時間も三十分ではなく、半分の十五分にしてちょうだい。あなたとの戦いに時間を割くのはもったいないもの」
「い、いや、それはあまりにも酷というか、ハンデなさすぎじゃね?」
「気に食わないのなら、この勝負はなかったことにしてちょうだい」
くっ、人の足元を見やがって……。
「大方、また春日部さんの異能力を使って、誰かから能力を借りるつもりなんでしょうけどね」
しかもばれてた! 俺の作戦ばれてたぁ!
「どうするの?」
「……っ、い、いいぜ。や、やってやろうじゃにゃいか」
あかん。声が震えとる。
負けるつもりはないけど……前回よりも圧倒的に不利な状況に追い込まれた。
これ、ほんとに勝てるのかな?
「友則さんが勝利するビジョンがまったく見えませんね」
「無様に膝を屈している光景しか見えないわ」
「おまえら俺の味方だろ? だったら不安を煽るようなことを言うんじゃない」
「だ、大丈夫ですよ先輩。えっと……なんとかなります!」
懸命に勇気づけてくれる仁美だが、無理くりつくった笑顔ほど、こころもとないものはない。
「勝負はそうね……次の休日でどうかしら?」
「あ、あぁ……わかった」
「そう。これでようやく、あなたとの関係を終わりにできるわね」
既に自分の勝利を確信しているのか、シズクは余裕の微笑を浮かべると俺の肩を横ぎっていく。
やべぇ。なんか、すっごく自信がなくなってきた。




