恋一夜(こいひとよ)
夏の半ば。通り雨なんか非じゃない、まるで天からの試練とも言えそうなどしゃ降りの中、髪も服も濡れることなどお構いなしに私、折笠朱音は友人からのある言葉を待っていました。
「私……好きな人ができた」
その言葉を聞いた私は、あなたにどんな顔をすればいいの? それに、何でこの言葉を聞かなくちゃならなくなったの?
どうして? どこから、こんな風になってしまったんだろう・・・
♞
とある夏の日の初め、私は会社の屋上でカレと携帯で会話していた。
「だから、海に行こうよ、もう夏なんだし、え? そっちの会社、休みまだ取れないの? も~う」
ぶつぶつ言いながらもしょうがなしに携帯を切った。
付き合ってから初めての夏、なかなかスケジュールが合わないことにいらいらしていたあの日も、友人は優しく説いてくれた。
「朱音、何? またカレと行き違いにでもなったの?」
「良子…」
「会社が違うと、スケジュール合わせも一苦労だね。はい、差し入れ」
良子はそう言ってコーラをくれた。
「んぐんぐ」
それを一気に飲み干す私。
「ぷハー、あ~もう!」
コーラの缶をもらっても、一時の和みにしかならない。すぐにさっきの会話が思い出されて行き場のない怒りしか湧いてこない。
「あ~もう、どうしてこうなるのよ!」
缶を投げ捨てる私、ゴミ箱にすぐさま追いやる。そうやっても愚痴はすぐにまた湧いて出てくる。コレを追いやるゴミ箱が欲しい。
「初めて会った時はこんな人間じゃないと思ってたのに、仕事と私とどっちが大事なのよ。一日ぐらい仕事開けて一緒に海行くくらいいいじゃない。これでもう一週間も会ってないのよ!」
たくさんの愚痴、いつも良子にわめくように聞いてもらう昼休み。
「仕事と私、かぁ」
それを涼しく受け止めてくれる友人に私は甘えすぎていたなんて全く気付かなかった。
いや、足りないとすら感じていた。
「一週間も会ってなかったらそれはそうなるよね」
ベンチに座って、たそがれるような良子。
「でも、何も海に行くだけが全てじゃないでしょ。夏だから海っていう朱音の気持ちも分かるけど、海だけが付き合いじゃないんだから、会うだけは会ってきたらどう?」
「あいつ、休みが全然取れないって言うのに?」
「くす、その人、24時間働いてるの?」
「ううん、残業すごい時が有るか無いかぐらいで…」
「でしょ、会える時間が無いわけじゃないなら大丈夫。もう一歩進展して一日中一緒にいたいっていう朱音の気持ちも分かるけど、無理に進めようとするだけじゃ返って悪環境になっちゃうんじゃないのかな」
「何が言いたいのよ?」
「初心忘るるべからず。無理に付き合いを変えないで自然に任せるまま、今の付き合いをしなさいってことなのよ」
金網に背中を預けて私を諭す良子はまるでお姉さんのよう。その言葉に胸を打たれた私はアイツに急いで電話をし直した。
海に行けなくてもいい。でも、会うだけは会いたいと。
アイツは了解してくれた。これでまた、私たちの関係は進まないにしても、止まることもなくなった。
良子のアドバイスはいつもそう。私の言葉を黙って聞いて、良子の言葉を私が黙って聞く。
同期なのに、人生経験私よりもあると思ってた。
「良子、一体今までどんな男と付き合ってたのよ」
「私? 私、今まで男の人と付き合ったことは一度も無くて…」
「あっ、そう」
その割には凄いアドバイザーだけど、大人しくて、人畜無害だから気にも留めなかった。
だから、あれがこんなことになるなんて微塵も感じられなかったのかもしれない……
♞
その夜のことだった。約束の時間まであと少し、この日のための可愛いスカート、気合こめた化粧。鏡を見て自分にウインク。
何もかもが上手くいってたのに、急に電話が鳴り出した。
それが悪夢の始まりだったと、今なら分かる。
私はただ、何時もの通りに電話に出たんだ。
「は? 合コン? 何? 私がいるのに何でそんなものに!」
「あっちが人数合わせだ何だつって勝手に無理やり入れられたんだ! それに俺だって断ろうとしたよ」
「何で断れなかったのよ!」
「しょうがないだろ! 俺にだって立場ってモンがあるんだから、断れる奴と断れない奴がいるの」
「じゃあ今回のは・・・」
「断れない奴!」
「キーー!!」
切ったら即座に床に携帯を叩きつけた。一週間ぶりにやっと会えるのに、どうしてこうなるの、海に行けなくてもいい、ただ会うだけなのに、神様はどうしてこんな意地悪するの?
不満足。
こんな時はもう決まったコースだけど良子に電話してやる。
PU,PU,PU,PU,
こんな日になるなんて思っていなかった。せっかくのスカートが台無しになって頭にくる。
ガチャ
「良子、聞いてよ、さっき明ったらもう!」
「あ、朱音、ゴメンね、これからちょっと用があって…」
「用?」
「うん、誘われて…合コンに・・・」
「良子が? 合コン?」
「うん。人数が合わないから来てくれって言われて、断りきれなくて…」
傑作だった。人一倍目立たなくて、人と話すのも苦手だって言う良子に合コンを誘う奴がいるなんて、考えたことも無かった。
緊張して誰とも話せない良子しか思い描けず少し笑った。
「ふ~ん、ま、頑張ってきたら? あれかも、いい機会なんじゃないの? 良子に似合いの人が見つかるかもよ」
「そ、そうかな?」
「そうそう、合コンなんて気に入らなきゃ途中帰ったって良いんだしさ、それこそ自然に任せるままの付き合いだしね」
「そ、そっか、じゃあ、頑張るね」
「頑張っといで~」
プチッ
むなしい。あの良子が合コン。明まで合コンに行った。
私一人だけが置いてけぼり。
あんなに楽しみにしてたのに、何でこんな目にあうんだろう。私の行き場所はどこになったんだろう・・・電話なんて取らなきゃよかった。掛けなきゃよかった。電話なんて、電話なんて! ・・・思いっきり叩きつけたいのに、今度は握り締めた手が何故か開けない! その代わりなの? 大粒の涙がただただ床を濡らしていくのは……
そう、そうだね。取らなくても掛けなくても何も変わりはしない。全ては台無しで、行き場が無くなった事実は変えようがないんだ……
握り締めすぎて汗だくになった携帯。これを優しくベッドに置いた。仕方が無いからまだ早いけど、私もベッドに入る。
やることもないし、こんな日が続いて欲しくもないから、今日をもう終わらせると決めた。
パジャマに着替えて、寂しいけど、明にお休みメールを送るだけにしてから私は眠った。
だけど、本当は終わらせるべきじゃなかったのかもしれない。この日を続けさせたままのほうが良かったのかもしれない。だって、だってこれが始まりだったんだもの!
♞
あくびがでてスッキリしない朝だった。眠れなかったわけじゃないけど、やっぱりあんな気分じゃ寝た気になれなかったみたい。
「おはようございます」
半分不機嫌が顔に出てもお構いなし、別に隠すことも無く出社。
私がかったるいからかな? いつもは明るくて良い感じの職場なのに何だか今日はうざったく思えてきた。
できるならこんな所にいたくないけど、OLだし、いるしかない。
あ~嫌だ。今日は仕事したくない。
「おはようございます」
良子が出社してきて私の隣に座った。
すかさず茶々を入れに私は喋りかけた。こうやって少しでも気を紛らわすいつもの定番コースのはずが…
ちょっと良子、あんた何処を向いてるのよ。パソコンのスイッチの一つぐらいつけなさいよ。
上の空。良子が何処にも目をおいてない、話しかけられなくなった。
何? この一人KYな気分は? 私何かした? ドイツもこいつも私をおいてかないでよね。
仕方無しに隣を無視して仕事に取り掛かった。ムスッとしたままだけどそこは仕事、電話の一本でもかかれば声なんかいくらでも誤魔化せるの。仕事に私情は挟みません。
今日は気乗りはしないけどさっそく仕事モードをオンにするか。こうすれば余計なことは考えずにいつも通りさくさくっと仕事に打ち込める・・のよ・・ね・・・?
打ち込んでるのに、どうして? なんでこの苛立ちは消えないの?
昼休み、いつものように屋上で昼ごはん。
「いっただっきま~す」
新発売のおむすびだ。やっと今日の幸せな瞬間が来たはずなのに、
「はぁ~」
隣で良子が明後日の方向見ながら何かぼんやりしてる。
「・・・・」
気まずくて食べるタイミングを見失った。
「ちょっと良子、あんた今日変よ」
何か、私がこの言葉をかけると違和感がある。いつもと立場が逆ってやつ? 声かけたのに良子の奴、
「・・・うん」
何それ? 変って自分で認めるの? だったらその部分をさっさと切り替えなさいよ。見てるこっちが変になりそうよ。
「・・・・」
目で訴えてるのに無言を貫くなんて、もう知らない。
私は勝手におにぎりを食べ始めた。隣の良子は自前の弁当にはしもつけてないけど、知ったことじゃない。
こんなお昼、何のリフレッシュにもならない。来て欲しくないのに午後の時間はやってくる。今日の仕事は仕事をした気分になれなかった。
定時とともに退社、周りの空気なんて知ったことか。
今日はもう何をやる気にもなれないから残業したって無駄。もう一人にして欲しかった。
次の日もそのまた次の日も良子は変わらずぼんやりしてる。
面白くない。私は弁当を屋上じゃなくて、卓上一人でガツガツ食べるようになった。
隣で一人ふけこんでいる良子が目障りで、なるべく見ないようにした。
やってられない。
昨日、明と久しぶりのデートをしたのに気分が盛り上がらなくて、しまいには「今日のお前、変」なんて言われた。
私が変? 違うわよ、変なのは私じゃなくて良子の方でしょ? 何で私がとばっちり受けなくちゃならないのよ。
それもこれもみんな、
一人屋上に行って、隣の席は今空っぽの、
良子のせいでしょ!
♞
私と良子の無言な関係は続いた。隣にいるのにいないように振舞う。
何て疲れる。
それに比べて良子の方はいたって自然、上の空なのを除けば元が大人しいだけに、何の違和感も無い。
そのせいか、最近噂されるようになった。
『折笠朱音は最近、彼との不仲で苛立ってる。触らぬ神に祟りなし、それで春日良子に見放された』ですって? 冗談じゃない、見放したのは私のほうよ、コレでも努力したんだからね、「何があったの?」とか、「悩みがあったら何でも言って」って、
なのに良子は何も答えないんだから、どうすればいいのよ、こんなの、私にはお手上げよ!
チャリラリラララ~♪
電話が鳴った。明からだ。今は昼休みだけど、社内にいるときにかかってくるなんてちょっとタイム!
私は急いで屋上に走った。誰もいないと分かりきってるから何でも自由に話せる場所、
ドアの手前で電話に出る。
「明? どうしたの?」
怒ってない、今の私は怒っていない。明からの用件は何だろう?
「いや、この間お前に「変」って言って悪かったと思ってさ」
「あぁ、そんなこともあったね」
最近の良子騒ぎでそんなことがあったのも忘れていた。あの日の夜、それでけんかになっちゃったんだっけ。
「もしかして、わざわざ謝りに?」
「ああ、そんなところ」
あんな些細なこと、どうでもいいのに、電話してくれるなんて、
「もう、そんなの、全然気になんかしてな・・ぃ・・」
思わず言葉を呑んでしまった。
ドアを開けたのは不正解。誰もいない屋上と勝手に思い込んでた私のミスだ。
(忘れてた!)
いつも良子と二人でいたから誰もいない屋上だと思ってただけで、本当はいつもここには良子がいるんだった。
「ん? もしもし? どうした? 朱音?」
急いで言い訳、でも、屋上に来たから大丈夫って伝えた。
「あ、何でもないよ明…」
とか言ったって他人がいるのは気になる。気楽に喋れない。
どうしよう、とりあえず身を置くところを探さなきゃ・・・あれ? 今一瞬、良子に何か反応があった気がする。
最近ぼんやり気味で何をやらせても亀になった良子が、何か、すばやい反応を見せたような気が…
「ほら、前、付き合いで仕方なく合コンに参加しただろ? それでお前怒ってたのかなって俺なりに反省してたんだよ」
明の声で我に返る。もう、良子が気になって伸び伸びと会話できない。まるで、何か隠し事をしてる気分だ。
「あ、ああ、合コンね、そういえば参加してたんだっけ」
何か噛み合わない会話になった。
「あれ? お前それで怒ってたんじゃなかったの? 俺が他の女に気移りしたんじゃないかとか考えてたんじゃなかったの?」
「う、ううん、そんなこと考えてたんじゃなかったの。ちょっと会社でトラぶっちゃって、それであの時不機嫌だったのよ」
何か、自分でも言い訳じみた内容な気がする。それよりも良子にこの話の内容が聞かれてやいないか焦ってて、まともに受け答えができないことにじりじりしてる。
「何だよ、それじゃ俺の謝り損じゃね~か」
凄いガッカリしてる明。あの後何の連絡もなかったけど、明なりに私のこと考えてくれてたんだ。
凄く嬉しい。
「一体何があったんだよ」
「え?」
「だから、お前があんなにいらいらしたのは何でって聞いてるの」
今一番聞かれたくないことだ。
「え、ええと、それよりも明、あの時の合コンどうだった? 楽しかった?」
私何を聞いてるの!?
「は?」
ほら、明の返事の仕方、斜め45度を言った上ずり加減。話が繋がってないのに何で私ってば変なこと聞き返してるの?
「まぁ、楽しくなかったって言ったら嘘になる。でもあれだぜ、俺にはお前がいるんだからよ、変な気起こしたらお前に悪いだろ。だから只の盛り上げ役に徹してあまり関わらずにいた。これでいいか?」
何て素直に返事してくれるの明。と、いうよりも自分から無理難題吹っかけてどうして明に救ってもらった気になるの!?
私、明に何を聞きたがってるの!?
「お前、やっぱそのこと気にしてるんじゃね~のか?」
「そ、そんなことないよ、私、何にも気にしてないよ」
「嘘付け、何も気にしてない人間がこんな回りくどい言い方するか」
何て人を見透かす奴! どうしよう、次はなんて言ったらこの会話は終わるの?
『春日良子が変になってるのを気にかけてるだけ』なんて情けない理由は言いたくない。話題を逸らせる何かがないか必死であちらこちらと目を動かしていたら……少し離れたベンチ、私達のいつもの場所で…良子が私のほうを…
〝私をじっと見ている?〞
あれ? そういえば私、良子に聞かれたくないって思ってる筈なのに、明に悟られたくないって変な緊張いれてたから、声のボリュームを下げるどころか寧ろ上げてる! これじゃ良子に丸聞こえされてもおかしくないじゃない。
何やってるの私!
「そんなことないよ、そりゃ、あの時はどこの誰と合コンよって思ってちょっち苛立っちゃったけど…」
嘘を言えば言うほど声が大きくなってる!
・・・でも、何で良子はこんなに私達の会話を気にしているの? 私と明の会話なんていつものことなのに・・・
いつも間近で、何にも思わず聞いてたはず・・・
電話のマイクに手を当てて、変な緊張を解いて冷静に見てみると、
良子、もしかしてあんた震えてる?
「で? 苛立って何?」
「あ、ええと、だから、どこの誰と合コンを・・・」
「あれ? 言ってなかったのか? 実は――――」
「え!?」
・・・
繋がった。
私の中で分からなくていらいらしていた気持ちがなくなった。言葉では上手く説明できないけど、私は、明の言葉を聞いて、良子に何が起こったか分かった。
なぜ分かったか、それはきっと、女の勘。
「ん? あ、おい、どうした? 朱音?」
良子が私のほうを気にしてる。ずっと気にしていない振りをしてまで私を気にして、今、私達の会話を聞いてた良子。
私は、どう彼女を救えばいいの?
あれからの進展は何もない。しいて言えば良子によそよそしさが目だってきたこと。
今までの気にしていない振りが、もう、振りもできなくなって、行動の一つ一つがおかしなものになってきていた。
その原因はきっと、アレのせい。
アレが何を意味するのか言葉では分からない。でも、気持ちだけは分かってしまった。良子の背負い込んでいるものが、その気持ちの重さが、言葉ではない何かで私は知ってしまった。
でも、だからといってどうすればいいの? どうすれば私が良子の心を開けられるというの?
♞
今日の天気はどんよりとした曇り。暗いを通り越して黒く、うっそうな厚みばかり増えていく。風にも流されず、夏らしくない大雨になりそうな予感。
分厚く重い物を背負っているのに落せず、ただただ心に溜まっていくストレス。今の私に嫌味なほどふさわしい天気。でも良子は、今までの晴れ晴れとした天気の中でも、これ以上の曇り空を抱えたままだったのかもしれない。
私一人ではどうしようもない、かといって明に相談できる話でもない。このままじゃ途方にくれる!
そんな危機感が迫った時に部長から呼び出しがかかった。
内容は、ただの買出しだった。
トナーやインク、コピー用紙の買出しは分かるとしても、なぜかメモリストにはパンやジュースのお菓子類を始め、訳の分からない雑用品ばかりが並んでいる。
こんなもの時間がかかるだけで意味の無いものばかり、断ろうと思っていたら部長がボソッと「一人で無理なら二人で行けばいい」と言った。
何のことだか分からずに聞き返そうとしたとき、背中からたくさんの視線を感じた。間違いなく、室内全員の「春日と二人で行って来い」という合図だった。
メモリストをよく見ると、それは、室内全員分の筆跡があった。
部長の意図していたものが分かって、何か、使命感を帯びたように私は引き受けた。
「良子、ちょっと手伝って欲しいんだけど…」
視線を私からはずした。行きたくなくても、今日ばかりはそれを許さないんだから。
「ちょっと一人じゃ無理そうなの、お願い」
頼み込めば人のいい良子が断れないのは知ってる。だから今日は、あんたの為に、無理にでも付き合ってもらうからね!
けたたましいほどに唸る風。でも、そんな音は気にも留めずに私と良子は近くの商店街まで出かけた。社員の心意気のおかげでなかなか見つからないものばかりの買い物リスト。
「やっと後一つか~」
今日という日じゃなかったら絶対に行くもんかと部長に反抗しまくるものだけど、今は違う。コレのおかげで時間を作ってもらえた。みんなの恩義に感謝してる。
「最後は何?」
「え・・と、満月堂のどら焼き・・・・」
これまた、時間のかかりそうなものをわざわざ書いたな。
「それはまた遠い所のものを」
書いた奴、後でぶん殴ってやる。
「どうする? いったん会社に戻って、この買い物袋置いてくる?」
「う・・・んん」
私の後ろをとぼとぼ歩く。視線ははずす。おまけに気のない返事。YESもNOも、何もかも言えない良子に腹が立ってきた。もう、買い物リストでの時間稼ぎも終わりが近づいたし、仕方がない、
「良子!」
その時だった、どこか遠くのほうで雷がなったのが聞こえた。これから大変なことが起こる前触れだと、雷が、私の心が教えてくれた。
良子の前を歩いていた私は向き直って、良子の目を真っ直ぐ見た。
唐突過ぎたみたい。良子の息が止まって、身も一瞬震えた気がした。
良子の瞳に私が映ると、良子は、私を見て怯えた目をしだした。触れたくないものに触らないでという目だった。でも、今日は許して!
「あの日、合コンに行った日に、何があった!?」
私は変らず真っ直ぐ、良子の目を見る。絶対に逸らさせない。
私の眼力の効果かは分からない。でも、良子は私から眼を離さないでいてくれた。
益々怯えだす、行き場のない良子の気持ち。
それが何か吐き出させるまでは、この目を辞めないから!
雨が、ポツリポツリと降り出した。商店街に突っ立ったままの私達は傘も差さないで睨み当っていた。
ううん、睨んでいるのは私だけ。良子は私を見たまま凍りついているだけ。
傍から見たら、私は悪役なのかもしれない。でも、今のままの毎日をこのまま続けさせる訳にはいかない。だから、私は強く言った。
「答えて!」
またどこかで雷が鳴った。雨のしぶきも勢いが付いてきた。
でも、まだ良子は答えない。いや、答えるかどうか迷ってる。口元が開くようにわずかに歪んできている。
良子も本当は言いたいんじゃないのか? ずっと、ずっと言えなくて辛い思いをしてきたんじゃないのか?
その答えが、やっと今出ようとしている。
雨の勢いに髪の毛が負けてきて、良子の口が歪んでいる間に、私はふと思った。
良子が別人のように代わった理由は、もしかして、私のせい?
どうしてそう思えたのかも分からない考えを否定してくれるものは何もなかった。
雨でずぶぬれになった頃、良子は視線を落とした。完全に下を向いた。
人通りもなくなって、地面を叩くけたたましい雨の音しか聞こえなくなった時、
「私・・・」
ひくひくと、良子の苦しいその声が雨に混じって私に届いた。
「・・・・好きな人ができた」
雨に溶かされそうなくらい細い声なのに、私の耳にははっきりと聞こえた。そして、聞こえ終わると同時、うるさかったはずの雨の音が全く聞こえなくなった。真っ白になった頭を元に戻そうとする。すると今度は息の仕方が分からなくなってきた。
私がおかしいの? 簡単な、誰にでも分かる言葉の意味なのに、今の私は良子が何を言ったか分からなくなってる。
大きな雨の音、目の前には今にも泣き崩れそうな良子。
スキナヒトガデキタ。その言葉の意味は?
「相手・・は・・?」
分かっていたはずの良子の気持ちが、言葉で理解されだす。
分かっていたはず、こうなるはずだと、だから良子は苦しんでいたんだと、なのに、
良子の口が開きだす。聞きたくない、相手が誰か、心ではもう分かってる!
「相手は、誰? 私の知ってる人?」
それなのに、私は自分から良子を後押ししてしまった。
分かってる。良子が好きになった相手は・・・
「うん・・・山口明さん。朱音のカレだよ」
♞
あの時、屋上で明は言った。
「俺、お前に教えてなかったか? お前の会社の面子とだよ」
その言葉で、引っかかっていたものは、全て無くなった。
春日良子という人物は、私の知る限り、正直で、素直で、嘘をつくのが下手な人間だ。
何か困ったとき、分からないとき、行き詰ったときはありのままの自分をさらして助言を請いに行く。そんな性格だった。
そんな人間が誰にも何も言わないということは、誰にでも疚しいと思われてしまう悩みを抱えてしまったということだ。
そんな悩みを抱えれば、自然と人間全てが恐怖の対象になってしまう。
しかし、良子は私のみを避けていた。
どんなに疚しいものだろうと当事者との距離が遠ければ遠いほど拒否反応は薄まる。事実、私以外の人とは付き合い方に変わりは無かった。
つまり良子は、『私にしか関わりが無い事』で悩んでいたんだ。
明が合コンに行った同じ日に良子も合コンに行った。
そして、その次の日から良子はどこか心あらずになった。否、私に隠し事をしだした。
それは、この日に何かあったからに他ならない。
私に関わることは明だけ、
明のことで私に隠し事をする理由なんてただ一つ。
そう、
【良子は明を好きになってしまった】のだ。
♞
「ゴメンね・・・」
呆然としてた私に今度ははっきりと声が聞こえた。ふと見れば、良子の目は、もう、怯えていなかった。今度は私が良子の潤った、澄んだ瞳に見つめられて、それに耐えられなくなった私は、
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
私は、わけが分からなくなって良子から逃げた。
「朱音!」
私は止まった。呼びかけられて、私は、逃げるのだけは避けられた。
でも、でも、私はどんな顔をしてあなたのほうを振り向けばいいの?
「朱音、ゴメンね・・・」
勢い弱まって水溜りに降り注ぐ雨音と一緒に良子の足音が聞こえた。
良子は私が捨てた荷物を拾い上げて、私が逃げた分、近づいてきた。
通り雨が終わって、空が青さを取り戻してきた頃、
「言えばこうなるだろうって思ってた。だから、言えなかったの」
ずぶぬれになった良子と私。なのに良子はこの空のよう、とてもいい顔をしている。なのに私の心は、まださっきの土砂降りを引きずって…
バカみたい。
良子を何とかしようとしたはずが、私のほうがダメージ酷いなんて…
どうして? どうしてよりによって好きになった相手が明なの? 他にも男なんていたじゃない・・・
「あの日、私緊張しちゃって、会話の中に入っていけなくて・・、一人で隅のほうにいたの。みんな楽しそうだな、いいなって思ってたら明さんが私の所にそっと近づいてきてくれた…」
良子、顔が赤いよ、何を思い出してるの?
「ちょっと強引だったけど、渋ってた私を輪の中に入れて、エスコートしてくれたんだ。とても、嬉しかった。朱音が好きになったのも分かった気がする」
明の良いところなんかどうでもいいよ、
「あっ、でも勘違いしないで、あの夜はそれだけで、他には何にも無かったから、二次会出ずに私帰っちゃったし…」
その言葉を聞いた途端、絶望に打ちひしがれて、どこにも力が入らなかった身体が反射を超えて全身全霊、良子に首っ丈になっていた。
「本当にそれだけなの? 他には、他に何も無かったの?」
私は救いを求めるように良子を見た。泣きだしそうだった・・・のつもりだけど、実質、すごい食いかかってただろうなとも思ってる。とにかく切実過ぎて、そのことしか考えられない、正気の沙汰じゃなかった。
なのに、今度は良子が目を落とした。
「うん、たったのそれだけ…」
涙が一気に引っ込んだ。
なんだ、何もなかったのか…、心配しすぎて、気も抜けすぎた。瞬間的とはいえすごく神経が張り巡らされてたみたい。へなへなと地面にへたり込んだら、地面は水で溢れてるのに何も感じない。色んな感覚も麻痺しちゃったみたい。
だけど良子は力が抜けた私とは正反対になってきてる。
良子の目が真っ赤。泣きを我慢しているみたいに真っ赤。
「それだけなのに、馬鹿だよね…」
さっきの晴れ晴れとした良子の顔はどこに言ったんだろう、とうとう、涙が一筋こぼれ落ちた。
分かった。諦めてるんだ。
私に遠慮して、良子はこの恋を諦めたいんだ。でも、それができないんだ。分かってるのに、良子の心はどうしようもなく、あの夜の明をずっと、見続けていたんだ。
親友のカレを好きになったなんて、どこの誰が、さっぱりと言えるんだろう。少なくとも、良子には無理だ。荷が重過ぎる。
助けてあげなくちゃ、でも、どうやって?
一度抱いた思いを捨てさせる方法は?・・・・
あった!
私は、良子が泣き続ける前に良子の手を力いっぱい掴んだ。
「あ、朱音? 痛いよ」
問答無用。ここにこのままいたって埒が明かないんだから、私は、あんたのそのへたれた根性叩き直してやる。
そのまま私は、一直線に良子を会社まで連れて帰った。
帰ってきた会社。とりあえずメモリストどおりの買い物袋を部長に渡した。私たちの濡れ加減に誰もが驚きの色を隠さなかったけど、そんなことどうでもいい。
これから、私たちにとって大事なことが起こるのだから。
満月堂のどら焼き以外は全て買ったと報告。
それだけ言って、私はオフィスを出た。
良子には先に屋上に行っててと伝えてあるから大丈夫。後は、私が良子を一押しするだけ。
♞
「うん、そうなの、ゴメンね。ん? ううん。私は平気、それじゃ後で」
私はドアの前で携帯を切った。そしてそれを左手で持ったまま、ドアを開けた。
青々とした空の下、床のコンクリートはまだ湿っていた。
良子はいつものベンチの前で、金網越しに遠くを見つめていた。分かってる。遠くを見ているようでどこも見ていない。
良子が見ているのはあの日の夜だけ。
「・・・・・・」
私は無言で良子に近づいた。
私が近づいたから、良子の口元が動いた。きっと本当は話したいことがたくさんあるんだと思う。でも、良子の大人しくて控えめな性格がそれを邪魔してる。
だから、話させてあげる。あの日の続きを、良子に見させてあげる。
「色々と、心配かけてごめんね朱音」
私の固い決意の前で、良子は口を開き始めた。
それを最初からやってくれたならこんなに時間もたたないし、周りに迷惑をかけることにもならなかったのに…
「分かってるから、いけないのは自分だってことぐらい」
分かってない。
「こんな気持ちずるずる引きずってたからこんな、周りにも迷惑かけて、本当、駄目だよね、私って・・・」
どうして、自分を責める言葉しか出てこないの?
「でも、もう大丈夫だよ。これからは、ちゃんとするから、もう、平気だから」
良子タイプの人間の言う「大丈夫」ほど信用できないのはないよ。
「だから、そんな怖い顔しないで・・・・」
私の顔が怖いのは真剣に良子を見てるからだよ。その私を怖いと感じるのは、良子が、逃げてるってことだよ。
頭で分かってても、心が分かりきれないことだから、今もこれからも良子はこのままなんだ。
だから、私が引導を渡してあげる。私が、良子のその止まった時間を動かしてあげる。
私は何も言わずに左手の携帯を開いた。そして、ある番号を押した。
ぷるるるる、ぷるるるるる、
コールが鳴る。
風が静かに流れる間にコールが切れた。
無言の電話。
私は黙って良子に携帯を突き出す。電話の主が誰だか、良子は分かってないみたい。目を一回り動かして、恐る恐る、手に取ってくれた。
「・・・・」
受話器部分をなかなか耳に当ててくれないから、私はあごで会話しなさいと合図した。
その合図をくみ取ってくれた良子はそおっと携帯を耳に持っていって、
「あ、あのう・・・」
「あ、良子ちゃんだったよね、久しぶり」
カッ、カラカラ
驚いた良子は携帯を落とした。目はコレでもかと見開いて、口をパクパクしだした。
電話の主は明。そのことに動揺を隠し切れない、というよりもそこまでの動揺を隠して生きているからあんたの大丈夫は信用できないのよ。
私は落ちた電話を拾って、そっと良子の右手に握らせてあげた。そして、腕を曲げさせて、再び受話器を耳元に持っていった。
頑張って良子。どうか、ここから逃げ出さないで。
「あ、明さん・・・?」
「うん、そうだよ、合コンのとき以来だね。元気してた?」
「あ、はい・・・・」
良子の目がチラリと私を見た。分かってる。私が気になるんだよね。だからあんたは言いたいこと、何も言えなかったんだね。
私は良子に携帯を渡したまま、この場を後にして立ち去った。
私が屋上のドアを閉めたのを合図に、良子は会話を始めた。
何を言ってるのかまでは分からない。でも、何を言い出すのかは分かってる。
その言葉を言わせるために、気持ちを消化させるために私は、明とあんたを会話させたのだから。
♞
良子に電話を渡す前、屋上のドアの前で私は明にこう電話した。
「よ、朱音。どうした? 今度は何があったんだ?」
「ね、明、今、時間ある?」
「ん? ああ、たっぷりあるぞ」
「一つお願いがあるの」
「ん? 何だ?」
「今一旦電話切ったら、また後でかけるから、その時、良子が声をかけるまで黙ってて欲しいの。そして、その後は普通に会話して」
「・・・良子? 誰?」
「あんたが合コン行ったときに隅で大人しくしていた子よ。もしかして覚えてない?」
「え・・と・・、ああ、思い出した。あの控えめで全然目立たなかった子か。あの子、俺が声かけてやらなかったら終始無言だったかもしれなかったんでさ、あの時俺は―――」
明の誇大妄想込みの長くなりそうな自慢話、今は無視。どうせ輪に入りにくかった子を輪の中心人物に仕立て上げたんだ、スゲーだろ俺、になるんだから。
「うん、そう、その子なの。その子が明に話があるっていうから無理やり話させることにした」
「はぁ?」
「だから、あんたはその子、良子と会話して欲しいの。そして・・・」
一応、コレだけは確認とっておきたい。
「明、良子に興味ある?」
「・・・ねぇ」
良かった。私の一番苦しい質問は、さらりと終わった。
「はっは~ん、分かった。その良子ちゃんて子、俺に気があるんだな。んで、お前の口からは言い難いから俺に直接フッて欲しいと、こんなところか?」
変に勘が鋭い明。おかげで内容を事細かに説明する手間が省けたけど、きっと、俺はモテルって今後の自慢が一つ増えたな。
でも、ま、いっか。そんな明が好きなんだから。
「うん、そうなの」
「しかし、大変なもの持ち込むな、お前は」
「ゴメンね」
「いいよ別に、俺の面倒見の良さがお前にとっても、その良子ちゃんにとっても裏目に出ちまったんだし、しかし、お前平気か?」
「ん?」
「『ん?』って、お前本当に何も考えてないな。いいか、曲がりなりにも告白だぞ、確かに俺は良子ちゃんについてはうろ覚えだし、興味もないけどよ、話し始めたらどう転ぶか分からないだろ? 俺だって一応男なんだし、もし話持っていかれたら俺、良子ちゃんに乗り換えるかもしれないんだぞ? お前それくらい考えとけよ」
言われて「あっ」って思った。良子は私と違って大人しいけど、でも、女性らしいとか、しっかり者って評判が良い。もし、良子がそんな風に話を持ってったら・・・
ここは、賭けた。明の私への気持ちが、ぽっと出の女に取られないってことに。
「ううん。私は平気」
もう一つ賭けた。良子は人の男を取れるほど、嫌な性格をしていないってことに。
「それじゃ、後で」
私は空に広がる綿飴雲のように優しく、どんな風がきても受け止められるくらいの信念を持って電話を切った。
そんな会話をしたから、逃げ腰の良子にちゃんと「あの言葉」を言わせられるように明は誘導して行ってくれると思う。
いや、それに賭けた。
ドア越しに、二人が何を話し合ってるのか、会話の空気がひしひしと伝わってくるから、本当は覗きなんてしたくなかったけど、小指ぐらい、ドアを開けた。
良子が、ベンチじゃなく、コンクリートに膝をつけてた。そして、泣きじゃくってた。
良子が泣いてる。
泣き声しか聞こえなくて会話がどこにどう進んだのか気になる。明の気持ちは? 良子は何を話したの?
そう思ったとき、
「私は、明さんが好きです」
大きな声だった。良子の必死な思いが、私の胸を一直線に貫いた。
言わせるはずの言葉でも、いざ聞くとなると、耳が痛い。
聞こえてこない明の声が聞きたくて、我慢ができなくなる。でも、ここは良子のために必死で堪えた。
だって、私は賭けたんだ。明は私を選ぶって。
だからここは、堪えなくちゃいけない。でなきゃ、この舞台を作った意味がなくなる。
良子が何かぼそぼそ言い出すたびに胸が絞まるけど、コレさえ終われば、私の悪夢は消える。
♞
しばらくして、良子は携帯を切った。
全身の力が抜けて、だらりと腕を下げながら、空を見ていた。
私は我慢ができなくなって、どうなったのか知りたくてドアを開けた。
キイィィ
ドアの音がしても、良子は何も変らず、平然と空を見上げていた。
コッ、コッ、コッ、
少し足早に良子に近づいたけど、何も言えなかった。言いたいことがありすぎて、何からどう聞けばいいんだろう。
視線が泳ぐ私。
しばらく私は、良子の背中で、祈っていた。
「朱音・・」
良子の明るい声にはっとして、私は視線を良子の後頭部に定めた。
「私ね・・・」
ゆっくり振り返る良子。涙を流しながら、笑顔で、
「ふられちゃった」
優しくほころんで、それでいて、不思議とどこかあどけない笑顔なのに、らしくないはずなのに、何故か良子らしさが際立ってる。
あまりにも素敵な微笑だった。
私はほっとしたのと同時、何か後ろめたいのを感じた。
明が私を選んでくれたのに、目の前の、ふられた良子を見たら、素直に喜べなかった。
どういう顔をすればいいのか分からなくて、私は視線だけ俯いた。
「ありがとう、朱音」
言葉と同時、携帯を返してくれた。
私は、その言葉の意味が分からなくて、ボーっと促されるまま、返してもらった。
この複雑な気持ちはなんなんだろう? 何に納得してないからこうなるんだろう?
良子がふられる方に賭けてたはずで、勝ったのに、嬉しくない。
「・・・・・」
返してもらった携帯をボーっと見ていた。
何をどう考えてたか思い出せないぐらい頭の中は真っ白だった。
だけど、
「朱音、ありがとう」
良子が、私を抱きしめた。
素敵な微笑みは見えなくなったけど、良子のぬくもりを感じた。
耳のすぐそばから聞こえる泣き声やすすり泣きの音、良子は遠慮無しで泣いた。
良子の一夜の恋に終わりの幕が、何日か越しにやっと、幕を閉じた瞬間だった。
(ああ、私、間違ったことしていなかった)
良子の後腐れ無い涙が、私に教えてくれた。
明日からの、私達の日常が戻ってくることに、すごい嬉しさを感じた。
良子に日常が戻ってくる、良子の恋が終わったから、
私も泣いた。
私も、良子を抱きしめた。
「ごめんね、良子」
良子の気持ちがいっぱい流れてくる。
分かっていた流れでも、いざ実感するとなると、心に深く染み入るものになるんだなと改めて思い知った。
さようなら、良子に舞い込んだ一夜の恋。
さようなら、悩んでいた弱虫たち。
♞
一ヵ月後、夏が終わって、季節は残暑が続きつつも秋へと変ろうとしていた。
私はいつもと一緒、お昼は屋上でランチしながら、明と話していた。
「あきら~、今度は山行こうよ、山! どこか広い高原で涼んでぱ~っと何かやっちゃおうよ! ・・・え? 無理? 夏休み海行ったせいで忙しい?」
・・・期待の若手に仕事を吹っかける嫌な上司を何とかできたら休みが取れる。お前が何とかしてくれ! ・・・だって、
「何でよ~~~~!!!」
そんなの何とかできるか! 大体違う会社の人間が違う会社の上司にどう文句を言えるのよ! ・・うちの会社の人間ならナ、あ~云う事とか、こ~云う事とか目いっぱいの嫌がらせをしてスケジュ~ル調整できるのにな~。
私はまた、ベンチに腰をつけ、肩を落として腰も曲げて、「はぁ」と息を抜いた。
「な~に~? またスケジュールが合わなかったの~?」
「ひゃあ、冷た!」
良子にいきなり、ほっぺを缶ではさまれた。左右同時に冷たくなって私はビックリ、そんな私の反応を見て大きく笑う良子。
「はい、差し入れ」
今日はサイダーを渡された。
「んぐんぐ」
一気飲みして、
「ぷはー」
と、思いっきり景気よく飲み終えるけど、
「何でこうなるのよ~」
いい笑顔は飲み終えた瞬間だけ、あっという間に空の缶を投げ捨てる。
おんなじことをどうしてこう毎日繰り返すんだろ、進展しにくい私達の恋。どうすればもっとこうスピーディーかつファンタスチックに盛り上がるんだろ?
私はチラッと横で涼しい顔してる良子に目をやった。
「待てば海路の日よりあり、よ」
そう言って、どこか遠くを見ながら、缶に口をつける良子。
「朱音がいい日を待つように、山口さんだってその日を作ろうとしてるんだから、海に行けた時みたいに、きっと、いい日を作ってくれるわよ」
そこまで言ったら、今度は笑顔で私を見た。
「だから朱音は、その日が来るのを信じて待っていればいいわけよ」
すごい自信満々。私より、良子のほうが明を信じてるような気がして、
「・・・良子、何であんたのほうが明の気持ち分かるわけ?」
少し嫉妬交えだったけど、その言葉にすねたのは事実だから、口を膨らまして訊いた。
そしたら良子は少しからかったように
「くす、だって私、聞いちゃったんだもん。山口さんが朱音のことをなんて思ってるか」
クスクス笑いを続けたまま言った。いや、今もくすくす笑いが止まっていない。
「はぁ!」
明が良子にだけ伝えた? 私のことどう思ってるか?
何度も尋ねたことがある。「明は私のことどう思ってるの?」って、決まって返事は、「ま、お前がもう少し大人になったら教えてやるよ」と、子ども扱い、上から目線ではぐらかす言い方だった。
それなのに、何で良子にだけ?
「山口さんって、本当に良い人ね」
今もまだ笑い続けてる良子。
何? 明はなんて言ってたの? 気になる。すっごい気になるよ!
「良子、何? 明は何を言ったの?」
「駄目、コレばかりは教えてあげられない」
ガーン、明と良子だけの秘密って・・・付き合ってるのは私なのに、しかも何、その得意そうな顔は・・
「良子! 教えなさ~い!!!」
「だめだよ~」
笑いながら逃げる良子のその声は垢抜けた子供染みてて、どこか別人の様だったけど、素敵なお姉さんポジは相変わらずでちょっと羨ましかった。
~~後年談~~
それから三年と半年後、私と明はめでたく結婚することになりました。「何でもっと早くしてくれなかったの!」って食いかかったら「精神年齢が適齢期前だったから」とあっさり一蹴りされてしまいました。思い当たる節が多くて何も言い返せませんでした・・・トホホ