あの頃の幼馴染みが戻ってきた
ヒロインたちとオタクイベントに遊びに出かけた翌日、好感度表示のカウントが残り『3』になった月曜日。
行ってきますの挨拶を母親と床で寝転がっているボタロウに告げて、玄関の扉を開けた俺はギョッとした。
なぜかって?
それは扉を開けた向こうに、幼馴染みが立っていたからさ。エロゲの立ち絵みたいだって思ったね。
「シズク……」
名前を呼ぶと、シズクはびくりとして、半歩だけ後ずさる。
「その、そういえばあなたの家ってこのあたりだと思って、通りがかったのだけど……」
目をあちこちに泳がせながら、シズクはぼそぼそと呟く。
「えっと、もし俺の勘違いじゃないとしたら、一緒に学校に行こうって、誘ってくれているのか?」
「……迷惑かしら?」
学生鞄を両手で握りしめて、おびえるように見上げてくる。
まるで、昔の泣き虫だった頃のシズクに戻ったみたいだ。
「い、いや、ぜんぜん迷惑なんかじゃないぞ」
「そ、そう」
シズクは胸をなでおろすと頬を赤らめて、そっぽを向いた。
「そ、それじゃあ行きましょうか…………友くん」
ドキリと心音がはねあがる。
「お、おまっ、それは!」
「な、なによ? 昔はこう呼んでたじゃない。照れるようなことじゃないでしょ?」
照れるようなことじゃないって、顔が真っ赤になってるがな。
俺も機関銃を連射するように胸の鼓動が鳴りまくっている。とつぜん小さかった頃の愛称を呼ばれて、かなり動揺していた。
「昔みたいに呼ばれるの、嫌かしら?」
「そりゃ驚きはしたが……まぁ嫌ってことはない。べつにシズクの好きに呼んでくれてかまわないぞ。その、なんだ、おまえは俺の幼馴染みだからな」
そうだ。シズクは幼馴染みだ。好感度表示が原因で、関係がこじれてしまったけど、本来なら仲良くあるべきなんだ。
シズクとまっとうな幼馴染みに戻ること。それは俺が望んでいたことだ。
「それなら、好きに呼ばせてもらうわ。……友くん」
うっぐ……なんだろう。ガキのときは当たり前に呼ばれていたはずなのに、この歳でそう呼ばれると気恥ずかしい。そのくせ、うれしさもこみあげてくる。
ピコンと音が鳴ると、シズクの好感度が『10→11』にあがった。
幼馴染み、というワードが効いたみたいだな。
しかし、おかしい……。なぜ急にデレだした?
爆発が起きて、俺を嫌いになったはずのシズクが、どうして積極的に俺と関わろうとする?
頬を赤らめたりして……これじゃあ本当に仲良しだった頃に戻ったみたいだ。
考えられる理由があるとすれば……昨日のトットットゥ~とかいう初めて耳にした効果音。あれがシズクをデレ期に突入させたに違いない。
あのとき俺がしたことといえば、好感度をあげたことだが……。
もしかして数値か? 数値が関係あるのか?
好感度を『10』まであげたら、一度爆発が起きたヒロインの嫌悪感は解除される。あのRPGの戦闘勝利時のような音は、それを知らせていたのか?
だとしたら。だとしたらだ。
シズクはもう、俺のことを……嫌いじゃなくなっている。
「うおおおおおおおおおっしゃああああああああああああああああ! やったぜこんちくしょおおおおおおおおおおおお!」
「……いきなり叫んで、どうしたの?」
はっ、しまった! つい快哉をあげてしまった。
せっかくシズクの嫌悪感が消えたというのに、引かせてどうする。
「ははははっ。ちょっとな。眠気をふっとばすために叫んでみたんだよ」
「……おかしなことをするのね」
ちょっぴり変質者を見るような目つきになるシズク。
好感度は……よかった、下がってない。
まだまだ油断は禁物だな。
シズクの嫌悪感を消し去ることはできたが、依然として今回の好感度表示は残されたままだ。こいつをクリアしないことには、誰かから嫌われてしまう可能性はある。
そろそろ作戦を次の段階にシフトすべきか。
シズクの好感度をあげまくって、他の三人のヒロインたちと数値をフラットしなきゃいけない。
ぶっちゃけ、できるかどうか望み薄だったけど、希望が見えてきた。
「ねぇ……友くん」
「お、おう。なんだ」
シズクはまだ『友くん』と呼びなれてなくて、俺も呼ばれなれてないので、二人とも声が上擦ってしまう。
「わたし、ずっとあなたのことが嫌いだったけど……忘れたことは一度もなかったわ。この町を離れたあとも転校ばかりで、ちゃんとした友達はできなくて……だから、あなたが、友くんだけが、ずっとわたしの記憶のなかにいた」
どんなに嫌っていても、忘れることはできない。むしろ嫌いだからこそ、忘れられない。その点だけは、好感度表示に感謝してもいい。
シズクは歩きながら、俺と離れていた間のことを、穏やかな口調で語ってくれた。
俺もシズクと離れてからの、ここ数年間のことを話した。互いに空いた記憶の穴を埋めあうように、幼馴染みと離れ離れになっていた日々を重ねる。
「おまえことが知れて、よかったよ」
「……わたしも」
ぽつりと一言だけもらす。その一言に、ありったけの感情がこめられている。
ピコンと音が鳴ると、シズクの好感度が『11→12』にあがる。
もうあれだな。シズクの好感度あげるの、かなりハードルが下がったな。こりゃあイケるぜ。
「友則先輩。おはようござ……」
調子に乗っていたら、いつもの通り道で仁美がやってくる。けどシズクを見るなり、朝の挨拶が停止してしまう。
「えっと、これってどういう……」
映画館で少しだけ席を立って戻ってきたら、スクリーンではありえない展開になってて、その説明を隣人に求めるように仁美は困惑している。
「このあたりにこの男の家があることを思い出してうろついていたら、たまたま出くわしてしまったのよ。決して、望んでこんな男に近づいたわけではないわ」
あれれ? 友くん大好きなシズクちゃんはどこ行ったの? なんか態度が急変したんですけど。顔つきも冷たい無表情なんですけど。
「そうですか……」
腑に落ちない感じで、仁美は相槌を打つ。
シズクがさっきよりも足早に歩き出すと、俺と仁美はアヒルの子みたいにテッテテテとついていく。
「あの、友則先輩。真宮先輩、どうかしたんですか?」
「いやぁ、どうしたんだろうな? 俺にもよくわからん」
ぼそぼそと小声でささやいてくる仁美に、こちらも小声で返す。
シズクの横顔を見れば、ほんのりと朱色が差していた。
もしかして……俺と仲良くしていたことを知られたくないのか? だとしたら、さっきの急変ぶりにも説明がつく。
怪訝そうな面持ちをしながらも、仁美は一度だけ深くまばたきをすると、気持ちを切り替えるように微笑をつくった。
「先輩、今度またボタロウに会いにいってもいいですか?」
「おう。いつでもいいぜ。ボタロウも、仁美にだったら喜んでモフられるだろうしな」
「モフるというより、ぶよぶよですけどね。あの脂肪のやわらかさがたまりません」
頬をゆるめて笑う仁美は今日もかわいい。なでくりまわしたいぜ。
「ボタロウというのは、あなたの家で飼っている太った猫のことよね? そんな怠惰を絵に描いたようなデブ猫がかわいいのかしら?」
「か、かわいいですよ! ボタロウはかわいいです! デブですけど! とてもデブですけど! 横になって寝転がっているとき、ぶよぶよの顔が形を変えてえげつないことになりますけど、それでもかわいいです!」
ぷんすかと怒る仁美だが、すぐに疑問符を浮かべて小首をかしげる。
「あの、どうして真宮先輩がボタロウのことを知ってるんですか?」
「それは……」
やっべどうしよう、と苦々しげにシズクは右目をすがめた。
「さっきそこの男が猫を飼っていることを教えてきたのよ。わたしはまったく興味もなかったし、知りたくもなかったのだけど、自慢げに聞かせてきたわ。いい迷惑ね」
おまえさっき興味ありまくりだったし、超知りたがってたじゃん。そんなに俺と仲良しだって思われたくないの?
仁美は、透明な誰かを睨みつけるように両目を細めていた。どうやらシズクとの仲を怪しまれてるっぽい。浮気なんてしてないのに、後ろめたい気持ちになるのはどうしてでしょう?
「おはようございます。友則さん。ひとみん。それから……」
「今日は一人、メンツが多いみたいね」
道を曲がると、にこにこした雛子と、厳しい目つきの麗佳がいた。
ダンジョンで強力なモンスターと立て続けにエンカウントした気分だぜ。
「あれあれ? シズクさんってこのゴミムシのことが嫌いなんですよね? なのにどうして一緒に登校してるんですか?」
俺のこと、ナチュラルにゴミムシって言ったてきたな。
「たまたま出くわしただけよ」
シズクが苦しい言い訳をすると、雛子は「へぇ~」と含み笑いをする。絶対に信じてないな。
「あなた達は幼馴染みだから仲良くするのは結構だけど、その男はわたしにぞっこんよ。それだけは留意しておいてちょうだい」
「おい、まぎらわしいことを言うな!」
シズクが面食らってるじゃねぇか。
麗佳とは友達だが、それ以上の関係ではない。断じて、ぞっこんではない。
「……友くん、ぞっこんってどういうことなの?」
「ばっ! おま!」
「友くん?」と仁美、雛子、麗佳の声がシンクロする。
シズクも自分のミスに気づいたらしく、慌てて口をふさいでいた。
「先輩、いまのって……」
犯人の正体に気づいたミステリー小説の登場人物みたいに、仁美は目を見開いて戸惑っている。
雛子は笑っているが……笑顔が硬い。
ほんで麗佳は罪人を裁くお奉行さまみたいに柳眉を逆立てている。
「ま、まぁ昔の愛称がうっかり出ちゃうことってあるだろ? それだよ、それ。はははは」
乾いた笑い声をあげて誤魔化してみる。
ブッブ~という効果音が三重奏で鳴った。
仁美の好感度が『32→31』に、雛子が『28→27』に、麗佳が『25→24』と、それぞれ下がる。
うぅっ。誤魔化しきれなかった。
四人のヒロインの好感度をフラットにするのは可能だと思っていたが……見通しが甘かったな。これ、ぜんぜんバランスがとれねぇや。
かなり先行きが不安になってきた。
◇
昼休みになると、空腹に飢えた生徒で込んでいる食堂の席につき、ナポリタンをうめぇうめぇとすする。
「こんにちは、一人で昼食とか寂しいですね。もしかして友達いないんですか? ぷっすすす」
よいしょ、と雛子が隣に座ってくる。うまかったナポリタンの味が、なんだか薄らいだ。
「友達くらいいる。今日は教室じゃなくて、食堂でナポリタンな気分なんだよ」
それに好感度表示について、一人でいろいろ考えたかった。
「ていうか、おまえそれ……」
「はい、なんです?」
「なんです、じゃなくてだな」
雛子のトレイに乗っているのは、マグマのように赤く煮えたぎり、ぴりつく湯気をわきたたせるマーボー豆腐だった。
「それ、食ったら舌が麻痺しておかしくなるから一部の猛者しか頼まないっていう伝説の激辛マーボーじゃねぇか」
「食べていれば、そのうちなれてきてクセになりますよ。わたし的には旨辛って感じです。友則さんも一口どうです?」
「いらない」
「そう遠慮しないでください。なんでしたら、ぜんぶあげますよ。ほら、あ~んして」
レンゲでどろりとした真っ赤なマーボーをすくいとって差し出してくる。それだけで鼻の奥がツンとして目が痛くなった。こんなにうれしくない「あ~ん」はないよね。
「マジでいらねぇから。てかおまえ、俺がそれを食ってのたうちまわるところを見たいだけだろ?」
「はい。それがわたしにとっての最高のおかずです」
相変わらず最低だ。
クスクス笑うと、雛子はマーボーをあむりと口にふくむ。ん~おいしい、と舌鼓を打っていた。
ちっとも笑顔を崩さないなんて、こいつの味覚はどうなってるんだ?
激辛マーボーを頬ばる雛子を尻目に、俺もナポリタンをすする。
「友則さんって、好きな女の子いますか?」
むせた。
「えほっ、えほっ……い、いきなりなんだよ? ナポリタンが鼻から出ちゃうそうになっただろ」
「はい、とてもよく似合うと思います」
「アクセサリーみたいに言うな。相手はナポリタンだぞ?」
……まったく。どえらい質問をぶっこんできやがって。
「それで、友則さんの好きな女の子って誰です?」
「まだそれを聞くのか?」
「はい、わたし知りたいですから」
それは……いつもと変わらない笑顔なのに、逃げることは許さないとプレッシャーをかけてきていた。
「シズクさんですか。それとも……」
雛子は、その先を口にしない。
もう、仮面のような笑顔を貼りつけていなかった。素の表情になっている。
好感度表示のことを考慮すれば……どう答えるべきだ?
下手なごまかしや、あやふやな言い逃れは、やってはいけないような気がする。
仮にも一人の女の子が真剣に尋ねてきてるんだ。
だったら俺も、本気で向き合わなきゃいけない。
握っていたフォークを皿の上に置くと、腰をひねって正面から雛子を見据える。
「……仁美だ」
端的に、その一言を告げる。
雛子は……目尻と唇の端をちょっとだけゆるめて、にっこりとする。
「やっぱり、そうでしたか。予想どおりです」
「気づいてたのか?」
「友則さんとひとみんを見ていればわかりますよ。ひとみんも、友則さんのことが好きですよね? なんでまだ付き合ってないんですか?」
ぬぐっ。痛いところを突いてきやがる。
「いろいろあるんだよ。いろいろな」
いろいろですか、と雛子は呟いて笑みを薄める。
好感度に変化はない。あがりもしなければ、下がりもしない。それがいいことなのかどうかわからない。
「じゃあもし……」
雛子は音も立てずに身を寄せてくる。
かすかに頬を赤くにじませて、静かな瞳で見つめてきた。
心臓をわしづかみにされたように胸が苦しくなる。
「もし、他の誰かが友則さんを好きって告白したら、どうします?」
「それは……」
「他の誰かが友則さんの心に入り込む余地は、ほんの少しもありませんか? ひとみんだけで、いっぱいですか?」
なんだよ……それ。
もしも俺が「そんなことはない」って言ったら、おまえどうするつもりなんだよ?
俺になにを言うつもりなんだよ?
全身の力を抜いて、一度だけ目を閉じる。
まぶたをあけると、物ほしそうな上目づかいをした雛子がいた。
こいつはいろいろ俺をからかってきて、生意気なことばかり言ってくる意地悪な後輩だ。一緒にいて良いところなんて、ほとんどない。
だけど、俺にとっては大切な後輩だ。
不実な答えは口にしたくない。
それは仁美や雛子だけでなく、俺自身への裏切りになってしまう。
「俺の気持ちは、仁美だけに向いている。他の誰かに気持ちを向けることはできないし、受け入れることもできない。仁美だけで、いっぱいなんだ」
一つ一つの言葉を吐き出すたびに、体中のあちこちが軋む。
残酷なことをしている。雛子の心をナイフで切り裂いて傷つけている。
正直になればなるほど、互いに痛みがつのっていく。
それがわかっていても、言わずにはいられない。
「それも……予想どおりの答えです」
寄せていた体を離すと、雛子は笑った。
こいつにしては珍しく、温かみのあるやわらかな笑顔だった。
「友則さんは弱いし、スケベですし、見た目もかっこよくないし、すぐ調子に乗るし、罵られて快楽を得るし、お兄ちゃんと呼ばれて喜ぶし、女装趣味まである童貞野郎ですけど」
「悪口多すぎねぇ? 俺どんだけ欠点あんの? あといくつか事実無根だぞ」
「あれれ、そうでしたっけ?」
小さな顎に指を当てて、とぼけてみせる。
ほんと、こいつは俺をバカにするときは生き生きしてる。
「だけど友則さんは、自分にうそはつけない人ですから」
さよならを言うときみたいに、ちょっぴり寂しげな表情を見せると雛子はレンゲでマーボーをすくって、あむりと口にふくむ。
「これ……やっぱり辛いかもです」
いつもの作り物めいた笑顔を貼りつけて、そんな感想をもらす。
そのあとは例のごとく、俺をからかってきては嘲笑してきた。おかげで、ぜんぜん昼食に集中できなかったし、好感度表示についても考えることができなかった。
だっていうのに、そんなやりとりが胸にわだかまった憂いを浄化してくれた。
これで、一つの可能性を潰してしまった。
けど、後悔だけはなかった。
◇
帰りのHRが終わり放課後になると、やけにクラスメイトたちの視線が廊下に集中していた。
なんだなんだと野次馬根性で廊下に出てみれば、麗佳が腕組みをして苛立たしげにカツカツと足踏みをしている。
うわぁ~。あいつどうしたんだ? うちのクラスの誰かが何かやらかしたのかな? 一体どんなことをやったかは知らないが、その生徒には同情する。
他人事みたいに思いつつ、何食わぬ顔で下駄箱に行こうとしたら、麗佳の切れ長の目がこっちをロックオン。ざぁ~んねんでした、あいつの狙いは俺です。
麗佳はクイッと顎をしゃくって、「来い」と無言で命令してくる。
え? うそ? カツアゲ? カツアゲされちゃうの?
うぅっ、俺どうなっちゃうのかな。気弱なエロゲヒロインみたいに、とぼとぼ麗佳の数メートル後ろをついていく。心なしか、クラスメイトから哀れみの視線がそそがれていた。
強制連行された先は、俺が麗佳と友達になったきっかけである訓練場だ。
「こんなところに連れてきて、なにするつもりだよ? 訓練ならいつも一人でやってるんだろ?」
悪いがザコの俺では麗佳の修行の手助けはできない。戦闘に関しては、てんで役立たずだからな。
「今日は訓練ではないわ」
麗佳は学生鞄を床に落とすと、異能力を発動させて青光りする日本刀を右手に握った。
「勝負よ、友則!」
「は? ちょっ、待って! なにがどうしてそうなった? やっぱカツアゲか?」
「いきなりなにを言い出すの? 意味がわからないわ」
いや、そのセリフ、そっくりそのまま返したいのですけど?
「カツアゲだなんて下劣な真似、完璧美少女であり金満家でもあるこのわたしがするはずないじゃない」
そうね。お金持ちだもんね。お金に困ったりしないよね。
「てか、どうして俺がおまえと勝負しないといけないんだよ?」
「前に言ったでしょ? わたしは、わたしよりも強い男性でないとお付き合いしないと決めているって」
「いや、そんなの無理だって」
「そうね。到底無理でしょうね。だからわたしは……あなたを待っててあげてもいいわ。いつまでも……」
刀の切っ先を向けてくる麗佳の眼差しは、鋭くもあり、それと同じくらいに儚くもあった。
喉がグッとひきしまり、声が出なくなる。
麗佳はいま、なにかに挑もうとしている。はじめて触れるそれにおびえつつ、戦意でねじふせて隠している。
「ねぇ友則。わたしはこれからも……あなたを待つべきかしら?」
問いかけてくる声は冷たい。なのに、泣くことをこらえているように弱々しい。
麗佳の悲しみが……胸にしみこんでくる。
俺は拳を握って開くと、また握った。
大切な友達が挑もうとしているのなら、しっかり受け止めなきゃいけない。
長い呼気を吐いた。顔をあげて、刀の切っ先を向けてくる麗佳を正視する。
「待つ必要なんてねぇよ。おまえは俺を、待たなくていい。勝負がしたいっていうなら、今ここで受けて立つ」
「……そう。だったら手は抜かないわよ」
麗佳の面持ちが変わる。戦闘にその身を切り替える。
両手で刀を握りしめて晴眼の構えをとると、麗佳は床を蹴って馳せた。猛然と一心に、こちらを目指して迫ってくる。
出し惜しみなんてしない。俺にそんな余裕はない。
手にした鞄を投げ捨てて、『まとわりつく幻影』を発動。自身の幻影を生み出し、右側に逃げていくように見せる。
本物の俺は反対方向の左側へと走り、麗佳の背後をとろうとするが。
「そこね」
麗佳は『創無刃』を発動。宙に新たな三本の刀を具現すると、なんと本物の俺に向かって発射してきた。
ダーツさながら三本の刀は俺のもとまで飛来してくる。
逃げなきゃ。だが間に合わない。ダメだ。
「おげっ!」
間抜けな声がもれる。焦ったあまり床をすべってズッコけた。かっこわる。
いててて、と膝をさすりながら顔をあげると……三本の刀が鋭利な輝きを放って眼前で静止していた。これが本当の戦闘だったら、俺は今ごろ息をしてない。
「……おまえの勝ちだ」
おとなしく敗北を認める。
麗佳は鼻から息をもらすと、浮遊した三本の刀と手に握っていた刀を消した。
長い髪をなであげて、尊大な面持ちで向き直ってくる。どうやらもう幻影の効果は失われたようだ。
「どうやって本物の俺を探り当てたんだ? 幻影が見えている間は、本物の俺は見えないはずなのに」
「初見なら騙されていたでしょうね。けど、あなたの能力を把握した上で、わたしの観察眼をもってすれば看破するのはたやすいわ。これでね」
ダンダンと麗佳は床を踏んで音を鳴らす。
なるほど、足音で察知したわけか。確かに俺の能力は視覚は騙せても、聴覚は騙せない。俺の能力を知らない奴が相手なら、それでも騙せるだろうが、こっちの能力を既知している麗佳には通じなかった。
「友則……あなたはこれからさき、わたしに勝つ気はあるの?」
やるせなさそうに眉間を寄せる麗佳は、確認というよりも、己の願望を述べているようだった。
もしかしたら、こういう形でしかこいつは自分の想いを伝えられないのかもしれない。
腰を持ちあげて立ちあがり、麗佳と見つめあう。それこそ、さっきの戦闘と変わらぬほどの真剣さでもって。
「……待たなくていい。これからさきも、おまえは俺を待たなくていい」
天才でなくても、修練を積めば天才を凌駕できる。ライバルである仁美を超えること。それが麗佳の目標だ。俺が追いつくのなんて待ってないで、どうかその道を突き進んでほしい。
「あなたごときでは、完璧美少女であるこのわたしに勝つだなんて、どたい無理な話だったようね」
麗佳は顔をそむけた。長い髪に隠れて、どんな表情をしているのかは見えない。
「悪いけど、やっぱりあなたの気持ちには、応えられないわ」
お断りの言葉を告げると、毅然と胸を張ってこっちを見てくる。
それは俺のよく知る、傲慢で、だけど影では努力をしている、高潔な立花麗佳だった。
好感度に……変化はない。
麗佳の心を傷つけたはずなのに……こいつは俺のことを嫌いにならないでいてくれた。
ほんと、尊敬するよ。
「これから訓練をするから、さっさと出ていってちょうだい。邪魔よ」
「人を呼びつけておいて、ひでぇ言い草だな。それでも友達かよ」
「そうよ。友達だから遠慮なしに言ってるのよ」
……友達。二人の関係を誇示するように、その単語は耳に残る。
床に横たわっている学生鞄を拾うと出口に向かって歩いた。
訓練場を後にする前に、一度だけ振り返る。
「じゃあな、麗佳。がんばれよ」
「あなたに言われなくても、がんばるわよ」
別れを告げると、もう振り返ることはしない。
俺がいなくても、あいつはやるべきことをやる。
俺の自慢の友達は、そういうやつだから。




