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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者
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優施

 中原諸侯との間で講和がなった頃、しんでは、大きな変事が起きようとしていた。


 かつて、晋の献公けんこう驪姫りきを夫人に立てようとした際のことである。


 ぼく(亀の甲羅で行う占い)を行うと不吉と出て、ぜいめどき又は竹を使う占い)を行うと吉と出た。


 献公はその結果を見て、筮の結果に従うと言った。すると卜人(卜を行う人)が反対した。


「筮は短い期間のことを、亀は長い期間のことを占います。長い方に従うべきです。しかも卜の兆辞にはこう出ています。『寵愛は変事を生み、公の牡羊を盗む。香草と臭草を一緒にすると十年経っても臭いは残る』と出ております。筮に従うべきではありません」


 しかし、献公はこれを聞かず、驪姫を夫人にした。


 卜の兆辞にある『香草と臭草を一緒にすると十年経っても臭いは残る』の箇所だが、香草が驪姫を指すとしたら、臭草とは……


「もう、君の申生しんせいに対しての感情は不信感しかないわ」


 優施ゆうしに彼女は言った。


「そうですね。周りの者も申生から離れていますしね」


 彼は彼女の傍らに寄ると耳元で言う。


「申生を始末する時は来ました」


「そうですね……遂にこの時が来たのですね」


 彼女は笑った。






 翌日、驪姫は献公に言った。


「太子の陰謀はますます大きくなっています。私は以前、太子が大衆の心を掴もうとしていると言いました。大衆に利がないのに太子が狄に勝てるはずがないからです。しかも最近は、狄を破った功を誇り、ますます志を大きくしているとのことです。そのため狐突ことつは太子に従いたくないと思い、家にこもったとか。太子は信を守り、強を好むと聞いてます。彼は既に我が君の地位を奪うことを周囲の者に漏らしているため、後悔して中止したらとしても周りから責められます。約束を破れば、人々の不満を抑えることができません。故に周到な陰謀を巡らしています。早く手を打たなければ、近々禍難が訪れましょう」


「わかっている。もう私はあの者を太子とも息子とも思ってはない。お前との子を太子にする」


 この言葉を聞いて、彼女は歓喜した。これで申生を除き、我が子が太子となり、やがて国君となるだろう。


「しかし、罪を与える機会がない」


 だが、献公の続けた言葉を聞き、彼女は思わず、固まった。さっきまで、喜んでいたのに冷水を掛けられた気分である。


「なぜでしょうか?」


「やつからは狐突が離れたが、まだ里克りこくがついているのだ」


 里克もまた、狐突の同じく才のある者である。そのような者が申生を守っている。


「ならば彼が離れれば、よろしいのですね」


「そうだ」


 これを聞くと彼女は献公の元を離れ、優施に会いに行った。


「君が奚斉けいせいを立てることをお許しになりました。しかし、里克が邪魔になっています」


「そうですか」


 これを聞いて、彼は献公に呆れた。献公は戦に関しては決断力がある人だが、こういったことでは鈍さを見せる。


(私が君の立場ならば、さっさと殺してしまうのだがな)


 面倒な人である。彼が優柔不断のため、余計な策を弄しなければならない。


 彼はにっこりと笑い、言った。


「私が里克殿を宴に招きましょう。そうすれば一日で解決できることでございます。あなた様は特羊の饗(羊一頭を使った宴)を準備していただきたい。私が彼に酒を勧めて話をします。そこで、太子の状況と君の意思をお伝えしましょう」


「それで大丈夫でしょうか?」


 もし、里克が申生を命懸けで守る人であれば、怒りを買い、斬られはしないだろうか。


「大丈夫です。私は優(役者)なので、多少、度が過ぎたことを言ったとしても何ら問題はありませんよ」


 そう、彼は役者。人の前で様々な役を演じ、物語を見せる役者。このようなことは容易いことである。


 驪姫は同意し、宴を準備した。






 宴が始まり、里克の他にも多くの者たちが招かれている。そして、彼の傍らには妻もいる。


 優施は彼の元に行くと酒を進め、飲ませた。酒が回ってきた頃、立ち上がり、舞を披露しながら歌った。


主孟しゅもう(主とは大夫の妻という意味。孟は里克の妻のあざな)が私に酒を勧めてくれるならば、私は彼が平穏に君に仕える方法を教えましょう」


 里克はそれを聞き、思わず、眉を上げる。だが、酒が回っているためか判断力が鈍く。止めようとはしなかった。そのため彼は歌を続ける。


「安心して君に仕えたと思いながら、自らは近付くことができない。その智慧は鳥や烏にも劣るだろう。人はえん(草木が豊富な場所)に集まるのに、一人枯木の下にいる」


 彼はさっと酒が抜けていくことを感じながら、わざと笑って言う。


「苑とは何だ? 枯木とはどういうことかな?」


 優施は舞をやめて、彼に近づき言った。


「母が君の夫人となり、その子が国を継ぐというのは、草木や花が豊富な苑と同じです。母が既に死に、その子も誹謗されている。これは枯木と同じです。そして、枯れるだけでなく、もうすぐ伐り倒されようとしています」


 彼は最後に笑みを浮かべると拝礼し、退出した。


 里克は顔を青ざめ、酒も料理も断り、帰宅する。彼は帰宅すると床に入るが優施の言葉を思い出し、眠れなかった。


 夜半、彼は優施を家に招いた。


「先ほどの宴での発言は冗談か? それともそのような噂を聞いたのか?」


 優施に向かって言った。


 彼は思った通りの展開になったためにほくそ笑みながら言った。


「冗談ではありません。君は既に驪姫が太子を殺して奚斉を立てることに同意しました。その謀は既にできています」


 里克は手で顔を覆った。もはや、申生は殺され、他の公子も害される。晋はこれからどうなるのか。それでも申生を庇うわけにはいかない。


(私は国に仕えているのだ。国の意思に従うしかない)


 国の意思とは国君の意思である。それでも申生を殺したくないのが、本音である。だが……


「君命を奉じて太子を殺害することは、私には忍びない。しかし今まで通り太子と接することも、私にはできない。中立であれば禍から逃れられるのだろうか?」


 国に仕えるというのは、そういう本音を押し殺さなければならない。


「ええ、逃れることができますよ」


 優施の笑顔で言った。その笑顔を見て、里克は己が汚れたと思った。









 翌朝、里克は宮中に趣き、丕鄭ひていに会った。


史蘇しそ殿の予言がもうすぐ本当になる。国君のお心が決まり、奚斉を太子に立てようとしている。優施が私に言ったのだ」


「あなたは何と返したのですか?」


「私は……中立でいると言った」


「惜しいことです。彼の話を聞いた時、信用できないと相手にしなければ、謀を遅らせ、太子の周囲を強化し、方法を考えて彼等の意志を変えることもできたでしょう。彼等の意志が弱くなれば、離間させることで彼等の間を切り離すこともできたはずです。しかしあなたが中立と答えたために彼等の意志は固まってしまった。謀が完成すれば離間も難しくなります」


「すでに言ってしまったことはどうしようもないのだ。そもそも君の心は決まっている。それを変えることはできない。それであるのに汝はどうするつもりだ?」


 確かに彼の言う通りにすれば、良かったかもしれない。しかし、これは献公の意思でもあるのだ。


「私の心は無心です。私は国君に仕える身ですので、国君の心が我の心です。決定権は私にはありません」


「国君を殺し、太子を守る行為は廉(実直)である。しかし廉によって驕り、驕りによって人の家を制するようなことは私にはできない。自分の意志を曲げて国君に仕え、太子を廃すことで自分の利するのも利のために他者が太子に立つのを手助けするのも、私にはできない。狐突のように隠退するしかない」


 彼は翌日から、屋敷に篭った。






「これで、もう心配はありませんね」


「ええ、これで後は最後の仕上げをするだけです」


 優施は驪姫にそう言って、笑った。


 彼の言う、最後の仕上げにより、晋は一気に動乱へと巻き込まれていくことになる。

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