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夢幻の魔女

今回、かなり長い気がします。すみません……。

あまり書いたことのない戦闘のシーンが結構あって苦戦しました。

拙く想像しにくいかもしれませんが、楽しんでいただけると幸いです。

 広く薄暗い森を抜けた荒地に、その城は建っていた。曇天を貫く槍のように、歪に組み合わされた尖塔の数々。全ての光を吸い込んでしまいそうなほど、黒く染まった城壁。

その薄気味悪い光景に、二百人ほどの騎士たちが息を呑む。そして、何かに気付いたある一人が震える声で言った。


「あ、あれだ……。あそこにいるのが、『夢幻の魔女』だ……」


 城の城門にその人影はあった。

つばが広く先の尖った黒い帽子、背後が同色の城壁でも確かな存在を放つ漆黒の髪とドレス。そして、自分たちを見つめる黄金に輝く瞳。

距離にして三百メートルは離れているはずなのに、その存在を騎士たちはしっかりと認識できていた。同時に全身が震え始める。それは明らかな恐怖だった。

夢幻の魔女が一歩前進する。ドレスの隙間から純白の素足と漆黒のヒールが覗く。その恐怖とは真逆の見惚れてしまうような美しさに、騎士たちの緊張がほんのわずかに緩んだ。


カツン。


その場にいた全員が頭に響くような音を聞いた。ヒールが地面を叩く音だ。それと同時に夢幻の魔女を中心として、黒い煙幕のようなものが広がる。それは雷雲のように光を瞬かせながら、一定の間隔まで膨らむと、ピタリと動きを止めた。少しすると、その煙の中から大勢の者が走るような地響きが聞こえてくる。そして、煙の中から何かが姿を現した。

ある者は猪顔と騎士の何倍もの巨躯を持ち、ある者は虎と獅子の双頭を生やし、ある者は紫色の不定形な身体を持っていた。それらは間違いなく異形の者どもだ。騎士たちが『魔獣』と呼称している生物たちだった。数こそ騎士たちが上回っていたが、魔獣たちの規格外な身体の大きさや個々の戦力を考えれば相手に分があるのは火を見るより明らかだった。

 多くの魔獣を産み終えると、煙幕は空間に融けるようにしてその姿を消した。そして、再び魔獣たちの隙間からあの黄金の瞳が覗く。騎士たちは先ほどよりもより一層強く、金縛りにも似た恐怖を全身に感じた。


「魔女も、本気なんだ……前回までは出し惜しんでたってことだよ……!」


「む、無理だ……。あんなの勝てねぇよ!」


 恐怖に震え上がった騎士が叫ぶ。するとその恐怖は水面に浮かぶ波紋のように広がり、多くの騎士たちに動揺を与えた。隊長として立つ騎士が「落ち着け! 我々は国の誇りを持ってこの場に立っているのだ! この程度で狼狽えるな!」と叫ぶが、騎士たちの動揺は拭えない。


「あんな大きな魔獣見たことねぇ! どうやって戦えって言うんだ!」


「俺たちはここで死ぬんだ」


「まだ、死にたくねぇよ」


 騎士たちの恐怖の波紋は収まらず、一歩、また一歩と前線から離れようとする。

 その時だった。


「黙れ!」


 先頭で白馬に騎乗する老騎士が叫んだ。途端に今までのざわめきが嘘だったかのように静まり返る。


「怖くて仕方がないと言うのであれば、今すぐ街へ引き返すが良い。だが、少しでも街のために、大切な者のために戦いたいと願うのならば、立ち向かえ! お前たちが今ここで背を向ければ、次にあの魔獣らと対峙するのはお前たちの大切な人間になると知れ!」


 静まり返った騎士たちの間を老騎士の言葉が駆け抜けて行く。いつの間にか騎士たちの震えは止まっていた。振り向くことなく発破をかけるその老騎士に、彼らは絶対の尊敬と信頼を置いていたのだ。


「そうだよ、俺たちは逃げるためにここまで来たんじゃない」


「娘にこんな怖い光景見せるわけにはいかねえよな」


「あぁ、俺も彼女に約束したんだ。帰ったら結婚しようって。それが逃げ帰ってきたじゃあ、カッコつかないにもほどがある」


「お前死にそうだな」


 騎士たちの心に少しばかりの余裕が生まれた。数的有利でも戦力的不利な状況は変わらない。自分たちが異形の者どもと衝突することだって変わらない。しかし、彼らの心の持ちようは大きく変化していた。


「団長、お見事です。ですが、これからどうされますか」


 隊長が老騎士に話しかけた。団長と呼ばれた老騎士は前方に並ぶ魔女の軍勢を睨む。そしてたった一言だけ放った。


「ワシに道を作ってくれ」


 隊長は決意のこもった、しかしどこか嬉しそうな表情で「はい!」と力強く答えた。そして、大幅に士気の上がった騎士たちへ振り返って叫ぶ。


「幸いなことに敵の数は我々よりも少ない! 故に基本三人一組のチームを組み、敵を駆逐せよ! しかし、今回は駆逐よりも優先すべきことがある。それは団長を魔女の元まで送り届けることだ! 我々の全力をかけて、団長に道を切り開け!」


「おおおおおおおお!」


 騎士たちが雄叫びを上げる。それにつられるかのように木々がざわめいた。


「全隊、前進!」


 老騎士が右手に持った槍を掲げて叫ぶ。その槍には白き狼の紋様が刻まれていた。

騎士たちは勢い良く走り出し、白馬で走る老騎士を追い越して行く。彼らは小隊を更に分けた三人一組のチームを組み、魔獣の軍勢へ一直線に突き進んで行った。それを見た魔獣たちは各々に雄叫びを上げながら走り出す。やがて彼らは衝突し、乱戦になった。魔獣は剣に斬られ、槍に穿たれる。騎士たちは爪に引き裂かれ、牙に貫かれるが、三人一組に拘らず、周囲で援護をし合うことで多くの負傷者はいれど死者はいなかった。

 やがて連携をとることのない魔獣たちは騎士たちによって次々と駆逐されていく。

乱戦の中心にいた老騎士は自身の槍を天高く掲げ、大声で叫んだ。


「道を開けよ!」


「団長に、道を開けぇ!」


 老騎士の声を聞いた隊長が叫び、それを聞いた騎士たちが雄叫びを上げながら、魔獣たちを押し退けていく。まるで地が裂けているかのような轟音が響き、やがて老騎士の前に何者も阻むことのない綺麗な一本道を作り出す。

 その先にはただ一人、黄金の瞳を持つ漆黒の魔女が立っていた。

 魔女は「フン」と鼻を鳴らす。それに老騎士は不適に笑って答えた。


「ハッ!」


 老騎士が力強く手綱を叩き、白馬が声を上げて走り出した。開かれた道を魔女目掛けて一直線に走る。魔女は微動だにしないまま、老騎士を睨んでいた。

 やがて道を抜け、老騎士は夢幻の魔女の前に降り立つ。魔女は少々不服そうな顔をしていたが、その表情からは感情の高ぶりが滲み出ていた。


「この程度も一人で片付けられないとは老いたものね、ガキ」


 魔女が笑みを隠しながら言った。


「ハハハ! なに、俺の騎士たちを試したまで。この程度俺にかかれば造作もないさ」


 対して老騎士は隠すことなく笑って答える。


「さて、それはどうかしら? 人間はすぐに老いて朽ちてしまうもの。あんただって例外ではないでしょう、ガキジジイ?」


「俺がガキジジイならお前は何だ、ババア程度では足りないな? オオババ様とでも呼べばいいか?」


「ほざけ、この瑞々しい肌を見てどこにババアと呼ばれる要素があるのかしら?」


「ほうれい線が目立ってるぞ」


「えっウソ! そんなのないに決まってるでしょ!」


 そう言いながら魔女はそそくさと鏡を取り出し、自分の顔を確かめる。


「ほぉら見なさい、そんなものはないじゃない」


「この程度で焦る辺り、お前もその若さに徹しきれてはいないな。やはり三百年も生きていると魂までは若くなれんのだな」


「うるさいわね、老いぼれ。とっととその鈍らを構えて挑んできなさい。もっとも、シワシワのヨレヨレになってしまったあんたの槍では、ピチピチで美しい私には届かないでしょうけど」


「フン、言ってろ。容姿や歳ごときで油断していると痛い目を見るぞ、夢幻の」


 一瞬の静寂が訪れる。老騎士は槍を構え、魔女の目を睨んだ。魔女は構えることもせず、ただただ老騎士が動くのを待っている。

 瞬間、老騎士の身体が一瞬にして魔女の眼前まで詰め寄ってくる。目では追えても、魔女の身体はついてこない。

老騎士が凄まじい勢いの突きを放つ。魔女は避けることもできずに老騎士が握る槍に腹を貫かれた。衝撃で周りの空気が震える。


「「チッ」」


 魔女と老騎士が同時に舌打ちをする。老騎士は目にも止まらぬ速さで槍を引き抜くと、身体を翻して後ろを向き、再び構えた。対して槍を引き抜かれた魔女はその傷口から漆黒の煙を噴出し、霧散する。そして霧散した黒煙は老騎士の視線の先に集合し、その中から魔女が優雅に姿を現す。


「姑息な手を使うな、夢幻の。正々堂々己の身で戦え」


「分身とはいえ、私を一度殺しておいてそんなことを言う? あれが本物だったら、私死んでるのよ?」


「ぬかせ、あの程度ならどうとでもできただろう」


「そうね。だから分身を出すことで対処したのよ。何が卑怯かしら?」


「減らず口め」


「口で勝てないからってすぐ怒る。あんたは昔からそうよ」


 突然、地に映る魔女の影が揺らいだ。その影は棘のように尖り、老騎士目掛けて地を走る。そして老騎士の手前まで来ると、それは本物の黒い槍となって影から飛び出した。

 老騎士はそれを難なく槍で薙ぎ払う。


「甘いわね」


 魔女が不適に笑いながらそう一言漏らすと、薙ぎ払われた黒槍から更に別の槍が老騎士目掛けて飛び出した。


「むっ!」


老騎士は咄嗟に身を反らしてそれを躱すが完全には避けられず、胸部の鎧が抉り取られる。すんでのところで躱したその反動を利用し、伸びてきた影から数歩の距離を取った。。


「ほぅら、やっぱり鈍ってるじゃない。この一年で随分と老いぼれたものね」


「なに、少し油断しただけだ。この程度なら問題ない」


「強がっちゃって。そもそも油断なんてしていいのかしら? あんた、今日の戦いがどれだけ大切なものかわかってる?」


 魔女が少しだけ苛立ちを覚えた声色で言った。老騎士はほんの少しだけ、申し訳ない気持ちになったが、それを表に出すことはなかった。


「あぁ、もちろんだ。今日はお前との『契約の日』だからな」


「なんだ、覚えてるならいいわ。私は契約だけは破らない。老いぼれだからもう忘れちゃってるかもと不安だったけど、そこまでは老いていなかったようね。安心したわ」


「忘れるわけがないだろう。お互い、心のどこかではいずれこの日がくることは想像できていたのだからな」


 魔女はそっと目を伏せ、悲しい表情を見せた。しかし、それはすぐに魔女の顔からは消え失せる。魔女はしっかりと老騎士を見つめると、不適に笑って見せた。


「なら、もうこんな様子見は必要ないわね」


 老騎士もニッと笑う。


「その通りだ、夢幻の」


 老騎士は自身の着ていた鎧の留め具をひとつ外す。すると連動するかのように全ての鎧の留め具が外れた。外れた鎧たちは鈍い音を立てながら地面へと落下した。

 薄いシャツとズボンのみになった老騎士を見て、魔女が嘲笑するかのように言った。


「良いのかしら、ガキジジイ? それがなかったらさっきの一撃であなたの心臓はただではすまなかったわよ?」


「問題ない。正直、今の俺の身体にこの鎧は重過ぎるんだよ。そもそもこの鎧がなければ、さっきの攻撃も掠りさえしてないさ」


「言ったわね」


 魔女がニヤリと笑う。


「あぁ、言った」


 老騎士も笑って返す。


 再びしばしの静寂が訪れる。二人の周りでは今も魔獣と騎士たちの戦いが続いていたが、それらの音は一切届いてなどいなかった。


暗澹(あんたん)たる破滅の光よ」


 魔女が呟く。

 同時に老騎士が駆け出した。先ほどまでとは比べ物にならない速度で魔女の眼前にまで辿り着き、槍を大きく振り上げた。しかし、それを見ていた魔女はくるりと反転して老騎士に背を向ける。そして、誰もいない虚空を指差した。


「雷鳴と共に招来せよ」


 唱えた瞬間、虚空だったはずの場所に老騎士が現れた。老騎士は少し驚いた顔をした後、構えていた槍を天高く放り投げる。

 それと同時に天空から轟音が鳴り響き、黒い稲妻が落下する。しかしそれは、老騎士に辿り着く前に純白の槍と衝突し、爆音を立てて消滅した。残された槍は重力に引かれて落下し、魔女と老騎士の間を貫く。


「やるじゃないか」


「あの程度のフェイントが読めないとでも思ったの? あんたの行動なんて、この世のどんな占いよりも読みやすいわ」


 黒い雷が微量に帯電する槍を老騎士は素早く掴み、引き抜く。そして眼前にいる魔女の心臓目掛けて高速の突きを放った。槍を心臓に突き刺された魔女はニヤリと笑い、傷口から黒い霧を発生させる。そして、老騎士の背後にまるで浮かび上がるかのようにもう一人の魔女が現れ、甘い声で耳打ちをした。


「残念、そこは地獄の釜よ」


 老騎士の槍によって霧散した魔女は、漆黒の炎となって彼を取り囲む。やがてそれは炎の柱となり、完全に老騎士と背後の魔女を腹の中に閉じ込めてしまった。


「じゃ、あとはこんがり焼けるまで外で待ってるわね」


 魔女はそう言い残すと、臆することなく黒炎の渦へと入り、消えた。


「まったく、相変わらず悪趣味な奴だ。それにこの程度で俺を殺せるとも思っていないだろう。どうせまた外で何かを用意しているに違いない」


 溜め息を吐きながら老騎士はそう呟く。しかし、その口元は明らかに緩んでいた。


「さて、俺もそろそろやられてばかりではいられないな」


 老騎士は強く握った槍を渦とは逆回転で振り回す。槍は渦の中に新たな渦を発生させ、衝突させる。渦は槍の衝撃に耐えられず、まるで内側から破裂するかのように吹き飛んだ。それと同時に老騎士はそのまま回していた槍を思い切り投擲する。

 渦が吹き飛んだ瞬間、槍を持たない老騎士の眼前に宙を舞う黒く巨大な獅子の姿が映る。それは大きな爪を振り上げて、今まさに老騎士を引き裂かんとしていた。しかし、その爪は老騎士に届く寸前で停止する。「グ、ガ……」と苦しそうな声を上げると、獅子は力なく地面に落ちた。


「お前の行動なんて、この世のどんな賭けよりも当てやすいわ」


 そう言うと、老騎士は獅子の眉間を貫いている純白の槍を引き抜く。瞬間、その獅子の身体は黒い水となって地面へと溶け落ちた。


「チッ。反応速度は低下しているくせに、直感だけは相変わらずなのね」


「うるさい、反応速度だって鈍ってはいないわ」


「あぁそう。それじゃあ、あんたの傀儡とダンスでも踊ってもらおうかしら」


 魔女は「カツン」と地面を鳴らすと、影を円状に広げ、中から十人の黒い騎士を生み出した。


「あなたの自慢の騎士様たちをモデルにしたのよ。さて、勝てるかしら?」


 魔女の言葉が言い終わるよりも前に老騎士は駆け出す。そして一度に三人の影騎士を貫いた。更に突き刺さった彼らを持ち上げ、襲い来る別の影騎士へと投げ飛ばす。そのまま団子のように固まった彼らを跳躍して一気に貫き、地面と繋ぎ止めた。貫かれた影騎士たちは霧状になったが、鋭い突きの風圧ですぐに消え失せる。

槍を引き抜くとすぐに影騎士の一人が襲い掛かるが、老騎士は身体を捻って跳躍し、頭上からその影騎士を叩き潰した。


「残り五人」


 そう言いながら周りを見ると、その五人は老騎士を包囲していた。各々に剣を構え、一人が走り出すとそれを合図かのように他の四人も走り出す。老騎士は槍を腰に帯刀してある剣のように構え、五人が一定の距離に入った瞬間、一気に振り抜く。それは老騎士の力と遠心力によって、凄まじい衝撃を持って影騎士たちの首を刎ねた。

五人は首を断たれたことでピタリと停止する。老騎士は彼らの中心で霧散するのを待っていたが、なかなか消えないことに違和感を覚えた。

瞬間、残された身体から黒い槍が突き出して老騎士を襲いかかる。しかし、突き刺さるよりも少し早くそれを屈んで躱し、下から槍で突いてその全てを弾き飛ばした。弾かれて体制を崩した影騎士たちは、地面に辿り着く前に霧散する。


「俺の育てた騎士たちがこの程度だなんて笑わせてくれる。相変わらず不出来な召喚魔術ばかりよな」


「何を言ってるのかしら。これだけ何度も戦っておいて、まだ召喚魔術だなんて」


「当然だ。現実と区別のつかない幻影など、これは幻だと意識する方が面倒だ」


 老騎士の周りには獅子や影騎士の死体はない。ただ大きく鋭い爪と十本の剣が落ちているだけだった。夢幻の魔女は幻術に凶器を混ぜることで現実と幻の境界を少しでもわかりにくくしていたのだ。


「これは全部あんたの頭の中にあった騎士様たちだっていうのに。何なら、あんたの体力が尽きるまで好きなだけ夢を見せてあげられるわよ?」


「この程度の敵で俺の体力が尽きるとでも?」


「普通なら今までの流れで数十人は死んでるはずなのだけど」


「相手が俺だとそんなのは関係ないな」


「あんたも大概な減らず口よ」


 魔女と老騎士が同時に笑い、駆け出す。魔女はその手に剣状の黒き雷と黒炎を握り、自身の分身を三つ出現させる。老騎士は槍を構え、四方から襲い来るその全てを捌いて躱す。

そして、二人(四人と一人)の恐ろしいまでに早い剣戟が始まった。


老騎士と魔女が衝突するたびに発生する強力な衝撃に、彼らの援護に入ろうとしていた者たちは近付くことさえできない。それどころか、彼らの恐ろしくも美しい剣戟に全ての者が見惚れているほどであった。


「笑ってる……?」


 ある騎士が呟いた。

 衝撃の中で殺し合う二人の表情がその騎士には見えたのだ。


「あんな、死ぬかもしれない状況で団長も魔女も笑ってるのか……? それも、あんなに楽しそうに……」


 一瞬、周りにいた騎士たちに恐怖が湧き上がる。死を恐れない者ほど彼らに理解できないものはなかったからだ。戦とは命を懸けて行うものであるが、戦で死ぬことが美しいわけではない。死の恐怖は必ず纏わり付き、その者の剣や行動を鈍らせる。それでも死にたくないからと必死に剣を振るうのが戦だ。彼らは皆、死なぬために剣を振るうのだ。勝つためや守るためというのはその後からやってくる使命感に過ぎない。

 しかし、彼らの団長は笑っていた。この戦場において二百もの騎士を震え上がらせた最大の恐怖を前にして。ただただ心が強いだけとは彼らには到底思えなかった。



「楽しいな、夢幻の!」


 老騎士が槍を振るいながら叫ぶ。


「ハッ!」


「こんなお遊びの!」


「どこが!」


「楽しいんだか!」


 四人の魔女がそれぞれ口を開く。老騎士は器用なことをするな、と思いながら襲い来る彼女らを弾き返す。


「それにしては、どいつもこいつも笑っているぞ?」


 弾き返す瞬間、四人のどの魔女も口元が緩んでいたことを老騎士は見逃していなかった。

 魔女の動きが止まる。老騎士もその足を止めた。


「そうね。こんな子供だましのお遊びだけど、私とそれができるのはあんただけ。他の奴じゃあもう死んでるわ」


「それは同じことだ。どのような魔獣であろうと、これだけの剣戟を交わせば俺が負けることなどない」


「でも、今日は違うわ」


「あぁ、そうだな」


 魔女がそっと目を伏せる。それはまるでこの楽しみを噛みしめているかのようだった。


「夢幻の、名残惜しいか?」


「そんなわけないじゃない!」


 魔女はバッと顔を上げ、少し食い気味で答える。


「俺は名残惜しい」


「なっ……!」


「この素晴らしい好敵手と今日ここで別れなければならないというのは、本当に悲しいし名残惜しいんだ」


「あんた、何言ってんの? 契約は忘れてないって言っていたじゃない」


 動揺を隠し切れないまま、魔女はそう言う。老騎士は一歩魔女に近付き、少し悲しそうに笑った。


「あぁ、忘れてないさ。だからこそ、今日ここで終わるんだ。幾度と続いたこの戦も、俺とお前の契約も」


「そう、よね」


 魔女は再び目を伏せ、悲しそうな表情を見せた。しかし、すぐに顔を上げる。

 それを見た老騎士は、まるで忠誠を誓う騎士のように身体の前で槍を構え、声を上げた。


「契約! 我、白狼騎士団団長にして神狼槍の担い手は夢幻の魔女に誓う!」


「契約。我、夢幻の魔女は神狼槍の担い手に誓う」


 老騎士に続いて魔女も同じように言う。そして、同時に息を吸い込んだ。


「「百度目の戦いで、必ずお前を殺す!」」


 一切ずれることなく、二人はそう叫んだ。

 老騎士がニッと笑った。

 同じように魔女も笑う。

周りにいた騎士たちはこれが最後の一撃になると、本能で悟る。お互いの最大威力がぶつかり合うに違いないと判断できた彼らは、減った魔獣たちを蹴散らしながら急いでその場を離れ始めた。

 老騎士は槍を構え、目を閉じて精神を集中させる。

 魔女も両脇で木偶の棒となっていた分身を消し、自身の手を天空に向けて掲げる。


「白銀のたてがみを纏いし獅子の牙よ。今、その秘めたる光を解放し、世を包む暗黒の帳を討ち破らん!」


「暗黒に染まりし獄炎よ。生きとし生ける者全てを灰燼と帰し、繁栄の終焉をここに!」


 槍にある獅子の紋章が煌々と輝き、純白の光を放つ。それは螺旋を描いて槍の周りを包み込む。一方、魔女の頭上には墨のような黒い雲が渦巻き、彼女の手に燃える水となって流れ落ちていた。それは次第に城さえも飲み込んでしまいそうなほど大きな球体となり、魔女の手の上で放たれる時を静かに待っている。

 騎士も皆、森の中へと逃げていた。荒地に立っているのはもう老騎士と魔女と少数の魔獣だけだ。二人はお互いを睨み、少しだけ口元を緩める。

 先に動いたのは魔女だった。彼女は掲げた手をゆっくりと老騎士に向けて振り下ろす。同時に頭上で停止していた燃え盛る黒炎の球体が、老騎士目掛けて動き始めた。球体は轟音と共に地を抉りながら老騎士へ向かって走る。抉り取られた地面は、破片となって飛び散るのではなく、一瞬にして蒸発していた。

 老騎士は迫り来る巨大な球体に、逃げることも臆することもなく、雄叫びを上げながら駆け出す。突き出した槍の光を全身に浴び、やがて老騎士と槍は一筋の光となった。その光は迷うことなく黒炎の球体へと突撃する。そして、漆黒の炎の中へと飛び込んだ。やがて光は小さくなり、最後には見えなくなった。

 魔女は小さく溜め息を吐く。勝利からの安堵もあったが、それ以上に心の喪失感が大きかった。老騎士を飲み込んだ黒炎は行き場をなくし、荒地の端で森を巻き込みながら爆発を巻き起こす。その熱風は魔女の元まで届き、漆黒の髪とドレスを揺らす。

 遠くの木々がざわめき、森の中へ逃げた騎士たちの声が聞こえる。


 その時だった。


 黒い爆炎の中から、一筋の光が飛び出す。それは衰えることのない輝きを纏ったまま、高速で魔女の元まで駆けて来る。

 魔女は驚嘆し、目を細める。すでにあれに対抗するほどの魔力は残っていなかった。自身の敗北を理解すると、静かに目を閉じる。

 瞼の裏で光が大きくなるごとに、聞きなれた男の叫び声が近付く。それは今の魔女にとって、とても心地の良い響きだった。


「おおぉぉぉおおおおおおお!」


 一切の黒を寄せ付けない純白の光が魔女を貫く。そのまま光は魔女を城の城壁へと繋ぎ止めた。そのあまりの衝撃に魔女の右手と右腹部が吹き飛ぶ。

魔女はゆっくりと目を開く。凄まじいまでの光は消え、槍を握る老騎士の姿が映った。


「あぁ、かつてないほどの全力だったんだけどなぁ……。それこそ、あの森ごと消してやろうってぐらいに」


 口から鮮血を流しながら、魔女は言う。


「俺も全力だったさ」


「当然、でしょう……?」


 魔女は笑った。老騎士もニッと笑う。

 そして、魔女はまるで砂のような黒い灰となって、老騎士の足元に積もる。それは緩やかな風に流され、どこかへと散っていった。

ここまで読んでいただき、本当の本当にありがとうございます。

見切り発車な上筆の速度も遅いので、話が見えてこなかったり更新も遅かったりしますが、今後ともお付き合いいただけると幸いです。

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