市場の相談役
前半、地の文が多いので読みにくいかもしれませんがご容赦いただけると幸いです。
老人は慣れない手つきで柔らかな肉を捌く。それからにんじんやジャガイモ、玉ねぎなどを歪ながらも食べごたえがあるよう大きめに切り、少し底の深い鍋を台の上に置いた。そして鍋の中に油を入れてから、台に備え付けられた赤いボタンを押す。すると台の下がほんのりと赤く光り、熱を発し出した。
魔晶石という魔力を魔術に変換する石が台には備え付けられていた。それによって魔力を熱に変換し、火を焚かずとも容易く熱源を用意できるのだ。調理台の魔晶石は、微量の魔力をボタンから流し込むことで熱を帯び、台の上の鍋を暖める仕組みとなっていた。欠点としては流し込む魔力の量で強さを調整するため、注入する量が少なすぎれば魔晶石が反応せず、多すぎれば許容量を超えて魔晶石そのものが砕け散ってしまうこともあるということだろう。
鍋が十分に温まってきたら玉ねぎを入れ、しばらく炒める。玉ねぎの色が透き通ってくるまで炒めたら今度は肉を投入する。赤みがかった肉に色がついてきた頃、他の野菜も投入し、十分に炒める。全体に油が絡まった頃合いを見計らって、老人は鍋に水を投入する。しばらく煮詰めてから、白い袋に入った茶色い粉を取り出し、鍋の中へと入れた。それはみるみるうちに水に溶け、色を広げていく。全体が染まる頃、老人の鼻を香ばしいカレーの匂いが包み込む。
我ながら上出来ではないだろうか。
普段料理などあまりしなかった老人は、そんなことを思いながらチラリと書斎の扉に目をやる。開かれた扉の向こうには椅子に背を預けて座る十歳くらいの少女の姿があった。
肩甲骨辺りまで伸びた柔らかい金髪と宝石のように美しく純粋な瞳。シンプルな白のワンピースからは色白で華奢な手足が伸びている。その隣りには椅子に立て掛けられた杖が置いてあった。彼女は以前老人が拾った少女だ。
老人が引き取り、暮らし始めて一週間。老人は少女とまともな会話ができていなかった。少女は小さく頷いたりして意思表示をしてはくれるが、言葉を交わしてはくれないのだ。唯一言ってくれた一言は「ライラ」という少女の名前だけだった。
ライラは最低限のコミュニケーションしか取らず、それを終えるとすぐに書斎へ行って本を読む。ライラの瞳や行動からは警戒の色が見て取れ、老人には自分から逃げているようにしか映らなかった。
ライラは暗い表情で黙々と本を読み続けている。老人はもうじき完成する夕飯のカレーを見つめてどう声をかけたものかと悩む。
やはりライラにとってこの生活は良くないものだったのかもしれない。身寄りのないライラに少しでも罪滅ぼしがしたくて引き取ったはずだったが、これでは何も解決できない。せめてうまい飯でもと思って連れ出そうとしたが、ライラは外に出ることを拒んだ。それは足の傷のせいで杖をついているからかもしれなかったが、その時の小さな身体が震えていたことを老人は鮮明に思い出していた。両親が魔獣に襲われる姿を目撃したのかもしれない。そうとも考えた老人に無理強いはできなかった。
ならば自分で作るしかない、と一意奮闘して作ったのがこのカレーだった。良い匂いはする。そもそも市場で売られているルーを使用しているカレーで失敗などするはずがなかった。老人はルーを少しだけ掬い上げて舐める。ピリッとした辛味と口に広がるカレーの味。薄く野菜や肉の香ばしさも混ざっており、初めてにしては良くできていると感じた。
これなら少女も少しは元気を取り戻してくれるかもしれない。老人は意気揚々とカレーを盛り付けていく。そしてその皿たちを机に並べた。書斎の扉は開いているので、ライラにもこのカレーの匂いは届いているだろう。しかし、彼女は本から目を離さない。
老人は困った表情をした後、できる限り優しく彼女の名前を呼んだ。
「ライラ、飯ができた。こっちへおいで」
ライラが顔を上げる。それから本を椅子の上に置くと、杖と共にトコトコと早足でやって来た。その仕草から腹を空かせていたのは間違いない。空腹こそ最高のスパイスである。
老人はそう思って椅子へ腰掛けたライラにスプーンを手渡す。受け取ったライラは小さく手を合わせると、カレーを掬い、口に含む。老人も同じように手を合わせて「いただきます」と言ってからカレーを口に含んだ。
はやり良くできている。我ながら良い具材の大きさと煮込み具合だ。老人はうんうんと頷きながら租借し、飲み込む。同じように美味いと思っているであろうライラの方を見ると、プルプルと震えながら眉間に皺を寄せてカレーを見つめていた。老人はどうしたのかと思って彼女を見つめる。
ライラはじゃがいもをスプーンで器用に割ると、それを口に含む。その時、ぎゅっと何かを堪えるような表情をして租借した。
「じゃがいも、嫌いだったか……?」
老人は心配そうにライラに訊いた。突然話しかけられて驚いたライラがコップに入った水を一気に飲み干し、首を横に振る。それからまた同じようにしてにんじんを食べた。
「にんじんが嫌いなのか……?」
ライラがまた首を横に振る。
「もしかして、カレーが嫌だったのか……?」
ライラはまた首を横に振った。もう老人には彼女が何に苦しんでいるのかわからず、困ったように眉間に皺を寄せる。
「無理して食べなくてもいいからな……?」
少し悲しいと思いながら老人はそう言った。するとライラはより大きく首を横に振って否定した。老人はより一層ライラの心境がわからなくなり、白髪の生えた頭を掻いた。
結局、老人にはライラが何を嫌がっていたのかはわからず、ライラも苦しさを必死に隠しながらカレーを完食した。
少しは仲良くなるチャンスかと思っていた食事は、老人にとってより溝を深めてしまう結果となった。
翌日の昼、老人は街の市場へと出ていた。活気溢れる市場の中を難しい表情をしながら歩く。その原因はもちろん昨日のカレーだった。
上手くできたと自分では思っていたが、ライラはあまりおいしそうではなかった。
「何がいけなかったのか……」
思わず口に出てしまう。よほど険しい表情をしていたのか、すれ違う人のほとんどが老人を見てどこか怯えたような表情になっていた。
「ちょっとちょっと団長さん、そんな顔で街を歩いてたら街一番に騒がしいこの市場だって静まり返っちゃうわ」
ふと通路の脇に建てられた果物屋からそんな声が聞こえた。悩んでいる表情のまま振り返ると、バンダナとエプロンを着けた茶髪の女性が目に入る。
「あぁ、メアリーか」
彼女は果物屋の店主の娘だ。今年で二十歳になり、そろそろ本格的に店を継ぐらしく、最近では店主よりも多く店の仕事をこなしている。老人は彼女が産まれる前から果物屋の店主とは知り合いだったので、自分にとっても孫のような存在だった。
「ワシはもう『元』団長だぞ」
「えー、今までずっと団長って呼んできたのに今更本名になんて変えられないよ。そもそも本名の方が知らないってレベルだし」
「そういえばそうだったな」と苦笑いを浮かべながら肩を落とした。そんな老人を見てメアリーは声を上げて笑う。整った顔立ちと性格の明るさから、メアリーは街でも結構人気のある娘らしい。面倒見も良いので人気があるのも頷けた。
「で、そんな怖い顔して元団長様は何を悩んでるの? 良かったらこのメアリーお姉さんが聞いてあげますよ」
「全く、すぐに調子に乗るところは相変わらずだな」
「これが平常運行ですよーだ。あ、そうだ。団長が何悩んでるか私が当ててあげる!」
元だと言っているのに、と思いながら老人は「やってみろ」と笑った。
「うーん……女の子のことね。それも幼い子よ」
老人の顔をマジマジと見つめながらメアリーが呟いた。
いきなり核心を突かれて老人の鼓動が早くなる。全くもって疚しいことなどないのに、なぜか悪いことをしているような気分になった。
「その子と……うまくいってない……」
またまた老人の心臓が跳ねる。なぜ彼女はこんなにも自分の境遇を言い当てるのだろうと恐怖すらも感じるほどだった。
「わかったわ。その女の子と親子喧嘩したんでしょ」
いや、親子喧嘩ではないな。
一瞬にして老人の動揺は消え失せた。メアリーの言い方がまるでライラと交際をしているかのような言い方だったから、妙な罪悪感を覚えていたのかもしれない。
「あれ? ここでハズレちゃったかぁ」
メアリーがそう言った。老人はあまりにも自分の考えていることが見透かされすぎていて不安になる。
「何でお前はそうワシの考えていることがわかるんだ」
「わかるも何も、団長さんすぐ顔に出るんだもの」
「む……。そうか?」
「そうよ。それに、騎士団の団長さんともあろうお方が小さな女の子を引き取ったなんて話を聞いたら、そりゃ一瞬にして街中に広がるに決まってるわ。だからちょっと付き合いがあれば団長さんの考えてることなんてすーぐ見抜けちゃうんだから」
昔から顔によく出るとは言われていたが、そんなにも見透かされるほどだとは思わなかった。老人は顎に生えた少し長めの髭を撫でながら、自分を不甲斐なく思う。
騎士たるもの、一時の感情に流されるのは良くない。すぐに顔に出てしまうのも悪い癖だ。それを直そうと厳しい表情を意識して作っていたつもりだったのだが、少しでも付き合いがあると見透かされてしまうらしい。
「ま、それが団長さんの良いところでもあるんだけどね」
メアリーがにっこりと笑ってそう言った。老人は大きく溜め息を吐いて「それはあまり嬉しくないな」と笑った。
「まぁでも、概ねお前が言った通りだ、メアリー。ワシは今ライラという少女と暮らしている」
「魔女討伐の帰りに拾ったんだよね」
「そんなことまで広まってるのか……」
「そりゃ、その姿を騎士様たちは見てるからね。一人が話せば街中にってね」
自分の誇る騎士団にも口の軽い奴はいるのだなぁ、と老人は苦笑いした。しかし隠すことでもなかったので、別段気にはしないことにする。
「そのライラにだな、昨日カレーを作ったんだ」
「ほぉ、あの大体酒場でご飯を済ましてた団長様が自炊なさったと?」
メアリーは非常に物珍しそうに言った。バカにされているようで少しばかり眉間に皺が寄ったが、メアリーの言うことなので流すことにした。
「そうだ。そのワシが久々にカレーを作ったんだ。我ながら上手にできたと思うのだがな、どうもライラの口には合わなかったようなのだ」
「あー、ライラちゃんって歳はいくつ?」
そう聞かれて老人は初めて自分がライラの正確な年齢を知らないことに気付く。
「おそらく、十歳くらいだ……」
「え、何歳か聞いてないの?」
「名前以外はワシと話してくれなくてな。やはり嫌われているらしい。一応、嫌われている理由に心当たりはあるのだが……」
そう言って老人は自分が魔女との戦いで森に被害を与えてしまったことを話し始める。
被害の結果、森に生息していた魔獣たちが驚いて、ライラの住んでいた村を襲ってしまったのだ。ライラの村は魔女と不可侵の契約を結んでいたため、まさか魔女から生まれたと言われる魔獣たちが村にまで押し入るとは思わなかった。老人はその罪滅ぼしがしたくて唯一生き残ったライラを引き取り、騎士団を抜けたのだと言った。
「そが理由でライラちゃんに嫌われてるってこと?」
「そうだ。ライラはどこかでこのことを聞いてしまったのかもしれない。それにワシは魔女を討伐したという功績ばかりを称えられ、村への被害については罰を受けていない。そのこともあの子にとっては大きな不満になっているのかもしれないと思っている」
「ふーん……」
メアリーが何か残念な人を見るような冷ややかな視線を向けてくる。
「どうした。何か間違ったことを言っているか?」
「えぇ、そりゃもう全部が」
即答だった。老人は一瞬「ライラと話したこともないメアリーに何がわかると言うのか」と思ったが、相談を持ちかけたのは一応こちら側だったので、ぐっと飲み込んだ。
「そもそもね、ライラちゃんはそんなに深くまで事情を知らないと思うわ。知っていたらそもそも団長さんに引き取られることすら拒否するはずだもの」
「それができない状況だったから嫌々ワシについてきたんじゃないのか?」
「確かにその可能性はあるわ。でもね、ライラちゃんはカレー食べてくれたんでしょう?」
「あぁ、一応完食はしてくれた。すごくまずそうだったがな……」
「カレーを食べる前は? 嫌々だった?」
そう言われて老人はテーブルへ早足でやって来るライラの姿を思い浮かべた。あの時のライラは空腹で夕飯を楽しみにしている子どものようにも見えた。
「嫌々……ではなかったと思う」
「私はそれが答えだと思うけど。どんなにお腹が空いていたって、自分が大嫌いな人の料理を食べるなんて、なかなかできないと思うわ」
それは気の強いメアリーだけではないだろうか、と老人は思ったが、しばらくは彼女の考えを聞くことにした。
「それにまずそうにしながらも完食してくれたんでしょう? 嫌いな人の作ったまずい料理なんて残すに決まっているわ!」
メアリーが自信満々に言い放った。老人は思わず「それはメアリーだけではないだろうか」と言ってしまっていた。
「いいえ、そんなことはないはずよ。そもそもここで大事なのは嫌だろうが何だろうが全部食べてくれたってことなの。私はライラちゃんには対話の意志があるんだと思うわ」
たかだかカレーを完食しただけでそこまで考えが及ぶのはある意味才能なのかもしれない。しかし、そこまで自信満々に言い切られると老人にも少しばかりそうなのかもしれないと言う思いが芽生える。
「そもそも団長さんはライラちゃんとお話ししようとした? 十歳の年頃の子なんて、絶賛人見知り全開中よ?」
「いや、お前はそんなこともなかっただろうに」
「そりゃそうよ。親が商売やってて街の人なんてほとんど知ってる人ばっかりなんだから」
「それもそうか……」
考えてみれば騎士の知り合いは負けてなくとも、住人の知り合いではメアリーの方が圧倒的に多いだろう。家庭の環境も考えれば人見知りもなく明るい性格になるのも頷けた。
「ライラちゃんは今、あんまり知らない街で誰も味方がいないの。そんな中で唯一話してくれるのが団長さんなわけ。でも団長さんはいつも顔が怖いし、あまり話が好きそうでもない。だから自分からは話しかけにくい。カレーだって何が嫌だったかはっきりとは言えない。きっとそんな感じなのよ。だから、ライラちゃんへの罪滅ぼしだとか、話しやすい環境だとか、生活しやすい空間だとかを意識してあげようと思うのなら、まずは団長さんがライラちゃんとしっかり話して、お互いのことをもっとよく知るのが先だと思うわ」
メアリーが腰に手を当てながら老人に詰め寄る。老人は両手でメアリーを抑え、「わかったわかった。わかったから少し落ち着け」と言った。
確かに思い返してみればライラの気が落ち着くまではそっとしておこうと自分から話しかけることは少なかった。会話という会話を試みたことも数えるほどしかない。その少なさがライラにとっては居心地が悪く、書斎に籠もる原因なのかもしれない。
「だから、帰ったらライラちゃんとしっかり話してみて。団長さんは不器用だろうから最初はうまくいかないかもしれないけれど、話す意志がある、仲良くしようとしてくれてるってライラちゃんがわかってくれれば、きっと心を開いてくれるわ! ライラちゃんの好きなことを一緒にやってみるっていうのも一つの手ね!」
なるほど、と老人は唸る。考えに偏りがあるものの、ライラと同性で年齢も近しいメアリーに相談して正解だった。
「ありがとう、メアリー。とても参考になった。帰って少しライラと話してみようと思う」
そう言って老人はメアリーに背を向けた。その瞬間、老人はメアリーに肩を掴まれた。
「待って団長さん。こんなに協力してあげたんだから私にも少し協力してよ」
老人がゆっくり振り返ると、にっこりと満面の笑みを浮かべるメアリーの顔があった。
「それに、女の子と仲良くなろうっていうのに手ぶらなのはどうかと思うなー?」
老人の顔が引き吊る。
「今日はライラちゃん仲良しキャンペーンで安くしてあげるから、いっぱい買っていってね。だ・ん・ちょ・う・さん」
結局、老人は両手に大量の果物が詰まった袋を抱えて帰ることとなった。
ここまで読んで頂き、本当の本当にありがとうございます!