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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第三章 天下の主宰者
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王を殺した童謡

 紀元前671年


 春、魯の荘公そうこうは斉から帰国した。


 夏、荘公は斉の社祭(社神の祭祀のこと。民衆はこの祭祀を利用して男女が出会い、娯楽の場としていた)を見物しに行こうとした。それを曹沫そうかいが諌めた。


「いけません。礼とは民を整序するためにあります。だから諸侯の会(会見・会盟)は上下の秩序を正し、財物の基準を設けるものです。朝(朝覲)は爵位の儀を正し、長幼の序(諸侯の序列)に則るものです。征伐とは道に背いた者を討つものです。諸侯は王を聘問し(これを「有王」という)、王は四方を巡視し(これを「巡狩」という)、これらは礼を盛大に実習する機会です。君はこれら(会・朝・征伐・有王・巡狩)に関係ないことをせず、君が行えば、必ず史官によって記録されます。記録されたら事が法(礼)に合わなかったら、後世の君子はそれをどう見るでしょうか。」


 しかし、彼の諫言を荘公は聞かず、斉の社祭を見物し穀で斉の桓公かんこうと会盟して帰国した。


 荘公が戻ると楚から使者がやってきた。これにより、魯と楚の国交が結ばれた。


 楚の成王せいおうはこの頃、徳政を行い民を慈しみ、諸侯との関係改善に力を入れていた。周王室にも使者を出し、様々な品を贈呈した。周の恵王けいおうはこれに喜び、使者に胙(祭祀で用いる肉)を下賜し、成王にこう伝えるよう言った。


「楚君のいる南方に位置する夷越(異民族)の混乱を治めよ。また、中国(中原)を侵さぬように」


 成王はこれを喜んだ。これは周王により、南方を統べる役割を任されたに等しい。つまり、楚が他の国を責める際に周王の言葉を大義名分に掲げることができる。成王はこの言葉を受け、楚の勢力を大きく伸ばすことに成功する。


 この彼のやり方は祖父・武王ぶおう、父・文王ぶんおうのやり方とは違うものである。


 今までの力で捻じ伏せるだけのやり方とは違うやり方で彼は楚の勢力を益々拡大させ、やがて中原へとその勢力を拡大させていくことになる。


 南の楚がその勢力を伸ばし始めている頃、北では晋の献公けんこうが頭を悩ませていた。


 悩みの種は桓叔かんしゅく成師せいし)と荘伯そうはくから分かれた分家たる諸公子たちの勢力が彼に近い公族の勢力よりも力を持ち、凌駕し始めていたのである。


 本家よりも力を持ち始めた分家というものはとても厄介なものである。なにせ、彼の先祖はその分家でありながら本家を倒して国を得たのである。その怖さはよくわかっている。そのためこのまま彼らを放っておくわけにはいかない。現に彼らは彼の政治に口出しし、思うような政治ができなくなっていた。


「何とか排除しなくてはならない」


 彼は彼らの粛清を考えた。しかし、その粛清を行うには相手が大きな力をもっているため容易ではない。では、如何にして彼らを粛清するのか。そこで彼は一人の男を招いた。その男の名を士蔿しいという。


 彼の先祖は杜伯とはくという人である。杜伯は周の宣王せんおうの頃の人である。


 宣王の頃、このような童謡が流行った。


「月が昇ると日が没する。桑の弓、箕の袋(矢を入れる袋のこと)を持った者が周を滅ぼす」


 月は女性を意味し、日は男性を表すという考えがあり、つまりこの歌は『女が政治を乱して周を滅亡させる』というものであった。


 宣王はこの童謡を信じ、恐れた。そして、童謡の中に『桑の弓』があることから彼は弓矢を持つことを禁止にするよう杜伯に命じた。


 この布告がなされた頃、田舎から出てきたある女性がそのことを知らず、都で弓矢を売った。宣王は彼女を捕え、処刑した。


 これで安心したと思い彼は眠ると夢の中で西方から女性がやってきて、太廟の主を連れて去るのを見た。彼は驚き起きた。女が太廟を荒らすというのはまさに『女が政治を乱す』という童謡の内容と一致する。


 これを恐れ、また彼は怒った。そして、その怒りを布告を出した時の責任者である杜伯を死刑にすることにしました。彼は恐れるあまり、冷静な判断力を失っていた。


 これを杜伯の友人である左儒さじゅが何度も諫言した。宣王は怒りを表わにして言った。


「お前は君命に逆らい、王よりも友に重きをおくのか」


 左儒が毅然といた態度で答える。


「主に道があり、それに友が逆らっているのならば、私は主に従い友を誅するでしょう。しかし、友に道があり、主が逆らっているのなら、友の味方となり、主に逆らいましょう」


 この言葉は宣王の逆鱗に触れた。


「その言は真であろうか。もし考えを変え、今の言を言い直せばお前を活かしてやろう。言い直さなければ死刑にする」


 彼は宣王の言葉に臆することなく、言う。


「士足る者は義を曲げずに死を選び、己の言を変えてまで生を求めないもの。私は死によって友の無罪を明らかにすることでしょう」


 ここまで言われてもなお、宣王は杜伯を処刑した。そして、それを知った左儒は自害した。この処刑により、杜伯の子は臣下に守られ晋へと亡命した。この子供こそ士蔿の先祖である。しかし、まだこの話は終わっていない。


 それ以来、宣王の政治は荒れた。そして、彼が狩りに出た時、赤い冠を冠り、白馬に牽かれた白い馬車に乗っている男が現れた。


 何者かと思い、彼は馬車に乗る者を目を細めながら見た。そして、驚いた。何故ならばそこにいたのは。


「杜伯っ」


 彼の顔は次第に青ざめていく。すると杜伯は彼に向かって馬を走らせ、彼に迫ってきた。宣王は逃げようとするが杜伯は赤い弓を手に取り、赤い矢を宣王に向かって放った。


 矢は宣王の胸に当たり、彼は死んだ。それを見て、杜伯は消えた。嘘のような話だが、多くの人がこの現場にいたようで皆、この事態に驚いたという。


 亡霊となり、王を殺した彼の子孫である士蔿は今、献公のため桓叔と荘伯の公族を粛清しようとしていた。


「彼らの中でもっとも厄介なのは富子ふしです。彼を除けばどうにでもなるでしょう」


「ふむ、除くと言うがどのように除くのだ」


「諸公子たちを利用します」


「そうか、ではお前に任せる」


「御意」


(さて、先ずは種を蒔くとするか)


 先ず、士蔿は何度も諸公子たちに会い、富子のことを中傷した。そして、彼らに彼への恨みが高まったと見ると彼は富子の元に行く。


(種を蒔いたら、次は土を整えなければ)


 彼に諸公子たちが貴方に矛を向けると伝える。富子は慌てて、それに備えようとする。


(さて、水をまくか)


 彼は諸公子たちの元に行き、富子が兵を用意していることを伝える。そして、それに諸公子を襲う気であると付け加え、直ぐに攻めるべきと言い、矛先を彼に向けるように諸公子たちを煽った。それにより、彼は諸公子たちと共に富子を除くことに成功した。


「見事であるな」


これを知り、献公は彼を褒め称えた。


「いえ、まだ除くべき者が残っています。まだ安心できません」


「そうか、わかった。お前に任せる。期待しているぞ」


「承知しました」


(花を咲かすまで後少し)


 士蔿の謀臣としての才が今、まさに煌めこうとしていた。

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