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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第三章 天下の主宰者
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斉の桓公

 紀元前667年


 六月、斉の桓公かんこうが魯の荘公そうこう、宋の桓公かんこう、陳の宣公せんこう、鄭の文公ぶんこうと幽で会盟を行った。


 ここで注目ずべきは鄭がこの会盟に参加していることである。鄭は斉と対立していた。そんな鄭が斉に対しての態度を軟化させた理由は二つある。


 一つは、鄭が代替わりしたこと。斉に対抗心を燃やしていたのは文公の父の厲公れいこうであり、父に比べて彼はそれほど対抗心はなく、強大な力を持つ斉に外交的に考えても従うべきだろうと考えたため。


 二つ目は、周への反感がある。鄭は周の恵王けいおうにあれだけ力を貸したのにそれを無碍に扱われたため彼は周への反感を持ったのである。そのため斉に近づいた。


 秋、魯の公子・季友きゆうが陳に行き、陳の大夫・原仲げんちゅうの葬儀に出席した。彼とは以前、陳に使者として行った際に友好を深め、友人であった。しかし、このような君命ではなく、私用で国境を越えたこの行為は非難された。


 冬、斉の桓公は魯の荘公と城濮の地で会盟した。


 晋の献公けんこうは前年(かく)に攻められたために虢を攻めようとした。そんな彼を士蔿しいが諫言する。


「虢公は傲慢なので度々我が国に勝利すれば驕り、民を顧みなくなります。民がいなければ我々が攻めた時、防ごうとしても従う者はいません。礼・楽・慈・愛が戦の前に必要です。民は謙譲、和睦、親族への愛情、葬事での哀痛があって始めて兵として用いることができます。虢はこれらを軽視していますので、今のように戦を繰り返せば自ずと民心を失います。こちらから攻める必要はありません」


 人の心理というものは良い事が続けば、調子に乗るものである。勝利という小さな利益を与え、虢公を満足させればいい。そうすれば自ずと傲慢になり、攻め込む隙が生まれる。謀に長けた士蔿だからこそ言えることである。


 彼の意見を献公は聞き入れた。


 斉に周の卿士の召伯・りょうが王命を携えやって来た。


 斉は名実共に超大国である。管仲かんちゅうによる政治改革、軍制改革が実を結び始めていたのである。そして、斉の桓公もその大国の主に相応しい徳を得て、人材を集め、民を慈しんできた。


 ここで斉の桓公の逸話を話す。


 彼は良く管仲のことをこう言っていた。


「私に仲父(管仲のこと)がいるのは、鳳凰が翼を持っているようなものであり、大きな川で舟があるようなものである。仲父の教えが一言も無ければ、私に耳があろうとも治世の道を聞いて法度を得ることなかっただろう」


 彼は管仲の意見をとても大切にし、聞くようにしていた。ある日、管仲が意見を述べた。


「主公が覇業の大業を成したいとお考えなら、本(根本)を疎かにしてはなりません」


 彼は席から下りて拱手の礼をしてから管仲に問いた。


「本とは何だろうか」


「我が斉の百姓は主公の本というもの。民は飢えを心配するもの、されど今の税は重すぎです。民は死を恐れるもの、されど今の刑罰は重すぎです。民は労働を嫌うもの、されど今は国の事業に期限を設けていません。税を軽くすることで民は飢えを心配しなくなり、刑を軽くすることで民は死を恐れなくなり、事を起こすのに時間の制限を設けることで民は労働を厭わなくなります」


「なるほど私は今日、仲父から三つの正言を聞いた。しかし、私がそれを勝手に実行することはできない。先君に報告してから正式に実施するとしよう」


 これは彼が他の群臣たちに遠慮しているなどということではなく。管仲の意見を国の大事として、先君へ報告を行うことで徹底的に行うということである。


 桓公は百官に命じて竹木を削り(この頃、まだ紙が無いため竹や木を削って文字を書いていた)、墨と筆を用意させた。


 翌日、群臣一同を太廟の門に集めた。そこで彼は彼らに命を下した。


「民への税は百石の穀物から一鐘(鐘は六斛四斗)の税を取ることとし、孤児や子供には刑を与えず(死刑にしないということ)、川沢を開放する時間を固定し、関所では通る者を確認するだけで税は取らないようにする。また、市場では登記させるだけで賦税をかけないとする」


 数年後、流れる水のように民は彼に服したという。



 また桓公が郊外に巡遊した時、彼は故城を見つけた。


 彼は近くにいたが野人(城外の民のこと)に聞いた。


「これは何の廃墟だ」


 野人は答えた。


「郭氏の墟です」


「郭氏とやらの城はなぜ廃墟となったのだ」


「郭氏は善人に対して善くし、悪人に対して悪くしたためです」


 彼の言葉を素直に受ければ郭氏には特に問題があったように思えない。


「善人に対して善くし悪人に対して悪くするのは善行であろう。なぜ廃墟となったのだ」


 野人は姿勢を正して、言った。


「郭氏は確かに善人に対して善くしました。されど善人を用いることができませんでした。また、悪人を嫌い、悪い待遇をしました。されど遠ざけることができませんでした。故に廃墟になったのです」


 桓公は城に帰ると管仲にこのことを話した。すると管仲は彼に聞いた。


「彼は何者でしょうか」


「わからない」


 彼が答えると管仲は拝礼して言った。


「あなたもまた、野人の言う郭氏なのでしょう」


 郭氏は見せかけの政治を行ったのである。彼が善を好むと言いながら善人を用いず、悪を憎みながら悪人を遠ざけなかった。人々はそれを見て、郭氏に偽善を見た。


 人が最も憎むものとは何だろうか。人を騙すことだろうか。人を裏切ることだろうか。否、人が最も憎むことは偽善であることである。そして、桓公も善を好み、悪を憎んでいる。だがそれは、本当にそうしているだろうか。形だけではないのか。故に偽善に陥ろうとしているのではないのか。その野人はそう言いたかったのではないのか。


 彼は過ちを覚り、すぐにその野人を招いて褒美を与えた。彼は決して過ちの少ない人ではないが彼はその過ちを悟るとそれを直ぐに改めることができる人である。



 そんな風に管仲の支えの元、彼は大国の主として君臨していた。そんな彼の元に周の使者がやって来た。


「王よりの命を与える」


「謹んでお受けします」


 使者は書簡を読み上げた。


「斉君を伯(覇者)として認める。また、衛は逆賊子頽を匿っている。これの討伐を命じる」


「承知しました」


 以前、諸侯に盟主として認められた彼は周王より、覇者と認められた。これにより、彼が周の代わりに諸侯をまとめることを認められたことになる。正に天下の主宰者となったのである。


 翌年、紀元前666年。三月、斉は衛に出兵し、これを破った。斉は衛に王命をもって、罪を責め立て衛より、財物を得た。


 斉は益々強大になっていく。



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