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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第三章 天下の主宰者
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衛の滅亡

 白い雪が舞うこの季節、その雪のような白い色をした鳥である鶴をこよなく愛した男がいる。その男の名をえい懿公いこうという。


 ただ動物を愛するならば何の問題もないが彼の場合は度が過ぎていた。なんと鶴に官位と俸禄、大夫の車を与える始末だったのである。


 更に彼は淫乱奢侈な性格も相まって、衛の人々は彼を嫌っていた。


 十二月、そのような状況の衛にてきが攻め込んできた。


 これに対抗するために懿公は人々に武器や甲冑を配った。これらを受け取った人々は言った。


「戦わせるならば鶴に戦わせろ。鶴には官位も俸禄も与えているではないか。それにも関わらず、主公から何も与えられてない私たちが戦えるわけないだろう」


 人々は口々に不満を述べ、戦う前から武器を手放し脱走する者も多かった。国の危機を前にしてもこのような事態が起こっているのは異常としか言うしかない。


 懿公はけつ石祁子せききしに与え、甯速ねいそくこと甯荘子ねいそうしに矢を与えて彼らに言った。


「これらを使って国を救え。国の利となることを選んで決定せよ」


 彼らに衛都の守備を命じた。因みに玦は決定権を、矢は指揮権を表す。


 また、夫人たちには繍衣を与えて言った。


「二子(石祁子・甯荘子)の指示に従え」


 彼はそのようにしてから、自ら兵を率いて出陣した。渠孔きょこうが懿公の戎車を御し、子伯しはくが車右となり、黄夷こういが先鋒を、孔嬰斉こうえいせいが殿(後軍)を努めた。






 衛軍は狄軍と熒沢さいたくの地で戦った。


 衛軍は懿公への反感が大きく、士気が低かった。そのため強力な兵を持っている狄を前に衛軍は散々に破れた。


 最初に黄夷が死に、弘演こうえんが懿公に進言した。


「この戦、もはや勝ち目はございません。旗を隠し、退却すべきです」


「蛮族を相手に引いてたまるか。旗を隠すなどもっぱらだ」


 されどこの進言を聞き入れず、戦闘を継続した。自分の旗を隠そうとしなかったため、狄に居場所がわかってしまい。徹底的に狙われてしまった。


 渠孔と子伯は懿公を庇い死に、孔嬰斉は彼を逃がすため奮闘するものの戦死した。


 衛軍はもはや軍の形を保ってはいなかったが狄は執拗に追撃をかける。彼らを前に弘演は最後の最後まで奮闘する。その姿は敵ながらも天晴れと讃えられ彼に対し、降伏するように伝えた。


「蛮族などに膝を屈することはない」


「私たちも知っている。何故お前のような者を愛することなく。鶴などを愛する者のために死のうとする」


「臣たる者は忠を尽くすことのみを考えるのみである。死など恐れないのだ」


「敵ながら天晴れである」


 そう言って彼らは彼に襲いかかると彼は奮闘し死んだ。その後、懿公は殺された。


 彼は肝臓以外を人に食われたと言われている。中国史上唯一、人に食われた人君とされている。このような名の残り方は嫌なものである。






 狄は軍に従軍していた太史・華龍滑かりゅうかつ礼孔れいこうを捕えた。二人は彼らに言った。


「我々は太史であり、祭祀を掌っています。我々が先に帰らなければ国を得ることはできません。我らを開放していただけませんか?」


 狄は二人を開放させ帰らせた。


 二人は急いで城下に至ると城に入ると石祁子と甯荘子に会って、伝えた。


「主公は殺され、軍も壊滅した。とても対抗できる相手ではない。急いで国を脱出するべきです」


 彼らの言葉に頷いた二人は夜、指揮を取り、国人と共に城から出て逃走した。


 しばらくして狄兵が衛都に入ると、城内がもぬけの空だったため、騙されたことに気づき、逃走する衛の人々を追撃した。衛の人々は黄河北岸で再び敗れた。それでも彼らは必死に逃げた。


 彼らの中には公子・しんと公子・がいた。彼らの父は昭伯しょうはくといい、急子きゅうしの同母弟である。また、母は宣姜せんきょうである。ここで何故宣姜の名が出てくると思う方もいるだろう。


 実は宣公せんこうの死後、斉人は昭伯と宣姜を姦通させた。昭伯は嫌がって、斉の要求を断ったが強制されて宣姜と関係を結ぶことになり、五人の子が産まれた。


 昭伯はもう世を去っているが、彼らの息子は知恵が回る人物である。


「多くの者が傷ついていますね」


「このままでは衛は完全は滅んでしまう」


 咳き込みながら公子・申が言う。


「兄上、大丈夫ですか?」


「大丈夫だ」


「宋は私たちを受け入れてくれますかね?」


 衛の公子たちは宋を目指していた。宋の桓公の夫人は彼らの姉である。そのつながりを頼って宋に向かっているのである。


「宋君は受け入れてくれるだろう。だが、衛を再興する力はない」


 彼はそう言って、弟の目を見ると言った。


「弟よ。頼みがある。斉に行ってはもらえないか」


「斉にですか?」


「斉ならば我が国を再興させる力を持っている。斉の力を借りるべきだ」


「兄と民から離れるわけにはいきません」


「斉には姉上が斉君に嫁いでいる。きっと斉君は手助けしてくれるはずだ」


「しかし……」


 彼は弟の肩を掴む。


「もしかしたら狄に追いつかれ、私たちは殺されるかもしれない。そうなれば衛の血は絶えてしまう。それを防ぐためにもお前には斉に行ってもらいたいのだ」


「わかりました。斉に行きます」


 公子・燬は斉に向かった。






 宋の桓公かんこうが黄河沿岸で衛の遺民を迎え入れる。男女七百三十人と共邑・滕邑(どちらも衛の邑)の民五千人が宋軍に守られ、曹国に入れた。


 昭伯は衛の人々に慕われていたが既に死んでいたため、衛の人々は公子・申を国君に立てた。これを戴公たいこうという。


 一方、公子・燬は斉の桓公かんこうに衛を助けてもらいたいと願っていた。桓公は燬の姉が夫人であるが正直、衛の滅亡は自業自得としか思っていた。


 しかし、懿公が死ぬ時、弘演が最後まで従っていたことを彼はそれを聞いて感嘆し、言った。


「衛の滅亡は無道が原因である。しかしそのような臣がいたのなら、衛を存続させなければならない」


 桓公は公子・無虧むき長衛姫ちょうえいきの子)に車三百乗、甲士三千人を指揮させ、曹の守備を命じ、即位したばかりの戴公に馬や祭服五着、牛・羊・豕(豚)・鶏・狗それぞれ三百および門材(門を造る材木)を贈り、戴公夫人には魚軒(魚の皮で装飾した車)と上質の錦三十両を贈った。






 狄が黄河の北に位置する衛を滅ぼしたため、黄河の南に位置する鄭は守備の兵を出すことにした。鄭の文公ぶんこうは大夫・高克こうこくを嫌っていたため、彼に軍を率いさせ、黄河沿岸に駐軍させた。しん邑の民が動員された。


 ところが文公は彼に命令を出さず、退き返させようともしなかった。長い間放置され、兵達の不満が溜まり、ついに離散して軍は壊滅し、高克も陳に奔った。鄭の人々は文公を謗った。


 即位したばかりの戴公が死んだ。いつ崩壊してもおかしくなかった衛の人々をまとめた人物である。彼が長生きしていれば名君と讃えられたかもしれない。惜しいことである。


 彼は後継者に弟の燬を選び、立てさせた。これを衛の文公ぶんこうと言う。


 彼は粗末な衣冠を身につけ、農業の生産力を高めることに力を入れ、商業による流通を盛んにさせ、工業を優待し、教化を重視して学問を普及させた。


 衛の文公自身も官員任免の方法を学び、能力がある人材を登用していき、文公元年には斉桓公から贈られた革車(戦車)が三十乗しかなかったが、末年(在位二十五年)には三百乗を擁するほど国力を回復させたという。



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