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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第三章 天下の主宰者
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虎に育てられた男

 紀元前665年


 夏、鄭が許に侵攻した。許が楚に従っていたためである。楚が中原にまで侵攻したためこのように楚に近い小国は楚に従うようになっており、中原諸侯と楚に従う諸侯との争いの様相を見せ始めていた。


 冬、周の大夫・樊皮はんぴが周の恵王けいおうに叛旗を翻した。彼が何故、そのようなことを行ったのかはわからないが、かつて周が鄭に土地を渡した時に、その中に樊の地があったためかもしれない。


 翌年、紀元前664年の春、恵王は虢公かくこうに樊皮討伐を命じた。


 夏、樊皮は虢公に捕らえられてから、恵王の元に送られ、処刑された。


 その頃、楚の子元しげんの横暴が度を越え始めていた。そのことを成王せいおう息嬀そくぎに報告すると彼女は彼に言った。


「もうよろしいでしょう。処罰なさい」


「如何なる者に任せればよろしいでしょうか」


「申公・闘班とうはんに任せればよろしいでしょう。彼は何事も即なくこなします。そのため信頼できる方です」


 母の申せに従い、彼は闘班に子元を始末するよう命じた。


 秋、闘班は子元が移動している最中にこれを襲い殺した。


 子元の後の令尹には闘穀とうこく於菟おとこと子文しぶんを任命した。成王が用いたいと考えていた人物である。


 子文には逸話がある。


 彼の父は闘伯比とうはくひで、母は鄖公うんこうの娘である。この二人は身分が離れていたが愛し合い密通したことで生まれたのが彼であった。このことを世間に知られることを恐れた娘はまだ赤ん坊である彼を林の中に捨てた。


 本来、このように捨てられることは口減らしのために少なくはなく、捨てられた赤ん坊が生き残ることはない。しかし、彼が林で泣き叫んでいると虎が現れたのである。


 普通であれば彼はその虎の餌になるはずだった。その虎はそのようなことをせず、なんと彼に乳を与え始めたのである。また、それは一回だけの気まぐれではなく、何度も与えた。そのため彼は生きることができた。不思議なことである。


 こうして彼は虎に育てられ、林を駆け巡り、すくすくと成長した。時が経ち、ある日、鄖公が狩りに出た。その狩りの最中、彼は子供が虎と暮らしている姿を見つけた。


「不思議なことである。虎が人を育てている」


 この時代、不思議なことと神秘的なことがとても信じられていた時代である。この不思議な光景に鄖公は驚き、そして、虎に育てられている彼を屋敷に連れ帰った。


 屋敷にいた娘は驚いた。あの日捨てて、死んでいるはずの自分の子供が突然現れたのである。驚くなというほうが無理があるだろう。彼女は涙を流しながら言った。


「私は父上に謝らなければならないことがあります。この子は私が不義を犯して生まれた子でございます」


「なんだと」


 次に驚いたのは鄖公である。まさか虎に育てられた子供を拾ってきたら、自分の孫であり。問い詰めてみれば闘伯比との間に生まれたという。


(さて、どうするか)


 彼は子供の扱いに困った。しかし、


(虎に育てられるという不思議なこの子供は後に何かしらの大業を成すのではないのではないのか)


「娘よ。此度の不義は見逃そう。今度こそ、この子を立派に育てなさい」


「はい、父上。感謝致します」


 彼女は子供を抱き寄せると泣いた。


 この子供の存在は闘伯比にも知らされ、子供は認知され、礼儀作法や文字など様々な教育を受けた。虎に育てられたというわりに、彼は教えられたことをどんどん吸収していき、しっかりと身に付けていった。


 このように、身につけた知恵を元に彼は官に任命され、真面目に取り込み、実績を上げていった。その様子と虎に育てられたという不思議な過去が名声となり、ついには成王の目に止まった。


 こうして彼はこの年、令尹に任命されたのである。


 彼は令尹に任命されてから、己の私財を投じることで楚の財政を立て直し、清廉潔白を旨として、政治を行った。そんな彼に報いようと俸禄を増やそうとしたが彼はそれを断った。


 それでも何とか成王が俸禄を増やそうとするとそのたび彼はなんと官位を返上し下野してしまう。慌てて、それを取り消すと戻ってきた。しかし、私財を投じる彼の家は貧しくなり、食いつなぐことが難しくなる日があることも珍しくなかった。


 それを憂いた成王は彼が登朝するたびに肉の干物一束と朝飯一籠を贈った。この習慣は後の歴代の令尹にも受け継がれていくようになったという。


 そんな子文が令尹として、その手腕を振るい。楚は益々発展していく。そのため彼は楚の累代の令尹の中でも屈指の人物であると讃えられることになる。


 ある日、いつものように登朝するため、馬車に乗って向かっていく途中、林の近くを通った。かつて自分が捨てられ虎に育てられた地であった。


 彼は馬車を止めると馬車を降りて、林に向かって拝礼した。その後、馬車に戻り走らせると林の中から虎の雄叫びが聞こえてきた。


 まるで、楚の令尹として活躍する彼を誇るような声であった。



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