第一章 後編
質素ながらも十分な量の温かい食事を久しぶりに堪能した冒険者たちは、食後の一杯を楽しんでいた。
この酒場兼宿屋と言う建物一階の酒場部分は、店の奥に大きなカウンターが設えてあって、更にその上は巨大な開放部――大窓となっていた。
これだけの高空にいれば常に強く冷たい風が吹いていそうだが、多少の空気の流れを感じるだけで突風が吹き込んでくる気配はない。風の流れを遮断する機構でもあるのだろうか。
「……」
魔術師の少女は入った時からそこにいて、食事中もずっと外を見ていた。
どうもこの少女だけこの冒険者集団の中で馴染めないらしい。他のメンバーもそれは理解しているらしく、積極的に声をかけようとはしない。
相変わらずバニー姿の女性は、その魔術師の少女を少し寂しげに見つめたあと、静かにコーヒーを飲むリーダーに話しかけた。
「ここへは何の目的で来たんですか?」
「ここへは『一つの書』の目的で来た」
リーダーは飲みかけのカップを置くとそれに応えた。
その「一つの書」という言葉に、一人の世界を築いてきた少女の肩がピクリと震えたのを女性は見逃さなかった。
「では『一つの書』の写本を取りに?」
「いや、原本そのものを拝借に来た」
「それは『一つの書』を奪取する――そういうことですか?」
「そういうことだ」
リーダーははっきりとした言葉で答えた。
「そうなると、この場所にある迷宮に降りていって最後の部屋で待つ迷宮支配者と戦わなければならないですよ?」
「覚悟の上だ」
リーダーの重苦しい言葉使いに、今まで談笑してた三人も会話を止めた。
「みなさんは冒険者なのですから、その力と技を活かして必要分の写本を取れるだけの金額を貯めたほうが良いのではないですか?」
女性が彼らの無謀とも言える挑戦に対して、もう一つの解決案を提示するが
「それは一国が配備する最新鋭戦艦をまるごと一隻買い取るのと同じぐらいの金を要求されると噂に聞いたが?」
「そうですね――それぐらいの料金を払わないと、図書館司書も了承できないでしょうね。でもそれの金額に準じたことは書いてあるみたいですよ」
一つの書。
それに目を通せた者は少ない。
しかし数少ない貴重な体験が出来た者たちはこう言う。
それは、全てのページが白紙であったと。
それは、全てのページがゴマ粒の様な極小の文字で隅から隅まで埋められていたと。
それは、全てのページが呪いの言葉で書き埋められていたと。
それは、全てのページが真っ黒に塗りつぶされていたと。
写本を取った者も実際に「一つの書」の原本を見ながら書き写しているはずなのだが、筆を進めるたびに記憶が曖昧になっていき、作業が終わり司書に本を返す段になると、一体自分がどのページのどの場所を書き写していたのか、全く思い出せなくなっているのだという。
ある者は言う。
「一つの書」とは、そのページを開いた者が必要としている言葉に文字を変える。
だからこの書を必要としていない者には白紙にしか見えず、必要な情報があまりにも多い者には極小の文字群となって現れる。だがそれを現実の事柄だとは誰も証明できない。
「一つの書」には「何か」が書かれている。
これだけが分かっている――事実。
「しかし金を払ったとしても、結局それは写本の許可が降りるだけだ。しかもそれでも一部のページが許可されるだけで、全部の写しが取れる訳じゃないんだろう?」
リーダーも「一つの書」の探索をしているだけあって色々と必要な情報は知っているらしい。
「そうですね。まるごと一冊写本を取りたかったら、小国の一つを全部売り渡すくらいの料金がいりますね」
それは既に現実的な話を飛び出して、もはや空想物語に入る領域。
「だったらもうその本自体を手に入れるかないじゃないか。俺たちにはそんな金を用意するなんて一生かかっても無理だ」
だからこその「奪取」という選択肢。そして「一つの書」の安置された迷宮は、その選択肢もちゃんとある。ただそれは「ある」と言うだけで、金銭で解決する以上に限りなく不可能に近いのは前述の通り。
「そしてここに集った俺たちは、その目的のために腕を磨いてきた」
リーダーが仲間一人一人の顔を見回しながら自信をもって言う。みんな目が合うと力強く頷く仕草を見せるが、魔術師の少女だけリーダーに見つめられても俯いたままだった。
「でもそうなると、まず迷宮に入る扉を開かないといけないですね」
その所信表明に対して、女性は違う方向から難題を投げてきた。
「鍵がいるのか?」
重要な迷宮はまず最初の入口が封鎖されている場合もある。この場所は「一つの書」と言う世界的にも最重要なアイテムの保管場所なのだから、まずはそれだけのガードがあってもおかしくない。
「えと……鍵の形をした短剣を持っている方はいますか?」
「鍵の形の短剣?」
「あんたが持ってるソードブレイカーのことじゃない?」
女戦士が盗賊に声をかける。
「これか?」
盗賊が腰の鞘から引き抜いた短剣――それは片刃の小刀で、刃の反対側は乱杭歯のような形状になっている。
「それですよ、迷宮の扉を開けられるキーダガーは」
「そうだったのかこれは!? ずっとソードブレイカーの一種だと思ってたぞ!?」
ソードブレイカーとは相手の剣をこの乱杭の歯(刃)の間に挟み、叩き折ってしまうという武器破壊アイテムなのだが、使いこなすにも高度な技術がいるので、所持している盗賊も奇妙な形の希少な短剣程度にしか思っていなかった。この乱杭歯の部分が鍵の役目をするらしい。
「もし持ってなかったらどうなってたんだ?」
たまたま盗賊があの短剣を手に入れていなかった場合のことを考えて背筋が寒くなったリーダーが訊いた。
「この酒場のあそこの隅に、宝箱がありますよね?」
女性が頭のうさぎ耳を揺らしながら、その方向を見た。
「あの中に入ってますよ、シーフさんが持ってる物と全く同じものが」
それはとんでもないくらいに重要な情報に違いない。しかしこの女性はそれを余りにも簡単に教えてくれた。
「さすがにここまでやってきて、解除に必要なアイテムが無かったからって探索のやり直しなんてあんまりにも可哀想なんで、一応こちらでも用意してあります」
「それもアンタが言う『わたしの友達の一人』ってヤツの言葉なのか?」
厳しいのか優しいのか女性の真意がいまいち良く判らないリーダーが、探るように訊いた。
「いえ、これはわたし自身の考えです。ここまでやって来れた人に対してのご褒美として用意してあるんです」
しかしそんな質問にも、女性は相変わらずのマイペースで答えた。
「あ、でも、あなた方はもうちゃんとそのアイテムは持っているのですから、そこにある分は持って行ってはダメですよ?」
「ああ、それは分かってる」
そして逆に念を押される。
「今の自分たちには必要ないのに重要な道具だからって持ち出したら、その後とんでもないくらいの災厄に見舞われるってのは……俺たちも経験があるからな」
宿屋と酒場を兼ねた建物から冒険者たちがゾロゾロと出てきた。
遂に目的の物が眠る最後の迷宮へと辿りついた。
後はそれの奪取のために最下層まで降りるのみ。
「それにしても最後までその格好で見送りまでしてもらってありがとうな」
五人の後に中から出てきた長身のバニーガールにリーダーが言う。その言葉に、他の冒険者からも苦笑が漏れた――魔法使い以外から。
「ここで見た光景が、あなた方が見た最後の地上の姿かも知れませんから出来るだけおもてなししようと思っているだけなので、別に平気ですよ」
しかし突入前の緊張感をほぐそうとしたリーダーの言葉を、女性は余りにも簡潔に切り払った。
「そ、そんな怖いこといわないでくれよ、バニーさん……」
「いえ――」
女性の瞳が揺らめく。
「――真実です」
それは涙か光の加減か、判らない。揺らめきと共に投げかけられた言葉。
「この迷宮に進むのも、ここから戻るのも、それはあなた方の自由です。自分に託された命を、どのように使うかも、あなた方の自由です」
乗ってきた飛行機械もここから飛び立つくらいはまだ可能だろう。だから今からでもここから逃げ出すのも選択肢として残っている。
「そして今のこの世界には、その自由があるんです」
女性は酒場の前に立って彼らが迷宮の中に消えていくのを見ていた。
「あの人たちは、どこまで行けますかね」
最後に魔術師の少女が入る時、こちらを見た。
あの瞳にはどんな意味が込められていたのだろう。
「……」
女性は空を見た。雲が紫がかってきている。もうすぐ夕暮れ。
彼らも今日は初突入になるので、そんなに長居はしないだろう。地下一階部分の入口付近のマップを作っただけで今日は引き上げてくるに違いない。
しかし本日の目的がたったそれだけだったとしても、生きて帰って来れるかは別の問題。
地下迷宮と呼ばれる場所に入ったらどんな場所だろうと死は覚悟しなければならない、必ず。
「ちゃんと帰って来れたらうちの宿屋によるのか、あの人たちの飛行機械に帰るのか」
黒き龍焔の飛行甲板前部で擱座する飛行艇を見ながら女性が言う。あの半壊した飛行機械もなんとかしないといけない。中の工場に降ろして修理ぐらいはしてやるか。ついでに陸上からも飛び立てるように脚も付けよう。
だが彼らが再びあの飛行機械を使うのならば、まずは生還しなければならない。
そして生還できて、自分の宿屋を選んだならちゃんと迎えてあげないと行けない。
「でもやっぱり――」
女性は自分の姿を見下ろしながらぽつりと呟いた。
「次からは着る衣装をサイコロで決めるのは辞めましょうかね」