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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第三章 天下の主宰者
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国を守るものは

 紀元前661年


 長き冬が終わり草木は生える春、けいは狄が率いる騎馬に蹂躙されていた。


 邢公は彼らの侵攻に堪らず、せいに救援を求めた。


「狄に侵攻されております。救援を求めます」


 管仲かんちゅうが斉の桓公かんこうに進言する。


「戎狄は豺狼のように貪欲でございます。我らは中原諸国にとって盟主ですので無視できません。平和に慣れる事はは毒と同じことであり、そこに留まってはなりません。『詩』にこうあります。『帰りたくないはずがないのだ。ただ恐れるのはこの簡書である』簡書(危急を告げる軍事における文書のこと)を発した国も受け取った国も共に同じ敵を憎み、互いに助け合うものです。故に邢からの簡書に従い、邢を援けるべきです」


 彼の進言に頷いた桓公は軍を邢に派遣し、狄を破る。邢公は斉に感謝を述べた。






 このように斉は諸侯の盟主として、しゅう王朝の代わりに諸国の問題を解決していく。


「次はであるな」


 魯は前年、政変が起こっており、魯の荘公そうこうの埋葬さえ遅れる始末である。


 八月、桓公は落姑らくこで魯の閔公びんこうと会盟を行った。桓公としては魯の主が誰になるかという問題よりも、魯が新たな主の元、纏まっているのかということに興味がある。


 閔公は若い。まだ、幼少と言うべき年である。


(若いな……実質魯を治めているのはこの男か)


 彼は閔公の傍らに控えている慶父けいほを見た。


(確か、以前の戦で隰朋しゅうほうにまんまと釣られて我が軍に負けた男であったな)


 この程度の男が魯の政治を担っている。これでは魯は荒れると桓公は思った。


「斉君にお願いがあります」


 慶父ではなく、閔公が彼に向かって発言した。


「なんですかな」


 そう言った後にすぐさま彼は慶父を見た。慶父は閔公が言葉を発したのを見て驚いている。


(ほう、これは魯君。自らの意思であるか)


 意外であった。閔公は傀儡に過ぎないと思っていたからである。


「実は我が国の季友きゆうが陳に亡命しております。斉君のお力で呼び戻してはいただけないでしょうか?」


 閔公の言葉に傍らの慶父は顔を歪めた。季友は慶父にとって政敵である。そんな彼に戻ってきては困るというのが彼の心情だろう。


「良いでしょう、私から陳に使者を出してみましょう」


 桓公は彼の願いを聞き入れ、陳に使者を出し、季友に魯に戻るよう通告した。


「君が私に戻るよう斉君に願ったか……真か罠か」


 季友が書簡を持ちながら、呟くと傍らにいる彼の妾となった成風せいふうが言った。


「罠では無いでしょう。あなたが戻ることを慶父が願うはずありませんから」


「確かにそうだが……」


 だからとて魯に戻れば、慶父が黙ってはいないだろう。


 彼女とて、この展開は予想していなかった。だが彼女は逆に考えた。


「斉君が直々に魯に戻させるのです。下手に私たちを害そうとすれば斉君の機嫌を損ねましょう。あの者にそのような度胸はございません」


「なるほど、その通りだ」


 季友は使者の申せに答え、魯に戻ることにした。


 ろうの地に行くと閔公自ら、彼を待っていた。


(若君はこのような方か)


 季友は少し感動した。魯はもしかすれば良君を得られるかもしれない。しかし、彼の代わりに政を行っているのは慶父なのである。


 彼は魯君が良君であることを望んでおらず、己が主となりたいとまで思っている。閔公という若い良君の器を持っている方の悲しさはそのような男が政治の実権を握っていることである。


 だからとて、閔公を助けるほど季友は彼に対し、忠誠心は無い。


 魯に入った季友に成風が囁いた。


臧孫辰ぞうそんしん様にご挨拶しに参りましょう」


 季友は何故とは問いかけない。それだけ彼は彼女の見識を信じている。


「臧孫辰殿。あなた様のおかげで帰国が叶いました」


「はて? 何のことでしょうかな」


 彼の言葉に対し、臧孫辰がとぼけた。


「主公に私の帰国のことを言ったのはあなた様でしょう」


 今、魯の実権は閔公を立てた慶父が持っている。また、哀姜あいきょうとも通じている。しかし、魯の信望をもっとも得ているのは臧孫辰なのだ。ならば何故、彼は慶父が子般しはんを殺害しても彼と敵対しないのか? 


 彼は魯の外交を担っている。特に斉との関係を重視している。そのことを踏まえると哀姜の妹が産んだ子が君となっているのは斉との関係を重視する上では有効である。そう考えたからであろう。


 しかし、慶父は己が魯の主になろうと考えている。その行き過ぎた野心がもし、閔公殺害という行為に出るようであれば、彼は慶父を認めないだろう。そのため彼は季友を戻すよう閔公に密かに進言したのではないのか。


「私は魯がより良い国になれば良いと思っている」


 臧孫辰を前にして、季友は冷や汗をかいた。


「君がもし、公子・しんを立てたいと思えば私は何もせんよ。だが……」


 季友の目をじっと見つめる。


「無用な野心を持たなければの話しだがね」


 思わず季友は喉を鳴らす。


(これが魯の重責を担っていた男か)


「承知しております」


 この男には敵わない。そう思いながら彼は拝礼する。






 冬、斉の大夫・仲孫湫ちゅうそんしゅうを友好を深める使者として桓公は魯に派遣した。


 実際のところは彼は魯の政変による状況を見るための使者である。


 彼が斉に戻るとこう報告した。


「慶父を除かなければ魯の混乱は静まらないでしょう」


「どうすれば慶父を除けるだろうか?」


「あえて除かなくとも混乱が収束する前に自滅します」


「魯は占領できるだろうか?」


 桓公は今の魯は更に国が乱れると思っている。そうなれば自国が介入し、占領できるのではないだろうか。


「できません。彼らはまだ周の礼を守っています。周の礼は国の根本です。『国が亡びる時はまず根本が先ず覆り、枝葉がそれに従い枯れる』と言います。魯が周礼を棄てぬ限りは揺るぎません。主はどうか魯の安定に協力し、親しまれることを。礼のある国と親しくし、安定している国に頼り、内部が離心している国を分裂させ、混乱している国を滅ぼす、これが覇道でございます」


「ふむ、左様か、わかった」


 こうして、礼を失わずにいるために斉に介入させなかった魯だが、未だ混乱は静まっていなかった。


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