中原諸侯と楚の対立
九月、斉の桓公、宋の桓公は江、黄と会盟をした。江と黄は元々、楚に従っていたがこれにより、斉に従うようになった。
それを実現させたのは、管仲であろう。
彼がそのようにしたのは、楚が中原にまで勢力を伸ばしていたため、牽制の意味合いがあるだろう。それだけ楚の勢力が中原諸侯にとって、驚異となっている。
つまり、出る釘は打たなければならないのである。
晋に攻められていた虢は、桑田で戎を破った。
「虢は我が国に負けたのではないのか?」
重耳はそれを知り、狐偃に訪ねた。
「恐らく、虢は武を示すことで己の国の動揺を収めようとしているのでしょう)
「国とは、武で治まるものなのか?」
「武も重要ですが、何よりも徳を示すことこそが肝心であり、武をだけでは治めることなどできません)
すろと、ふらっと郭偃が現れた。
「あ、先生。先生は此度の虢のことをどう思いますか?」
彼は重耳をちらりと横目で見ると、言った。
「虢は必ず亡ぶだろう。下陽を失ったのに恐れず、逆に武功を立てた。これは天が虢から鏡を奪い、その過ちを見えないようにして禍を増そうとしているのだ。鏡を失った虢は晋を軽視し、ますます民を憐れまなくなることになっていくだろう。五年ももたすことはできないだろうな」
彼はそのように言うとその場を離れた。
「虢が滅ぶのか……」
虢といえば、周王朝で卿を努めてきた高貴な国であったはず、そんな国でも滅びの時が来る。
(ならば、我が国も同様にいつ滅びの時が来るのかわからない)
滅びの無いものは無い。それがこの世の摂理である。違いがあるとしたら、それが早いか襲いかである。
「我々は、逆に虢を鏡として、見なくてはならないのでしょうな」
狐毛がそのように言った。
「そうだな。狐毛の言う通りだ。君の言葉は素晴らしい」
重耳は彼の言葉をそのように褒めた。
冬、楚は鄭に侵攻した。
鄭の文公は楚に対抗するため聃伯に兵を与え、守備を命じた。
かつて、鄭の兵は天下一の力を有していた。しかし、それは荘公の頃の話しであり、その後、代を重ねる事にその力は衰えていった。まだ、先君の厲公の頃は彼の戦における才覚があったこともあり、それは表向きには見えてはいなかった。
しかし、鄭の兵が衰えていることはもはや、明らかである。
聃伯が率いた軍は楚の大夫・闘章率いる軍に大敗し、彼に聃伯は捕らえられた。
鄭の敗北は斉に伝えられた。それにより斉の桓公は管仲を呼んだ。
「鄭が破れたか」
「ええ、これで楚の鄭への侵攻は益々激しくなりましょう」
「そうか……」
斉の桓公はそう言うと、椅子に座り肘をつけながら悩んだ。
「如何にする?」
「一先ず、江と黄、そして、楚と近い宋、魯との会盟を深め、楚を牽制すべきです」
「そうか……手はずは頼む」
「御意。鮑叔と共に会盟の場を設けます」
斉の桓公は頷いた。
管仲は桓公の部屋から出ると鮑叔に会い話し合った。
「君には、江と黄に行ってもらいたい」
「承知した。会盟の日付と場はどこにする」
「来年の秋、場所は陽穀が良かろう」
「承知した。では、行ってくる」
鮑叔は江と黄に出向き、管仲は宋と魯に会盟について伝えた。
紀元前657年
秋、斉の桓公、宋の桓公、江、黄は楚に対抗するために陽穀で会盟を行った。
「魯はどうしたのだ」
苛立ちを表わにしながら、斉の桓公は使者を出すように命じた。
魯がその使者に答えて、斉に季友を送ってきたのは、冬に入ってからである。
「貴国には以前より、会盟について伝えていたはず、何故来なかったのか?」
「我が国は昨年の十月より、雨が降らず、降ったのは今年の六月のことです。それによる被害が出ていたので出向くことができなかったのです」
斉の桓公は事実かと問いかけるように管仲を見た。彼は事実であるため頷いた。それを見て、桓公は舌打ちした。
管仲は季友を見るが、彼は何の表情も浮かんでない。
(確かに雨が降らなかったのは事実だが、魯に被害が出てないはずだ)
魯の僖公の元、魯はまとまり、善政を敷いている。そのため、雨が降らなかったにも関わらず、被害をもたらしてはいなかった。
(食えない男だ)
季友を見ながら、彼は思った。しかし、魯のことを桓公にいうつもりはなかった。魯との関係を悪化することを望んではいなかったためである。
彼は桓公に魯と改めて会盟を行うことを進言し、桓公は同意し季友と会盟を行った。
一方、楚に敗北した鄭は再び、楚に攻め込まれ、文公は楚を恐れに恐れていた。
「楚と講和しよう」
文公はそのようなことを言い出した。それを孔叔が諌めた。
「斉が我が国のため、尽力しています。それにも関わらず、その恩徳を棄てるのは不祥です」
そのように文公を説得する。文公も同意したが、鄭はまたもや楚に大敗した。
ままならない。思いを抱えながら、斉の桓公はある日、夫人の一人である蔡姫と舟遊びをした。
その時、一緒に船に乗った際、蔡姫は船を大きく揺らせた。その揺れ方に桓公は恐れ、顔色を変えた。その反応が面白かったのか、彼女は更に大きく、船をぐらり、ぐらりと揺らす。彼は更に驚き、恐れ、やめるよう彼女に言う。しかし、彼女は面白がって、止めようとしない。
遂に怒りが頂点に達した彼は彼女を怒鳴り、国に返してしまった。
娘が帰ってきたことを知り、また、その理由を聞かされ、怒った蔡の穆公は彼女を別の男の元に嫁がせたのである。
そのことを知った桓公は更に激怒した。彼は別に離縁したつもりはないのである。それにも関わらず、離縁させるとはどういうことなのか。
彼は魯、鄭、宋、衛、陳、許、曹に使者を出し、蔡に侵攻することを宣言し、軍を南下させた。