晋の占者
楚の君主が変わった頃、北の晋が動いた。晋の献公が驪山の麓にある国、驪戎を攻めたのである。
彼が驪戎を攻める前、大夫・史蘇に占わせた。すると彼は不思議なことを言った。
「勝利を得られますが不吉です」
献公は怪訝そうな表情を浮かべた。勝利することができるならば吉であるはずなのに不吉とはどういうことか。
「どういうことだ」
「占いでは『歯が交わり間に骨をくわえ、牙でそれを噛み切る』と出ました。歯が交わり、噛み切るのは戦の勝敗が入れ替わることを意味します。両国の戦の後、勝利すると禍に転じるでしょう。また、歯も牙も全て口に関係するもの。口の禍により民が離散し、国を傾けることになりましょう。主よ。この出兵やめたほうがよろしいかと」
だが、献公は彼の意見を聞き入れず、出兵した。
晋軍は驪戎と戦い、占い通り勝利することができた。驪戎の君主は彼への服従を誓うと自分の二人の娘を差し出した。
その二人の娘を見て、献公はその美しさに驚いた。特に姉の方は絶世の美女である。
(これほどの美女がこのようなところにいるとは)
彼には買から来た夫人と父の武公の妾の斉姜がいたが彼女たちとは比べようがないほどの美女である姉妹を彼は夫人として迎え入れ、寵愛した。この姉妹の姉を驪姫という。
因みに何の因果か驪山は周王朝の崩壊のきっかけを作った傾国の美女、褒姒が死んだ地ともされている地である。そして、その麓に産まれた驪姫もまた国を傾けることになる。
国に戻った後、彼は大夫を招き宴を開いた。彼は司正(宴を司る官)に史蘇に酒を贈ってこう言わせた。
「お前は酒だけ飲め。食事は許さん。驪戎の役の際、お前は『勝利が不吉だ』と言った。半分は当たったため賞としてお前に酒を与えよう。しかし半分は外れている。故に罰として食事は禁止する。勝利して、妃を得たのだから、これ以上大きな吉はないではないか」
史蘇は酒を受け取ると一気に飲むと再拝稽首すると言った。
「占いで兆があれば私には隠すようなことはできません。兆を隠したら私は己の職責を失うことになります。これら二罪を侵して主君に臣下が仕えることができるでしょうか。この二罪を犯せば更に大きな罰が訪れることになります。食事を行うどころではありません。主も吉を好み凶に備える必要があるとお考えでしょう。例え凶がなくても、備えをすることに何ら間違いはありません。また、万一凶事が起きたとしても、備えがあればその害を小さくすることができます。そのため私の占いが外れるのは国の福というもの。今回の罰を厭うことはありません。」
宴が終わり、史蘇は大夫たちに言った。
「男の兵がいれば、女の兵もいる。晋は男の兵で勝てば、女の兵で戎は晋に勝つだろう」
大夫・里克がその意味を問うた。彼は答えた。
「かつて、夏の桀王が有施氏を征伐すると有施氏は妺喜を彼に嫁がせた。その妺喜が寵を受けたため、伊尹と共に商の湯王は夏を滅ぼすこととなった。また、商の紂王は有蘇氏を征伐し、有蘇氏は妲己を彼に嫁がせた。妲己も寵を受けたため、太公望と共に周の武王は商を滅ぼすことになった。周は幽王が有褒氏を征伐し、褒人は褒姒を周の幽王に嫁がせた(これは別説)。褒姒は寵を受けて伯服を産み、虢公・石甫と共に太子・宜臼を追放し、伯服を太子に立てた。太子が申に出奔したために申侯は西戎を招いて西周を攻め、西周の滅亡を招いた。そして、晋は徳が少ないのに関わらず女を捕え、その女を寵愛している。三季(夏・商・周三代末期)の王と今の晋は同じではないか。私が驪の討伐を占った際、国が離散することとなるという答えが出た。これは滅びの兆です。私が平穏でいられないだけではなく、国が分離するという意味である。政を行う者は警戒しなければならない。国が滅ぶまで時がない」
これを聞き、その場にいた。卜(古代中国の複数ある占いの一種)を掌る大夫・郭偃(卜偃とも言う)が言った。
「三季の王が滅んだのは必然であろう。王とは民の主であるからな。贅沢を尽くして反省することもなく傲慢にふるまえば、国を滅ぼすことになる。後世から同情されることはない。しかし今の晋は辺境の国に過ぎない。その領土はせまく、大国(秦・斉のこと)が近くにいる。そのため限りなき欲を満たそうとしても上卿や隣国がそれを抑えるだろう。今後、晋は頻繁に国君を換えることになるかもしれないが、国が滅ぶことはない。また、国君が換わるとしても多くて五回までだ。史蘇の占いでは『口の禍』の恐れがあるというが、口は三五の門(日・月・星の三辰と五行を語る場所という意味)である。口舌によって禍が起きたとしても、少なくとも三人、多くても五人の国君が影響を受けるだけだろう。歯が噛み切ったとしても被害は口の中だけであり、国を滅ぼすには及ばない。例え女が乱を起こしたとしても、不幸は驪姫自身に起きるだろう。人々を従わせることはできない」
そう言うと彼はその場を離れた。それを見て、里克は言う。
「おい、郭偃殿。国君は五人も変わるとはどういうことだ」
「そういう意味さ」
彼に対し、郭偃はそう言うと今度こそ去っていった。
「全くあの者はなんなのか」
「彼には道理がある」
大夫・士蔿が彼に近づき続けて言った。
「警告するだけではなく、備えをするべきだ。備えがあれば今後の事に対応できるということだ。二大夫の言はどちらにも道理があり、言わんとしていることは同じだ。備え方さえ間違わなければいいのだ」
彼は里克の肩を叩き立ち去った。
士蔿と里克の二人は晋の運命に大きく関わる存在であり、そして、史蘇と郭偃の占いは当たることになる。
彼らの元から離れた後、宮中の中を歩いていると前方から二人の少年を連れた青年がやってきた。
「これは先生。また教えをいただけると嬉しいですけど」
青年は恭しく拝礼した。すると後ろの二人も拝礼した。
「また、いずれ参りますので。これで失礼します。公子」
「きっとですよ。先生。では」
青年は二人を連れ、彼から離れた。青年の背中を見て、彼は目を細める。
「あれが一番長生きし、天命を受けるか」
彼はそう呟くとまた歩き出した。
青年の名を重耳という。献公の次男である。彼は後に天下を左右する存在となる。




