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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第三章 天下の主宰者
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神聖な存在

 秋、魯の荘公そうこうは防で斉の上卿・高徯こうけいと会盟を行った。本来は国君と会盟を行う際は国君が行かなければならないがこの時、斉からは高徯が行った。そのため斉は無礼にあたるのだがそのことについて魯の荘公が何ら不満を持ったということはなかった。


 冬、荘公は斉に行き、幣帛を収めた。


 秦の宣公せんこう密畤みつじを造った。密畤の青帝(中国の神様)は東の方角と五行思想の木徳を象徴する。主は太昊たいこう


 因みに五行思想とは万物は五つの要素(火、水、土、木、金)が互いに影響し、変化していくというものでこの考え方は戦国時代に確立されたものだが思想事態は元々あったものである。


『史記・封禅書』によると、かつて秦の文公ぶんこうが夢で天に昇る黄蛇を見た。蛇は天から地に向かって伸び、その口は秦のという地域にあった。


 夢から覚めた文公は祠廟しびょうを建てて白帝(中国の神様)を祀った。これを鄜畤ふじという(紀元前756年のこと)。鄜畤は白帝は西の方角と五行思想の金徳を象徴する。主は少皥しょうこう


 その八十四年後(本年)、宣公が渭南の地に密畤を建て、そこで青帝を祀ったのである。


 更に秦の霊公れいこうの時代になると(紀元前422年)、呉陽の地に上畤じょうじを建てて黄帝(中国の神様)を祀った。上畤の黄帝は中国の大陸中央と土徳を象徴する。主は軒轅けんえん


 下畤かじを造って炎帝(赤帝とも言い、中国の神様)を祀った。下畤の炎帝は南の方角と火徳を象徴する。主は神農しんのう


 以上の四畤(鄜畤・密畤・上畤・下畤)を秦雍しんよう四畤しじと言う。


 秦が滅んで漢の高祖・劉邦りゅうほうが西楚の覇王・項羽こううと戦った時代(紀元前205年)、劉邦が関中に入って近臣に問うた。


「秦が祀った上帝は何だ」


「四帝です。白帝・赤帝・黄帝・青帝の祠がございます」


 劉邦はそれに疑問を覚えた。


「天には五帝がいる。それにも関わらず、何故四帝しかいないのだ」


 そう彼は言うと、彼は黒帝(中国の神様)のために祠を建てた。。これを北畤ほくじと言う。北畤の黒帝(玄帝とも言う)は北の方角、水徳を象徴する。主は顓頊せんぎょく


 こうして新たに五カ所目の祠を加えて、これを漢雍かんよう五畤ごじと言う。


 この頃、秦という国は独自に神を自分たちだけで祀るようになっていた。そして、それを行う秦の君主を神聖な存在で臣下はそれに仕えているという関係で成り立っている。


 このような秦と似た国の形をもっているのが楚である。そんな楚で乱が起こった。


 その乱によって、陳より南の国、随に亡命してきた者がいた。その者の名を熊惲ゆううんという。楚の堵敖とごうの弟である。そんな高貴の身分である彼が何故随に逃れなければならないのか。それは彼が兄に殺されそうになったためである。


 因みに楚という国では、こういう乱は大抵王族が起こし、王族同士で争うことが多い。何故なら王族に刃を向けることができるのは同じ王族であるとされているのである。秦も大抵同じである。


 何故、兄が自分を殺そうとしたのか彼には理解できなかった。しかし、人が誰かを恨む時、恨まれた本人はその理由を知らないことの方が多く、これもその一例に過ぎないかもしれない。


 彼の処遇について、随の宮中は荒れた。彼の扱いについて、二つの主張がぶつかり合っていた。


 一つは彼を楚に差し出すという主張である。随は小国であり、楚に攻められては敵わないという。そのため彼を差し出すべきと主張したのである。


 もう一つの主張は彼を立てて、楚と戦うというものである。かつて随は楚によって滅ぼされかけたことがあった。あの頃の者たちは既にこの世にはいないがその恨みは決して消えてはいないのである。


 南方の人は激情の人が多い。この主張が熊惲を差し出すという主張に勝り始め、結果随は彼を立てて楚を攻めることにした。


 これを随から伝えられた熊惲は動揺した。彼は兄の魔の手から逃れれば良いと考えていた彼にとって、寝耳に水である。


(私は決して王位を望んだわけではない)


 そんな彼の思いとは裏腹に随は彼を連れ、楚の首都へ軍を出した。この軍は恐るべき速さで進軍し、楚の首都へ迫った。


 随の侵攻を知った堵敖は軍を出す。随と楚の軍は楚の首都近郊で激突した。


 楚の軍は精兵揃いだが、随は自分たちの親の代の恨みを晴らさんと一人一人が奮闘し、楚の軍を圧倒。結果楚軍は随軍に敗れ、退却。随はその勢いのまま楚の首都に乗り込んだ。


 随の兵は首都に入ると楚の兵を殺し、やがて王宮に入り堵敖を殺した。


 兄の首が熊惲の前に運ばれてきた。彼は兄の首をじっと見ると兄のことを思った。


(何故兄は私を殺そうとしたのか)


 兄を彼は一度も害そうとは考えたことは無い。それに以前は兄と自分の仲は悪くはなく良好だった。


(兄は私を恨んだのではなく、恐れたのだろうか)


 それなら何故兄は自分を恐れたのか。人は時として最も近くにいるものを恐れることがある。兄と自分はもしかしたら近すぎたのかもしれない。それゆえにこのようなことになった。


(人を恨まないことも恨まれないようにすることもどちらも難しいものだ)


 彼は兄の首を見ながらそう思った。彼は恨みというものの怖さを知ったのである。しかし、まさか後に彼は憎まれて死に追い込まれることになるとは予見することはできなかったが。


「もう良い。きちんと埋葬せよ」


 配下に兄の首を下がらせ随軍にはその後、使者を派遣し礼を言って帰国させた。そして、彼は即位した。これを楚の成王せいおうという。楚を一大強国に押し上げた人物であり、やがて天下を左右する大戦に関わる一人となる。

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